第92話 EX:狂熱
校門を抜けた先の中庭に、人集りができていた。
そこに集まっていたのは、今日という日のために励んでいた受験生たち。
巨大な人垣となった彼らを前に、街から戻ったリーファは困惑していた。
(これは、一体……)
不穏な物音を聞きつけた彼女は、息を切らしながらもその場に駆けつけた。
人垣のその奥からは、絶え間なく衝撃音が届いている。
大きな何かが暴れまわっているような、そんな爆音。地響きを起こすような一撃が地面を割り、すぐ横の校舎を叩きつける。ただ、察しのいい賢明な者からすればそれは、単なる『戦闘音』にしか聞こえないものではあった。
巨大なモンスターと誰かが、この奥で戦っている――
そう悟った彼女は、妙な胸騒ぎを覚えた。
並び立つ人々の間から、奥の様子を窺う。
(あれは……ユイトさん!?)
彼女の狭い視界に映ったのは、奮戦する少年の姿だった。
よく見知った少年が今、この奥で一人、脅威に立ち向かっている。
(っ、なんで、こんなことに……!)
人の多さから進めもしない状況に、リーファは居ても立っても居られなくなる。何か、重大なアクシデントが起きていることは明らかだ。今すぐにでもこの人混みをかき分けて彼を救助しなければと、彼女は使命感に駆られる。
だが、彼女の脚も、“あの声”が止めてしまった。
『――諸君には少々非情な頼みかもしれないが、聞いてくれ!』
上方からしたその声に思わず、リーファは反射的に顔を上げた。
聞き馴染みのあるようでない、彼女にとって不思議な声色だった。
「叔父さ――が、学長……!?」
自室の窓から、彼はリーファたちの方を見下ろしていた。
いつになく声を張り上げ、その場にいた全員の注目を集めている。
『これは……私が彼、ヒズミ・ユイトに課した最終試験であり、“試練”でもある!』
彼の堂々とした発言に、群衆は再びどよめき始める。
困惑に包まれる受験生たちを前に、学長は尚も続けた。
『あの〈エルダートレント〉をここに呼びつけたのは、この私だ。だからたとえ君たちが助けに入らなくとも、その仁徳を低く評価するようなことはしない。この先どんなことがあろうとも、君たちに罪はない!』
語調を強めて、彼は高らかに語り続ける。
見方によってはそれは、まるで群衆に向けた“演説”のようでもあった。
(っ、何言ってるんですかあの人は!!)
堂々とした態度で聴衆を集める自分の叔父に、リーファは軽く苛立ちを覚えた。立ち尽くす受験生たちの間を通ることは諦め、校舎を迂回して彼のもとへと急ごうとする。
その手に抱えた、“切り札”とともに。
(これを、ユイトさんのところへ……!)
その間にも、学長は絶えず言葉を並べる。
しかし当然、彼の演説に反抗的に声を上げる者も少なからずいた。
「――だからって、僕たちはここで黙って見ていろっていうんですか!? 学園の庭が、校舎が、めちゃくちゃになってるんですよ!?」
「そうですわ! いくら試験だからって、ここまでする必要ありますのっ!?」
その二人を筆頭に、受験生たちは同調して反駁する。
こんなのはおかしい、理不尽だ、あの生徒が可哀想だ……。
そんな正義感に溢れた定型句の数々が、飛び交った。形ばかりの誠意の言葉が、一斉に噴出した。
「…………」
手にした武器で武装蜂起でもしそうな、異様な雰囲気。受験校の学長を前にしても、彼らはその場の空気に流されて口々に野次を飛ばす。
学長は黙ったまま、それらを受け止めた。
彼はやがて、そのうちの一人の発言に眉を動かす。
「――アンタ、マジで頭イカれてんのか!?」
あまりにも飛び抜けた表現に、群衆は一瞬黙りこむ。
ふっと顔を上げた学長が口を開き、彼らは身構えた。「これは流石に彼も黙っていられないだろう」――そんな予感が、群衆の中で伝播する。
だが、学長の口から発されたのは、大きな笑い声だった。
『――イカれている? ああ……そうさそうとも! 私は最高に狂った男だ!!』
開き直った様子の彼の発言に、誰もが耳を疑った。
誰の何を咎めるでもなく、彼はただ、笑ったのだ。
まるで舞台上の役者のように大袈裟に、誇らしげに。
『だが、諸君はそんな狂った学長の運営する学園への入学を志望したんだ。違うか? ここに入るために、わざわざ血の滲むような努力をしてきたんだろう?』
受験生たちが、今度は圧倒される番だった。
彼の扇動的な言葉の数々に、誰もが目を見開いて聞き入っている。
『この際だから言うが、始めからすべて狂っているのだよ! 探索者も、探索者を目指す人間も――探索者を育成するこの学園も! 自らの命を惜しまずに、ただ延々と戦うことだけを生業とする命知らずたちだけが“英雄”と崇められるこの街こそが、その狂い……歪みの根源だ!!』
彼の並べ立てた言葉に、場が静まり返った。
その意味を正確に理解した者は、いなかった。
その言葉に込められた彼の真意に、共感できる者はいなかった。
しかしながら、彼らは漠然と魅入られたのだ。
――彼の言葉に顕現した、“狂熱”に。
『おや……理解できない、という顔だね。素直でよろしい』
群衆に目を向けた彼は、にこりと微笑んだ。
その笑みのあまりの清々しさに、何人かの受験生たちは冷や汗を流し、また戦慄した。
『君たちは、それでいい。何も知らないままで……この歪みを理解できないままで。この街の“一般人”としてね。それを咎める権利は、私にもないのだから。ただ――』
意味深な笑みを浮かべた彼は、その視線をゆっくりと中庭の方に移した。彼の視線につられて、群衆も揃って未だ戦闘の続くその広場を見やった。そこで繰り広げられる戦禍に、誰もが釘付けになる。
そこで闘う一人の少年を見据えて、アランは呟いた。
『君たちは、そこで見ているがいい。ヒズミ・ユイトという〈英雄〉が、生まれる瞬間を』




