第18話 999回
瞼に光が差して、僕は目覚めた。
ゴツゴツした地面に横たわっていた僕は、はっきりとしない意識の中、腕を使って起き上がる。ぼんやりと見えていた周囲の景色が、徐々に鮮明になっていく。
「ここ、ダンジョンか……」
ここは紛れもなく、ダンジョンの12階層だ。
当たり前のようにそう呟いて、ふととある違和感に気づく。
――僕は何故ダンジョンで眠っていた?
休憩をとっていたにしても、こんな通路のど真ん中で熟睡するなんて自殺行為だ。
いくら僕でもそんな無謀なことは考えない。
そして、もうひとつの違和感。
――自分が殺された記憶が、脳内に残っている。
残っているというよりむしろ、焼き付いていると言ってもいいほどに。
覚えている。
血肉を引き裂かれるあの生々しい感覚を。
飢えた獣たちに囲まれ、逃げ場を失ったあの絶望を。
「でも、僕、生きてる……?」
それなのに、僕の身体はいま五体満足だ。
手足の傷はおろか、服に付着していたはずの血も綺麗さっぱり消えている。時間が巻き戻ったのかと思えるくらい、すべてが元どおりになっていた。
いや、時間が巻き戻ったというのは考えにくいかもしれない。
仮にもし僕だけが時を遡って以前の地点に戻ったとするなら、ルークやラファエラは勿論、僕たちを取り囲んでいたモンスターたちもここにいないとおかしい。それに、少なくともダンジョンで居眠りをしていた記憶はない。
(じゃあ、なんで…?)
いつモンスターに遭遇してもおかしくない状況下で、僕は自分でも不思議なほど冷静だった。
死んだはずなのに生き返っていた喜びなんて感情は一切なく、漂ったままの謎の追求のことだけを考えていた。
考えられる原因はなんだ?
あれは全部悪い夢だったのか?
それともまた、神様に無理やり送り返されてきたのか?
誰でもいい。誰でもいいから、教えてほしい。答えてほしい。
「教えてよ、ラファエラ……」
左手首のブレスレットを握りしめる。
堂々巡りを続けた末に口から出てきたのは、今はもういない天使様の名前だった。
出会ってまだ丸一日も経っていなかったというのに、僕は彼女の遺したものに縋ろうとしている。寂しがり屋な僕の本質はまだ、変わっていないみたいだ。
壁に背を預けた僕は、天井を見上げて途方に暮れていた。
地べたにつけていた左手が、それに触れるまでは。
「あれ、これって……」
僕が拾い上げたのは、無機質でシンブルな手のひらサイズのプレート。
言うまでもなく、それは僕の〈探索者証〉だった。
ズボンのポケットにいれっぱなしだったのを完全に忘れていた。同時に、それに手がかりを求めようとする自分がいた。
僕が触れた〈探索者証〉に、徐々に文字が浮かび上がる。
ステータスが文字列として刻まれたプレートの裏側に、その答えはあった。
〈所持スキル〉
【再生】ランク:SS
・自動発動。
・被撃発動。
・残り発動回数:999回
【】
【】
そこに刻まれた『数字』に、僕の全意識が注がれる。
999――確か前に見たとき、ここの数字は1000だったはずだ。僕の見間違いなんてはずはなかった。
発動回数が減ったということは、やはりスキルが発動したと考えるのが自然だろう。
同時に、スキルの説明欄の『自動発動』『被撃発動』の二つの文言も徐々にその意味を増していく。
このとき、僕の頭にとある仮説が浮かんだ。
今はまだ仮説に過ぎないけれど、もしこれが本当なら、すべてが繋がる――
「まさか、僕は……」
計り知れないほどの予感に、思わず冷や汗が流れる。
茫然としていた僕が固唾を飲んだ、その直後だった。
『――ギシャァァァァァァァッ!!』
その姿を認めて、背筋が凍った。
僕が座り込んでいた通路のすぐ先に、〈ソードマンティス〉が二匹……いや、三匹いる。僕と目が合った一匹が鳴き声を上げ、その集団はまっすぐ僕の方へ向かってきた。
「っ、やばっ……!?」
凝り固まっていた思考を解き、ワンテンポ遅れて行動を開始する。
近くに転がっていたバールと、折れていないルークの剣を拾い上げ、なりふり構わず駆け出した。
逃げろ。ただ、ひたすらに。
ラファエラの遺した力があるとはいえ、あの数はさすがに無理だ。ただでさえ面倒な相手なのに、まとまってかかってこられたら対応しきれない。だから今は、逃げることだけに集中しろ。
もし捕まったら、僕は今度こそ――
「……死ぬ?」
走りながら呟いた言葉に、疑問符が入り交じった。
あいつらに正面から立ち向かったら、勝てない。間違いなく致命傷を負わされて、原型が残らなくなるまで切り刻まれるのがオチだ。
でも、それで終わるのだろうか?
それだけで、僕は天国へ行くことができるのだろうか?
「いや、違う……」
自分の抱いた疑問に、思わず反論した。
もしもさっきの仮説が正しいのなら、僕は……
――もしかしたら、もう死ねないんじゃないか?
「……!」
気づいたときにはもう、僕は足を止めていた。
頭の中で新たな考えが渦巻き始め、やがて思考全体を支配していく。
その間も背後から〈ソードマンティス〉の集団は迫ってくる。思考を改めた僕は、逃げることは一旦諦め、奴らに向かって一直線に駆け出した。
こんなの自殺行為だ。まともに戦ったことのない素人のすることじゃない。そんなの全部わかっていた。
でも、今は確かめたい。
僕の身体は本当に、死ねなくなってしまったのかを。
そんなくだらない好奇心だけを胸に、僕は武器をとって奴らと闘おうとしていた。当然、勝算は最初からないに等しい。
馬鹿げている。狂っている。今の僕は、誰かにそう言われても仕方がない。
それでも、僕はこう言い返す。
『あの日、ビルから飛び降りた時点で、僕の頭はとっくに狂っていたんだ』
↺
「死んで、ない……」
仮初めの死が、一瞬通り過ぎた。かと思えば、目を覚ました僕はまた五体満足でぴんぴんしている。
さっき、単身で〈ソードマンティス〉三匹相手に立ち向かった僕は、予想通り手痛い返り討ちにあった。全身に斬撃を受けた僕は、きっとさぞかしひどい死に様だっただろう。
だが、それも今となっては『過去』だ。死を過去にする力が、僕にはある。
これで確信がついた。
僕の固有スキル――【再生】は文字通り、僕が死を乗り越えて『再生』する能力だ。
「あはは……すごいな、これ……」
残りは998回。つまるところ、999人僕の残機がいることになる。ほとんど僕は不死身だ。
もう理不尽に死ぬような結末を受け入れなくて済む。
そう思うと、不思議と気分が高揚してきた。自分はなんだってできるんだというような錯覚に陥る。
それに不死身なら、ここから僕一人で脱出することもできるかもしれない。いくらモンスターに襲われようと、攻撃と復活を繰り返していけばいつかは突破できる。
深く考えるよりも先に、僕は再び走り出していた。
出口はどっちかなんて知らない。また落とし穴だってあるかもしれない。
それでもただ、僕は前に進むことだけを考えていた。
「脱出してやる、ここから絶対……!!」
失うものがないなら、僕は実質無敵なんだから。
それから、時間を忘れるくらい、僕は進み続けた。
そして、死に続けた。
『↺』は一応スキル発動のときに気分で入れてます。矢印の向きとかは特に関係ないです