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第27話 忘れたかったもの

「お久しぶりですね、唯都さん」


 彼女の言葉が、夜の風に流されていく。

 魔石で作られた街灯の明かりに照らされて、僕と彼女は相対していた。


 彼女の顔は朧げで、シルエットもモヤがかかったように霞んでいる。

 彼女のことははっきりとは記憶には残っていないはずだ。


 それでもこうして出てくるのは、僕が彼女のことを思い出そうとしているからだろうか。


「わたしが居なくなって、唯都さん寂しいですよね」


 やけに淡白に、彼女はそう言った。

 疑問形ではなく、まるで僕の感情すらも断定するような。

 それでも、僕はこれ以上誰かに心配なんてかけたくない。


「ううん、大丈夫だよ」


 自然とそう口走っていた。

 それで彼女が安心すると思っていた。

 ――けど。


「違います。それは嘘ですよ、唯都さん」

「え?」


 間髪入れずに跳ね返ってきた彼女の声に、僕も反射的に聞き返していた。

 それから飛んできたのは、まったく予想外な言の()だった。


「あなたは寂しいはずです。怖いはずです。人との別れを経験することが」

「……どうしたの、急に?」


 彼女は、こんなことを言う人だったか?


「だってそうでしょう? あなたはこれまでたくさんの死別を繰り返してきました。それに対してあなたは特に気に病むようなことはありませんでした、表面的には」

「待っ……て――」

「ですが、既にあなたの内心はズタズタです。自分の無力さと過ちを嘆き、救えなかったものから目を逸らし続けてきたあなたの『心』は。誰も気づかずとも、あなた自身はそれに気づいている。()()()()()()

「ちがう……違う!!」


 僕の記憶に残っている彼女は、こんな人じゃない。僕は騙されない。

 じゃあ今僕を傷つけるこいつの正体は、一体何だ?


「……君は、誰?」


 そいつは僕の問いには答えない。

 代わりに、()()()()()のある声がどこからか飛んできた。

 



『唯都、ごめんね』

 



 記憶のどこか奥底で眠っていた、懐かしい声。

 忘れていたはずの、あの声だ。


『本当は私が、あなたたちを幸せにしてあげるべきだったのに』


 温かい声色に反して、声の主は表情一つ変えない。

 少女の外見をしたそれは、僕の反応を気にすることなく続けた。


『弱いお母さんでごめんね。お父さんの分までお母さんが頑張るから』


 お母さん……?


『唯都、俺……死ぬわ』

『このまま生きててもつまんねーしな』


 待って。




『大丈夫、お前には俺は救えないからさ』『俺はお前の呪いにだけはなりなくないんだよ』『なんであんたみたいな子の面倒みなきゃいけないのよ』『おまえは黙って俺に殴られるだけでいいんだよ!』『こんな面倒な子供残してあの子は……』『こんなんで生きててアホみてーじゃん、俺』『あんたのためにわざわざ夕飯なんて作ってられないのよ!』『ガキが生意気に口答えするんじゃねぇ!! お前なんかとっとと消えろ!』『あの子の世話だけでも大変だっていうのに……』『唯都はさ、俺みたいなやつだけにはなるなよ』『うっせえ、ゴミは床で寝てろ』『あんた本当になんのために生まれて




「――――うるさい!!」


 気づいた時には叫んでいた。正気なんて保っていられない。


 耳が壊れる。いや、とっくに壊れてる。

 もう聞きたくない、思い出したくない。

 もう聞かせるな、思い出させるな。

 僕を否定するな!

 

『ほら、本当は苦しいんじゃないですか』


 誘惑めいた(ささや)き一つ。

 耳元に吸いつく甘ったるいトーンが彼女の口から発される。


 と、同時に胴体に感じた強い衝撃。

 ――身体を浮遊感が襲った。


「…………え?」


 引き攣った笑みが頬に張り付く。

 なにが起こったのかわからない。


 ただひたすら加速度的に真っ逆さまに降下を続ける自分の身体。


 頭上の高台にに見えた少女の姿が視界から遠ざかっていく。

 彼女は嫌になるほどの清々しい笑みを湛えて呟いた。


『さようなら』


 なんで?

 なんでなんでなんでなんで?


 僕が悪いの?

 間違ったのは僕だったの?

 

 じゃあ、どうすればよかったの?



   *


 

「――――!!」


 そこで目が覚めた。


 激しい頭痛と背中を打ち付けられたような感覚で、半ば無理やり。

 あれが夢で良かったと安堵したのも束の間、あの声が脳内で生々しくフラッシュバックしてきた。


(嫌な夢だった……)


 未だズキズキと痛む頭。こめかみを指で押さえながら辺りを見渡すと、そこは相も変わらずあの高台だった。今でこそ上体を起こしている僕は、さっきまでここのベンチで眠っていたらしい。


 昨日の夜ここで夜景を見てから、そのまま眠ってしまったのだろうか?

