第71話 路地裏のその先に
海月野ななり二等兵、長きにわたるテストとの戦いを終えて帰還してきました。
日本史にヤマ張ったら英語がしにました。対ありでした。
作者の憂鬱はさておき、連載再開&第七章開幕です!
ユイトの入学試験まで、残り一週間を切ったある日。
リーファはいつもの通り、第三学園の学長室を訪れていた。
「ふむ……では、試験対策は順調のようだね」
ソファーに腰掛けた学長、アランは満足げな笑みを彼女に向けた。
リーファが語ったのは、試験対策に励むユイトについての情報だった。
ユイトの体調の経過を報告するはずのこの『定期報告』だったが、いつしか受験生となったユイトの近況をリーファが報告するだけの会になっていた。
「もともとは私の突飛な思いつきだったんだが……予想外にも、彼が本気になってくれて嬉しい限りだよ」
「ほんとですよ。あなたの手紙が届いてなかったら、彼は今頃……」
「そうだね。なんだか、人助けをした気分だ」
アランの書いた一通の手紙は、たしかにユイトの運命を変えた。
生きる目的を見失っていた彼の背中を、一通の手紙が押した結果となったのだ。
「彼が前を向いてくれて……私も、ほっとしました」
そんな彼の姿を一番近くで見ていたリーファの表情にも、安堵の色が混じっていた。
何も知らない子供のように目覚め、ゼロからやり直すことを決意し、また一時は廃人のように自分の殻に閉じこもった。幾度となく彼の心は揺らぎ、その度必死に何かを模索し続けていた。
そんな彼の心を、リーファはずっと近くで感じてきた。
だからこそ今、自分なりに前に進もうとする彼を、彼女は応援している。
「リーファ、なんだか嬉しそうだね」
「え? そうですか……?」
「ああ。彼が立ち直ってくれたことが、そんなに嬉しいかい?」
「別に、そういうわけでは……」
「じゃあ、叔父である僕に会えて嬉しいとか――」
「あ、それはないです」
叔父の冗談は軽くあしらいつつ、リーファは内心ドキッとしていた。
たしかに、ユイトが前向きになってくれたことは彼女にとっても嬉しい出来事ではある。
だが、彼についてつい上機嫌語ってしまう理由は、それだけではないのかもしれない。
『リーファは、すごい人だよ。誰がなんて言おうとも、僕はリーファを尊敬する』
昨夜のユイトの言葉がまだ、彼女の頭でリフレインしていた。
どこまでも真っ直ぐで率直な、彼からの最大限の敬意を表した言葉。
優秀でありながら他人から評価されることの少なかった彼女にとって、自分を肯定してくれるその言葉は有り難いものに他ならなかったのだ。飾らない表現のその文言が、彼女にはこれ以上なく刺さっていた。
(あの程度の励ましが嬉しいなんて、ちょろすぎますよね……)
それを態度に出してしまう自分を戒めつつ。
出された紅茶を啜ったリーファは、ふと思い出したように話を切り出した。
「……そういえば、例のポーションの報告書、目を通してくれました?」
「ああ、ユイト君に使った例のやつかい? もちろん見ておいたよ」
「そうですか。なら、よかったです」
それから、ひとしきり用事を終えたリーファは席を立った。
時刻はまだ昼前。彼女にもまだ、今日はやるべきことがある。
「では、私はこれからポーションの納品に行くので、今日はこのへんで」
「ああ。気をつけて行ってきなさい」
扉を開けて出ていった彼女の背中を、アランは見送った。
***
一人部屋に残った彼は、自ら用意したカップを片付けて執務机に戻る。
そして、リーファが先程口にしていた『報告書』を手に取った。
そのタイトルは、『試作ポーション〈忘却の薬〉の治験結果について』。
「服用者は麻痺毒によって痛覚を完全に遮断され、恐怖や不安といった負の感情からも解放される……副作用として、意識の混濁と強い残虐性の現れ、服用後軽度の記憶障害――」
今一度内容を読み返してみて、アランは用紙から目を離した。
その筆跡から、先程部屋を去った彼女の姿を思い浮かべる。
「やれやれ、『忘却』の薬とは……よく言ったものだね」
誰一人としていない部屋で、彼は彼女の言動を再び思い返した。
「――リーファ……君はこんな薬を作って、一体何をしようとしているんだ?」
***
まるで何かを祝福しているような、快晴。
戦場は、いつもの空き地。
相手の機動を、剣筋を、僕は目で追っていた。
木刀同士がぶつかり合い、軽やかな音を立てて削り合う。
エリカさんは木の直刀一本、僕は木の短刀二本。
攻撃の手数・方法で言ったら、僕のほうが有利だ。
ただ、それでも――
「攻めが弱い。動きも単調になってるわよ」
「っ、はい!」
いとも簡単に、僕の攻撃はエリカさんの前では軽くいなされる。
しまいには、戦闘中にアドバイスまでくれるほどの余裕さだ。
木刀一本での真っ直ぐな一撃を、僕は短刀二本で受け止める。
思考が鈍って、どうしても防御に回ってしまうのは僕の悪い癖だ。
自分の頭で考えろ。間違ってても挙動は止めるな。
受け身の戦いじゃ前には進めない。
「――はぁっ!!」
両腕に力を集中し、X字に斬り払う。
飛び退いて相手と距離を置き、すぐさま地面を蹴った。
右手だけ逆手に持ち替え、懐に飛び込む。
一撃目、二撃目と交互に短刀を繰り出す。
エリカさんはそれを一つ一ついなし、無力化する。
攻めのターンを握った僕は、更に速度をつけていく。
勢いに乗った連撃を、加速させる。
「うん、悪くない」
エリカさんはそう呟くと、その場で身を屈めた。
剣筋だけを追っていた僕は、完全に意表を突かれる。
(――っ、蹴り!?)
