自責
精神的にただ疲弊していくだけの毎日。
人生には必ず希望があり、正しく生きていれば必ず努力は報われる。そんな大人たちの語る物語を、純はずっと信じていた。
そんなの嘘だ。
「嘘だ」
純は頭を抱え叫ぶ。苦悩する日々の中で、純の中の今まで信じていたそんな揺るぎない価値観は壊れていった。すべてはきれいごとでしかなかった。社会の作り出したただのファンタジーでしかなかった。現実はそんなものじゃない。努力は報われないし、やさしさや誠実さは笑われ、強い者は何をしても許され、神さまもいない。それが現実だった。
荒んでいく心。どちらかと言えば、純は小さい頃から素直でマジメでやさしい人間だった。だが、そんな純の純情な性格も、もう、壊れ始めていた。
「嘘だ。嘘だ」
もうどうでもいい気がした。自分も他人も社会も何もかも。
「みんな死んじまえ。こんな社会壊れてしまえ」
疲弊していく精神の中で、そんな考えが意識を支配し始める。そして、純は堪らなく自分も死にたくなるのだった。
高校を辞め、家にいても両親との関係が日に日に悪くなっていて居心地が悪かった。辛い純の気持ちは両親には伝わらなかった。戦中戦後生まれ、価値観も育った環境もまったく違っていた。ジェネレーションギャップというにはあまりに大き過ぎる溝だった。元々会話も成り立たず、価値観の共有も難しかった。そこに純の不登校だった。純の両親の世代の価値観で学校に行かないなどということはありえないことだった。彼らの価値観からすれば理解し難い蛮行だった。両親にはやはり、純がただ怠けているようにしか映らなかった。純は家の中でも追い込まれ、居場所を失っていた。
純は近くのセブンイレブンにたばこを買いに行った。居心地が悪くてもいる場所は家しかなく、ほぼ引きこもり状態で、外に出るのは、このたばこを買いに出ることくらいだった。
いつものようにマルボロを二箱棚から取り、レジカウンターに置く。
「純・・、くん」
突然声をかけられ、純は少し驚いて顔を上げる。見ると、店員の女の子が純を見ている。しかし、誰かは分からなかった。純は訝し気な表情で店員を見返す。
「あたし、佳奈美。覚えてる?一組の」
「・・・」
純は首を傾げた。全然思い出せない。でも、なんだか見たことのある顔のような気はした。
「ああ」
純は思い出した。中学の時、一組にいた小柄な女の子だ。成長し、少しおしゃれして少し化粧もしているのだろう。そのせいか、まったく分からなかった。
「久しぶり」
「あ、ああ」
しかし、中学の時はクラスも違うし、一度も口を利いたことがなかった。
「純くん高校辞めたんだってね」
「あ、ああ」
田舎の伝達網は早い。純はそのことに驚くとともに、イラつきもした。しかも、それを本人の目の前で平然と言う神経に腹が立った。
「あたしもうすぐバイト終わるんだ」
そして、ほとんど知らない間柄なのに妙に馴れ馴れしかった。
「ああ、じゃあ、外で待ってるよ」
しかし、純はなぜか思わずそう答えていた。正直、佳奈美はなんか嫌な感じを受けたが、家に帰ってもどうせ暇だし、することもなかった。
「おまたせ」
「ああ」
佳奈美が十分ほどでコンビニから出てくると、二人はすぐ近くの公園に向かった。そして、二人は公園のベンチに並んで腰を下ろした。近くで見る佳奈美は、少し大人っぽく見えた。しばらく見ないだけで女の子はこんなに変わるんだと純は内心驚いた。
純はタバコに火をつけた。
「タバコ吸うんだ」
「ああ、うん・・」
「なんかすごい真面目そうだったのに」
「・・・」
「サッカーすごいがんばってたよね」
「・・・」
サッカーという言葉が、純の胸に突き刺さるような痛みを与えた。純は、またイラついた。なんてデリカシーのない女なんだ。純は思った。
「辞めたんだ」
純はそっけなく言った。
「噂で聞いた」
やっぱり、みんな知っているんだなと、純は思った。世間は狭い。特にこの田舎町では。
「あたしもなんだ」
「えっ!」
突然の告白に純は驚いて佳奈美を見る。まだ、不登校や高校中退が世間的にはまったく許されないそんな時代だった。特に田舎のこと、白眼視されることが当たり前みたいな世界だった。それなのに佳奈美は妙に明るい。
「・・・」
純は戸惑う。
「なんかクラスにいづらくなっちゃって」
「・・・」
純もそうだった。別に特段いじめられたとかそういったことではなかったが、なんとなく居づらい空気があった。それを遠回しないじめと言えばいじめなのかもしれなかったが、はっきりと言語化できるものではなかった。確かにある空気。でも、はっきりと言葉にできない空気――。
「なんか、同じなんじゃないかって」
「・・・」
「なんかそんな気がしたの。だから・・」
その時、なぜか純は無性に腹が立った。一緒にするな。純の中に、突然歪な形の変なプライドが燃え上がった。
「あっ、純くん」
純は立ち上がり無言で歩き出していた。
「・・・」
純は佳奈美をベンチに置いてそのまま行ってしまった。
家に帰り、純はまた堪らなく自分を責めた。あまりに狭量な自分が、堪らなく最低な人間に思えた。せっかく自分と同じ境遇の人間と出会えたのに、そして、わざわざ向こうから声をかけてくれたというのに、それを自分の中の変なプライドで無下にしてしまった。そのことに、純は自分が情けなく、堪らなく自分を責めた。
「俺は最低だ・・」
夜中の静寂の中に、ボールの激しく転がる音が響く。
日明は試合に出れることを信じ、夜、人知れずトレーニングを積んでいた。ハードな走り込み中心の部活の練習終わりに、さらに、家の近くの竜の滝と呼ばれる湧き水の湧き出す神社の急階段を何往復も走り込み、その無人の荒れた境内でボールを転がし、ドリブルをする。
以前には絶対やらなかった過酷で地道な自主トレーニングを、日明は人知れず、部活後の夜、一人で黙々と自分に課していた。
重い十字架を背中に背負うように、一つ一つ一歩一歩、確実に堅実に、ストイックにトレーニングを積み重ねていく。
今までの自堕落な状態から日明は一変していた。ストイックなそれでいてふつふつと湧き上がるやる気を日明は、心の内奥から感じていた。あの、ただサッカーのことだけを考えていた、サッカーがうまくなりたい、ただそれだけを考えていた頃の日明がそこにいた。
自分でも気が高まっているのが分かった。今の自分は最高の状態にある。それを日明は自分で感じていた。
しかし、試合に出ることは出来なかった。もうすぐ、県大会の予選も始まる。だが、試合には出られない。それが堪らなく悔しかった。




