第94話 EX:決意
自分の株を上げ始めたヒキニート。
貰い物の刀とメンタルをへし折られた主人公。
切り札を手に走らされるヒロイン。
色々ありますが、クライマックスです。
浅い溜め息が、アランの口から漏れ出た。
彼は後ろ手を組んだまま、眼下の景色に再び視線を移す。
「やれやれ、結局彼女を使うことになるとは……」
眼下で繰り広げられていた、壮絶な一騎打ち。
訪れたユイトの窮地に颯爽と駆けつけたのは、狼の少女――レイチェルだった。
実を言えば彼女も、学長であるアランの命令を間接的に受理していたのだった。ユイトにもしもの事があったとき、という曖昧だがそれ以上ない程に端的な条件の付いた、救援命令を。
「ん? ああ、心配はいらないさ。時間稼ぎを頼んだまでだからね」
アラン以外誰も居ない部屋に、彼の独り言が響く。その声は先程の演説のような覇気を失い、まるですぐ近くの“誰か”に語りかけているようだった。
一方、眼下に見える中庭にて、攻撃を止められていた〈エルダートレント〉が再起して暴れ出す。アランの命令通り『時間稼ぎ』に入ったレイチェルも身構え、少しばかりの小競り合いが始まった。
その様子を見たアランは一人、不敵に微笑む。
「あまり派手にやってくれるなよ――元問題児君」
***
時を同じくして、ユイトはやっとのことで立ち上がった。
目の前には、見慣れているようで見慣れない、一人の少女の姿がある。
「どうして、レイさんがここに……」
様々な感情が入り乱れる中、ユイトは言葉を振り絞って訊ねた。
ユイトの前に“浮かぶ”レイチェルは、二本の杖を手に〈エルダートレント〉と真っ向から対峙している。彼一人でも決して受け止めきれないような攻撃を、レイチェルはいとも容易く止めてみせたのだ。
呆然としてしまうユイトに、レイチェルは徐ろに振り向く。
「……学長からの命令、キミがもし動けなくなったら助けろって」
颯爽と駆けつけた彼女の表情は、いつになく真剣だった。
だがそれも、束の間のことで。
「――報酬出るらしいから、ボク断れなかった!」
清々しいまでに下衆な台詞とともに、彼女は微笑んだ。隣人がいつも通りのマイペースさを取り戻し、ユイトは不覚にも頬を緩めて安堵してしまう。無論、まだそこまでのうのうと雑談に興じていられるような状況ではないのだが。
「ってわけで駆けつけてみたはいいものの……キミ、ボロボロすぎない?」
「それは……って――レイさん後ろ!!」
「……ん?」
気が緩みかけていたユイトの警告に、レイチェルは緩慢に反応する。
彼女の背後、動きを封じられていた敵の腕が勢いを取り戻して再び暴走を始めた。
対して、余裕を持って向き直ったレイチェルは、左の杖を振りかざした。
詠唱とも呼べぬほどの、短い『合言葉』とともに。
「――【重力掌握】:『増幅』」
たったその一言で、敵の動きが停止した。
かと思えば、敵の腕には漆黒の魔法陣が顕現している。
空中で静止したはずの敵の腕は莫大な“重力”という負担をかけられ、さながら巨大な岩のように轟音を立てて地面に引き寄せられた。その重さに道連れにされた地面がひび割れ、土砂を巻き上げる。
「すご……」
「さてと……ここはボクが保たせるから、キミは今のうちにその傷をなんとかしたら?」
「は、はい!」
救世主の登場で気力を取り戻したユイトは、傷だらけの身体でなんとか立ち上がった。散乱した瓦礫を押し退け、ひとまず呼吸を整える。
と、そこへまたしても一人、彼にとっての救世主が到着した。
「――ユイトさん! ユイトさん、どこですか!?」
「今の声……まさか、リーファ?」
身を侵す毒に苦しむ彼のもとへ走ってきたのは、この騒ぎを聞きつけてきたリーファだった。白い布で巻かれた『何か』を両手に抱え、人混みを避けて遠回りしてきた彼女は、校舎のトンネルを隔ててようやくユイトと対面する。
「ようやく、“切り札”が来たっぽいね」
「切り、札……?」
「受け取ればわかるよ。ほら、キミは早く行ってきな」
「……はい! わかりました!」
血の垂れた口元を拭い、ユイトは決意を固めた。
毒に侵された身体、もはやポーションでも庇いきれない傷と疲労。
彼が今やるべきことは、既に明確だった。
腰のホルダーに提げていた予備のナイフを取り出し、自らの首筋に当てる。
そしてすぐさま、それをひと思いに滑らせた。
なんの躊躇いも、恐怖もなく。
「――【再生】!!」
その決意の掛け声を合図に、満身創痍だった彼の体は瞬く間に消失し。
また新たに生まれた、無傷の彼の姿がそこにはあった。
それは回復薬も魔法も用いない、土壇場の彼のみに許された荒療治。
彼の見出した、【再生】の新たな可能性だった。
ややあってその双眸を見開き、意識を鮮明に再起動させる。
「レイさんすみません、ここはお願いします!」
「もちろん、言われなくとも!」
