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第46話 悪夢の終わり

 頭痛で目が覚めた。

 長い夢を見ていたような気もするけど、今は頭が痛くてまともに思考ができない。


「なんの夢、見てたんだっけ……?」


 朧げな意識の中、僕は辺りを見渡す。

 視界一面に広がるのは、腐るほど目にしてきたダンジョンの壁だった。


 あいも変わらず僕はまだダンジョンのなかにいるようだ。

 今はたしか……12階層だったけ。


 でも、そんなことはどうだっていい。

 帰る方法も進み続ける気力もない僕には、これ以上の未来はない。

 

 じきにあの『大木』に追いつかれて一方的に嬲り殺しにされるだけだ。

 数えるのも億劫なほどの死を重ねて、僕が本当の意味で死を迎えるまで。


 血まみれの右手を動かすだけの気力すら、今はないみたいだ。眠っていてもまたあんな夢を見させられるのなら、僕は一体どうしたらいいのだろうか。


 どうしたら――


 どうしたら、もっと楽に生きていけたんだろう。


「はぁ……………………」


 どうしようもないくらいに深い溜め息が口から溢れる。


 血だらけの全身の傷よりも、いまはこの頭痛が僕を苦しめていた。

 手についた血液はいつの間にか乾いている。


 視界の左半分は真っ赤に染まり、それはまさしく地獄を切り取ったような世界として僕の眼に投影され続けた。


 諦めかけて重くなった瞼を閉じようとした、そのときだった。


 ――彼女の声が、聞こえたのは。




「また、悪い夢でも見ていたんですか?」




 どこかで聞いたような声色と台詞。

 気付けば声の主を確認するよりも早く、脳内で必死に記憶を探っていた。


「……ひどい顔ですよ、探索者さん」


 静かな足音とともに、彼女は僕の前に現れた。

 肩まで伸ばした金髪寄りの白髪に、一際目を引く可憐な猫耳としっぽ。


 伏し目がちな翡翠色の視線を僕に向けるその少女に、僕は確かに見覚えがあった。ただ、実際はそんな気がするだけで思い出せはしなかった。

 

 前にどこかで会ったことがある――そんな、漠然とした記憶。


「君は――」


 なにかを訊ねようとして、寸前で止めた。いや、止まった。


 その先に続く言葉に代わって、喉から大量の血が溢れ出てきた。

 言葉にならない叫びを続けていた僕の喉は、もうとっくに限界を迎えていたらしい。


 肺が苦しい。呼吸がままならない。

 壁に寄りかかったまま血を吐き続ける僕に、彼女はおもむろに近寄ってくる。

 そこで僕はやっと、あることに気づく。


「その怪我……私よりひどいですね。治さなくていいんですか?」


 僕と少し離れた位置に腰を下ろした彼女の手足は、僕と同じく傷だらけだった。


 辺りが暗くて見えづらいけど、怪我の程度はたぶん彼女の言う通り瀕死な僕よりは軽い。しばらくして吐血が収まった頃に、僕は答える。


「僕はっ……これでいいんだよ。治しても意味ないしね」

「どうしてですか?」

「死ねないから。……何回死んでも生き返るんだよ」

「……そう、ですか」


 それから数秒間、不思議な沈黙が流れた。


 だけどどういうわけか、二人の間にあったその静寂は僕にとってどうしようもなく心地良かった。


 お互い身体は満身創痍なはずなのに、心だけは奇妙なまでに満たされていく。実を言えば、その正体は今までの心細さからくる安心感なのだろうけど、野暮だから気にかけないことにする。


 ……よく考えれば、僕がいま彼女に訊ねるべきことは探せばきっといくらでもある。


 ――なんで戦いと無縁そうな君がここにいるの?

 ――君こそその怪我は治さなくていいの?


 でも、そんな問いかけすらも今は野暮なものに思えた。

 名前も知らない彼女との数奇な巡り合わせで生まれたこの時間を、無為な質問で壊したくなかった。


 やがて、隣に座る彼女がポケットから何かを取り出すような仕草を見せる。


「……これ、よかったらどうぞ」


 淡白で平坦な口調で差し出されたそれは、試験管に収められた二本のポーションだった。


 中身の液面が薄暗い空間で揺らめいているのが見える。

 たしかに今の僕に必要なアイテムだけど、大人しく受け取る気にもなれなかった。


「ごめん、いらない。……君が使いなよ」

「私もいりません」 

「なんで?」


「私は……どうせここで死ぬからです。あの『化け物』がこの階層に現れてから、もう六時間は経ちました。誰かが助けを呼んでくれない限りは、私たちはここから出られません。どの道そうなるのであれば……この薬はお兄さんが使うべきです」


 彼女はやけに冷静に状況を飲み込んでいるようだ。


 それから補足として、出口である連絡通路への道を〈エルダートレント〉が塞いでいることを教えてくれた。なんとかして倒し切るか、誰かが足止めするかしないと脱出は不可能だそうだ。


