第20話 失ったものは
どれくらい時間が経っただろう。
痛みも時間の感覚も忘れた僕は、重い足を引き摺りながらずるずると進んでいた。
魔石を押し込んだ麻袋はもう、とても片手で持てるような重さじゃなくなっていた。
どれだけモンスターを倒してきたのかなんて勿論数えてないけど、これの持つ価値くらいはわかっているつもりだった。
生きてこれを持って帰れば、少なくとも当分お金には困らなくなるはずだ。
生きて、帰れれば。
「出口、まだ……?」
ここまでかなりの距離を歩いてきたような、なんとなくそんな気がする。
10階層あたりからの記憶が曖昧だ。
でも、遭遇するモンスターの強さからして、今ここは相当出口に近い。
ヘマして死ぬことも少なくなってきた。
そろそろ、出口が見えてきてもいい頃だ。
「ん……あれ……」
フラフラと歩いていた僕の目に、光が差し込んだ。
眩しすぎるとうんざりするくらい、まばゆい光だった。
光に導かれるように、僕は少しづつ歩みを速める。外の世界の喧騒が、鼓膜を打った。途端に視界が開け、僕の身体は久々に外の光に照らされる。
ああ、終わったんだ――直感的に、僕はそう理解した。
やっとたどり着いた、僕の目的地に。
「やった……終わっ、た……」
失血が酷いからか、足下が覚束ない。それでも、ふらつきながらでも僕は歩いていく。
これからギルドに行って魔石を換金して、余裕があれば怪我も治したい。そのためには、まだ歩みは止められない。
というか……
「――ここ、どこだ?」
僕はたしか、テンペスタにあった出入り口からダンジョンに潜ってきたはずだ。
それなのに今、僕は見知らぬ建物の中の階段から出てきた。常に道に迷いながら歩いてきたせいだろうけど、本当にここまで知らない土地に出るとは思ってもみなかった。
まあ、僕からしたらほとんどの場所が未知の世界なんだけど。
「――え、ちょっと君、大丈夫!?」
建物内で茫然としていると、突然一人の女性が話しかけてきた。
まるで化け物でも見たかのように、彼女は驚いた表情で僕を見つめている。
「大丈夫って、何がですか……?」
「何がって……君、血だらけじゃない! それに、怪我もたくさんしてるし……」
「ああ……どうだっていいですよこんなの」
「いやいや、いいわけないでしょ!? もう、とりあえずシャワーだけ浴びよう? ほら、早く!」
「えっ、いや僕は……」
「いいから早く! そんな血だらけで歩き回っちゃダメだよ!」
とてつもなく強引に、彼女は僕の手を引いてどこかへ連行していく。
でもなぜか、こうやって誰かに手を引かれて振り回されるのも、不思議と初めてじゃないような気がしていた。
「痛ったぁ……!」
初対面の彼女に言われるがまま、僕は建物内のシャワールームを借りた。
シャワールームといっても、ノズルからお湯が出てくるようなものじゃなく、備え付けの浴槽から桶でお湯をぶっかけるだけだ。それでも、全身傷だらけの僕には十分効いた。
(僕、まだ生きてるんだ……)
湯を浴びる前に飲まされたポーションの効果で、一応流血は止まっている。その代わり、結構お湯が傷口にしみた。
舞い戻ってきた痛みに、僕は生きているのだと実感した。何もかもどうでもよくなっていたはずの頭が、途端に冷静になっていく。
ひりひりする身体を擦りながら、僕は早めに服を着てシャワールームをあとにした。
「どう? シャワー浴びてすっきりしたでしょ?」
外に出ると、例の女性が救急箱を手に立っていた。さっきはよく見ていなかったけど、ポニーテールにした茶色の髪が綺麗な、面倒見のよさそうなお姉さんだった。
「染みました。傷口に」
「まあ、そうでしょうね。ほら、傷の手当てもしてあげるから、ここに座って?」
「なんか、すみません……初対面なのにここまでしてもらって……」
「気にすることないわよ。それに、血だらけで歩いてる人見かけたら、誰だって放っておけないでしょう?」
上品な笑みを浮かべて、彼女はベンチに座った僕の手当てを始める。
手際の良さからみて、こういう事態には慣れっこのようだ。
手足や頭を包帯で大袈裟に巻かれていた僕は、彼女に向けられる無償の優しさにむず痒くなった。
「君、何階層まで行ってきたの?」
僕のくるぶしに包帯を巻きながら、彼女は訊ねる。
「えっと……12階層です」
「え、12!? 君一人で!?」
驚いて訊ね返す彼女に、僕は言い淀んだ。
ここまで、僕一人で闘ってきたわけじゃないはずだ。
僕一人の力でなんとかなるほど、優しい道のりじゃなかった。
それなのに、思い出せない。
僕のそばにいてくれた、あの子の顔も、名前も。
自分を見失うほどの地獄のような記憶に、『彼女』の姿は埋もれてしまっていた。
「? どうかしたの?」
「あ、いえ……はい、一人でした」
「そっか。じゃあ、君一人でこの量の魔石を……」
僕が持っていた魔石の麻袋にそれ以上追及することなく、彼女はそれっきり口を閉ざした。
そのあと、ひとまずの処置が終わった僕は、彼女に連れられて建物を出た。振り返ってみると、そこは大きな時計塔の中だったらしい。
(時計塔……?)
テンペスタには、こんな時計塔はなかったはず。
ということは、僕は本当に街をまたいで移動したのだろうか。
「そういえば、君名前は?」
前を歩く彼女に訊ねられて、僕は視線を向け直した。
「ユイト、です」
「ユイトくんか。いい名前だね」
彼女はゆっくり振り返って、柔く微笑む。
「私はフーカ。この街のギルドで働いてるの」
僕に向かって淑やかに笑いかけた彼女の背後には、僕の知らない街並みが広がっていた。
立ち止まっている僕らの横を、学校の制服のような服を着込んだ人たちが通り過ぎていく。
違う街並み。見慣れない色の雑踏。
ここは、僕の知らない景色だ。
「あの、フーカさん、」
「うん?」
「ここって、どこなんですか?」
好奇心のまま質問した僕に、フーカさんは得意げに答えてみせた。
「――ここは、学園都市アーディア。世界一の探索者を生むためにつくられた、学生のための街だよ」
次話より、新編スタートです。




