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 いつしか純は酒を飲むようになっていた。昼夜逆転して眠れない深夜、あまりの虚無感に耐えきれず、純は一人、キッチンの冷蔵庫から盗むようにして酒を飲んだ。無気力な自分のその鬱屈していく苦しみを、純はそんなことでしか癒すことができなくなっていた。

 深夜一人起きていると、嫌なことばかりが頭に浮かぶ。サッカー部の先輩たちの顔――。百瀬のニヤついた顔。酒井のバカにした顔。中川の嫌味な顔。顔、顔、顔、同級生たちの見下した顔、憐れむ顔――。

 その記憶を振り払うようにして純は酒を飲んだ。酒量は日々増えていき、家にあったワインボトルを一人で一本空けてしまうこともあった。しかし、酒を飲めば飲むほどに、逆に辛さは増していくばかりだった。何も解決しない、むしろ積もっていく鬱屈した感情に純は押しつぶされていく。

「クソッ」

 純は壁を殴る。募るイライラ。込み上げる堪らない怒り。その怒りに任せ、純は部屋の壁を殴る。どうしようもない感情。どうすることもできない怒り、やり場のない思い。苦しかった。苦し過ぎてどうにかなってしまいそうだった。

「クソッ、クソッ」

 壁に穴が空いた。その穴も日に日に増えていった。部屋はもう無茶苦茶になっていた。その部屋の荒れ方がそのまま純の心だった。雑然と汚れ、壁に穴が空き、昼間でもカーテンの閉まった秩序を失った薄暗い部屋。

「うるせぇんだよ」

 さらに純は親に暴言を吐くようになっていた。募るイライラと怒り。分かってもらえない苦しみと悲しみ。もう、込み上げる感情が抑えられなくなっていた。自分でもどうしようもなく、感情が爆発してしまう。誰かににそれをぶつけずにはいられなかった。それは家の中では、立場の弱い親しかいなかった。

 純は小さい頃から素直でいい子だった。親に逆らうなんてことは一切なかった。まして暴言を吐くなんて絶対になかった。そんなことはありえなかった。純が幼い頃、親戚の人たちが、大人しく素直でいい子の純を見て、純の親をうらやましがったものだった。

 怒りを爆発させた後は、純は堪らない自己嫌悪に、陥るのだった。そして、堪らなく死にたくなるのだった。自分に対して弱い立場の親にしか、怒りをぶつけられない自分が堪らなく情けなかった。

 

 どんなにいじめられても、理不尽なことをされても、絶対に日明は先生に言うことはしなかった。チクリは、この世代の中にあっては最低の行為だった。日明もそのことはよく知っていた。

「早くしろよ」

 練習前、誰よりも早くに練習グラウンドに来て一生懸命に練習の準備をする日明のケツを、肥後が蹴った。

「すみません」

 日明はすぐに謝る。練習が始まるまでにはまだ時間があった。全然早くする必要がない。まったく理不尽な話だった。 

「おいっ」

 今度は、先輩の酒井が怒気を含んだ声を出す。

「ちゃんと水用意しとけって言っただろ」

 そんなことは言っていないし、まだ練習は始まっていない。飲みたければ個々で練習場脇の水道で飲めばいい。水を用意するのは、練習が始まる直前でよかった。

「すみませんでした」

 だが、日明はすぐに深々と頭を下げ、素直に謝った。その反応に怒った酒井の方が驚いた。日明は何の迷いも躊躇もなく、深々と頭を下げていた。そこにプライドはなかった。自然と、むしろ積極的に自分から頭を下げることができていた。ものすごく理不尽なことをされているのに、しかし、悪感情は一切なかった。むしろすっきりとした晴れ晴れとした心境だった。

 それが伝わったのか、それを見ていた、先輩たちはみな一様に驚いていた。


「なんか変わったよね」

 突然、背後で声がして日明は振り向く。声の主は美希だった。

「あ?」

 日明はポカンとして、美希を見る。日明は、いつも通り、練習終わりのボール拾いをしていて、しゃがんだ状態だった。その日明が下から、体を無理な態勢でねじりながら、見上げるように美希を見る。

「なんか変わった」

「変わった?」

「うん、変わった」

「・・・」

 そう言われても、日明は自分ではまったく実感はなかった。

「なんかいい奴になった」

「いい奴?」

「うん、なんかいい奴になった」

「・・・」

 日明は、黙った。

「ははははっ」

 そして、日明は突然、大声で笑い出した。

「どうしたのよ」

 美希がそんな日明を怪訝な顔で見る。

「いや、だってさ。はははっ」

「何よ」

「だってさ、はははは。俺がいい人だぜ。はははっ」

「・・・」

「はははははっ、俺がいい人、ははははっ」

 日明はお腹を押さえ笑い転げる。

「そうね。ははははっ」

 美希も笑い出した。

「あんたがいい人って、はははっ」

「俺がいい人、ははははっ」

 二人は腹を抱えて笑った。

 日明は、何か吹っ切れたものを感じていた。事件後、まだ我を張っていた日明はそこにいなかった。我を捨て、どこか達観した日明がそこにいた。

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