第85話 上げて落とす
ユイトの入学試験前日の、その夜のこと。
残っていた生徒たちが帰宅した後のアーディア第三学園は、夜の帳の中で静まり返っていた。校舎内には、明日に向けての準備に勤しむ職員たちが、数名かろうじて残っている。
試験で使う教室の清掃や、校内案内の看板の設置。
はたまた、試験官として受験生を相手する実技試験のための細かなコンディション調整など、入試を明日に控える職員たちの職務は多い。
多くの職員たちが仕事に追われる、その最中。
一人、異様な動きを見せる人物がいた。
「ふぃ~。さて、ざっとこんなもんか」
校舎の周りを囲む、並木道にて。
無造作な灰色の髪と短い顎髭が目立つ男――ダレルは、スコップを肩に担いで額の汗を拭った。夜にも関わらず、彼はそのスコップでの肉体労働を強いられている様子だった。
彼の前には、一本の“大木”が植えられている。
周りの並木に紛れたその一本は、実を言えばただの木ではなかった。
何故ならば、それは――
「――やあ、ダレル君。下準備は順調かい?」
スコップを地面に刺した彼のもとに、コートを羽織った男が近づいてくる。
わざとらしい爽やかな笑みを浮かべた、白髪赤目の男性だ。
ダレルは深く溜め息をつき、彼を見やった。
「おう、なんとか“植樹”は終わったぜ」
「へぇ……さすがはうちの武術師範。仕事が早いねぇ」
「ハッ、学長様はお気楽でいいな」
まるで親友のように、軽口を叩き合う二人。
そこには、立場上のしがらみなどというものは皆無だった。
それもそのはず、二人はその昔、ここ第三学園でともにその名を轟かせた『卒業生』なのだ。圧倒的な実力で一時代の学園全体を席巻した、最強の二人。そんな彼らが教師をやっている事自体、運命的とも言えるだろう。
「ルカの〈反転剤〉で一応無力化はしておいた。〈活性剤〉を打つか、人間からの刺激がなけりゃ目覚めることはないだろうさ。まあ、そんな馬鹿はいねぇだろうけどよ」
「ああ、助かるよ。これで準備は万端ってわけだ」
「だな……。ったく、割に合わねぇよ……こんな仕事」
自らの“植えた”大木を見て、ダレルは愚痴をこぼした。
彼にこの仕事を任せたのも、学長であるアランだったりする。
「この俺でも、捕まえるのすげぇ苦労したんだぜ?」
「そうか……それで、〈毒〉は食らったのかい?」
「なわけあるか。お前の姪っ子のポーションで対策済みだ」
「ほう。なら、今度リーファに感謝しないとね」
「てめぇ……俺にも少しは感謝しやがれ、叔父バカが!!」
ダレルは忌々しそうに、飄々としているアランを睨む。
しばらくしてその表情を神妙なものに変えると、彼に訊ねた。
「本当に、いいんだな? これで……」
ダレルは遠慮がちに顔を背けた。
一方のアランは月光の下、ひとり不敵な笑みを浮かべて答える。
「――もちろんさ。“彼”の実力を測るには、これが不可欠だからね」
夜風が強く吹き、木々を不気味に揺らす。
アランはコートをはためかせて、悠々と踵を返した。
***
同時刻。
ユイトたちのいる〈Ryo-Ran〉では、彼の合格祈願パーティが執り行われていた。
「それじゃあ皆、ユイの合格を願って――」
形式上の主催者であるエリカの合図で、一同は手にしたグラスを高く掲げた。店を回すには不可欠なリンドウを除いたエリカ、ダリア、ミントの三人と、主役のユイトに加えて彼の招待枠のリーファの五人が一つのテーブルに集まっている。
五人のグラスが、ぶつかり合って音を立てた。
「「「「「乾杯!」」」」」
五人はそれぞれ、グラスに注いだ飲み物を口にした。
長テーブルの上には看板メニューであるステーキの他にローストチキン、ミニサイズのカツ丼が並び、豪華絢爛な様相を呈している。受験前日にしてはどれも少々カロリーが高めだが、そんな野暮なことを気にする人間はここにはいない。
「今日は本当に、ありがとうございます。僕のためにここまで用意していただいて……嬉しい限りです」
