第49話 現状把握?
昼前の明るい陽が窓から差し込む。
カラッと晴れた空には、白い鳥が悠然と飛び回っている。
窓枠に切り取られた外の景色を、僕はすっきりとしない気持ちのままぼーっと眺めていた。
こうして大人しくベッドに入っている以外に、特にすることがない。
「お待たせしました、ユイトさん」
部屋のドアを開けて、例の少女が入ってくる。
年齢的には僕とそこまで変わらないはずなのに、その立ち姿や歩く姿勢は凛々しく、大人びているようにも見える。彼女は持ってきた椅子の上に腰を降ろし、ベッドにいる僕に真正面から視線を向けた。
伸びた背筋からも、育ちの良さが伺える。
ただ、それでも……
「どうですか? 少しは落ち着きました?」
「うん、まあ……」
こうして並んでみると、どういうわけか彼女は小さく見えるのだ。
椅子に座る彼女は決して猫背(猫だけに)というわけではないけれど、座高だけ見たら、僕より頭ひとつ分くらい低い。もともとの身長が低いのか、はたまた脚が長いのか。もし後者だったら羨ましい。
僕がそんな思考に耽っている間に、彼女はなにやら改まった様子で話し始めた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はリーファ・クインクレイン、種族は見ての通り猫人族です」
「キャッタリア……?」
「まあ、あくまでそれは種族名です。呼ぶときは普通に、リーファとでも呼んでください」
リーファ、それが彼女の名前らしい。どことなく響きに彼女らしさを感じるいい名前だ。
それはそうと、ケモ耳の亜人族にちゃんとした種族名があるのは知らなかった。
「私は普段はポーションの研究と調合をしています。ですが、今回は状況が状況だっただけにユイトさんの怪我の手当てと看病をさせていただきました」
「それは、ありがとう……でも、僕はどうしてこんな怪我を?」
「……そこはやっぱり、覚えてないんですね」
なぜか悲しそうな顔で彼女は、リーファは目を伏した。
記憶を失った僕を哀れんでいるようにも見えたけど、それは違うような気もする。
何か別の理由で、負い目を感じているような表情だった。
一呼吸置いて、リーファは神妙な表情で語り始める。
「ヒズミ・ユイトさん。それがあなたの名前ですよね」
「そうだけど……」
改めて確認されて、ふと気づいた。彼女の方は、初めから僕の名前を知っている。
つまり、少なからず僕たちは以前に面識があったということだ。
「もしかして、僕たちって知り合い? 友達だったとか……」
「いえ、ほぼ初対面です」
「え」
「もっと言えば、ダンジョンでお互い死にかけてたときに初めてまともに会話したくらいの関係ですよ」
「いや関係薄……」
僕の的外れな予想と期待が一蹴された。一瞬でも何かを期待した自分を今すぐ生き埋めにしたい。
でも、そうしたら別の疑問が生まれてくる。
「じゃあ、なんで僕の名前を?」
僕がそう訊ねると、彼女は答える代わりにあるものを手渡してきた。
手のひらに収まるほどの小さなそれに、僕は直感的に既視感を覚える。
「これって、僕の……」
「はい。あなたの探索者証です。勝手とは思いましたが、私が預かっていました」
その小さな金属の板には、僕の名前や探索者としてのレベル、基本ステータスやスキルの詳細が記されている。おそらく彼女はこれで僕の名前を知ったのだろう。
特に何の感情もなくそれを見つめていた僕に、リーファはまた真面目な顔で訊ねる。
「ユイトさん、自分のスキルのこと覚えてますか?」
「スキル? それって、この【再生】ってやつだよね?」
プレートの文字列を目で追う。スキル名の他には、自動発動であることと残り回数の数字が読み取れた。ただ、効果については一切の記述がない。
今はまだ憶測に過ぎないけど、この効果に関する記憶もきっと欠落している。
「ごめん、覚えてないや……」
「やっぱり、そうですよね」
「君は、何か知ってるの?」
「はい、私は……」
そこまで言いかけて、今度は彼女の言葉が淀む。
答えるのを躊躇うというよりかは、慎重に言葉を選んでいるようにも見えた。
しばらく考えこんだあと、リーファは何か思い直したように目を閉じた。
「いえ、私から言えることは、何も」
「? それって、どういう……」
「ただ、ユイトさん、あなたは――」
顔を上げて、リーファは僕を真っ直ぐ見据える。
濁りのない翡翠の眼差しが僕を射貫く。
「――12階層にて、〈エルダートレント〉と三日間闘い続けていました」
本当に言葉を失った。
その文言を一語ずつ噛み砕くのに、時間を要したのかもしれない。
闘っていた? 僕が? 三日間もどうやって?
