第35話 カマキリバース
その翌日。
昨日のダンジョン探索の報告書を作成するために、僕はギルドに立ち寄っていた。
今日の集合時間にも少し余裕がある。
もうすぐ正午ということもあってか、並ぶことなくすんなり受付まで辿り着くことができた。
〈ヒズミ・ユイト〉 ランク1 レベル13
〈所持紋章〉 龍爪の紋章
〈基本ステータス〉
耐久:573 攻撃:733(紋章補助) 防御:154 機動:678(紋章補助) 技術:356
〈戦闘素質〉
精神:422 生理的耐性:335 魔力:8
〈所持スキル〉
【再生】ランク:SS
・自動発動。
・被撃発動。
・残り発動回数:788回
【】
【】
受付に設置された石盤に探索者証をかざすと、いつも通りステータスが更新された。
パーティで探索しているうちに、いつの間にかレベルも13まで上がっていたようだ。
基本ステータスの方も上がり幅が大きい。
「ユイトくんもレベル13かぁ……」
カウンター越しに、フーカさんは感慨深そうに呟く。
最近ギルドには報告書を作りに来ていたけど、ステータスの確認は久々だった。
「この間は12階層まで行ったんだっけ?」
「はい。まあ、パーティメンバーに頼るところが大きいですけど……」
実際、パーティの主戦力は守備特化のアスタだ。彼がイレギュラーなだけなのかもしれないけど、本来なら〈龍爪の紋章〉持ちの僕が最前線で戦うべきなのだ。
遠慮がちな口調の僕に、フーカさんは声のトーンを上げて明るく話す。
「はじめは皆そんなもんだよ。パーティで突破できるなら充分だからね」
「そう、ですよね……」
わかってはいる。現状に甘えるのも良くないことも。
フーカさんは僕を励ますために微笑みかけると、再びカウンターの上に置いた探索者証に目を落とした。
「でも、13ってことはランクアップも近いかもね……」
「ランクアップ、ですか?」
「そう。ほら、あくまで今は『ランク1』のレベル13でしょ?」
――そういえば、『ランク』の話はまだ聞いてなかった。
フーカさんが言うには、レベルがそのランクでの上限値に達した場合、自動的に『ランクアップ』をすることになるんだとか。
今の僕だったら次はランク2。
5段階存在するランクの中でも、ようやく脱初心者といったところらしい。
「ランク1の上限がレベル20だから、このペースでいけば来週には……」
来週、と思わず彼女の言葉を復唱してしまう。
新たな目標に向けて僕はもっと頑張るべきなんだろう。休んでなんかいられない。
「ランクアップのときには私もお祝いしてあげるから、楽しみにしててね?」
「はい、楽しみにしてます!」
ささやかながらも柔らかい笑顔を見せてくれるフーカさんは、さながら優しい姉のようだった。
もし僕に兄か姉がいたら、どんな感じだったんだろう。
想像してみる。
上の兄弟姉妹がいた僕の『ありえたかもしれない人生』を。
自殺を選んだ僕を引き止めてくれる、そんな都合のいい存在を。
「……ユイトくん?」
そんな思考に耽っていた僕を、フーカさんの声が引き戻した。
会話の途中でついぼーっとしてしまうのは僕の悪い癖だ。
「あっ、いえ……すみません、考えごとで」
「ううん。それより、今日もダンジョンに潜るんだよね?」
「はい、このあとすぐ集合予定です」
まだ昼前だけど、お昼ご飯はダンジョンの中で軽く食べることになっていた。
いわゆるダンジョン飯だ。
「そっか。じゃあ今日も――」
探索者証を手渡しかけたフーカさんはそこで手を止め、一旦考える素振りを見せた。何かを言いかけた口を噤み、しばらく間を置いて開く。
「……今日も気をつけてね。〈天災〉もいつ起こるかわからないし」
「はい……気をつけます」
探索者証を彼女から受け取り、最後にお礼を伝えてギルドをあとにした。
***
ユイトが去った受付のカウンターで、フーカは一人考え込んでいた。