上座――いわゆる誕生日席に座ったユイトは、照れくさそうに笑う。
自分のために用意された料理の品々に、少し気後れしながら。
「遠慮することないですよ! ね、エリカ先輩!」
「ええ。弟子の大事な日なんだし、これくらい当然よ」
「まぁ……そういうわけやから、ユイトはんもたくさん食べや?」
「はい!」
ユイトは言われた通り、遠慮なくステーキに齧りつく。
Ryo-Ranの面々も、自分たちでこしらえた料理に手をつけている。
店員が三人も抜けている状況ではあるが、店自体は他のバイトの店員や日雇いの従業員たちで滞りなく回っている様子だった。時期が時期ということもあり、他のテーブルでも小規模な合格祈願のパーティを開いているのが窺える。
「いや〜、今日ばっかりはバイトさんに頭が上がらんわ」
「ですね〜。わたしが居なくてホールもスムーズですし……」
「こらミント、そんな暗いこと言わないの」
「はっ、すみません! ついいつもの感じでっ……」
「あはは……僕は気にしないので、大丈夫ですよ」
パーティとはいえ、至っていつも通りの空気の会話が続く。
そんな中、肉ばかりが並ぶテーブルにリーファは一人畏縮していた。
「あれ、リーファ食べないの?」
「え、えっと……あんまり私がいただくのも悪いと思って……」
「そんな遠慮することないのに……」
「そういえばリーファちゃん、猫舌だったわね」
「あ……」
食卓に並んでいるのは、どれも熱々な肉料理ばかり。
一同は事情に気づいたが、リーファは顔を赤らめて反論した。
「で、でも、ふーふーしながら食べれば大丈夫なので!」
「ほんま? お刺身とかあるけど、食べる?」
「うっ……わ、悪いですよ、ユイトさんのパーティなのに……」
「あ、なら僕お刺身も食べます」
「え?」
「そか。ほなちょっと持ってきますわ」
ダリアが席を立ち、厨房へと準備に向かった。
上手く気を利かせたユイトに、リーファは小声で話しかける。
「あの、ありがとうございます……」
「いいよ。一緒に食べよう」
澄ました顔で、ユイトは笑ってみせた。
……と、こうして平然を装っているように見える彼だが、今もリーファとの会話にいちいち脈拍を速めてばかりである。この感情を絶対に表に出さないようにと必死だが、現状それに気づいている者はいない。
ユイトの片想いは、この瞬間にも加速していた。
「リーファちゃん、こっちのお肉冷めてるけど食べる?」
「い、いいんですか……?」
「あ、ずるいです! エリカ先輩から“あーん”されるなんて!!」
「ミントは猫舌じゃないでしょ?」
「わたしだって猫人族です! あーんしてください!」
「はぁ……仕方ないわね、二人とも」
「あの、私は別にいいんですけど……」
どぎまぎするユイトを差し置き、女性陣は謎の三角関係に陥っていた。
年少だからと何かと世話を焼かれるリーファを見て、まだ彼女も未熟な少女なのだとユイトは実感する。普段は気丈に振る舞っているが、こうして年上に囲まれて露わになる一面もあるらしい。
そんな彼女の見慣れない姿に、ユイトはふっと微笑んだ。
「? ユイトさん、どうかしたんですか?」
「え? ああ、いや……」
やたらにこやかにしていたユイトに、リーファは訊ねた。
そして、ほとんど反射的に、ユイトは返答し――
「今日のリーファ、なんか若々しいなって」
盛大に、言葉選びを間違えた。
「……え?」
「は?」
「うわぁ……」
女性陣が三者三様の反応を示し、ユイトは追い詰められる。
自分の犯した間違いに気づかないまま。
「ユイトさん、さすがに今のは……」
「致命的なデリカシーの欠如……私の弟子失格ね」
「え!? 待っ、僕なんか変なこと言いましたか!?」
未だに罪に気付けないユイトに、エリカとミントは白い目を向けた。
そして、リーファの放った一言が彼をどん底に叩き落とす。
「ユイトさん……サイテーですね」
ユイトのやらかしは半分作者の実体験です。
女性への言葉選びはよく考えたほうがいいぞ、俺。




