第26話 心残り
ここは学園都市アーディア。
東西南北四つに分かれた学園に通う生徒たちにとって、放課後から日没にかけてのこの時間帯はダンジョン探索のための絶好の機会でもある。
そのため、この時間帯、学園の正門からダンジョンの〈エントランス〉までの道で学園生たちがひしめき合う光景はもはや日常茶飯事。
探索者ギルドにおいてもまた、アイテムの換金やクエストの受注のために訪れる学園生が溢れかえる。
そのうちの一つにあたるのが、南の探索者ギルド支局。
そこには、たった今探索を終えたあの三人の姿があった。
魔石の換金、探索の結果報告および各々のステータス上昇値の確認、その他諸々の事後処理を終えた三人はギルドの入り口前で再び集まっていた。既に明日の探索について軽く打ち合わせを済ませ、今はそれぞれ自分の帰路に着くところだ。
「じゃ、また明日なー!」
「うん、また明日」
まるで活発な子供のように一足先に駆け出したアスタの背に、ユイトとシャルロッテは二人して手を振った。その流れで解散、といったその時。
「シャルロッテさん、ちょっといい?」
意外にも、ユイトの方から口を開いたのだった。
その場を離れかけていた彼女は足を止めて振り向き、不思議そうに首を傾げる。
彼女の顔が傾き、鳥の羽のような横髪がつられてはねる。
「?……どうしたの?」
「いや、大したことじゃないんだけど……」
ユイトは言葉を淀ませつつも、間を空けて続ける。
「……さっきは、助けてくれてありがとう。ずっとお礼言いたいなって思ってたんだけど、タイミングがなくて」
「お、お礼? お礼なんてそんな……! 私、ユイトくんを助けるようなことできてなかったよ……」
「でも、僕は実際シャルロッテさんの魔法に助けられた場面はいくつもあったと思ってるよ。シャルロッテさんがそのつもりじゃなかったとしても……だから、ありがとう」
若干照れくさそうに微笑む少年の姿に、真っ直ぐな感謝を向けられたシャルロッテは思わず頬を染めた。初めて抱く自分の気持ちに動揺するかのように、片手で手首を握り前髪で目元を隠す。戸惑う部分はありつつも、口元は嬉しさで緩んでいた。
ユイトと同じく微笑を浮かべた口元で、彼女は小さく呟く。
「……よかった」
「?」
「ユイトくんの役に立てたなら、よかったよ。そう言ってもらえることが、何よりも私は嬉しいから。私こそ、ありがとね」
「うん、どういたしまして」
シャルロッテは少女らしい笑みを浮かべ、ユイトもそれに同じように微笑み返す。ほんの少しではあるが、互いの心の距離が縮まったような温かな感覚に二人は包まれる。
ギルドの入口前、人の往来が増えてきたところで二人は会話を一旦打ち切って別れることにした。
「じゃあ、ユイトくんもまた明日」
「また明日、シャルロッテさん」
そうしてシャルロッテは反対方向に歩き出そうとしたが、今度は彼女の方から足を止め。
一瞬考え込む素振りを見せたあとでユイトへと振り向いた。
「ごめん! 私からも一つだけいい?」
「うん、いいけど……?」
「その、呼び方……『シャルロッテ』じゃなくて『シャル』でいいよ!」
「……え?」
彼女の切り出した内容に、変に身構えていたユイトは拍子抜けしてしまう。
道の真ん中で虚をつかれたような顔をするユイトに、シャルロッテは慌てて弁明する。
「ほ、ほらっ、『シャルロッテ』って長くて呼びづらいでしょ? 私も正直そう呼ばれるのもあんまり慣れてないから……だからっ! 『シャル』って呼んでほしい、なぁ……」
「そっか……?」
ただ呼び方一つで?とユイトは疑問符を浮かべる。だが、彼女の頼みを断る理由も特にない。
少しばかり恥ずかしさを感じながら、言われた通りに彼女の名前を復唱する。
「じゃあ、シャルさん……?」
「ううん、さん付けはいいよ。堅苦しいのはナシにしようって、アスタくんも言ってたでしょ?」
「わかったよ……シャル」
「うん、やっぱり私はそれがいいな」
ようやく満足そうに頷くシャル。
依然として戸惑ったままのユイトに背中を向けながら、彼女は手を振って歩き出した。
「ありがとね、ユイトくん。また明日会おうね!」
「ん、シャルもまた明日」
ギルドの入口前、踵を返したシャルの背を見送る。
夕闇に包まれた空の下、彼女の姿が群衆に紛れ次第に見えなくなっていく。
そのあとでユイトは一人、緩慢に振っていた右手を降ろした。
行き交う人混みの中、なんとも言えない寂寥感にユイトは浸った。
街灯の灯り始めたこの街で、彼もまた夜に急かされていく。
日が暮れて、夜が街を包み込んだ。
巨大な時計塔のそびえるアーディアの街並みを、僕は高台から眺めていた。
(こんな場所あったんだ……)
ギルドからいくらか離れた住宅街。
階段を少し登った先に、見晴らしのいい展望台があった。
高台ということも手伝って遮蔽物はなく、この夜景を独り占めするには丁度いいロケーションだ。
パーティのメンバーとも別れた僕は、さっきまで今日の宿泊先を探そうと街を適当にぶらついていた。でも、一人での行動となると不思議となにもかも後回しになってしまう。夕食も適度に取りつつ、僕はあてもなく散策した結果ここにたどり着いたわけだ。
(でも、一人で見る夜景ってなんだか寂しいな……)
明かりの灯る街の通りやそこを行き交うまばらな人の流れを、僕はぼんやりと眺める。
それでも、なぜか虚しい。
この感動を共有できる相手が隣にいないのは、やっぱり寂しい。
「……」
ふと、僕は左手首のブレスレットを見やった。
金色のチェーンに蒼い宝石がはめ込まれた、僕には豪勢すぎるくらいの代物。
誰かにもらったような気がするのに、その誰かが思い出せない。
僕にとって大切な人だったのは確かなのに、今となってはその顔も声も名前すらも、増えすぎた記憶の中に埋もれてしまっている。
僕は、一人でこの世界に来たわけじゃなかった。
最初から誰かがそばにいて、僕をここまで導いてくれたんだ。僕がこうして探索者として戦っているのも、きっとその人のおかげのはずだった。
それなのに、どうして――
「まあ、悩んでも仕方ないか……」
記憶を無理やり引っ張り出そうとしても、から回るだけだ。いつか思い出せたときに、喜べばいい。
悩んでも仕方がない、今はそう思うことにする。
今はがむしゃらにでも、前に進めればそれでいいと思えた。
それが、『あの人』の願いのような気もした。