少し離れた場所で息を切らすリーファのもとへ、体力の回復したユイトは駆け出した。活力に満ち溢れたその背中を、片手間で魔法を扱うレイチェルは先輩として大人びた表情で見送る。
お節介なまでに、レイチェルは“時間稼ぎ”に尽力するつもりのようだ。
「ははっ……裏仕事にしては、ちょっと出しゃばり過ぎたかな……」
柄にもなく世話焼きな今の自分を笑いつつ、レイチェルは目を閉じる。
二本の杖を繰り、彼女は目の前の『巨木』へと不敵な笑みを向けた。
「――さぁて、じゃあ君には……もうちょっと付き合ってもらおうか」
***
無我夢中に、彼はリーファのもとへと疾走した。
背後の〈エルダートレント〉は尚も彼を追撃しようと試み、もがいているが、レイチェルの静止のお陰で完全に抑え込まれている。一時的ではあるが、彼が体制を整えるには絶好の機会だ。
他方、両手に『何か』を抱えたリーファは敵襲から身を守るように校舎の裏に隠れ、到着したユイトをそこへ引き込んだ。依然敵の抵抗する音が辺り一帯に響き渡る中、彼女はようやく手にした白い布を解き始める。
「リーファ、どうしてここに……」
「細かい事情はあとです! 今はとにかく、これをあなたに――」
『何か』を包んでいた布が開かれる。
ユイトにとっての『切り札』が、ベールを脱ぐ。
果たしてその包みの中にあったのは、二振りの剣だった。
「っ、それってまさか……」
「はい。朝イチでアヤメさんから受け取ってきた、ユイトさんの〈魔剣〉です」
重なっていたその双剣を、白の布ごとユイトは受け取った。
その重みに、彼は思わず息を呑む。
流体的なデザインの刃に、血管のごとく走る緋色の紋様。
厚みのある刀身は双方ともに長大で、尚且つそのシルエットは彼が依然所持していた《マチェット》に酷似していた。手にした瞬間から恐ろしいほどに彼の手に馴染む、ユイトという唯一の使い手にとって完璧な二振りの刃だ。
正真正銘、ユイトのために作られた無二の〈魔剣〉。
彼が討ち果たした〈ゴーレム〉の心臓を吸収した、彼だけの武器。
その事実が、剣の重みとともに彼の手にのしかかる。
「ギリギリでしたが、なんとか間に合いましたね。わざわざ朝から出向いて散々走ってきた甲斐がありました」
「じゃあ、リーファはこの事態を見越して……?」
「いえいえ、完全に想定外でしたよ。まったく、あの学長は――」
リーファは少し愚痴っぽく口調を変え、この事態を引き起こした自分の叔父への不満を口にしようとして――やめた。代わりに誇らしげな表情を作り、ユイトに優しく微笑みかける。
「それでも……こうしてその剣がユイトさんの手に届いたなら、ユイトさんの力になることが出来たなら、私はもう、それでいいです。今日の労力は、チャラってことにしますから」
「リーファ……。ありがとう、本当に」
「感謝するのは、まだ早いんじゃないですか?」
「……そうだね」
決意を新たに、ユイトは強く頷く。
そんな彼に、リーファは小指を差し出してみせた。
「勝ってください。必ず。これは約束です」
「うん、わかってる。――勝つよ、必ず」
彼女の差し出した細い小指に、ユイトも自身のそれを絡ませる。
そして固く、彼らは指切りをした。
これは約束であり――ユイトに必要な、最後の儀式だった。
その刹那、彼の脳裏に浮かんだのは、日々の記憶。
この舞台に立つまでの、軌跡を追憶した。
あの日、記憶を失いながらも目覚めたときから。
様々な人と出会い、様々なものに、感情に触れてきた。
記憶喪失の不安も忘れるほどの輝かしい日々が、そこにはあった。
決して、一人で歩んできた道のりではなかった。
数々の人の言葉に支えられ、ときには奮い立たせられながらも、彼はここまで歩んできた。
理不尽にも、彼なりに抗って、進んできた。
(そうだ、僕は……)
これはユイトにとって最後の、通過儀礼だ。
トラウマをも乗り越え、ただ前を向いて生きていくための。
(――負けるなんて、今更許されない)
最後の試練と、向き合うときが来たのだ。
「……それじゃ、行ってくるよ」
「はい。私も、健闘を祈ってます」
指切りを終え、ユイトは眼差しを強かなものに改めた。
白の布は手首に巻き付け、二振りの〈魔剣〉を両手に構える。
最後にリーファの激励の言葉に応え、背を向けて歩き出そうとした。
だがそこで、思い留まった。
「……リーファ、最後に一つだけいい?」
「? なんですか?」
それは言うなれば、心残りだった。
すべてを出し切るためのこの場において残された、唯一の。
「感謝するにはまだ早いかもしれないけど、これだけは伝えたいんだ」
ユイトは振り向いて、彼女の瞳を真正面から見据える。
澄み切った微笑を湛え、そして、徐ろに口を開いた。
「好きだよ、リーファ」
ただ真っ直ぐに、それだけを告げて。
最後に晴れやかに笑ってみせた彼は、すぐさまその場でスタートを切った。
死亡フラグが効かない系主人公でよかった。




