#3 parallel lines
前話の反動で文字数が増えました。なので実質プラマイゼロ。
三話目はギルドの仕事のできないアイツ。
オレには、幼馴染みがいる。
一口に幼馴染みと言っても、言葉自体定義が曖昧だからオレはこの言い方は好きじゃないけど。
強いて言うなら『腐れ縁』か。
もはや腐れ縁とも言えるくらいにずっと一緒にいる、たった一人のオレの幼馴染み。
そいつはいつもオレより優秀で、常にオレの前を走っている。
才能、とやらがそいつの行く道には塗りたくられてるんだと思う。
その途方も無い差に、何度挫けそうになったことか。
でもそいつは決して、落ちこぼれのオレを見捨てたりはしなかった。
どれだけ自分が先へ進もうと、遅れてやってくるオレを突き放したりすることはなかった。
むしろ、『私と一緒に頑張ろう』なんて励ましにくるような奴だ。
お節介なくらい、他人には甘い。
オレを惨めにするそいつの優しさが、昔から嫌いだった。
――その優しさに甘えている自分のことは、もっと嫌いだ。
くだらないオレのモノローグは終了して、そろそろ現実世界の話をしよう。
オレは――いや、オレたちは今、とある店にいる。
『Ryo-Ran』とかいうやけに極東風の店名のステーキ屋。
今日は仕事終わりのタイミングで訪れてみたが、昼間よりもさらに客で溢れかえっている。
むしろうるさいくらいに賑やかだ。
――そんな空間でオレ、ラック・ステンドロードは縮こまっていた。
同じテーブルでは、幼馴染みで同僚のフーカと仕事の後輩のリシェルが仲良く談笑している。女子二人とステーキ、なんて傍から見れば幸せ者みたく思われるかもしれない。
オレだって、きっと幸せだったんだ――これがオレの奢りじゃなければ!
「ちくしょう……」
力なく喉の奥から絞り出した声は、喧騒に掻き消される。
グラスを片手に、オレは天井を眺めていた。
三人席丸テーブルで右斜め前に座るフーカは、大袈裟なくらい幸せそうな顔でステーキを口に運ぶ。
こいつ、こんな顔しておきながら、オレの奢りだからって普段は食わない最高級ステーキを頼みやがったド畜生なのだ。いくらなんでも容赦がなさすぎる。
「何? あんたそれ食べないの?」
注がれたどす黒い視線に気づいたのか、フーカはオレの手元を見やった。ちなみにオレはさっきからサイドメニューの串焼きをちまちま食っている。節約とはいえ惨めなものだ。
「食ってるよ。食ってますよ。一人だけステーキを我慢してちまちまとねぇ……」
「そう、安上がりなもんね」
いや誰のせいだと思ってらっしゃる?
「あの、先輩もよかったら食べますか……?」
リシェル、お前は天使か?
「悪い、今のオレ人権ねぇから……食えない……」
「そうらしいから、リシェルも今はそっとしといてあげて」
「はい……?」
後輩の厚意まで無下にせざるを得ない自分が情けなくて仕方がない。
誰かオレを殺してくれ。
急に流れ始めた重苦しい空気をぶち壊すように、リシェルは明るく切り出す。
「ほ、ほらっ、今日はラック先輩の仕事が片付いたお祝いなんですから! もっとおめでたい感じでいきましょう!」
どんだけ人間ができているんだこの後輩は。まるで気遣いの権化だ。
と、そんな話はさておき、彼女の言うように今日はお祝いパーティー――というのは名目上で。
その実は、溜まりに溜まったオレの仕事を片付けてくれた二人に対する慰労会(オレ主催)なのだ。
元を辿れば仕事を溜めすぎたオレが悪いんだろうけど、その分の代償があまりに大きい。
下手をすれば今月の給料が今日一日で吹き飛ぶかもしれない。主にオレの幼馴染みのせいで。
「そうね。今日くらいはパーッといってもいいわよね、ラック?」
「はい。ご自由にどうぞ……」
「よし、それじゃあ私は生ビールでも頼みますか〜!」
無事、オレのお財布はお亡くなりになりました。
この女に奢ろうとすると、本格的に破産すると相場が決まっている。
ソースはオレ。
それからだいたい一時間後。
酒の入ったフーカは、手のつけようがないほど暴走していた。
「ふへへへへ、りしぇるたんもふもふ〜」
火照った顔の酔っぱらいが、リシェルの狐耳を蹂躪している。
だらしなく自分の後輩に寄りかかり、なかば抱きつこうとする彼女の姿にはもはや、職場でのキリッとした面影はどこにもない。ギルドで働いてる他の同僚にこの姿を見せたら大半が卒倒するだろう。
「ちょっ、先輩、くすぐったいのでそれ以上は……」
「えへへ……しっぽももふもふだぁ……」
「し、ししししっぽはだめです! 引っ張らないでください〜っ!」
リシェルの必死の抵抗も虚しく、飲んだくれフーカは彼女のしっぽまでもふり始める。
