第39話 望みは絶えて
それは、一言で言うなら絶望で。
俗っぽく言うなら『死にゲー』だった。
永遠に死に続ける地獄、とでも言えばいいのだろうか。
マチェットナイフをがむしゃらに振り回しながら、僕は身体に無数の傷を付けていく。
自分の血が飛び散って視界を紅く覆う。
手数の差は歴然だった。
僕がどれだけ刃物で斬りつけようと、相手は無尽蔵に触手を生やして打ちつけてくる。
〈エルダートレント〉の樹木に似た手足に腹を抉られ、左腕を掴まれたあげく強引に引きちぎられ。遠くなった耳に届くのは、情けない自分の絶叫。ふと気づけば、僕の四肢は地面に転がっている。
流血。欠損。損傷。切開。
痛い、のは当たり前だ。
死ぬより痛いし、なにより辛い。
――それでも、『痛い』だけで済んだならどれだけ良かっただろうと思ってしまう。
生命の危機を感じて逃げようとしても、相手は当然容赦なく僕を襲う。
爪のように鋭い触手の先端で僕の身体を突き刺し、穿き、抉り取る。顔のような黒い斑点で僕を嘲笑うように見つめながら、きつく首を締めて首の骨が折れるまで吊り上げる。
それはまさに、終わりなき地獄であり――悪夢だった。
「――――!」
まただ。また目が覚めた。
また、生き返った。
これで何回目だろう? 僕はこの間で何回死んだだろうか?
考えている暇もない。数えている暇もない。
地面に突き刺さったマチェットを拾い上げ、すぐさま起き上がった……けど。
――遅すぎた。
「……か、はっ……」
下腹部に敵の『腕』が刺さっていた。喉から血が逆流してくる。
血反吐を吐き、脳内が白紙に戻る。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない。
次の瞬間には、僕の身体は宙を舞っていた。
「――っ……あああああああああああぁ!!」
樹木に似た触手が、僕の腹を貫いたままうねり始める。
絶えず内臓をかき混ぜられながら、僕は無抵抗に空中で振り回された。
視界がぐるぐると絶叫マシンのように回転し、吐き気と激痛が同時に僕を地獄へ誘う。そのうち触手が引き抜かれ、頭から地面に激突するまで。
その瞬間、首が変な方向に曲がった。
ゴキッ、という鈍い音とともに僕の意識は理不尽にも切断される。
頸椎損傷――即死。
さて、今に至るまでにどれだけ色とりどりの死を迎えてきたことか。
何度、これで死ねたらと思ったことか。
今は、考えたくもない。
唐突に、意識は覚醒する。
どういうわけか立ったま眠っていた僕は、見開いた目でそのまま周囲の状況を確認した。
果たして視界に映るのは、見渡す限りの草原が広がるのどかな風景。
頭上には、新緑の葉を生い茂らせた大木。それから、清々しいくらいに澄み渡った青空。
このどこかのおとぎ話のような静かで幻想的な景色も、今まで幾度となく見てきた――というのも。
僕はこの世界で死を迎える度、必ず中継地点としてこの空間に飛ばされている。
もちろん僕以外に人はいないし、僕もこれといった行動をとるわけでもない。
白昼夢でも見ているみたいに、これが現実でないことを自覚しながら茫然と空を仰ぐだけだ。限りなく非日常の世界のはずなのに、不思議と懐かしさすら感じる。
その懐かしさに、ついずっとここに居ていたいと思ってしまう。
この幻想に浸っていたいと願ってしまう。
この時間が仮初めのものだと理解していながら――。
「遅い……」
一人立ち尽くしていた僕は、焦燥と一緒に独り言を吐き捨てた。
感情のままに吐いたその一言はやがて頭で渦となり、ある種の苛立ちと焦りを加速させる。
そう、遅すぎるのだ。
【再生】が発動して僕の肉体が蘇ってから目覚めるまでに、絶望的なタイムラグがある。
敵の足音を聞いて跳ね起きたらその場で瞬殺、なんてことも初めはざらだった。このデメリットが死にゲーを助長していると言っても過言ではない。
だからこそ、僕は行動に移すことにした。
「――いるなら出てこい! 僕は、今お前の力が必要なんだ!!」
僕らしくもなく、声を張り上げて虚空に叫ぶ。
僕が呼びかけたその相手は、僕の叫びに応えるように遅れて飛んできた。
甲高い鳴き声を響かせながら、一羽の鳥は飛翔する。
熱を帯びた翼から絶えず火の粉を撒き散らして。
その姿はまさしく、『不死鳥』。
果てしない青空を我が物顔で飛び回る彼こそ、僕にとって【再生】という能力の象徴であり、同時に僕が力を求める相手だった。
ギルドで〈神の記憶〉を授与されたときに生まれた、この精神世界の主たる存在。
今、この状況で頼れるのは彼しかいない。
言葉が通じるかどうかなんて関係なく、僕は持てる感情すべてを使って彼に訴えかけていた。
「僕の中の何を差し出してもいい!! 記憶だって精神だって、それで全部が解決するなら何だっていい!! この途方もない絶望を打開するだけの力を僕にくれ!」
馬鹿みたいに情けない、他力本願な叫び声。
それでも、数え切れないほどの死に際を経て芽生えた生存本能が僕を突き動かしていた。不思議なことに、それは僕の内に秘めた激情すらも引き出してしまっている。
「僕だって、もう……これ以上――」
これ以上の死、これ以上の絶望。
身体は無傷に戻っても、精神まではそうはいかない。
心の奥を何度も抉り取られるようなこの感覚に、僕はもう耐えられなくなっていた。
「――これ以上、無意味な死を続けたくない!!」
喉の奥が灼けるようだった。
でもそんな絶叫が届いたのか、彼は僕の姿を見て少しずつ加速を始めた。
燃え盛る炎を身に纏って、矢のように突進してくる。
やがて巻き起こった熱風で目を閉じた僕を、彼は諸共包み込む。
慈愛でも慈悲でもなく、ただ僕に何かを託して。
同時に、僕から何かを奪って。
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次に目が覚めたときには、僕はダンジョンにいた。
幸か不幸か、〈エルダートレント〉は僕の姿を捉えてはいたもののその間合いは遠かった。スキルが発動して復活するときの位置は基本的にランダムだけど、敵に気づかれるまでの時間はそう長くない。
肉体の復活から覚醒までのタイムラグが縮まった形だろう。
壁に寄りかかっていた僕は、咄嗟に近くにあったマチェットナイフを掴み取る。
刃こぼれなんて気にする暇もなく、切っ先を即座に前方の敵に向ける。
ひび割れた地面を全力で蹴る。振りかざした刃が空を裂く。景色は後ろへ吸い込まれる。
標的との間合いがまた、一歩ずつ着実に縮んでいく。
守備を二の次にした、純粋かつ我武者羅で真っ直ぐな刺突。
「――――ああああああああああああああっ!!」
アスタたち、上手く逃げられたかな。
捨て身で疾走を続けながら、そんなことを考えた。
僕の怪我はどうせ治るからどうってことないけど、シャルの怪我はそうもいかない。
シャルも無事に生きて帰って、僕もどうにかしてこの場を切り抜けたなら。
どんなに長い時が流れても、また僕が二人と出会えたなら。
そうしたら、三人でもう一度あの日常を取り戻そう。
僕が命を賭けてでも守りたかったあの平穏を、気の済むまで再演しよう。
また、いつか。