 温かな陽に照らされ、意識がなんとなくぼんやりしてくる。もう朝みたいだった。

 と、二度寝モードに入りかけた僕だったけど。

 



「――悪い夢でも見ていたんですか?」

 



 真横からしたその声の方に、僕はとっさに振り向いていた。

 果たしてそこにいたのは、夢に見た彼女……ではなく。


 色素の薄いプラチナブロンドの髪をなびかせる、一人の少女だった。


 話しかけられるまで僕が気づかなかったほどにその佇まいは静かで、なおかつ冷たそうに僕の目には映った。でもその近寄りがたい雰囲気とは裏腹に、ベンチに腰掛ける彼女の座高は僕と比べても幾分低い。


 もし押したりしたらふっと壊れてしまいそうなくらい、華奢で繊細。

 そして、特別僕が目を引かれたのが――


(ネコ耳……)


 そう、頭のケモ耳。見たところ猫のそれに似ている。


 よく見てみれば、その少女の尾てい骨辺りからは毛並みのいい尻尾が生えているのがわかった。細長い尻尾の形からして、彼女は猫の亜人族と断定していいのかもしれない。


 ……正直な話、僕は初めて見る『ケモ耳っ娘』に見惚れてしまっていた。


「……あの、何か?」


 数秒間の沈黙を破り、ケモ耳少女は硬直した僕を不思議そうに見つめる。

 真っ直ぐ向けられた翠玉(エメラルド)の瞳は、綺麗だけど僕を完全に不審者として映していた。


 すっかり惚けていた僕もそこで必死に弁明しようとした。……けど。


「えっと……ごめん、僕今までケモ耳の亜人族(デミヒューマン)と出会ったことなかったから、つい……」

「はぁ……そう、ですか」


 彼女の不審感の色が一層深まった。終わった。

 正確に言えば今まで見かけたことくらいはあったのに、今の言い方じゃ僕が変な人みたいだ(実際変な人なのかもしれないけど!)。


 彼女の反応を鑑みるに、多分僕はもう嫌われたみたいだ。

 途切れた会話をなんとか繋ごうと試みた僕は、ようやくそこであることに気づく。


「こ、この毛布……もしかして君が?」


 僕が跳ね起きたときから既に、膝には一枚の毛布がかけられていたのだった。はやく気付けよ僕。


「はい、朝からベンチでうなされながら寝てる人を見かけたもので」

「うなされてって……それ、僕のこと?」

「……他に誰がいるんですか」


 たしかに。


「私も初めて見ましたよ、ベンチで悪夢にうなされてる人」

「あはは……」


 僕は自分事で苦笑いするけど、ネコ耳の彼女は表情を変えていない。

 冷淡というかツンとしているというか……例えるなら、人の家で飼われている猫みたいな。

 あとこの例えは多分失礼。


 そして生じた会話の隙をつくように、彼女はマフィンのようなものを両手でもぐもぐと食べている。

 朝ごはんだろうか。見ていた僕までお腹が空いてきた。


「あ、ところでなんですけど」


 何か思い出したように彼女が呟く。

 正面の眺望に向けられていた翡翠色の視線が、控えめに僕を一瞥した。


「その格好、お兄さん探索者ですか?」


 淡々とした口調で質問が飛んできた。いや、質問というよりは確認のニュアンスが強いように思った。


「そうだよ。一応ね」

「やっぱりそうですか」


 そこで言葉を区切り、彼女の視線は今度は手元の懐中時計に移る。

 しばらく間を置くと、また彼女から質問。


「……いいんですか? 探索者さんがこんな時間までこんなところに居て」

「え? こんな時間って……?」


 僕が質問で返すと、無言で僕の目の前に彼女の懐中時計が差し出された。金色のきらびやかな装飾や文字盤はさておき、短針と長針を読むと。


 ――今の時刻、9時51分。

 あれ、確かアスタたちとの待ち合わせが10時ちょうどだったような……


 え、やばくない?


「あ――――!」


 普通に待ち合わせ時間10分前!!

 普通にやばい!


 突然叫び出した挙句、居てもたってもいられなくなった僕は慌ただしく立ち上がる。

 ネコ耳の彼女はきょとんとして僕を見つめた。


「ごめん、待ち合わせだったから僕もう行かないと! 毛布ありがとう!」

「えっ、あ、はい……?」


 なりふり構わずベンチからスタートを切った。


 待ち合わせ場所はダンジョンエントランスがある街の大広場。高台(ここ)からだと時間はかかるけど、階段を下っていくほかに道はない。


「広場なら路地に入った方が早いですよ!」


 背中に投げかけられた彼女の声に一旦足を止め、一本道の階段を通り過ぎると見えてきたのはもう一本の細い階段。


 ここからなら路地に入れそうだ。なんとなく。


「ありがとう! 助かる!」


 声が届いたかは分からないけど、見えるように手を振って彼女の忠告に応えた。

 とにかく今は下の広場に向かって走ることに専念すべきだ。制限時間は残り9分。足止めを食らわなければ走って間に合う!


 走れ僕! 走れユイト!!



  ***



 ユイトが広場に駆け出した直後。


 路地に向かった彼の背中を、ネコ耳の少女は一人見送った。

 咄嗟の道案内を伝え終えたところで、再びベンチにちょこんと座る。


(やっぱり探索者は変な人ばかりですね……)


 彼に対する、少し厳しめな印象を抱いて。

 そしてそれから数分、朝食のマフィンを食べ終えた少女が目にしたのは。


(これって、あの人の……)


 先刻まで彼の座っていたベンチに置き去りにされた、一本のナイフだった。

 ギルドの支給品ということもあり、彼女にも探索者の所持品として見覚えがあったようだ。


 ナイフを拾い上げ、すぐに彼のものと断定した少女は深い溜め息をついた。


「面倒な人……」




 

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