第61話 揺らぐ
『――【爆炎魔法】』
静かに、詠唱が紡がれていた。
僕の眼前で生まれた烈火は、一瞬にしてゴブリンを文字通り消し炭に変えた。
「……え?」
わけもわからず、腰を抜かした僕は茫然としてしまう。
暗がりから出てくる人影にも気づかず、残された灰の欠片を見つめながら。
「何をしている、愚か者」
例の声のした方へ振り向くと、彼は立っていた。
黒のロングコートに身を包んだ、背の高い美青年。
鮮烈なその赤髪は艶があり、優美な雰囲気や整った顔立ちも相まって貴族のようなオーラをまとっているように見える。両手には武器の類は見当たらなかった。
その両耳は先端が尖っていて、言うなれば彼は、種族的には『エルフ』に分類されるのだろう。
僕を助けた張本人は、近くにうずくまっていたゴブリンを剣で突き刺し、こちらに近づいてきた。
「冒険者が、自ら得物を棄てるな」
混じりっ気のない金の双眸に射抜かれる。
憎しみと軽蔑の入り混じった、強く厳かな眼差しだった。
「っ、フェイさん……」
僕のそばにいたリーファが、驚いたような顔で呟く。
フェイ、それがこの人の名前?
どうしてリーファがこの人の名前を?
というか、彼は何者なんだ?
どうして僕たちを助けた?
瞬時に、いくつもの疑問が浮かんでは消えていった。
状況を呑み込めず何も言えない僕を置いて、リーファと彼は話を続ける。
「リーファ、此奴は君の連れか?」
「はい、そうですけど……」
「……そうか」
見定めるような目で、彼は僕を一瞥する。
その冷たさに、僕は思わず息を呑んだ。
「――ならば、今すぐ此奴を連れて帰れ。今すぐだ」
彼は僕らに背を向けてそう言い放った。
有無を言わせない、強い口調で。
この場を去ろうとする彼の背中に、僕は何も考えずに立ち上がって呼びかける。
「……あ、あの! 待ってください!」
返事もせずに、彼は振り返る。
「何だ」とでも言いたげな、冷徹で鋭い目つきだった。
彼の威圧感に引っ込みかけた言葉を、僕はなんとか引っ張り出す。
「なんで、僕を助けてくれたんですか?」
僕の質問に、彼は表情を変えることなく淡々と答えた。
「無駄な死を生まないためだ」
「無駄な、死……?」
「あのまま座り込んでいたら、貴様は頭を割られて死んでいた。だから俺が助けた。人として至極当然の道理だろう」
「……っ」
淡々とぶつけられた正論に、ぐうの音も出なかった。
言い淀む僕に追い討ちをかけるように、彼は語調を強めていう。
「――貴様は探索者に向いていない」
きっぱりと告げられた一言に、今度こそ絶句した。
その一言に、前から僕の感じていた感覚を言い当てられたような気がした。
「自ら戦いを放棄し、その上仲間を危機に晒すような奴はまず戦いに向いていない。貴様のような者は、弱者ではなく愚者だ」
隣にいたリーファが口を挟もうとして、やめた。
彼の言葉一つ一つに打ちひしがれていた僕は、もう口を開こうとも思えなかった。
「己の弱さで、他人を巻き込むな。その愚かしさを克服しない限り、貴様は永遠に前に進めない」
心のなかで、何かが砕け散る音がした。
形容できないような感情が、彼の言葉で滅茶苦茶に掻き乱されていく。
「分かったなら、彼女とともに引き返せ。他の探索者の邪魔だ」
先へ進む彼の黒い背中は、もう既に見えなくなっていた。
散々な言葉を浴びせかけられた僕は、その場に立ち尽くすだけだった。
放心状態。
何もかもを打ち砕かれたように、僕はその場で立ち尽くしていた。
彼の放った言葉一つ一つが僕の胸を抉り取り、深い傷跡となってそこに残った。
「ユイトさん……」
情けなく棒立ちする僕に、リーファは話しかけてくる。
「あの人は、私の学生時代の知り合いで……その、言い方は悪いですが、ユイトさんにアドバイスしたつもりなんだと思います」
「……え?」
アドバイス……? あれが?
「興味の無い人には、そもそも自分から話しかけないような人なんですよ。だからきっと、何かしら意図があったんだと私は思います。意味のないことはしない人ですから……」
「あ、そう……」
リーファの言っていることが、一切頭に入ってこなかった。
ただ、気持ちが悪かった。
今ままで抱えてきた感情がミキサーにかけられて、ぐちゃぐちゃの混ぜものになったみたいだった。頭の中で、色んな考えと言葉がこんがらがった。
「リーファ、でも、僕は……」
僕は、戦うことに向いていない。
僕の弱さは、人に迷惑をかける。
僕は永遠に、前には進めない。
僕は、何をやってもダメな人間だ。
今ままやってきたことは、全部間違いだった。
――じゃあ僕は、なんのために生きてるんだ?
「うぇっ……」
途端に、吐き気がこみ上げてきた。
自分で自分の信じていたことを否定して、今度こそおかしくなった。
自分という存在の根幹が、揺らいでしまったような気がした。
「ちょっと、ユイトさん!?」
駆け寄ってきたリーファにつかまりながら、僕は地面にへたりこんだ。
それから、結構吐いた。
「リーファ……ごめ、ん」
最悪の気分だった。
頭が真っ白になった。
胃酸と一緒に逆流してきたものが、そばにいた彼女の服を汚した。
「いいんです。これくらい……」
必死に謝ろうとする僕を、リーファは責めなかった。
ただ、吐き続ける僕の背中を優しく撫でてくれていた。
僕が落ち着くまで、何度も何度も。
暗いダンジョンの通路で、リーファは周囲を警戒しながら僕の介抱をする。目の前が真っ暗になって、吐瀉物が地面に滴り落ちる嫌な音だけが耳に入ってくる。
「大丈夫、大丈夫ですから。落ち着いたら、一緒に寮に戻りましょう」
自分が惨めに思えるくらい、彼女の言葉はありがたくて心地よかった。
全部を投げ出したくなるようなどす黒い気持ちが、そのおかげで少しだけ引っ込んだ気がした。
久々に虐げられる主人公。
何気に嘔吐は初めてな気がする。吐いてばっかりは困るけど