手元の報告書に視線は向けているが、頭には全く別のことしか浮かんでいない。
(ユイトくんのスキルの発動回数、あれって……)
788回。その三桁を思い返す。
その数字は即ち、自分の知らぬ間にユイトがスキルを発動したことを意味する。
フーカ自身、彼から【再生】の効果は詳しくは聞かされていない。「いざというときに頼りになるんです」とだけ説明されているのだ。フーカもそれ以上の追及はしていない。
だからなのか、このスキルの存在がフーカを悩ませていた。
(せめて、効果くらい教えてくれればいのに……)
そうすれば、こうして変に悩むこともなくなる。
どんな時も他人を心配し過ぎてしまう自分の気質を解った上で、フーカは今日も一人堂々巡りを続けることになる。
「モヤモヤするなぁ……ほんとに」
「――何がモヤモヤするんですか?」
慌ててフーカが振り返ると、そこには声の主が不思議そうな顔で立っていた。
「リシェル!? もう、おどかさないでよ……」
「ふぇ!? す、すみません! 先輩をおどかそうとしたわけではなくて……っ!?」
「ううん、謝らないで。耳、そんなにされたら可愛くて怒れないでしょ、このー!」
「うぅ……フーカ先輩くすぐったいですっ」
申し訳なさそうにへたっていたリシェルの狐耳にフーカが手を伸ばした。敏感な獣耳に触れられリシェルはくすぐったそうにしながらも、気を許せる先輩を前に嬌声を上げて笑う。
「……ところで、今日もあの子来たんですね」
ひとしきり笑い転げたあと、リシェルがカウンターの上の報告書に気付く。
「ユイトくんのこと? うん、それがどうかした?」
「いえ……ただ、あのナイフのこと大丈夫かなぁって……」
「ナイフ……?」
フーカが思い出したのは、二日前の彼の落し物の件。猫耳少女のリーファに持ち主を訊ねられたあと、なりゆきで彼女に持たせたままにしていた。
「あっ! あれリーファちゃんに預けたままだ!」
「あはは……」
*
それから数時間後。
パーティ一行は予定通り12階層を目指していた。11階層での〈ソードマンティス〉との格闘を経て、12階層とを繋ぐ〈境界線〉に差し掛かる。
「よし、やっとこさ12階層〜ッ!」
先頭を歩いていたアスタが、手甲を装着した腕で軽く伸びをする。
モンスターたちが追ってこない安全地帯に到着したところで、僕とシャルも一息つくことにした。
「いや〜マジでさ、あの〈ソードマンティス〉しつこすぎだろぉ……」
アスタがだらん、と両腕を垂れ下げながら言う。
「一体片付けるだけでも体力使うからね……」
「ほんとそれ、もう二度とカマキリ見たくねぇわ」
「でも、カマキリってあんまり見かけないよね」
何気ないシャルの発言に、「そうか?」とアスタは首を傾げた。
思い返してみれば、たしかに……。そもそも異世界にカマキリっているの?
「卵ならよく見かけるよな。あの肉団子みたいなやつ……」
肉団子? そういえばアスタの昼ご飯、肉団子スープだったような。
「…………」
「アスタ?」「アスタくん?」
「やべ……変な想像して吐きそうなんだが」
「いや自分で言っといてなるかな? 普通」
「悪い、もし吐いたら俺のことは置いて先に行ってくれ……」
その名セリフのシチュエーションにしてはカッコ悪すぎる。
〜少々お待ち下さい〜
「――完全復活! パーフェクトアスタ様だぜ!!」
数分後。なんやかんやあってアスタ無事復活。よかったよかった。
「アスタくんが元気出てよかったよ……」
「おうよ! 前衛は俺に任せろ!」
「任せたよ、先輩」
再び〈境界線〉の上に三人で並び立つ。
眼前に待ち構えるのは、12階層の大地。
ここまでは順調に進んできた僕達だ、もう今更怖気づくことはない。
目を閉じて、前方に左手をかざす。唱えるべき言葉はいつも同じだ。
「「「――〈紋章起動〉!」」」