第43話 どうにもできない
過去編続きです。激重注意。
それから、しばらく時は流れる。
母さんが交通事故で亡くなり、両親を失った僕たちは親族に引き取られることになった。
昔からおばあちゃん子だった妹は祖父母の家に、小学校高学年だった僕は母の姉の家にそれぞれ引き取られた。それが決まった母の葬式以来、妹とはまともに顔を合わせていない。
伯母の家庭での僕の境遇については、ここではあえて触れないことにする。
さて、場面が転換して次に目の前に広がったのはまたしても、僕が予想していた光景だった。
僕が見ている夢だから、悪い予感だとしても当たってしまうのは仕方ないのかもしれないけど。
(やっぱり、ここなんだな……)
僕が見ていた『僕』は、病室にいた。
だけどそのベッドに横たわっていたのは僕じゃなく、無月だった。
今見ているこの景色は、僕の記憶の中でも新しい方だ。
その証拠に、窓際の椅子に腰掛ける僕は、中学校の制服である学ランを着ていた。
中学の卒業式の半年ほど前の、9月のことだった。
『今日も来たのかよ……唯都』
ベッドで上体だけ起こした無月が、小さく舌打ちする。
――このとき既に、無月は腰から下が動かなくなっていた。
『昨日、来んなって言ったろ』
小学校から変わらない鋭い目つきで僕を一瞥し、無月は顔だけ背ける。
お見舞いに来ていた僕は、何も言わず膝に置いた手を握っていた。
窓際には、質素な数本の花が花瓶に刺さっている。涼しい夏の終わりの風が病室に入ってくる。
『それとも、笑いにきたのか?』
僕に顔を向けずに無月はそう吐き捨てる。その声は半分笑っていた。
『なぁ、笑いに来たんだろ? そうなんだろ!? 大事な時期にこんな怪我してボクシングも出来なくなって、それで夢もぶっ壊されて、高校の推薦も落ちて、今じゃ一人で便所にも行けない俺のことをさぁ!!』
彼の慟哭が鼓膜を打ち付ける。僕と彼しかいない病室が一瞬、水を打ったように静まり返る。
――脊髄損傷による、下半身不随。
それは一週間前、下校中に不慮の交通事故に遭った無月が受けた診断だった。
少し前まで元気に彼なりの中学生活を謳歌していた彼が、このときはもう車椅子なしでは移動すらできない身体になっていた。
ボクシングにすべてを捧げてきた彼にとって、この結果がどれだけ残酷なものだったか。
それを知りながら、僕は懲りずに彼のもとを訪れていた。
『……違うよ』
消え入りそうな声で、制服姿の僕は呟く。
『じゃあなんだってんだよ! お前が毎日来たところで治るようなもんじゃねぇんだぞ!!』
『それは……わかってる。けど……』
窓際の椅子に腰掛けていた僕は、膝の上の拳を固く握る。
口に出そうと思っていた言葉も、喉で詰まってしまう。
また、なにもできないのは嫌だった。
このまま僕が距離を置けば、無月はきっと遠くへいってしまう。
そんな漠然とした恐怖に、このときの僕は取り憑かれていた。
母さんのときのように、僕が引き止めなかったせいで誰かがいなくなるのは、もう耐えられない。
『もう、ほっといてくれよ……』
何も言えない僕に無月は言い放つ。
居座る僕を追い出すのを諦めたように、ため息混じりで。
病衣姿の彼の目の下には、不健康なクマが目立っていた。
『こんなになってまで俺、生きたくねぇよ。今更将来のために勉強なんかしたくねぇんだよ。……なのに、これから生きてる限りずっと……俺は、苦しみ続けるんだろうな。あんとき死んどけばよかったって、何度も何度も』
不良少年だった彼らしさの欠片もない、自分に向けた嘲笑。
あの事故は、無月はからすべてを奪った。
思い描いていたたった一つの夢も、自由に今を生きる権利も、なにもかも全部。
それでも死にきれなかった彼は、こうして不自由な今に生かされている。彼の意思には反して。
『だから、もうお前には来てほしくないんだよ。俺はもう、お前を守ってやれるような奴じゃない』
『でも、まだ無月は――』
『仮にリハビリが成功したところで、戻ってこないだろ。あんときの俺も、俺の夢も』
『…………』
『なぁ、唯都。お前は別に悪くねぇよ。だからこれ以上、俺のことで気に病むな』
天井を見つめていた無月の目は笑っていた。
すべてを諦めたような、悪い意味で潔い瞳。
清々しさすら感じるような、やけに言い切った言葉。
僕の不安を煽られたのは言うまでもない。
ただ、そのときの無月の顔が今までにないくらいに穏やかだったのはよく憶えている。
そして、僕の言葉を待たずして、ついに彼は言った。
『俺……明日死ぬわ』




