第37話 自分以外の誰かのために
「アスタ……」
何度、その名前を呼んだだろう。
何度、彼に助けられただろう。
――何度、その背中に憧れただろう。
「ったく、見つけたら呼べって言ったろ?」
男が振りかぶった拳を真正面から受け止めたアスタは、それでも余裕そうに軽口を叩いた。敵と対峙するその横顔には爽やかな笑みが灯っている。
「ハハァーッ! そっちから来てくれるとはなぁ、赤髪のガキ! 待ってたぜぇ!」
「そうか? まあ、ヒーローは遅れて登場ってよく言うしな」
大柄の男は好戦的な笑みを浮かべて拳に力を込める。
対するアスタは、一歩も動かずにその拳を手甲で掴んでいた。
でも、このままだと体格差でアスタが競り負ける。
それを確信したのか、男はまた醜悪に笑った。
「おやおやぁ、どうやらムダみてぇだなぁ! お前の身ぐるみも剥がして金ふんだくってやるよ!!」
その瞬間、男の腕を電気が走った。
静電気にも満たないくらいの、微弱な電流。
「ん? なんか言ったかド外道」
ビリッ、とまた電閃が腕を伝う。
何かを察知した男は腕を引っ込めようとしたが、アスタはそれを掴んで離さない。アスタは流暢に続けた。
「なあおっさん……俺はさ、毎日ダンジョンに潜って、死にかけながらモンスター殺して、おまけにこの間はバカ高いステーキ屋で奢らされて。こちとらお陰で金欠なんだよ」
「や、やめろ――離せぇえええっ!!」
「だから、わかるだろ?」
バリッ、と一際強い電流が煌めいた次の瞬間。
――アスタの怒号ともに、眩い稲光が男を襲った。
「――そんな俺がてめぇらにくれてやる金なんざぁ、一エルドもねぇんだよバーーーカ!!」
「あががががががががががががががががががぁあぁあああああああ!!」
アスタの掌に付与された魔法の電撃が男の巨体を焼き、一瞬にして文字通り丸焦げにした。一切の手加減なしの、アスタの全力。アスタがあれほどの高電圧を叩き出したのは多分初めてだった。
「ふー、いっちょあがり!」
(つ、強い……)
それはもう、いろんな意味で。
どんなときもアスタは頼もしい存在だ。頼りになって、それでいて誠実で実直。
だからこそ、僕はそんな彼の背中に憧れてしまう。
「あ、兄貴ィッ……!」
「や、やべぇぞアイツ!」
外野にいた盗賊たちが急に小物めいたセリフでざわめき出す。自分達のリーダーを丸焼きにした張本人を目の当たりにし、慄く。
「さ〜て、そろそろそいつを返してもらおうか?」
ボキボキ指を鳴らしながらアスタは歩み寄る。もうどっちが悪なのかわからない。
盗賊の男たちは怯えて後ずさる……が、曲がりなりにも譲れないものがあるようで。
「……っ、ガキが調子に乗るんじゃねぇ! こうなったら力ずくでも奪ってやる!」
「へっ、おもしれー! こっちには不死身のユイトパイセンがついてるんだ、怖いもんなしだぜ!」
「えっ、なんで僕を引き合いに出したの!?」
既にやる気満々のアスタに、僕は反旗を翻す気力はなかった。ここで退くような真似はできない。
手を添えていたマチェットの柄を握りしめ、一気に引き抜く。
ちょうど僕も、彼らに物申したい(物理)ところだったのだ。
「えっ……? や、やめようよ二人とも……」
捕まった側のシャルは状況を察したのか困惑しだす。シャルには悪いけど、この火花はそう簡単には消せない。これは男同士による、絶対に負けられない戦いなのだから。
そうして、お互いに得物を構えてジリジリと睨み合いを続ける。
互いの様子を伺いながらの数十秒の膠着状態。
だがその直後、突如強い揺れが僕達を襲った。
「――!?」
「なんだ、地震か!?」
階層――いや、ダンジョン全体を揺さぶるような、強い縦揺れ。武器を構えていた僕達も立っていられないほどだった。
膝に力を入れて踏ん張りを利かせる。心音がさらに速まっていく。
