第75話 桜華刀
「ジルさん、紹介が遅れたけど、この子が私の弟子のユイトよ」
僕とエリカさんは、まだ例のメイド喫茶に居座っていた。
燃え燃えチャーハンを無事に完食した僕だったが、今度はエリカさんに連れられてカウンター席に移動していた。テーブル席とは違って、カウンター席の方はきちんとした喫茶店として機能しているらしい。
ダンディな老紳士のジルさんが、優しく僕たちを見やった。
近くで見ても、大人な口髭が似合うイケおじだ。
「は、初めまして、ヒズミ・ユイトと言います!」
「ええ、初めまして。私は|ジル・新之丞・ラジアータ、この店でマスターをやっております」
日本語っぽいミドルネームが出てきて困惑したけど、僕はひとまずジルさんと握手をかわした。言われてみればたしかに、さすらいの老剣士のような雰囲気が見て取れる、端正な顔つきだった。
彼の余裕のある微笑みに、安心感すら覚える。
「ヒズミ君のことは、リンドウから聞かせてもらっていまいたよ。自分の目標をしっかりと持って、日々頑張っているようですね。なんともご立派なことです」
「えっ……ぼ、僕なんて全然そんな……!」
「謙遜する必要はありませんよ。誰にでもできるようなことでは決してないのですから」
「そうよ。ユイは自己肯定感が低すぎるの」
「え、エリカさんまで……」
途端にアットホームな感じで褒められ、対応に困った。
腰の低いジルさんの発言ひとつひとつに、僕は背筋が伸びるような思いだった。
ここぞとばかりにエリカさんも『自信持って』と励ましてくる。
曖昧に微笑みつつ、僕は出されたコーヒーを啜った。
「それにしても……感慨深いものですな。この歳で曾孫弟子を見ることになるとは」
「ほんとのひ孫じゃないんだから、別にいても不思議じゃないでしょ」
「ほっほ、それもそうですな」
優しく目を細め、ジルさんは微笑んだ。
渋めでハードボイルドな感じのする人かと思いきや、存外人当たりが良くて接しやすい。僕もこんな大人になりたいと思った。
「これからは、若い世代の時代ですからねぇ……」
仄かに嬉しさを交えた笑みを、彼は湛えていた。
***
昼時も過ぎ、僕たちは修行に戻ることにした。
エリカさんが手短に会計を済ませ、店のドアに手をかけた彼女に僕も続く。
そのときだった。
店を出ようとした僕を、ジルさんが呼び止めた。
「お待ちなさい、ヒズミ君」
彼の穏やかな声音に、僕の足は自然と止まる。
ジルさんは、何か細長いものを持ってそこに立っていた。
「なんでしょう?」
「こちらを、君に託します」
そう言って彼が渡してきたのは、一本の刀だった。
落ち着いた黒色の鞘と鍔。
納められた白銀の刃。
装飾として赤い紐の巻き付けられたその一本を、僕は眺める。
「これは……刀、ですか?」
「ええ。そちらは《桜華刀》といって、私の古い知り合いの故郷、極東製の打刀になります。良ければ、お使いください」
「で、でもいいんですか? 僕が、そんな貴重なもの……」
「あなただからこそ、使って頂きたいのですよ」
含みを込めた笑みを、ジルさんは返した。
それから付け足すように、隣にいたエリカさんが口を挟む。
「その刀、私のときもくれたやつよね」
「え? エリカさんも?」
「そういえば、そうでしたな。実はこの刀は、武を志す者にこそ譲り渡すと決めているのですよ」
武を志す者……。
そんな大層な呼び方をされても、今の自分の至らなさが恥ずかしくなってくるだけだった。
「《桜華刀》は持つ者によってその特性が変化する、いわば使い手の心を映す刀……。ヒズミ君の《桜華刀》もどんな色に染まるのか、今から楽しみですね」
期待を込めた面持ちで、ジルさんは僕を見た。
彼から託されたその一振の《桜華刀》を、僕はもう一度握りしめた。
***
その日の夜。
午後の修行も終えた僕は、学生寮の自分の部屋に戻っていた。
「76……77……78……!」
特にすることもなかった僕はというと、適当に腕立て伏せに励んでいた。
