第47話 『異端』
作者の設定ミスで4/1に投稿されていました。ごめんなさい。
こちらは修正して上げ直したものになります。
それから、変わらず日々は過ぎ去った。
ユイトたちが遭遇した12階層での〈天災〉からも数日が経過し、街もダンジョンも普段通りの光景を取り戻していた。アーディアの街の喧騒を形作る人々は皆、他人事のように平穏を満喫している。
ダンジョンに危機が訪れても、街は変わらない。
冒険者たちがどれだけモンスターたちに蹂躙されようと、それを知らない人々は気にも留めない。
たしかに、当然のことではある。
いくらそれが現実のことであろうと、自分の身に訪れない限りは、彼らにとって他人事でしかないのだから。
換言すればそれは、冒険者という職業が存在することで、この世界に生まれてしまった残酷な一面だ。
そんな『何も知らない』人々が紡ぐ地上の日常は、誰が何と言おうと変わらない。
彼らが自分でそれに気づかない限り――ずっと。
学園都市アーディアの一角を担う、とある場所。
街の市壁の南端、【セレスティア・クロック】から伸びるメインストリートの先にあるのは、第3学園の広大な敷地だ。ゆるやかな坂道の上にそびえる仰々しい校門には、現在春休みであるにも関わらず、生徒たちの姿がちらついている。
そんな第3学園の校舎の奥には、校内全体を見渡せる大きな窓を備えた部屋があった。
豪華な装飾を施した扉には、「学長室」とだけ記されている。
戸の奥の室内には、カーペットの上に向かい合わせの二つのソファとローテーブルが陣取り、窓際には横長の執務机が構えている。そのどれもが、そこに居る者を厳粛な気分にさせるようだった。
床から天井にかけて大胆に開放された大窓からは、コの字型になった校舎全域と自然を取り入れた広大な中庭が一望できる。
市壁の南端の丘陵地に位置する性質上、アーディアの街と【セレスティア・クロック】を遠目に見ることも可能だ。
学園を取り仕切る者こそ、この眺望を独り占めするに相応しいといえる。
――そして、その場所には一人の男がいた。
現在では珍しい重厚な革の回転椅子に身を納め、黒の礼服を着た男は肘を置いて背もたれに寄りかかる。
銀の髪に深い紅の瞳を宿した、年若くも見える男だった。
窓からの雄大な景色を大人の余裕を湛えた笑みで眺める彼こそ、若くしてこの学園のトップとなった男なのだ。
「変わらないな。この街も、この学校も」
感慨深げに呟き、彼は目を閉じて椅子を半回転させた。
背もたれにかかった黒のコートが合わせて揺れる。
「さて、これは……どうしたものだろうね」
机に向き直った彼が手に取ったのは、一枚の『報告書』だった。
端正な文字で手書きされたその内容に、ゆっくりと目を通す。
先刻口にした思い詰めたような言葉とは裏腹に、彼の微笑は不自然に深まっていく。
「フフフ……ああ、度し難い。実に度し難い……!」
独り言にしては大きな呟きが部屋に響く。
彼がこうして口を開くまで束の間の静寂に包まれていたこの部屋だが、彼の独り言を聞いていた人物がそこには居た。
「……学長、それは君の独り言か? それとも私に反応を求めるものなのか?」
コーヒーの入ったカップをローテーブルに戻し、少女――いや、淑女は疑問の入り混じった目で彼を見やる。
光沢に富んだ長い銀髪に碧眼、そしてその神秘的な容姿を助長する細長い耳。
誰がどう見ても、彼女は高貴な印象のあるエルフという種族のイメージそのものであった。
どこか冷徹な雰囲気を内包する彼女は、執務机の前のソファに腰を下ろして優雅にコーヒーを啜っていたのだった。
「ははっ、これは失礼しましたリヴェルナ先生。あまりに興味を引かれる報告書だったもので、つい独り言が」
「そうか。まあ、いつものことではあるな」
「先生も是非読んでみてください。いやぁ、私はあまりの面白さで読後五時間ほど呼吸が出来なくなりましたよ」
「死体が喋るな」
「冗談ですって」
そうやって軽口を叩きあう二人だが、両者とも『例の事態』のことは嫌というほど把握しきっていた。
この第3学園でも――この街の中でも――ごく少数の者しか知り得ない機密情報を二人は抱えている。
「12階層での〈エルダートレント〉の単独討伐……か」
リヴェルナ、と呼ばれた銀髪のエルフは手にしたカップの底を眺めながら呟く。
自身が発した言葉の意味を改めて噛みしめるように、ゆっくりと瞼を閉じて。
「ただでさえ〈天災〉によるイレギュラーな事態だというのに、これを成し遂げたのがまさか……ランク1の冒険者だとはな」
「ええ、本当に彼には驚かされましたよ」
勿体ぶるような口調で、学長の男は言葉を接ぐ。
「――ヒズミ・ユイト。彼はきっと、この『退屈な世界』に変革をもたらしてくれる存在になる!」
大窓から陽の光が差し込む。
独り言にしては高らかに――だが彼なりの確信をもって――男は宣言する。
彼の横顔には、期待に満ち溢れた少年のような微笑があった。