第95話 EX:帰還
〈お詫び〉
前回作者が予約設定をミスったせいで、95話が94話と同日に掲載されていました。誠に申し訳ございませんでした。お詫びとして切腹します。ぐはっ
…そのままにしておくのもあれなので、今日の分を正式掲載とします。
もう見ちゃったよって人はごめんなさい。
事態は膠着していた。
一人の少女が放つ、圧倒的なまでの抑圧によって。
「キミみたいな厄介な相手にはさ、結局これが一番有効なんだよね」
黒狼少女レイチェルの魔法【重力掌握】は、いわば『重力を操作する魔法』。
彼女が杖を一度振りかざすだけで、対象にかかる重力を自在に操作できる。現在のように力を増幅させて地面に押さえつけるのは勿論、逆に減衰させることで踏ん張りを奪うことすらできる、万能な魔法だ。
だが当然、その強力さ故に常人では扱えない。
通常のように魔導書の解読や詠唱文の暗記では身につけることの出来ない、完全な『固有魔法』。彼女がレイチェル・ナイトフォールとしてこの世に生まれ落ちた瞬間から持ち合わせた、まさしく天賦の才だ。
「〈毒持ち〉で攻撃の手数も多い、そのうえ図体はバカみたいにデカい。そんな怪物の足止め役なんて、いくら出されてもだーれもやりたがらないだろうね。……ボクだって本当は、学長の命令じゃなかったら引き受けてなかったよ」
悠々と、中空に浮かぶレイチェルは独り言を並べる。
冷たい声色で話す彼女の横顔を、午後の風が優しく吹き付けた。左の杖で常に敵の動きを封じながら、時折気怠げに欠伸までするほどの余裕を見せている。
『ゴ、ゴォオオオッ……!!』
「ん、まだ抵抗する? いいよ、どうせ暇だし。やってみて」
だらんと、彼女は杖とともに左腕を降ろした。
その瞬間、〈エルダートレント〉は束縛から解放され、歓喜の唸り声を上げる。一切の容赦もなく、無数に備えた手足を伸ばし、目の前の標的を抹殺せんと攻撃を仕掛けた。
自由になった敵の攻撃が、レイチェルに迫る。
眼前に肉迫するトレントの腕に、彼女は今度は右の杖を上げた。
「【軌道掌握】ーー」
先程とは異なる種別の詠唱。
彼女のもう一つの魔法が発動せんとした、その瞬間だった。
対峙する彼らの間に、炎を纏った一閃が割って入った。
「――!」
それは丸腰だったレイチェルを助けるように、火炎を内包した双剣で〈エルダートレント〉の太い腕を両断しながら凄まじい速度で突貫する。彼の突き進んだ跡をなぞるように、火の粉が空中で緋色の軌道を描く。
その姿はまるで、炎に身を包んだ隕石――いや、流星のようでもあった。
『――ゴォオオオ!?』
「……なーんだ、やっと帰ってきたのか」
怯むトレントに、微笑を浮かべるレイチェル。
そして、そんな彼らを見物客のように遠巻きに見守る受験生たちも、皆顔を上げて瞠目した。
「時間稼ぎ、ありがとうございました。レイさん」
誰もがその姿に視線を注ぐ中、少年は徐ろに立ち上がった。
彼こそがやはり、この舞台の真の主役であった。
「――今度こそ、この手で決着をつけます」
決意の炎を宿した瞳で、ユイトはそこに立っていた。
その両手には、新たな二振りの双刀が固く握られている。
揺るぎようのない意志が、彼の胸に在った。
その場にいた全員を引き付けるような玲瓏たる覇気が、彼を包んでいた。
何人にも打ち砕けない覚悟が彼の全身を駆け巡り、その血を滾らせていた。
ただ、眼の前の宿敵を、この手で討ち果たす。
たったそれだけの覚悟で、彼はこの最後の舞台に再び姿を現した。
彼の真の再挑戦が、今始まったのだ。
「……だね。おかえり主役君。役者は交代だ」
浮遊を解いたレイチェルは、携えた二本の杖すらも手放した。
彼女はゆっくりとユイトに歩み寄ると、片手を挙げる。
「あとの見せ場は、キミに譲るよ」
「了解です」
すれ違いざまのハイタッチは、短くあっさりと終わった。
ユイトはレイチェルと入れ替わり、新たな挑戦者として戦場へと舞い戻る。
乗り越えるべき宿敵に、立ち向かう。
「リーファ、君のお守り、使わせてもらうよ」
ユイトは腰から一本のポーションを取り出すと、コルク栓を抜いた。
それはリーファから預かっていた、〈対異常用ポーション〉。
何の因果か、それは今、これ以上なく有用な代物となった。
ポーションを飲み干したユイトは口元を拭い、一つ息を吐いた。
両眼を斜に構え、片脚を退く。
炎の迸る双剣を掲げたその姿は、まるで火の鳥――
否、“不死鳥”のようであった。
「――これで、終わりにしよう。全部」
少年と『巨木』が、真っ向から相見える。
ユイトは深く息を吸い、それを吐き切ると同時にスタートを切った。
焔を靡かせた一人の少年が、飛翔する。
さらなる高みを、まだ見ぬ景色を、目指して。
***
いつになく、視界が澄み切っていた。
全身が、まるで炎を纏ったように熱く、滾っていた。
でもそれでいて、思考回路はいつになく冷静で、鮮明だった。
火傷しそうなくらいに熱い思いが、身体をひたすら前へと動かす。
退路のことなんてきっと、微塵も考えていない。考えられない。
ただ、ひたすら前に進むだけだ。
一秒先の世界、一歩先の“未来”へ。
『ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「あああああああああああああああああああああああっ!!」
敵の雄叫びに負けじと、柄にもなく叫んだ。
僕は今きっと、この闘いを楽しんでいる。
僕だけのために用意された、単純明快な舞台。
そこに現れた、僕の打ち倒すべき因縁の相手。
使い慣れていない武器に、回避もギリギリ。
危なげなく冷や汗を流す僕はそれでも、笑っていた。
(いける……)
全身を駆け巡る、感じたことのない高揚と全能感。
集中は極限まで高まり、眼は半自動的に敵をロックオンして離さない。いわゆる『ゾーン』と呼ばれる領域に入ったのだと、朧げながらも僕は理解した。
(これなら、勝てる……!)
