第76話 裏取引
ユイトが初めてメイド喫茶を訪れ、リーファがアヤメと出会ったその翌日。
第三学園の入学試験を三日後に控えた彼らは、今日も各々の日常を謳歌していた。
若人たちがそれぞれの思いを抱き励む、そんな最中。
眩しく前進する彼らの裏で、『あの少女』の様子はいつもと違っていた。
「……で、一体全体なんの用ですか、せんせー?」
やる気のない、だらけた声が投げかけられる。
狼人族の少女、レイチェルは気怠そうにテーブルに頬杖を突いた。
彼女は今日、珍しく外出していた。
……といっても、学園の食堂に来ただけだが。
レイチェルは現在、根っからの引きこもりである。
気まぐれにユイトやリーファの部屋に遊びに行くことはあるものの、自ら進んで街に外出するようなことはしない。学園……というより、学生寮を出ること自体、とある理由から彼女には億劫なことなのだ。
外食なんてもっての外の彼女は、もちろん学食に姿を表すことも滅多にない。
誰かからこうして、呼び出しを受けない限りは。
「急な呼び出しで悪いな、ナイトフォール」
「ほんとだよー。引きこもりの時間を奪うなんて、大罪ですからねー?」
「すまない」
レイチェルの前に座る淑女は、冷淡な謝罪を一言添えた。
その佇まいは氷のように凛としており、氷色の長髪が時折風に靡いている。
彼女の名はリヴェルナ・ヴァニティズム。長きを生きるエルフの一人であり、学生時代のレイチェルに教師として接したこともある、第三学園の女性教諭だ。教師としての歴は長く、第三学園でもその職歴は頭一つ抜けているほどである。
そんなどこか理知的で近寄り難い雰囲気を漂わせる彼女が、引きこもりのレイチェルを呼び出したことには、やはりきちんとした理由があった。
「では……単刀直入に、今回呼び出した要件だけ言うが――」
コーヒーカップから唇を離し、彼女はそう前置く。
「――今度の入学試験、君の力を借りることになるやもしれない」
頬杖を突いていたレイチェルは、ぴくりと眉を動かした。
話がようやく本題に入り、彼女はほんの少し口角を上げる。
「へぇ? こんな落ちこぼれ人間の力を?」
「この場で自分を卑下する必要はない。ただ、もしものことがあったときの保険として、学長が動かしやすい君を指名した――それだけのことなのだからな」
「ふぅん、保険、ね……」
リヴェルナに奢られたコーヒーに、レイチェルは口をつけた。
不敵な笑みを浮かべる彼女に、リヴェルナは真っ直ぐ蒼の視線を向ける。
「学長もどうせ碌なこと考えてないんだろうな〜」
「……非常時の裏仕事だが、頼めるか?」
「もっちろん。報酬が出るなら、ボクはいくらでも」
「報酬なら、君の働きぶりに応じて用意する。失望はさせんさ」
「さっすがせんせー。相変わらず問題児の扱いが上手いな〜」
なら頼まれてあげますよ、とレイチェルは付け足した。
それから満足げに、苦目のコーヒーを一気に飲み干す。
上手く取引を運んだ彼女は、それから視線を少し横にずらした。
「キミもちょっとは喋ったらどう? 小さな【監視員】さん」
レイチェルの視線の先に、一人の少女が座っていた。
白銀の髪で片目が隠れた、華奢な体躯のエルフの少女だ。
「……」
「ねーえー、喋ろうよ〜。ローライトちゃーん」
「……私は、御師様の指示しか聞きませんので」
「えー」
「お構いなく」
レイチェルの好奇的な視線に、ローライトはそっぽを向いてしまう。
素っ気ない態度を取るその少女に、レイチェルはひとつ溜め息をついた。
「リヴちゃんせんせー、あんたの部下素っ気なさすぎない?」
「何か問題でもあるのか?」
「定期観察以外じゃ顔を見せてもくれないんだよ? もうちょっとなんか……ボクにフレンドリーな感じで寄り添ってくれるように言ってくれないかな? せっかくかわいい顔してるんだからさ」