感覚的に、悪いことが起きているのが手に取るようにわかる。
同時に、地下から響き渡る轟音。揺れが強まるとともに、その異音も近づいてくる。
さらなる混沌に陥る12階層で、僕が目にしたもの。それは――
「――――グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
突き破られた地面。飛び散る無数の土砂。歪な声の咆哮。
――そして、現れた巨大な敵影。
緑の葉が生い茂るその巨体はまさしく、『大木』。
枝に似た無数の触手は蛸の足のようにうねり、幹にあたる本体には不気味な顔を思わせる黒い三点模様が確認できる。5メートルはあるはずの12階層の天井に、その『大木』の全高は届いていた。
その姿を真正面から見ていた僕は、呆気にとられて動けなくなっていた。
「お、おい……なんだよあれ」
「トレント……か?」
「違ぇよ! ありゃあ、〈エルダートレント〉だ!!」
慄く盗賊たちが振り返って口々に喚く。なんの前触れもなく現れた『化け物』に、戦慄する。
いや、前触れはあったのかもしれない。僕の嫌な予感が、ここで的中したことになるなら――。
「なんでアイツがここにいんだよ!? ここ12階層のはずだろ!?」
「っ、そんなの知るかよ! クソっ、〈天災〉なんて聞いてねぇ!!」
「テメェら、とっととずらかるぞ!!」
一足早く、盗賊たちは一目散に逃げ出す。
立ち尽くしたままの僕とアスタには目もくれず、形振り構わずに。
彼らの後を追うように、〈エルダートレント〉は地面を割りながらこちらに進撃を開始した。
……その場に人質のシャルを残して。
「嫌……しにたく、ない……」
恐怖で脚が竦んでいるのか、シャルは手首を縛られたまま座り込む。その眼には紛れもない『化け物』が映っている。その場から動けないまま、表情だけは引き攣って歪んでいく。
「――っ、シャル! 逃げろ!!」
いち早く我にかえったアスタが、彼女のもとへ駆け出した。
だけど、僕の脚は動かない。
どれだけ心の中で念じようと、鉛みたいに重い両脚はびくともしない。
恐怖が身体全体を縛りつける。感じたことのない危機感が頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
動け。動けよ。動かないと、僕の仲間が――。
〈エルダートレント〉の腕が、彼女の目の前まで迫る。
「――」
――その刹那、時が止まった。
足が竦んで動けないままの僕。最後まで叫びを続けたアスタ。
シャルの身体を吹き飛ばした、触手の横薙ぎ。
(なんで……)
アスタの伸ばした手が、力無く空を切る。自分の目を疑った。この現実を疑った。
なんで、どうして――僕の仲間がこんな目に遭ってるんだ。
「シャル! おい返事しろ! 死ぬなぁああっ!!」
僕が棒立ちしている間に、アスタがシャルの元へ駆け寄った。
壁に頭から打ちつけられた彼女は、口を利くこともなくぐったりと横たわっている。頭からは赤黒い血が止めどなく流れ、呼吸も浅い。誰が見ても生命の危機を感じ取れる悲惨な容態だ。
(また、こうなるのか……)
視界が曇り、狭まっていく。目の前の光景を受け止めきれないまま、立ち尽くす。
また、身近にいた人が死ぬ。
僕なんかじゃどうにもならない力に、すべてを奪われる。――また、喪う。
そばに居てくれた人も、やっとの思いで掴みかけた日常も。何もかも、全部。
(嫌だ……)
そう思うだけで、なにも変えられない。これまでだって、そうだった。
そう、これまでは。
『これまで僕は一人で戦ってきたけど……今は二人がいてくれるから、二人の役に立とうと思えるから、頑張らなきゃって思ったんだ』
『生きててよかったって、初めて思えたんだ』
いつか、自分がいったことを思い出した。同時に、僕は理解した。
