第66話 再起
「ダメだ、わかんない」
自室のデスクに向かっていた僕は、すべてが嫌になった。
目の前に開かれているテキストと積み重なっている参考書の山を睨みつける。
「本当に何にも知らないんですか? この辺の魔法基礎は一般的な教養の範疇だと思うんですけど……」
「うっ、なんてむつかしい言葉……脳が破壊される」
「弱っちい脳みそですね」
隣に座るリーファに、軽蔑ともとれる視線を送られる。僕は頭を抱えた。
もう、何も考えたくない。
ちなみに、どうして僕がこうなったかと言われれば、話は昨夜にまで遡る――。
昨夜。僕が学長からの推薦を受けると決断した、その後のこと。
ややあって僕の決断を受け入れてくれたリーファは、「真面目な話をしましょう」と前置きした。
「文言としては『入学生』となってはいますが、おそらく試験自体は受けることになります。というか絶対に」
「え、そうなの? 推薦されてるのに?」
「推薦だけで受かったとしても、その後苦労するのはユイトさんの方ですよ?」
なんでも、入学選考は通らなければ入学はできないらしかった。
それもそうだ。
仮に今のままで入学したところで、教養やら実技やらで周囲から置いていかれることは火を見るよりも明らかなのだから。それではせっかく推薦してもらった意味がない。
「試験の内容は、筆記試験と面接、実技試験の三つです。今のユイトさんに突破できますか?」
「うーん、多分無理かな……」
「そう言うと思いましたよ。まあ、二週間もあれば少しはマシになるとは思いますけど……」
まるで他人事のようにリーファは言った。他人事だけど。
それにしても、誰の力も借りないで彼女の言う試験を突破できるかと言えば、怪しい。
この世界の学校に入学するための教養なんて、絶対に現実とはかけ離れていると相場が決まっている。
だから僕はまず、身近な人に協力を仰ぐことにした。
土下座で。
「お願いがあります、リーファ様!」
「煮干しと引き換えで聞きましょう」
***
そして、今に至る。
彼女の好物である煮干しを報酬として提供する代わりに、筆記試験対策をつきっきりでしてもらうことになったわけだ。リーファにはもう、頭が上がらない。
ただ、僕の理解度はゴミのように低いけど。
「この程度の古代ゲヘナ語もわからずに、どうやって生きてきたんですか?」
「あの、逆に……こんな言葉いつ使うの?」
「いつって……魔導書は全編ゲヘナ語ですよ?」
それすらも初耳だ。そもそも僕は魔導書には縁もゆかりもない人間のはずなんだけど。
リーファが開いたテキストには、形容しがたい筆記体の文字が羅列されている。古代文明で使われていた『ゲヘナ語』と呼ばれるものらしく、魔法に関する書籍はすべてこの文字で書かれている。
本番の試験では、魔法の詠唱文を一から解読させる問題が出るらしい。
恐ロシア。
「ほら、この文字が『火』を意味するんです。『火』は炎属性以外の詠唱では出てこないので、これだけで属性の見分けがつくんですよ」
「な、なるほど……」
「他の詠唱文にも同じような目印になる文字は出てきますが……あとは慣れですね」
「は、はい……頑張るます」
まだ初日だけど、ゲヘナ語習得は思ったよりも難しそうな気がしてきた。
それでも、こんなことで挫けている場合じゃない。
やっと見つけた僕の目標のために、今は身を削ってでも頑張らないといけないんだ。
「……ところでユイトさん、」
「うん?」
コーヒーで休憩していた僕に、リーファは煮干しを口に咥えたまま訊ねる。
「実技試験の方はどうするつもりなんですか?」
実技、試験……。
彼女から聞いた話だと、教官との手合わせ形式で試験が行われるそうだ。
筆記と面接、実技の点数配分は3:2:5。
つまり、実技をかなぐり捨てての合格はまず望めない。
「ダンジョン探索もトラウマになっていたようですし、戦闘面はなんとかした方がいいと思いますよ」
「なんとかって……具体的には?」
「誰かの弟子になって修行する、とかじゃないですか? まあ、その点私は力になれませんけどね」
誰かに師事しての武者修行。
たしかに、それが一番手っ取り早いのかもしれない。
僕が一人でトラウマを克服しようとしたところで、結果は高が知れている。
自分一人の力には限界があると、最近思い知らされたばかりだ。
なら、同じ志を持つ先人に教えを請うのがいいだろう。
でも一つだけ、問題がある。
「いるかな……師匠になってくれそうな知り合い」
僕の人脈は狭い。
元々僕はこの世界の住民でもないから、地元という概念もない。
探索者の知り合いといえば現状、リーファとこの間会ったエルフのお兄さん――フェイさん、それから前のパーティのメンバーくらいのものだ。リーファはさっき言っていたように戦闘面で力にはなれないそうだし、前のパーティメンバーとは連絡手段がない。ましてやフェイさんは多分論外だ。
「うん、いないな」
つまり、そういう知り合いはいないということで。
ここに来て、自分のコミュニケーション能力の無さを呪う羽目になるとは。
「でしたら、私も一応ツテがあるんですけど、当たってみます?」
「本当に?」
「はい。ただ……受けてくれるかどうかまではわかりませんが……」
***
そういうわけで、僕はとある店の前に立っていた。
看板に書かれている店名は、『Ryo-Ran』。
そう、この間訪ねたステーキ店だ。
リーファのツテというのはなんでも、ここで働いている人らしい。
というか、僕の知っている人だ。
(緊張するな……)
無理なお願いだっていうことはわかってる。
だけどこればっかりは、他人に甘えるしかない。
震える手で、木の扉を押した。何人かの店員さんと目が合う。
そしてすぐ、僕は店の奥に向かって頭を下げた。
「リンドウさんお願いです! 僕を……あなたの弟子にしてください!!」




