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第63話 干渉

 雨はまだ、降り止まない。

 

 窓に延々と打ち付ける雨粒を見ていると、余計に気分が滅入ってくる。

 空模様も当然芳しくないから、鬱屈とした気分はさらに助長されていく。

 それはまるで、湿った狭い檻の中に閉じ込められているような感覚だった。

 

 まだ、到底何かをするような気分にはなれなかった。

 眠くなくてもひたすら布団に潜り、意味もなく天井に何かを探し求める。

 

 リーファの作ってくれた朝食は、一応手はつけた。

 

 幸い昨日みたいに吐くことはなかったけど、まったくもって味がしなかった。卵入りのお粥は文字通り無味無臭で、異物の混じった真水を飲んでいる気分だった。

 

 それでも、リーファの厚意は無下にしたくなかったから完食した。

 

 彼女の料理に問題があったわけでは、もちろんない。リーファの料理の腕に関しては、僕も文句を言うどころか思い切って賛辞を送りたいレベルだ。

 

 ただ、それを受け取る僕のほうがおかしかった。

 こういう気分でいると、自然と味覚も嗅覚も麻痺してしまうものらしい。

 

 だから早いところ、今このクソみたいな現状から抜け出したかった。

 

(でも、どうしたらいい……?)

 

 これといって、やるべきことは見当たらない。

 動こうにも、手立てがない。

 

 もう一度今の状態で探索者を続けたところで――

 『目的』の伴わない自分の行動に、嫌気が差すだけだ。

 

 或いはまた、心傷(トラウマ)をほじくり返して全てを投げ出して終わるか。

 

 いずれにせよ、今の僕が前に進むためには、まだ何もかもが足りない。

 この空白を埋めるだけの要素が、ここにはまだ――



 

「やあ、引きこもりの同士君! 暇ならチェスの相手してよ!」



 

 ……ノックくらいしてほしい。

 

 開かれたドアの方へと、窓際にいた僕は振り返った。

 相手はもちろん、例の黒い狼さんだ。

 

「……レイチェルさん、ノックくらいしてください」

「ん? 暇じゃなかった?」

 

 彼女が首を傾げると、狼の耳もつられて動く。

 この湿気にやられたのか、綺麗な黒髪はところどころ外ハネしていた。

 

「そういうわけじゃないんですけど……」 

 

 何かを察してもらおうとするのを、僕はやめた。


「僕、いま病んでるんですよ」とか「こういうときって少しは相手を気遣うものじゃないですか?」とか、やたら偉そうなセリフが脳内に浮かんで、自分が嫌になった。それをいう気にはとてもなれなかったし、言ったところで彼女には効果なんてないことは明白だった。

 

「なら、ボクの相手してくれない? 隣人で暇人同士なわけだし、仲良くしようよ」

 

 それどころか、レイチェルさんは僕の心情なんてお構いなしといった感じだった。

 

 でも変な話、そういう無遠慮さが今はありがたかった。

 変に腫れ物に触るみたいに扱われるよりは、こっちの方が気持ち的には楽だ。

 

「……僕、ルールわかりませんよ」

「全然いいよ! 私が責任持って教えてあげる!」


 


 それから、僕は大人しくレイチェルさんとチェスに興じた。

 

 彼女に教わりながらだったけど、ルールはだいたい分かってきた。

 

 駒によって動き方が違うところはなんだか、将棋っぽさがある。

 この感想はちょっとニワカすぎるかもしれない。

 

「ふむ、そうきたか……」

 

 僕が白のルークを動かし、黒のビショップを取る。

 僕が先攻の白、レイチェルさんは後攻の黒だ。


 彼女の控えめな攻め方から、初心者の僕にわかりやすく手加減してくれているのが嫌でもわかる。

 レイチェルさんは少し考える素振りを見せながら、次の手を模索している。

 

 僕が盤面を見つめていると、彼女は何気なくこう訊ねてきた。

 

「ねえ、キミはそれでいいの?」

 

 その問いに、僕は思わず顔を上げた。

 

 だってそれは、今の僕にとっては……

 この対局への揺さぶりでもあれば、『僕自身』への揺さぶりでもあるのだから。

 

「……何が、ですか」

「今のままでいいのか、ってことだよ」

 

 それ以上、彼女は語らなかった。

 

 レイチェルさんはそれから何も言わずに、ナイトの駒を僕の方へ近づける。

 いつの間にか、僕のキングが危うい状況に置かれていた。


 少し焦った僕は、静かに唇を噛む。

 

「ダメだってことくらい、わかってますよ」

「なら、どうして行動しないの?」

 

 初歩的な問いかけに、僕は言い淀んだ。

 

 現状を悪く思っていながら、何も行動を起こさない僕。

 その理由は何かと誰かに問われれば、

 

「今の僕には、やるべきことも目的も、何もないからですよ」

 

 今のままじゃダメだと思いつつも、前に進む術をもっていない。

 何も考えずに生きていけるほど、現状は甘くない。

 

 このままがむしゃらに突き進んでも、痛い目を見るだけだ。

 

「そう。じゃあキミは、今のボクと同じだ」

 

 盤面を見つめていたレイチェルは、そう返した。

 

「え?」

「ボクもね、今は生きる意味とか目的とか、分からずに生きてる人だよ」

 

 至って真面目で平坦な口調で、彼女は言ってのけた。

 自陣の駒を指で揺らしながら、真正面に座るレイチェルさんは淡々と続ける。

 

「昔、色々あってさ。今のままじゃだめだって、何度も考えた。けどその度、『どうしようもない』って結論にたどり着いた。どうしようもないことって、あるもんだよ」

「そう、なんですか……?」

「うん、でもその結果、コーヒーと読書しか楽しみがなくなったボクがここにいるってわけさ。ほんと悲しい話だよね」

 