思考が停止すると同時に、忘れかけていたものの片鱗が少しずつ蘇ってくる。
――12階層――赤いバンダナの盗賊――天災――〈エルダートレント〉――折れたマチェットナイフ――。
『あの日』の記憶の奔流に、余計な思考が押し流されていく。
「……そうだ、僕は闘ってたんだ。一人で、ダンジョンの中で……」
頭痛とともに蘇ってくるものを逃すまいと、僕は呼吸すらも忘れて記憶の海を探る。
果てしなく闘いが続く悪夢。伴う痛みと重度の疲労。
【再生】がもたらした、永遠という名の絶望。
でも、その先は?
僕はそこから、どうやってここまで来た?
「ねえ、あいつはどうなったの? ……僕は、勝ったからここにいるんだよね?」
「ええ、その通りです」
やや間を置いて、リーファはうなずく。
勝っていた。僕が、あの化け物に。
散々苦しめられてきた、悪夢の元凶に。
「だったら、どうやって僕は勝ったの? もしかして、あのスキルが何か関係して――」
未知故の探究心に再び駆り立てられる。知らなきゃいけない。
まだ受け止めないといけないことがたくさんある。
……けれど、焦る思考を遮るように鳴ったのは、僕の腹の音だった。
「あっ……」
部屋中に鳴り響いたその音に、僕はただただ苦笑いするしかなかった。
思えば、あれからまともな食事をした記憶もない。空腹なのも当たり前だ。
「よかったら、何か食べますか? おかゆくらいだったら作りますよ」
「ありがとう……じゃあいただこうかな」
いつの間にか空腹で死にそうになっていた僕は、リーファの厚意に甘えて彼女の手料理をいただくことにした。
長いこと眠っていたような気もするけど、僕はなぜ何も食べないまま生きていたのだろうか。経管栄養法なんて便利な技術はこの世界にはないはずだ。何かしらの魔法でなんとかしたのかもしれない。
リーファの後ろを歩きながら、そんなことを考えていた。
さっきまで居た部屋から廊下を進み、それから僕たちは階段を一階分降りた。
見た感じここは、集合住宅か大きめのシェアハウス、といったところらしい。
「着きました。ここです」
リーファがある部屋の前で足を止める。扉には、『104』と部屋番号らしき数字が刻印されていた。
僕が眠っていた部屋から一階分降りたここが、彼女の部屋ということらしい。
「どうぞ、遠慮せずに入ってください」
木の扉を開き中へと入っていくリーファに、遠慮がちに僕も続く。
「お邪魔します……」
ドアの先には、壁の両側を大きな本棚で埋めた空間が広がっていた。
部屋の奥行きを存分に使って並べられている膨大な量の書物に、思わず圧倒される。
言い換えればそれは、一見真面目そうな彼女の印象に相応しい空間の使い方のようにも思えた。
部屋の中央にはローテーブルとソファーが陣取り、その奥には彼女のデスクもあった。
入口付近には申し訳程度にキッチン風の料理場が設置されている。
それだけの家具や設備がありながら圧迫感がないこの部屋は、一人部屋にしてはかなり広い部類だ。
……と、ここまで何事もなく勝手に部屋のリポートをしていた僕だけど。
実はとある存在に気を散らされ続けている。
部屋に入ってすぐ目につくソファーに、『彼女』は寝そべっていた。
「んー? ああ、お邪魔してるよ〜」
「帰ってください」
あろうことか、先客がいた。