初めての感覚だった。
闘うことが、この闘い自体が、こんなにも楽しい。
「――フッ!」
相手の枝に似た腕が、幾度となく視界を通り過ぎる。
僕の振るう緋色の刃が、何度もそれを切り裂いていく。
何度も。何度も。何度も。
相手との戦力は、今度こそ互角だった。
いや、毒に耐性がついた分、僕の方が若干優位だ。
土壇場で用意された、この〈魔剣〉。
二振りとも、まさに『切り札』と呼ぶに相応しい性能を有していた。
(この切れ味……これが、〈魔剣〉……!!)
研ぎ澄まされた鋭利な刃は、面白い位簡単に敵の肢体に滑り込み、容易くそれを両断する。僕が今までに使っていた剣がすべてなまくらに思えてしまうほど、その切断性能はプロが鍛った一品だけあって突出している。
加えて、刀身が呼吸をするかのごとく放出し続ける“烈火”。
斬撃を追従するそれは敵の肉体に移り、文字通り表面から焼き焦がす。
魔法付与とはまた違った、〈燃焼〉反応を伴った斬撃。
『ゴォオオオ……オオオオオオッ!?』
敵はその巨体を後退させ、低く呻った。
相手は腐っても木だ。一度炎が移れば、時間が経てば経つほど燃焼反応が増大していく。このまま長期戦に持ち込めば、それだけ僕が攻めに徹する時間も増える。
やれる。この剣と今の僕なら、こいつを倒せる。
そう確信してから、僕の行動は更に迅速になった。
が、その矢先。
「――っ!?」
剣を振るう右腕を、相手の触手が掴んだ。
掴まれた右腕ごとそのまま、僕は真上に引っ張られる。
足が、宙に浮きかけた。
そこで一瞬、記憶の断片がフラッシュバックする。
かつて地獄で何度も経験してきた、四肢のもぎ取り。
腕を、脚を、何度も同じように引き千切られてきた。
忌まわしい結末が、また蘇る。
恐怖の色が、一時的に思考を鈍らせる。
(っ、焦るな……!)
今の僕はもう、あのときとは違う。
このままやられて終わるような、弱い僕じゃない。
「――はッ!」
腕を引っ張る方向に合わせて、跳んだ。
持てるすべての力をかけた跳躍で、僕は空中に躍り出る。
腕の拘束が、緩まる。
「今、だっ!!」
一度の跳躍による、その僅かな滞空時間。
その数瞬で、僕は一気に身を捻った。勢いに任せて、敵の腕を巻き込みながら『旋回』する。身体は地面と水平に、独楽のごとく横軸の回転をかけていく。
両手の〈魔剣〉を、突き立てながら。
「はあああああああああッッ!!」
『ゴォァッッ……!?』
遠心力に身を任せた、『回転斬り』。
右腕を掴んでいた触手もろとも、敵の手足を大きく削った。敵の血肉を抉り去った僕は、姿勢を制御しながら地面に着地する。右手首に着けていた白の布が解けていた。
敵の手足の再生が遅い。〈魔剣〉の攻撃がかなり効いている。
大きく、僕は息を吸う。濁りかけていた意識を、再び集中させる。
身に宿っていた恐怖はもう、僕を縛り付けるものじゃなくなった。
目の前の『巨木』はもう、脅威じゃなくなった。
もう、怖気付く僕はいなくなった。
「そろそろ、消えろ」
眦を吊り上げ、柄を掴む両手の握力を高める。
強気に、傲慢に。
自分の中の限界を、ぶち壊して。
過去の呪縛からも解き放たれた僕はもう、向かうだけだ。
一寸先の、勝利へ。
次話で八章完結です。




