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第51話 学園の長

 よく晴れた昼前のこと。

 

 時刻も正午に近づき、暖かな陽の光がアーディアの街全体に燦々と降り注ぐ。

 まるで神が何かを祝福しているかのような、蒼く澄み渡った空。


 今日もこの街で、また穏やかな一日が過ぎようとしていた。

 

 そんな昼前、猫耳の少女のリーファはとある場所へ向かおうとしていた。

 

 窓外から眩しい日差しの照りつける廊下を、彼女はその小さな背に見合わない大きな歩幅の急ぎ足で進む。

 彼女の履くヒールつきのロングブーツが、一歩を踏みこむ度に軽やかな音をリズム良く響かせていた。

 

 やがて、彼女の脚はとある部屋の前で止まった。

 豪勢な装飾を施されたその扉には、仰々しい書体で『学長室』とだけ書かれている。

 

「ふぅー……」

 

 リーファはそこで一度大きく息を吐き、吸った。

 わずかに見えた緊張の色をかき消した彼女は、すぐさまその扉を三回ノックする。

 

「――学長、私です」

 

 彼女が短く告げると、扉の向こうから穏やかな声が答える。

 

「その声は……リーファか?」

「はい。例の件で新しく報告したいことがあるのですが、少しお時間いただけますか」

「ああ、勿論。入りたまえ」

 

 厳粛な口調での返事に、リーファはドアノブを握っておそるおそる引く。

 

 ――果たして扉を開けた先にいたのは、両手を広げて迫ってくる白髪の男だった。

 

「やあリーファ、よく来たね!! 君から会いにくるなんてひさしぶ――」

「すみません失礼しました」

 

 バタン、とリーファは勢いよく扉を閉めた。

 男が彼女に抱きつこうとした直前で、無慈悲にも扉は閉められたのだった。


 木製の扉の向こうから、迫ってきた勢いのまま扉に激突した男の情けないうめき声が微かに聴こえる。

 

「はぁ……………………」

 

 リーファの言葉にならない感情が、溜め息となって床に落ちる。

 一瞬すべてが嫌になりつつも、彼女は間を置いて再び扉を開け放った。

 

「……あの、一応大丈夫ですか?」

 

 再度扉が開くと、そこには額を押さえた白髪の男が立っていた。

 扉に激突した衝撃からか、酒に酔ったように頭をくらくらさせている。

 

「ああ、すまない……。突然来てくれた嬉しさで衝動が抑えられなかった……ッ!」

 

 男は何かを悔いるように拳を握りしめる。


「その歳にもなってそれは、もはや犯罪者予備軍ですよ」

「いやぁ……僕だって、()()()の君と会えるのは嬉しいんだよ」

 

 はにかみながら柔和な笑みを浮かべるその男は、まだ年若く見えるもののリーファの叔父に当たる人物であり、幼少期の彼女を親代わりに育て上げた人物である。


 そして、学長室(ここ)にいることからも察せる通り、彼はこのアーディア第三学園の若き長でもあるのだ。

 リーファがここまでの重要人物にこんな態度を取れるのも、彼らの間にある一種の絆のお陰だろう。

 

「こっちの年齢を考えてください……私今年で15なんですけど」

「まだ15歳じゃないか! でも、そうか……そうなると君もそろそろ反抗期とやらに入るのか。いや〜、寂しくなるなぁ」

「そう言いつつ頭を撫でるのはやめてくれませんか……?」

 

 若干照れくさそうにするリーファだったが、このやり取り自体はもはや日常茶飯事でもあった。

 

 しばらくしてリーファは彼の手を払いのけると、一度仕切り直すように咳込み、ようやく本腰を入れて話し始める。

 

「それで、例の件についてですけど」

「ヒズミ・ユイトのことだろう? わかってるさ」

 

 会話が本題に入ると、学長の表情も即座に神妙なものに切り替わった。


「そうか、ようやく目が覚めたか……」

 

 ソファーに腰掛けた学長は、一口啜ったコーヒーカップを静かにローテーブルへと戻した。

 リーファから事のあらましを聞かされた彼は、安堵ともとれる微笑を湛えている。

 

 昏睡状態だった日隅唯都が目覚め、学長から彼の介抱を任されていたリーファは、その日のうちにこうして報告にやってきたのだった。


 ローテーブルを挟んで向かい合わせで座るリーファに、彼は再び視線を戻した。

 

「それで、彼の様子は?」

「体調には特に問題はないみたいです。ただ、あれだけの時間闘っていたストレスと薬の副作用からか、記憶の混濁はあるようですが……」

「怪我の具合の方は?」

「ユイトさん本人は……怪我についてはあまり気にしていない感じでした。足を引き摺って歩いてましたが、日常生活には支障はなさそうです」

「そうか……ハハッ、やはり凄まじいな」

 

 リーファの口頭での報告に、彼はときに紳士的な微笑も交えた反応を見せた。

 

 日隅唯都が12階層で起こした『奇跡』を知っている彼からすれば、リーファの報告ひとつひとつがビッグニュースと言っても過言ではない。

 

 そんな少年が彼の姪であるリーファのもとに転がりこんできたのは、まったくの偶然ではあるが。

 

「フフ、彼は実に……実に興味深いな……」

「……笑い事じゃないですよ、まったく」

 

 状況を呑気に俯瞰する学長に、リーファは小さく愚痴をこぼす。

 

 学長は日隅唯都に興味を示す一方で、看護師ともいえる立場で彼に接するリーファは苦労を感じていた。少し前まで自らもダンジョンで死にかけていたかと思えば、謎の少年の手当てやら経過観察やらを任される始末だ。

 

 ――だが、その少年が起こした『奇跡』によって命を助けられたのも、また事実である。

 

「リーファ、君の怪我はもう大丈夫なのかい?」

 

 学長はまたコーヒーを啜り、今度は彼女の叔父としての眼差しを向ける。

 

 実を言えば、数日前、リーファも日隅唯都とともに三日間ダンジョンに閉じ込められていたのだ。彼女は直接戦闘には関わっていなかったものの、叔父である彼の心配は計り知れないほどであった。

 

「私は……軽傷で済んだので、もう大丈夫です。ご心配をおかけして、本当にすみませんでした」

「ははっ、そう畏まらないでくれ。君が無事なら僕もなによりだ。報告は以上かい?」

「はい。お時間いただきありがとうございました」

「ああ、こちらこそ有益な情報をありがとう。引き続き、彼の経過観察を頼んだよ」

 

 リーファは出されたぬるめのコーヒーを飲み干し、軽く会釈をして席を立った。

 退室しようとドアノブに触れる直前、学長は彼女の背に向かってこう呼びかける。

 

「リーファ、彼の様子や言動に少しでも気づいたことがあれば、何でも僕に伝えてくれ。――手遅れになる前に、必ず」

「はい……わかってます」

 

 念を押すような彼の忠告に、リーファは振り返らず、迷うことなく返事をする。

 重い扉が開かれ、やがて音を立てて閉められた。

 

(手遅れになる前に、ですか……)

 

 学長の言葉を噛み締めるように、リーファは心の中でその台詞を反芻した。

 閉められた扉を背に。


 

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