「それは彼女の仕事ではない。諦めろ」
「はぁ……これだからエルフはさぁ……」
まるで親子のように揃って素っ気なく冷淡な彼女たちに、レイチェルは嫌気が刺していた。常に話し相手に飢えている彼女にとって、いつまでも真面目で他人行儀な彼女たちは相性が悪い。
コーヒーカップを手に取り、レイチェルは徐ろに立ち上がった。
「裏仕事の件、考えとくよ」
「ああ、頼む。君の力を借りなくて済むよう、尽力はするが」
「フフッ、それは困るな。稼げるときは稼ぎたい性分なんだよ、ボクは」
今一度不敵な微笑みを湛えて、彼女は立ち去っていった。
悠然と歩いていくかつての教え子の背中に、リヴェルナは。
「すまないな、本当に」
静かに、詫び言を口にした。
***
同時刻。
アーディアの南東の端、市壁の門にて。
久々に戦闘衣を身に纏ったユイトは、街の端の『出口』にいた。
アーディアの街を覆い囲む巨大な市壁には、南東・南西・北西・北東の方四つの方角にそれぞれ門が設けられている。街の外からやってくる商人や、王都から遠征してくる騎士団など、外部からの訪問者はここで受け入れが行われているのだ。
なぜ、そんな場所にユイトがいるのかといえば。
それは先日、鍛冶師のアヤメが提示した『条件』に起因する。
「ここから馬車に乗って、アルカナ遺跡までは30分くらいか……」
古代遺跡を護る、〈ゴーレム〉の心臓の奪取。
それが、ユイトが魔剣を握る者として相応しいかどうかを見極めるため、アヤメが出した条件だった。
この街の外には、古代文明の遺跡がいくつも遺されている。そしてそれらを護るべく動き続けるのが、古代文明の技術を駆使して組み上げられた鉄の自律式人形――〈ゴーレム〉だった。
(ゴーレムなんて見たことないけど、修行の成果を試すにはいい機会だよね)
街の門を前にした彼は、いつになく前向きだった。
この一週間と少しの期間を、彼はすべて入学試験のために費やしてきた。
情熱も気力も、体力もすべて。余すところなく。
だからこそ今、その成果を確かめたくて仕方がなかったのだ。
意気揚々と、彼は停車していた馬車に乗り込む。
複数の目的地に停車する、相乗りの大きな馬車だ。
すると、その車内でユイトは見覚えのある人影を目にする。
(ん? あれって……)
亜麻色の上衣に身を包んだ、一人の少女。
その髪は、特徴的なミント色をしている。
「ミントさん?」
ユイト自身の記憶と、彼女の姿がぴったりと重なった。
突然呼び止められ、上衣のフードを被った彼女は驚いた様子で振り向く。
「ふぇっ!?」
「ああ、やっぱり!」
ユイト行きつけのステーキ店、Ryo-Ranで働く少女、ミント。
彼女はいつもとは異なった装いで、ユイトと同じ馬車に居合わせていた。
見知った少年と目が合った彼女は、それから何故か逃げるように顔を背けた。
「ひ、人違いじゃないでしょうか……」
「……え?」
「わ、わたしミントじゃないです! 私は、そのっ――」
頬を赤らめて取り乱す少女の、そのすぐ横。
窓際の席にも、ユイトの見知った顔があった。
「――何をしている、ミント。早く座れ」
そこに座していたのは、赤髪のエルフだった。
その凛とした姿に強烈な既視感を抱いたユイトは、一瞬言葉を失いかける。
「っ、あなたは……」
彼にかけられた言葉が、ひとつひとつ蘇る。
心無い、無慈悲な言の刃の数々が。
「フェイ、さん……」
やっとの思いで、ユイトはその名を口にする。
あの日以来の、再会だった。
*ミントはどう言い訳してもミントであり(?)、人違いではありません。
彼女が咄嗟に人違い作戦を発動した理由は、また次回。