 思わずチェスのことを忘れるほどに、僕は彼女の話に聞き入っていた。

 

 淡々と語られる、彼女の身の上の話。

 彼女がそこから一体何を伝えようとしているのか、僕は必死になって思考を巡らせた。

 

「ねぇ、ユイト君」

「は、はい」



 

「――キミはさ、ボクみたいになっちゃダメだよ」



 

 それまでの話が、ストンと腑に落ちた。

 これはただの身の上話じゃない。ボクと同じ苦しみを抱えた先輩としての、彼女なりのアドバイスだ。

 

「というか、なってほしくない」

 

 目線を盤面から逸らし、レイチェルさんは雨の打ち付ける窓の方を見た。

 

 彼女の言動は、いわば反面教師的なものなんだろう。

 遠回しなようで直接的な、激励の言葉。

 

 ただ、それを受けて僕が考えたことといえば、それはまた滑稽だった。

 

「……嫌です」

 

 僕は、盤上にあった白のクイーンを動かし、キングに近づいていた敵のナイトを討ち取った。

 

「レイチェルさん、教えてください」

「……何をさ」

「僕がこのまま、生きていく方法です。どうやったら……あなたみたいになれますか?」

 

 それはきっと、ある意味では一番聞いてはいけない質問だった。

 予防線を張ってくれていたレイチェルさんの話を、まるっきり――


 ()()()ことになるのだから。

 


 

「僕は……レイさんみたいになりたいです」



 

 怒られ、失望されるとわかっていながら、僕は告白した。

 

 苦悩と迷いの中で生きる今の僕にとって、同じ境遇を強く生き抜いている彼女は憧れ以外の何者でもなかった。それはとても不思議な話であり――同時に当然の結果でもあった。

 

「キミ……バカなの?」

 

 真っ先に、真っ直ぐそう言われた。

 

「ボクの話、聞いていた?」

「……聞いてました。でも、僕にはもう――あなたみたいに生きる他に選択肢はないんじゃないかって、そう思ったんです」

 

 それは単なる、『逃げ』かもしれない。

 

 こうして無意味に時間を過ごすことへの言い訳を、僕は心のどこかで求めていたんだろう。

 それさえあれば、僕はもう絶対に傷つかないこの生き方を、死ぬまで続けることができるのだから。

 

「はぁ……もしかしてキミ、『そんなことないよ』とでも言ってほしかったの?」

 

 呆れた様子で溜め息をついたレイチェルさんは、自陣の黒のビショップを手に取る。

 

「キミは、他人(ひと)の言葉に甘えすぎだよ」

 

 そのまま駒を斜め方向に動かすと、彼女は僕のキングを討ち取った。

 「チェックメイト」、彼女はため息混じりにそういった。


 僕が見逃していた手で、決着は呆気なくつけられたのだった。

 文句の言いようもなく、僕の負けだ。

 

「他人の言葉なんて、キミが思ってるほどの力はないんだよ。

 それなのに誰かの言葉や励ましを待ってるなんて、バカな話だと思わない?」

「それ、僕のことですか……?」

「そう。今のキミはね、昔のボクに似てバカなんだよ」

 

 チェスの試合が終わり、盤上の駒を片付けたレイチェルさんは席を立った。

 試合の結果と、彼女の言葉を受け止めて茫然としていた僕を、彼女は見下ろす。

 


 

「これはとてもボクが言えたことじゃないけど――

 目的とか生きる意味とか、そういうのは自分で見つけるものだよ。

 誰かが決めてくれるものじゃない。

 キミはまだ若いんだから、傷つくことを恐れちゃだめだ。

 自分の意思で動いて――ボクにできなかったことを、やってみせてよ」



 

 対戦してくれてありがとう、と彼女は最後に付け足して、部屋を出ていった。

 一人部屋に残された僕は、何を考えることもなく、彼女の閉じていったドアを見つめていた。



    ***


 

 ドアが静かに閉まる。

 

 ユイトのいた部屋の隣の自室に戻ったレイチェルは、手に抱えていたチェスのボードをベッドに放り投げた。本が散乱した床のその先――小さな窓の外に立つ『人影』に、彼女は視線を移す。

 

「やれやれ、勝手に人の部屋に入るなんて感心しないな〜」

 

 彼女の視線の先にいたのは、一人の少女だった。

 

 背丈はレイチェルより一回り小さく、その静謐な立ち姿はどこか神秘的な雰囲気を内包している。銀の長髪から見える両耳は長く尖っており、金色の双眸のその片方は伸びた前髪で覆い隠されていた。

 

 エルフの少女は手にしていた一冊の本を本棚に戻すと、レイチェルと視線を交わす。

 

「……何を今さら。いつものことでしょう」

「キミねぇ……そんなんだから友達いないんじゃないの?」

「友人など不要です。私の存在をあなた以外の者に知られては困りますから」

「はぁ……はいはいそうだね、()()()()()

 

 少女の言い分にうんざりした様子で、レイチェルは傍にあったベッドに腰掛けた。

 

 開いた窓を見る限り、エルフの少女は窓から入ってきたようだ。

 だが、その黒い衣服には水滴の一つも見られない。

 

「……あの、窓閉めてくれないかな」

「わかりました。定期観察も済んだので、私はこれで戻ります」

「いや、帰れとは言ってな――」

 

 彼女の言葉もろくに聞かず、エルフの少女は音も立てずに窓の外へ飛び出していった。

 

(ほんと、なんだんだろうあの子は……)

 

 感情の読み取れない彼女の言動に呆れつつ、レイチェルはそのままベッドに倒れ込む。


「はぁ……慣れないこと、するもんじゃないな……」

 


 

 

 

この話のためにチェスのルールをググりました。

想像の三倍はムズかったです。

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