第4話 異世界ハラスメント(2)
瞼を開いた。眩い陽の光を手で遮って、空を仰ぐ。
一面の快晴。何故か腹立たしいほどに澄み切った青空に、自分の中の何かが削がれていくような感覚を覚えた。仰向けに寝そべる草むらに、数匹の蝶が舞っている。
「来ちゃったんだなぁ……」
ささやかな絶望。
晴れ渡る空に鬱々としていた僕だったけど、ふと後頭部に不思議な感触を感じた。枕にしては柔らかいし、この感触は未体験だ。
そして、一人の女の子が顔を覗かせた。
「あ、おはようございます。日隅唯都さん」
柔和な笑みと、少し赤らめた頬。
長い金の髪と金色の目をした少女は至って平然と、だけど極至近距離で僕の顔を覗き込んでいた。僕はしばらく思考を放棄して、その可憐すぎる表情に釘付けになる。
「ふふ、いい夢は見られましたか?」
まぶしい。笑顔がまぶしすぎる。失明する……。
顔と顔の距離が近い。多分30センチもないのでは?
「……ねぇ、近くない?」
「え? そうでしょうか……?」
「あとなんでいきなり膝枕なの」
「あれ、嫌でしたか?」
「まったく」
とはいえ、このままだと僕の心臓が危ないので起き上がった。
足元に目線を降ろすと、辺りは見渡す限りの緑の世界。雑草の野原が広がる中、人為的につくられた道が近くの森からゆるやかに伸びていた。
さらに遠くには、現実では見たこともないような鋭角的な山々が連なり山脈を形作っていた。ここからでも全体を眺められることから、多分山頂は富士山よりかは優に高い。
僕は思った。
なるほど、確かに異世界だと。
風を肌に感じた。心地いい風だ。
「ほんとに、異世界なんだ……」
「はい。唯都さんの期待通り、正真正銘の異世界ですよ」
隣で僕と同じく座りこむ少女が静かな微笑みを浮かべる。
流麗な金の長髪、僕より少し低い身長に小柄な体躯。教科書に載っているお手本のような、百点満点の微笑み。
そこまでなら普通の可愛い女の子だけど、実を言うと彼女はわけが違う。
小さな頭の上に浮かぶ金色の輪と、彼女の背後で浮遊している半透明の『羽』。
華奢で繊細そうな身体を純白の上衣で覆うその姿が想起させるのは他でもなく。
――天使。
その美しさと驚きに、数瞬言葉を失った。
百人居たら百人全員が『天使』と答えるような、見紛うことなき存在。それが今、僕の横でその身に風を浴びている。
なんで?
「君は……誰?」
不躾な言葉が口から滑り落ちる。語彙力皆無。
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくださいました」
呆気にとられる僕を見てからかうように微笑を浮かべ、少女はそう前置く。まるで僕のその反応を待っていたと言わんばかりに。胸に手を当て、畏まった口調で彼女は始めた。
「わたしはラファエラ――天国から神様直々に任命された、唯都さん専属の異世界水先案内人です! えっへん!」
わざわざ畏まって喋り出したのに、彼女は最終的にドヤ顔を決めてみせた。
礼儀正しいのか天然なのか。
「へー」
「あ、あれ!? 反応が薄いんですが!?」
「まあ……うん」
「うんってなんですか!」
意外と表情豊かで見ていて飽きない。
もうちょっとイジろうかと思ったけど、やめた。
その辺にあった木に近づき、僕は早速「準備」を始めた。まず、その辺に落ちてたロープを枝に巻き付け、体重で解けないようにきつく縛る。
「あの……それはいま何を?」
「つくってあそぼ」
「へ? 急にわくわくさんですか?」
次に、地面に向かって伸びた端を丸めて輪っかをつくって――
「……よし、完成っと」
「絵面からして嫌な予感しかしないんですけど……なんですかそれ?」
よくぞ聞いてくれた。
「どこでも首吊りロープだよ」
「まったくわくわくしないんですけど!? それどころか遊んだら死んじゃうじゃないですか! ていうかロープなんてどこから持ってきたんですかっ!!」
「その辺に落ちてた」
この子、ツッコミ力が高い。
僕は別にボケたわけじゃないけども。
「これで今から天国に戻るよ」
「ま、待ってください唯都さん! ダメですっ! せっかく異世界転移したんですよ!!」
「go to heaven……」
「唯都さんの場合はback toです! もう、こんなものこうしてやります!!」
ジョキッ、と彼女はハサミでロープを切断した。あっけなく輪っかが地面に落下する。
「くっ、ハサミなんてどこから……」
「ふっふーん、その辺に落ちてました!」
皮肉が効いた言い回しですこと。というわけで、天国への退路を絶たれた僕は彼女に手首を掴まれて半ば拘束された。
「さぁ、さっそく異世界で冒険と洒落込みましょう!」
「嫌だ」