低い姿勢から、彼女の長脚が僕の足元を狙う。
ここに来て、こちらの体勢を崩すための足技。
間一髪で僕は跳躍して、なんとか直撃を躱す。
ただ、その一瞬で攻防は逆転した。
「――――!?」
僕の着地の隙を狙った、エリカさんの強烈な逆袈裟斬り。
予測不能の速攻を前に、左手の短刀が吹き飛ばされる。
視界の隅に、短刀が回転しながら落下する。
拾いに行くか?
いや、得物はまだゼロじゃない。
右手のもう一本でも、ある程度の対処は可能だ。
エリカさんは斜め下に素早く切り返す。
彼女の眼は無慈悲にも、僕に選択を迫っていた。
防御か、回避か。
「――っ!」
頭で答えを出す前に、身体が動いた。
僕は回避を選び、地面を転がりながらも短刀を拾い上げる。
そこから力強く地面を蹴り飛ばし、最短距離で突貫。
身体の重心を低くして相手に迫る。
すぐさま冷徹に振り下ろされる木刀。
避けなければ直撃ルート。
(だったら――!)
左手で拾った短刀を、そのまま投げつけた。
エリカさんの木刀が、横向きに斬り払う。
――が、今のは囮だ。
空いた左手を地面につき、さらに重心を低くする。
繰り出すのはもちろん、エリカさんと同じ“足技”。
足元を崩されれば、さすがの彼女でも隙くらいは生まれるはず。
発想で勝った――と思った。
――でも。
土壇場で模倣した彼女の足技は、やはりオリジナルには届かなかった。鈍く繰り出した僕の右脚は、逆手に突き立てられたエリカさんの木刀に阻まれる。
僕の土壇場での発想に対応した、完璧な回答だ。木刀の峰の部分が脛にぶち当たり、僕の反撃はそこで幕を閉じた。
「痛っ……!?」
「よし、少し休憩にしましょう」
脛を押さえて座りこむ僕に、エリカさんはそう告げた。
その表情からはさっきまでの張り詰めたような真剣さは消え、いつものクールな微笑みが戻っていた。
「さっきの蹴り、アドリブで真似たにしては悪くなかったわ。私もちょっとだけ判断に迷った」
「ちょっとだけ、ですか……」
「でも、意表を突く手段としては満点に近かったと思う。私が対応できたのは、自分の動きを模倣されてるって気づけたから」
「さ、さすが師匠」
「これくらいできて普通よ。それに、ユイもよく頑張ったわ。えらいえらい」
そう言って、エリカさんは座り込む僕の頭を撫でた。
僕はただされるがままにするけど、なんとなく照れくさい。
最近はもう、こういう距離感が普通になってきつつある。
……戦闘のとき以外は。
「あ、それより、怪我とかは大丈夫? 私、いつも力加減間違えちゃうのよね……」
「あはは……でも怪我とかは、特に……」
「脛は? 木刀に当たったし、もしかしたら折れてるかも」
「……僕、流石にそこまで貧弱じゃないですよ」
修行時間外のエリカさんは、もはや過保護の域に達している。
さっきまでの殺気立った雰囲気とは一転、彼女の手や声、表情のどれもが優しくて温かい。アメとムチの温度差が凄すぎて風を引きそうになることもあるけど、最近は、彼女の弟子になってよかったと思わされることばかりだ。
「それなら……もうお昼前だし、どこか食べに行きましょう」
「……! はいっ!!」
「何か希望はある? なかったら、連れていきたいお店があるんだけど」
「? なんですか……?」
・・・
それからだいたい十分後。
いつもの修行場所――〈Ryo-Ran〉の裏の空き地――から大通りを出た僕たちは、第三学園方向へ向かう途中の路地に入った。
人通りは当然少なく、密集した住宅以外に建物は見当たらない。
大通り以外の入り組んだ道を歩くのは初めてだ。
(ほんとに、こんなところに店が……?)
僕が訝しんでいると、突然そこで道が開けた。
日陰っぽい小道をまた少し進み、前を歩いていたエリカさんは足を止める。
「着いたわよ。ここが、私の行きつけの喫茶店」
「はぇ……」
やたら古風で和を感じる外装の店が、そこにひっそりと建っていた。
木でできた看板には、毛筆フォントっぽい文字で店名が記されている。
「冥土喫茶 『百華』……」
なんだか難しい店名だ。
冥土喫茶……めいどきっさ……
メイド、喫茶……?
「……ん?」
〈余談〉
作者としてはとりあえず、これから夏休み前くらいまでは一日置き連載を続けるつもりです。なのでもし8月前に更新が止まったら、それは私が死んだかパソコンをぶっ壊したということですね。両方ともないように気をつけます。
海月野ななり