勉強の方はあとは魔法基礎の暗記だけだし、多分なんとかなる。今はフィジカル面の強化の方が大事だ。
「――じゃあ次、【闇より出でし漆黒の月よ】……この詠唱で始まる魔法は?」
「闇、属性、中級魔法……〈ロストクレセント〉……っ」
「ん、正解」
頭上からしたナーシャの声に答えた。
筋トレに励む僕の背を、ナーシャは踏んづけている。
踏んづけているといっても変な意味じゃなく、単に負荷をかけたかったから頼んだだけだ。加えて彼女の出す問題に答えることで、筋トレ中にも苦手分野を補強できる。
これがまさに文武両道であり、最効率のやり方なのだ。
だから絵面は気にしないでほしい。
すると、部屋のドアがノックされて開いた。
「ユイトさん、ちょっとお時間……って、何してるんですか?」
「見てっ、わから、ない?」
「わからないから訊いたんですけど……まあ、筋トレ、ですよね」
リーファが引き気味に白い目で見てくる。
思えば最近、僕はこんな頭のおかしい筋トレばっかりしている。もちろんエリカさんの影響で。
「そう、ナーシャにも、手伝って、もらってる」
「ん、わたしは背中踏みながら問題出す係……」
「割とひどい絵面ですよ」
腕立てを続けながら、僕は返答し続けた。
息切れのせいでうまく言葉が続かないけど。
「お姉ちゃん、わたし……人を踏みつけにする快感を覚えたよ」
「そうですか。ならやめなさい今すぐ」
「待って……あとちょっとで100回……」
「〈トルネードアクア〉の詠唱文は?」
「【天より来たりし清流よ、我が呼び声に応え災厄を穿つ嵐となれ】……」
「ユイトさんあなたバケモノですか?」
まさか彼女にバケモノ呼ばわりされる日が来るとは。
若干傷ついた。
「あの軟弱だったユイトさんが、いつからそんな脳筋に……」
「いや、試験も、近いし、普通に、追い込み、だよ」
「何で普通に会話できるんですか? やっぱりバケm――」
「お姉ちゃん、チクチク言葉はだめだよ……」
「褒め言葉ですよ」
「まったく褒められてる気がしない!」
なんて回りくどい褒め言葉なんだろうか。
ようやく100回を超えた辺りで、一旦腕立て伏せを中止した僕はリーファに訊ねた。
「ふぅ……そういえば、リーファは何か用だった?」
「ああ、そういえばそうでした。渡したいものがあってですね……」
そう言ってリーファが渡してきたのは、数枚の紙だった。
そこには手書きの絵――よく見ると何かの図面なのかもしれない――がいくつか描かれていて、近くにはメモ書きのようなものが記されている。
「……これは?」
「ユイトさん用に鍛冶師の方に書いてもらった、〈魔剣〉の図案です」
「ま、魔剣!?」
「つよそう」
魔剣のことは、噂程度に聞いたことがある。
なんでも、ごく少数の鍛冶師だけが生み出せる、希少なものなんだそうだ。でも普通の剣よりも必要素材も工程も多い割には、その力を使い果たすとすぐに朽ち果ててしまうとかなんとか……。
それでも、強力な武器であることに違いはない。
「今日会った鍛冶師の方に書いてもらったので、気に入ったものがあったら作ってもらえるそうですよ」
「それなら、まあありがたいけど……そう簡単にやってくれるもんなの?」
「……条件さえクリアすればいいって言ってました」
「条件……?」
僕が首を傾げていると、隣に来たリーファが用紙のとある箇所を指さして言った。
「制作は素材と引き換えということで、こちらの材料を調達してくることが条件だそうです」
「素材って……これ? 《深緋の心塊》って書いてあるけど」
《深緋の心塊》……。
字面だけではあまり判断出来ないけど、鍛冶師の人が条件として要求してくるなら、一筋縄でいくようなものではないのだろう。
「これ、どこで手に入るの? ダンジョンでモンスターからドロップするとか……?」
「いいえ、ダンジョンでは手に入りません」
「え?」
「――街の外の古代遺跡を護る、ゴーレムの心臓ですから」
章タイトル回収です。一応