 差し出されたままの二本のポーションが、暗がりのなか宙で漂うようにゆらゆらと揺れている。

 遠くで聴こえる『大木』の咆哮が、地鳴りのように階層全体を揺らして伝わってくる。


 でも僕はまだ、それを受け取ることはできなかった。


「……けど、僕に使う方がもったいないよ」

「生き返ったら治るから……ですか?」

「知ってたの?」

「はい、まあ……さっきまでお兄さんが闘ってる一部始終を見てましたから」


 見ていた、ということは彼女も僕と同じようにあの『大木』に行く手を阻まれていたのだろう。

 そして、隙を見計らって撤退した僕に代わって、彼女は……


「じゃあ、君のその怪我は僕が逃げたから……」

「私が逃げ遅れたのが悪いんです。あなたのせいじゃありません」


 ――ごめん。


 そんな僕の形ばかりの謝罪を拒絶するような彼女の横顔に、僕は閉口した。


 謝ったところで状況は良くならない。僕も彼女もそれをわかっていた。

 だからこそ、僕はこう口走ってしまったのだろう。


「わかった、あいつは……僕がなんとかする」

「なんとかって……その体と武器でどうするつもりですか」

「時間稼ぎくらいはできる……だから、そのポーションを僕にっ――」


 傷だらけの身体に鞭打って、僕は立ち上がる。

 大丈夫、脚に力を込めれば歩ける。

 

 あとはあの化け物のもとに向かって『時間稼ぎ』をすれば、彼女は助かる……はずだ。

 けれど、歩き出そうとした僕を彼女の言葉が引き止めた。


「ダメです。やっぱりあげません」


 そう言い放って二本のポーションを上衣に仕舞うと、彼女は僕の横で立ち上がった。困惑で立ち尽くす僕に、彼女はポーションの代わりにあるものを差し出してきた。


「逃げるなら……いえ、()()()()()()、二人で行きましょう」


 それは、見覚えのある形状のものだった。

 彼女の小さな手のひらに収まるほどの、小ぶりな刃のナイフ。

 一見質素でシンプルすぎるデザインのそれは、いつか僕が失くしていた借り物だった。


「なんで、これを君が……」

「以前、街で会ったときにお兄さんが忘れていったんですよ? 持ちっぱなしも悪いので、返しますね」

「うん……」


 今度は大人しくそれを受け取り――というか半ば押し付けられ――僕は掌で感触を確かめた。

 不思議と手に馴染む、使い慣れた得物。


 これで僕の武器はバール以外にも揃ったわけだけど、彼女の言う『脱出』が意味するところは未だよくわからないままだ。


「……これで僕が戦えばいいの?」

「その気があるのはいいことですけど、今のままでは勝算がありません」

「勝……算?」


「はい。勝つんです、私たちで、あの化け物に」


 壁に手をついてなんとか立っていた僕を、その言葉が揺さぶった。


 ――勝つ? 僕があいつに?


 失礼ながら、気が狂った彼女の冗談かなにかだと最初は思った。

 けれど、彼女の決意に満ちた眼差しが、その疑念を真っ向から否定する。


 彼女のなかには既にあるのだ。その『勝算』とやらが。


「なにか、作戦があるんだね?」

「あります。もっとも、お兄さんのそのスキル頼りにはなってしまいますが……」

「……やるよ。ここから出られるならなんでも」


 僕の決意に応えるように彼女はまたポケットを探り、とある一本の試験管を取り出した。


 内容液の液面が周囲のわずかな光を(あや)しく反射する。

 彼女の険しい表情からも、それが一介の回復薬(ポーション)とは違うことは明白だった。


「これを飲んでください。少なくとも、戦闘中は恐怖と痛みからは解放されるはずです」

「わかった。これで勝てるなら、飲むよ」


 本音を言えば、彼女が僕を騙してこの薬を飲ませようとしている可能性もあることはわかっていた。だけど同時に、この場で彼女が裏切る理由も動機もないと確信めいたものが僕の中にはあった。


 試験管の栓を抜き、底をゆっくりと傾ける。

 震える右手が注ぎ込む液体が口に流れ込んだ瞬間、それを阻むように喉の奥から血が逆流を始めた。


「――っ!」


 気付けば大量の血が、掌を赤く塗りつぶしていた。


 突如激しい咳と目眩に襲われ、また立っていることもままならなくなる。

 呼吸すらも満足にできない状態で、僕は全身の痛みを堪えた。


「やっぱり、これ以上無茶はしないほうが……」

「いや……僕は大丈夫」

「でも、血が……」

「大丈夫だから!」


 呼吸を整える。

 吐血が止まらない。

 早く咳を止めてポーションを飲まないと――


「……わかりました。じゃあ……勘違いしないでくださいね」


 彼女は僕の手から試験管を抜き取る。

 瞠目する僕の反応は待たず、彼女は中身を口に含み、不承不承それを実行した。


「えっ、何――」

「ん……」


 彼女の柔らかい唇が僕のそれと密着する。

 一瞬全身に走った甘い感覚をかき消すように口内に流れ込んできたそれは、今度こそ僕をおかしくさせた。


「……ごめんなさい」


 最後にその六文字が脳内に浮かんだ。

 現実が遠のいていく。

 余計な思考が削り取られるように、僕の脳内が徐々にシンプルになっていく。



 

『僕は何者だ?』

 

 ――僕は、日隅唯都だ。

 

『僕の目的はなんだ?』

 

 ――彼女と一緒に、ここから生き延びること。

 

『そのために、僕は何をすればいい?』

 

 ――障害を取り除く。僕らの邪魔をする奴は、全部消してやる。

 

 何を犠牲にしてもいい。


 この世界の不条理は、すべて僕の自己犠牲で解決するのだから。




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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 主人公が覚醒する展開が来そうですが、この物語はそんなものではない。 ここで、ガチムチ褐色肌オネエのリンドウさんが登場。 ステーキ屋の店長として長年鍛えてきた、その包丁…
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