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第54話 ぬるま湯に浸かったままで

 空が薄暗くなり始める。

 

 リーファの案内を聞きながら歩いていた僕は、気づけば学園内をぐるっと一周していた。

 本校舎の他に図書館や温室庭園、トレーニング場を順に周ると、やがて出発地点だった学生寮が見えてくる。

 

 長いようで短かった散歩もそろそろ終わりだ。

 

「さて……最後に、ここを紹介して終わりましょうか」

 

 前を歩いていたリーファは、ある建物の前で立ち止まる。

 平屋建て、かつ青い瓦屋根のその建物に、僕は強烈な既視感を覚えた。

 

 入口にはご丁寧に「ゆ」と白文字で書かれた暖簾(のれん)まで掛けられている。


 これはもしや……

 

「ここ、もしかして銭湯?」

「はい、ご名答です。さすがは名前が極東っぽいだけのことはありますね」

 

 極東、は現実で言う日本みたいなものだろうか。知らんけど。

 

 たしかにこの街では、ところどころ日本っぽい意匠を取り入れた外観を見かけることがある。アーディアは少なからず、極東とやらと交流があるみたいだ。

 

「まあ……極東の銭湯を模してはいますけど、ここ温泉は出ませんし、ただの大浴場なんですよね」

 

 そりゃそうだ。こんな場所から温泉が出たら石油王もびっくりだ。

 

 そんな話は置いておいて、こんなところで銭湯に巡り会えたのは素直に嬉しい。日本人でよかった。


 けど、今更ながら僕はここを利用していいんだろうか。

 というか……

 

「さっきも聞いたけど、僕、本当にここで暮らしてもいいの?」

 

 さっきはなんとなくはぐらかされたけど、一応聞いておきたかった。

 

 色々あって記憶喪失とはいえ、ただでこんな快適な居住環境を手にするなんてちょっと申し訳ない気持ちになる。ましてや、それが他の学生もいる学生寮となっては。

 

「それについては……そうですね、本当はダメですが、ユイトさんは特例的に認められています」

「特例的に、って? ……僕は、ここにいなきゃダメな理由があるってこと?」

「……はい。理由までは話せませんが、そういうことです」

 

 言葉を選びながら、リーファは僕の問いに答える。まるで、何か言いにくいことがあるみたいな口ぶりだ。

 リーファとその裏にいる人物たちは、理由はわからないけど、僕をここに留めようとしているらしい。

 

「なので結果的には、ユイトさんにはここでの生活を強要することになってしまうんですが……」

「そう、なんだ……」

「押し付けがましいお願いで、すみません」

「ううん、そこは別にいいよ。事情はよくわからないけど、住む場所を提供されてる以上、文句は言えないし」

 

 良質、とまではいかないまでも、毎日宿に泊まるような不安定な生活を続けるよりはずっといい。

 

「あ、そういえば、家賃は……?」

「家賃ですか? そうですね……月十万エルドでどうでしょう?」

「え、高っ」

「ふふっ、冗談です。三食大浴場付きで、今のところはタダでいいですよ」

「それはありがたい……けど、なんか、尚更文句が言えなくなったような」

 

 家賃支払いはゼロで、三食付きの半永久生活って……

 それって実質、彼女に養われてるのと同義では?

 そんな寄生虫みたいな生活、許されるのか?

 

「まあ、細かいことは気にしなくて大丈夫です。ユイトさんも歩き回って疲れたでしょうし、大浴場にでも入ってきたらどうですか?」

「うん……そうするよ。色々ありがとう」



   ♨

 


 というわけで、早速大浴場に来てみたわけなんだけど……

 一言で言えば、最高だった。

 

 大理石の床、だだっ広いバスルーム、檜風呂。

 和と洋が融合したような、理想的な入浴空間。

 しかもこの時間帯だからか、ラッキーなことにほとんど貸し切り状態。

 

(最高かよ……!)

 

 どっぷりと、僕は浴槽に浸かる。

 

 温泉じゃないからもちろん効能はないみたいだけど、それ抜きでも快適な風呂だった。体の芯まで温まるような、絶妙で丁度いい温度管理がなされている。


 少しばかり学校を散策して疲れていた体に、湯が沁み渡っていく。

 目の前の大窓には、学園の外にあるらしい小さな森林が悠然と広がっている。

 やっぱりお風呂はこうでないといけないと思う。

 

「いい湯だな……」

 

 本当に、日本人でよかった。

 古き良きこの文化を理解できる価値観を持っていてよかった。

 この感動はきっと、日本人の感性にこそ響くものだ。

 

「こんな風呂に毎日入れるとか、もう文句のつけようがないよ……」

 

 この生活、今気づいたけど快適以外の何ものでもない。

 まさに悠々自適。ダメ人間製造プログラム。


 リーファたちが抱える事情がどうであれ、僕は当分これで満足できそうな気がしてくる。

 でもその分、申し訳無さが出てくるのは仕方のないことだ。

 

「…………」

 

 そうだ。少し、湯船に浸かりながら冷静に考えてみよう。

 

 ――僕は本当に、この生活に浸っていても良いのだろうか?

 

 この現状に文句の言いようがないのは、もうわかりきったことだ。

 敢えて断る理由は一つもない。

 



 それでも、今僕の中で生まれている懸念は、『過去』の僕のことだ。

 



 今日一日でわかった。

 自分はダンジョンで戦っていた中で、何らかの理由で記憶の大部分を喪失したということが。


 三日も戦い続けていたら多少意識が混濁するかもしれないが、その戦闘以前の記憶まで同時に失っているとなると、やはり話は違ってくる。

 

 僕はまだ何か、大事なことを忘れてしまっているんじゃないか――そんな気がしてならない。

 

(……僕は、本当にこんなところにいていいのか?)

 

 天井を見上げ、自問する。

 

 僕は今もしかしたら、過去の自分から見たら、とんでもなく愚かなことをしているのかもしれない。本当は、呑気に風呂に入っている場合じゃないのかもしれない。

 今すぐにでもこの現状を捨て去って、何か行動を起こすべきだったりするのかもしれない。

 

 もしそうだったら、そうしたい。けど――

 

『思い出せないんなら、どうしようもないじゃないか』


 内なるもう一人の自分が、呆れた感じで呟く。実際、そのとおりだ。

 

 僕の手には今、何も手がかりは残されていない。

 半端なやり方じゃ、どう行動したって徒労に終わるだけだ。

 

 だったら僕は、『その時』まで待つしかない。

 

 記憶を呼び覚ます引き金となるような出来事が降りかかる、その時を。

 

 だから今は、どうか過去の僕にも許してほしい。

 このぬるま湯に浸かったままで、今を過ごすことを。

 

 

 


温泉回なのか

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