二人の役に立つことが、二人と一緒にいる時間が、僕の生きる意味なんだ。
そうだ、なら僕は――僕がいま取るべき行動は。
「アスタ、一つ頼みがあるんだけど」
考えるよりも早く、そう口走る。なんとかポーションで救命措置を試みていたアスタは、切迫した表情で振り返る。『大木』――〈エルダートレント〉は咆哮を轟かせて、逃げ遅れた盗賊の男たちに無差別に襲いかかっていた。
彼らの犠牲がこの一瞬の足止めになるとしても、二人で怪我人を背負って逃げていたらどの道追いつかれる。
そう――二人で、なら。
「頼みって……ユイト、お前こんなときに何だよ……!」
「――シャルを連れて逃げて」
アスタの表情が固まった。僕は俯いてマチェットの刃に目を向けていた。
「は……? お前、どういう意味だよそれ」
「僕が時間を稼いで足止めするから、その間にシャルを安全な場所まで運んで」
それはいわゆる『ここは俺に任せて――』というやつだった。
「馬鹿か、相手は20――いや30階層レベルだぞ!? いくらお前らでも……!」
わかってる。もちろん勝算なんて最初からない。ただ――
「大丈夫……僕は死なないから、足止めなら僕一人で充分だよ」
「――っ!」
これが、いま僕にできる最大限の仕事。僕にしか務まらない、最悪の役回り。
そばに居てくれた人たちを、かけがえのない日常を失わないために。
もう二度と僕から奪わせないために。
僕の大嫌いな僕自身を犠牲に、そのすべてを守り抜く。
救えなかった、なんて後悔は味わいたくないから。
「アスタ、行って。ここで全滅なんてしたら元も子もないよ」
「っ、ユイト……」
「大丈夫だって。生きてさえいれば、また会えるんだからさ」
やりきれない顔で唇を噛むアスタに、僕は精一杯の微笑みを向けた。
なにも、一生の別れじゃない。僕が生き残りさえすれば。
アスタには、ただそれをわかって欲しかった。
『グォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
標的はすぐ目の前まで迫ってきている。もう、時間はない。
意を決した僕は、マチェットを片手に単身で間合いを詰めに走り始めた。
「絶対死ぬなよ」なんて言葉が、背中にぶつけられた気がした。
アスタの靴音が次第に耳から遠のいていく。
「っああああああああああああ!! やめろ、俺はっ、俺は死にたくないぃぃぃっ!!」
情けない悲鳴をあげ、盗賊の猫背の男は脚を掴まれて引き摺られながら宙を舞う。混乱に乗じてうまく逃げたものと思っていたけど、他の男たちに囮にされたようだ。
彼を助ける義理は、まったくもって皆無だ。でももう無駄な足止めは必要ない。
それに横槍を入れる形で、僕は勢いに身を任せて斬りこんだ。
「――はぁっ!!」
触手に刃が入る。わずかにその腕が怯む。傷はまだ浅い。
振り落とされた猫背の男は、前髪の下の瞳を瞠目させて僕を見た。
「な、なんで……お前が……っ!?」
「いいから逃げてください、早く!」
彼の前に立つと、〈エルダートレント〉の注意は完全に僕の方に向けられる。
黒い目を模した模様で僕を捉え、大きく開かれた口から大地を揺るがすほどの咆哮を轟かせる。
そのあまりの威圧感に、今度は僕の脚が怯んだ。
『勝てっこない』
直感的に、本能がそう告げている。
それはときに、生物的に埋めようのない優劣。
何を賭してでも越えられない絶対的な壁。
こうして対峙するだけでも、心臓は狂ったように暴れ回る。
脚は棒のごとく動かないまま小刻みに震える。
それでも立ち向かう僕の姿は、誰かから見たら愚かで滑稽だろう。
「……でも、これでいい」
僕一人の犠牲で皆が助かるなら、僕は喜んでこの命を差し出す。
いくらでも、この身が尽きるまで。
僕の自己犠牲ですべてが解決するなら、それでいいんだ。




