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よろしくお願いします!
父が彼を家に連れて帰ってきたのは私が12歳の時だった。
私が生を受けたこの伯爵家は当初長男である兄が継ぐ予定だった。
しかし文武両道で特に魔法が図抜けて優れていた兄は15歳にしてその腕を買われ、たちまち公爵家の御息女と婚約が決まったのだ。
そして公爵家に婿入りするため、魔法学園を卒業したら結婚と同時に家を出ることが決定していた。
他に男兄弟もいなかったため、この男の子は恐らく兄の代わりに伯爵家を継ぐ者としてここへ連れてこられたのだろうと推察できた。
聞けば遠い親戚で私の2つ下だという彼は、まだあどけなさを残す大変な美少年だった。
父の隣で少し頬を染めながら、よろしくお願いしますと頭を下げる姿は一瞬で心を掴まれるほど可愛らしかったのを覚えている。
それが今はどうだ。
「邪魔だ、セレスティア」
「…せめて姉さんと呼びなさいと何度も言ってるでしょう?アシュレイ」
「やだね」
あの天使みたいに可愛かった美少年が、なんて憎たらしい男に成長してしまったのだろうか。
きっとどこかで育て方を間違えてしまったのだ。
あれから4年が経ち思春期に突入した義弟は、姉にだけ反抗を見せる拗らせ男子になってしまっていた。
私には前世日本で過ごしていた頃の記憶がある。
物心ついた時には既に前世の事を思い出しており、この世界に魔法があると知った時にはこれが噂の異世界転生かぁ、などと思ったものだ。
名前はセレスティア・カーディナル。
現在16歳で、王都魔法学園の高等部に通う学生である。
貴族の娘なだけあって容姿は割と優れている方だと思うが、魔法の腕は中の上といったところで優秀な兄に比べるとかなり見劣りしてしまうから残念だ。
代わりに私が得意としているのがこの世界にあるピアノに似た楽器、カロンだった。
前世でピアノを習っていた事もあってか、自分で言うのもなんだがカロンの腕前はなかなかのものだと思う。
しかし皮肉にも、それが義弟のお気に召さないポイントのようだった。
「またカロンか、よく飽きねーな」
「…私はこのやり取りに飽きたわ。日課だとわかってるんだから、いちいち突っかかってこないでちょうだい」
「毎日ここに来るからだろう」
「カロンはこの部屋にあるのよ?嫌なら自分の部屋で勉強しなさいな」
「俺はこの部屋の方が集中できるんだよ。あんたが自分の部屋にカロンを移動しろよ」
「嫌よ、部屋が狭くなるわ」
「我儘」
「そっちがね」
義弟のアシュレイは今年14歳になる。
流石父が見つけてきただけあって文武両道で将来を期待される逸材だが、更に上をいく魔法の腕を持つ兄を見てきているからか、魔法については満足いかないらしくかなり苦慮しているようだった。
その苛立ちもあって、魔法には楽観的な私への当たりが強いのだ。
「あの兄上を持ちながらよく平然とカロンの練習なんかできるな」
「何度も言ってるけど、私は自分の才能を伸ばす事に時間を使ってるの。お父様やお母様だって認めてくれているわ」
「諦められてるんだよ、魔法」
「これだって凄い才能よ?カロンの良さがわからないなんて、まだまだお子ちゃまね」
「あー、うるさ」
そっちから話を振ったくせに、本当に失礼な奴だ。
私から顔を隠すようにテキストを手に取ったアシュレイに、構う事なく言葉を投げる。
「いくら兄弟って言ったって兄様とは才能も違うのだから、貴方もただ闇雲に努力するより自分の才能を伸ばした方がきっと早いわ」
「…あんたに何がわかるんだよ。魔法とカロンは違うだろ」
アシュレイは低い声でそう言うと、卓上の物をさっさと片してこちらを見ることなく部屋を出ていってしまった。
音を立てて閉められた扉を見て、小さく溜息を吐く。
「思春期って大変ねぇ」
私はそうポツリと呟くと、気持ちを切り替えるように一度背筋を伸ばしてからゆっくりと鍵盤に指を置いた。