こいつは酒が入ると性別関係なくボディタッチが増える上に、泣き上戸を経由したあげく泥酔してその場で眠り始めるという最悪の酒癖の持ち主なのだ。
いま現在やってることはどう見てもただのセクハラだが、こいつの面目は大丈夫なのか。
まあ女同士だから、オレが口出しできる状況じゃないけども。
「リシェル、そいつ今度セクハラで訴えていいぞ」
「うぅぅ……先輩もそんなこと言ってないでたすけてくださいよぉ……」
リシェルには悪いが、酔っぱらい状態のフーカは面倒くささが限界突破しているので絡まれたくない。
……のだが、あろうことかフーカの半開きの眼はオレをじっと見つめていた。
ピンチだ。超逃げてオレ。
「なによその目はぁ!?」
「いやそれはオレの台詞なんだが……?」
「わたしはあれよ、のんだくれなんかじゃらいんだからねっ!!」
「はいはいそうですね……あと、お前近いわ!!」
気づいたときには、彼女は身を乗り出してオレの目の前まで顔を近づけている。
この距離感のバグり方はオレが色々戸惑うからやめてほしいんだが。
やはり21で酒癖の悪さは異常すぎる。
「ったく、酔いすぎなんだよお前は! もう水でも飲んで頭冷やせ!!」
「え、やだ……もっとのむ……」
「店員さんすいませーん! こいつにありったけの水持ってきてくださーい!」
「うえぇぇぇぇ……」
「目ぇ覚めるように頭から全部ぶっかけてやるよ。ッハハハハハハ!!」
「あれ、ラック先輩も酔ってる……?」
カオスすぎるこの状況に流石のリシェルも戸惑い、悲しいことに唯一の常識人として取り残されていた。
ちなみに、オレは酒は飲んでいるが今酔ってはいない。
断じて。神に誓って。
そんなことはさておき、オレは泥酔状態のフーカに酔いが覚めるまで水を飲ませ続けた。最初は赤子のように飲むのを拒否していたものの、次第に酒が抜けていくにつれて大人しくなっていく。
そして数分後、一番面倒な泣き上戸を経由することなくフーカは眠りについた。
さっきまでのうるささが嘘のように、彼女は大人しくテーブルにガン伏せで眠り続ける。
そのうち、心地よさそうに寝息まで立て始める始末だ。
「マジで好き勝手やりやがったな、こいつ……」
「フーカ先輩って、いつもこうなんですか……?」
ガン寝するフーカを横目に、おずおずとリシェルは訊ねる。
リシェルからすれば酔った彼女を見るのは初めてなわけだし、戸惑うのも無理はない。
「ああ、オレと飲みに行くときはいつもだな。18になって酒飲めるようになってから、毎回」
「へ、へえぇぇ……」
「リシェルにも先言っとくべきだったな。悪かった」
「い、いえっ、私は全然……です!」
リシェルには本当に申し訳なさしかない。
フーカの酒癖に付き合わせるにはあまりに可哀想すぎた。
ジョッキに入った酒を飲み干し、ほろ酔いになってきたところでオレは席を立った。ただステーキを奢るだけのつもりが、飲んだくれ野郎のせいで随分と長居してしまっている。
「さて……そろそろ帰るか」
「そうですね」
荷物をまとめたリシェルは立ち上がって軽く伸びをする。
店を見渡すと、カウンター席で酔い潰れた探索者たちがちらほら見受けられた。
テーブルに視線を移すと、同じく酔い潰れたオレの幼馴染みがいる。
特に意識せずとも、深い溜め息が口から漏れ出た。
「あの、フーカ先輩はどうしますか……?」
「ああ、もちろん置いてくぜ」
「えぇっ!?」
「ウソウソ。こいつはオレが連れて帰るわ」
「ああ、ラック先輩が――って、えええええぇぇっ!?」
オレを二度見しつつ、リシェルはなぜかより驚いた表情を見せた。
こんな時間でもオレの後輩は表情が豊かだ。
表情豊かな上に、心做しか目がキラキラしている。
「つ、つつ連れて帰るって、お二人はやっぱりそういう関係だったんですかっ!?」
「はぁ? ……いや、連れて帰るって言ってもこいつの家まで送るだけだからな?」
「だけってなんですか! 家まで一緒に行こうとしてる時点でそれはもう――そういうあれですよ!?」
「いや、わかったから落ち着け?」
やや興奮気味にまくし立てるリシェルを宥め、オレは熟睡中のフーカを背負う。どういうわけかリシェルには勘違いされているようだが、オレにとってこれは最早お約束でもある。
会計でほぼ給料一ヶ月分の大金を支払い、フーカをおんぶしたまま店を出た。
外はもうすっかり暗く、飲食店が立ち並ぶ通りを橙色の魔石灯が淡く照らしていた。
ふと、隣にいたリシェルが、少女らしいくすぐったい笑みをオレに向けているのに気づく。
「……何か言いたそうな顔だな」
「ふふふ、勢いで先輩に手出しちゃダメですよ?」
「お前……いつまで頭お花畑なんだよ」
「えー、だってぇ……」
「だってじゃねぇ。もう遅いんだからお前も気をつけてけよ」
「……ですね。それじゃ先輩、今日はステーキありがとうございました!」
「ん、またな」
最後までこっちがむず痒くなるような笑みを向けて、リシェルは反対方向に歩いていった。ランプと月明かりの下、フーカを背負ったオレは彼女の背中を見送る。
「よーし、オレたちも帰るかー」
わざと声を大にして叫んだ。
おぶさったフーカの顔を振り向きざまに窺う。
さっきまでの寝息はもう聞こえなくなっていた。
「相変わらず寝たふり下手だな、お前は」
「……うるさい」
背中から、フーカの不貞腐れたような声が飛んできた。ちょうどオレが店でおぶったときから、こいつは狸寝入りを決め込んでいたのだ。尤も、身体に変な力が入っていたせいでオレにはバレバレだったが。
「どうすんだ? 歩けるなら降ろしてやるけど」
オレが訊ねたあと、特に意味もない沈黙が数秒続いた。
無駄に長い溜めの時間を経て、しぶしぶ彼女は返答する。
「……いい。このままで」
「はいはい。そんじゃ行きますか」
気怠げな幼馴染みをおぶったままで、オレは彼女の家がある方角へ歩き出した。彼女の体重は苦になるほどじゃないが、食ったあとすぐに背負うとなると心理的にくるものがある。
足元が薄暗い。
魔石灯の灯りだけを頼りに、眠気を振り払いながら歩く。
反対方向にある探索者ギルド――オレの職場――からは、微かに探索者たちの話し声が聞こえる。店の大半が閉まった大通りを、オレはゆっくりと進んでいた。
ふと見上げた満天の星空を、流れ星が通り過ぎた。
特に何も願うことはなかったが、オレはなんとなく昔のことを思い出した。
オレたちがまだ故郷の村にいた頃の、ガキ臭い思い出。
「なあ、お前覚えてるか?」
「……何、急に」
「二人で初めて流れ星見たときにさ、願いごとが多すぎて決められなかったって、お前が大泣きしたの」
「もう……いつの話よそれ」
さっきとは打って変わった、控えめな笑い声。
彼女の口角が上がっているのも話し方からわかる。
「あんときはまだ、お前も可愛かったよな……」
「それゆうならアンタもでしょ?」
「へ? オレ?」
彼女にしては珍しい、無邪気に人をからかうような笑い方。
遠い昔を懐かしむように、だけど声音は明るく、フーカは語り始める。
「覚えてない? そのとき大泣きした私にアンタが言ったやつ」
「……待て、猛烈に嫌な予感がする」
「――『大きくなったらお前と結婚できますように』ってお願いしてやったぞ、って」
やばい。死にたい。
今すぐ消えてなくなりたい。オレのバカ。
まさに若気の至りというべき醜態。黒歴史。呪われし過去。
オレは今、自分の地雷を自ら踏み抜かれに行くというおバカなことをしてしまった?
「き、記憶にございません」
「ふーん、覚えてないんだ」
「まったくもってなんのことやら……」
「そう。まあ私の作り話だから当然よね」
「は?」
は?
こいつ、もしかしてオレを嵌めた?
「おま、え、えっ……マジか?」
「ふふっ、だってアンタ、私の嘘全部信じちゃうから、反応見たくて……つい」
「よし決めた。今からお前を振り落とす」
「わー! ごめんってば!」
オレに本当に振り落とされかけて、フーカはそれでも子供みたいにケラケラ笑っている。
それにしてもだ。
こんな深夜に。こんな道端で。
こんなしょーもない軽口を叩き合っているオレたちは、やっぱりバカなのかもしれない。
――でも、これくらいが丁度いいとも思う。
子供の頃からずっと変わらずくだらないことで笑い合えるような今の関係が、まだまだ大人になりきれないオレたちにはきっとお似合いだ。そこには余計な変化とか刺激とかは必要ない。
ずっと変わらないままの平行線でいい。
交わったり離れたりしなくとも、このまま延々と延び続ける二本の線がいい。変わり映えなく、午後の眠たくなるような日差しみたいに気怠く続いていく日々でも、オレは構わない。
これまでだってそうだったから。
そう願っているのがたとえオレだけだとしても、オレは――
「……ありがとね」
オレの思考を遮り、フーカは独り言のように呟く。
不意を突かれたオレは、一瞬思考停止して返事をする。
「何がだよ」
「ステーキと私の介抱と、あと、それからいろいろ……?」
「ん……ああ、借りなら仕事で返してくれればいいからな」
「ふふ、バカじゃないの?」
あの頃みたく、フーカはオレの背中に抱きついて無邪気に笑う。
ほんとにバカ……と耳元で静かに繰り返しながら、そのまま微睡みの中に落ちていく。
まだ酒が残っているかはともかく、だらしなく身を委ねてくる幼馴染みをもう一度背負い直す。
浅い溜め息が夜風に混ざる。オレたちの家路はまだ続く。
このままでいい。
そう思うまでに永遠にプラマイゼロな日常を、オレはこれからも願い続ける。