~会の三~
大陸には大小様々な国が存在する。国境線は地図上に引かれているだけで、一部を除き、柵や壁等の物理的な障害物は設置されていない。
しかし交通の要所には関所が有り、街道沿いには兵士が常駐する駐在所や、監視塔も点在している。人の集まる町や村には防壁や検問所の類も設置されている。
決して無防備という訳では無い。
故に、国境沿いに武装集団が現れれば大騒ぎになっているはずだ。普段であれば。
「遠路遥々御足労頂き、心より拝謝申し上げます」
関所を通過した私達に対し、集団の先頭に居た男性が一歩歩み寄る。
「エルバドスの王、ガルヴァ陛下の命により、親愛なるアハトの皆様をご案内させて頂きます。騎士団長ナミルと申します」
そう言って最敬礼をしたのは、鎧姿の細身の男性。
「あの方が騎士団長……」
眼を細め柔和な笑みをたたえたナミルさんは、物腰も柔らかく、武装しているのに威圧的な雰囲気を全く感じない。歳は二十代前半位だろうか。
一見すると、騎士団長の肩書には似つかわしくない風貌にも思えた。
(見た目だけで判断すんなよ)
すかさずトモエが釘を刺す。
(細身だろうが若かろうが関係無い、立ち姿や細かい所作から相手を判断できるようになれ)
「はい……」
トモエに注意され、改めてナミルさんを見直す。
ナミルさんは、馬車から降りたアナベル姉様と挨拶を交わしていた。
彼の姿勢は、とても良く見える。作法としての姿勢の良さではなく剣士としての姿勢。
ブレない軸を体に通しているような、不思議な安定感を感じる。
武器はロングソード、鎧は関節部周辺の装甲が薄く、機動性を重視している様だ。
後は……えっと……目を細めていたんじゃなくて、普通に糸目だ。
後は……その……。
「…………」
コレだけ、かな。他は特に特筆すべき点は無いような……。
トモエに言ったら「見る目なさすぎ」とか「節穴か」とか怒られそうだ。
口に出さなくて良かった。
わざわざ釘を刺した位だ、トモエには私に見えないモノが見えているんだろう。
(お、何かコッチに来るぞ)
トモエにそう言われ、一人の男性が私達に向かって歩み寄って来ている事に気が付いた。
男性はプレートアーマーを装備しているが、全体を金色に染め上げ、明らかに周囲から浮いている。
いや、浮いている理由はそれだけではない。
何より巨大だ。馬に乗った私より高いんじゃないか、そう思う程の高身長。そして私のウエスト程ありそうな腕に、丸太の様な太腿。
高く、太く、分厚い。巨大と言う形容が、コレほど似合う人物も居ないんじゃないかと思える。
巨大な男性はアナベル姉様の横を素通りし、満面の笑みで私の前にやって来た。
「初めましてだな。エルバドス第2王子、そして現剣聖ザヴァル・ア・エルバドスだ。宜しくな、オリヴィア姫」
一瞬意味が分からず、思考が停止する。
「……えぇっ!? お、王子様!?」
(ほう、コイツか)
トモエが興味深そうに呟く。
まさか、この場に王子が居るなんて思いもよらなかった。
私は慌てて馬を降り、差し出された手を握る。
「は、初めまして。オリヴィア・アレク・ズワートです。宜しくお願い致します」
「おお、宜しく」
ザヴァル王子は、私の手をブンブンと振りながらニカッと白い歯を見せた。
この人が、今の剣聖……。
巨大な体躯に、野性的な顔立ち、鎧の隙間から覗く浅黒い肌には、幾つもの傷跡が見える。
彼は、自身の背丈と同じくらい巨大な大剣を背負っていた。
「姫の噂はかねがね、随分とご活躍のようだな」
「いえ、私などは……」
私は現在、一部の国民に「剣聖オルキデアの再来」等と言われている。
その噂の真相は、全てトモエの立ち回りによる物。私としては分不相応の評価をされ、いささか心苦しい。
「ふむふむ」
ザヴァル王子が、手を握りながら私の顔を覗き込む。
急に顔を寄せられ、私は思わず仰け反った。
「な、何か……」
「いやいや、随分と可愛らしい顔をしていると思ってな」
「は、はぁ……」
「噂は元より、とても先刻ゴブリンどもを蹂躙した猛者には見えん」
「……えっ?」
「先程、街道で大立ち回りをしていたであろう。いやはや、実に見事な剣捌きだった」
私は、街道を振り返った。
周辺に遮蔽物はない。この位置からでも人影程度は視認出来るだろう。
しかし、この距離で個々の動きや剣捌きまで見えるモノだろうか?
「いやいや流石……流石元剣聖、オルキデアの一人娘よな」
(オリヴィア! 気を抜くな!)
「え、何が……いっ!」
ザヴァル王子が、握手をした手に力を込めた。
「是非、手合わせをお願いしたいものだ。現剣聖の俺と」
手の骨が軋む。まるで私の手を握り潰さんばかりだ。
そうだ、トモエの仮説が正しいのなら、ザヴァル王子はヴィクトリア姉様を謀り、私の命を狙った張本人。
トモエの言う通り、気を許してはいけない相手なのだ。
「どうかな? 此度の滞在中に一試合……」
ザヴァル王子は握った手を緩める事無く、息が掛かる程に顔を近づける。
手が外れない……どうしたら……。
「っ!?」
その時、背後から強烈なプレッシャーを感じた。それはまるで、猛獣が背後に迫っているような恐怖と圧迫感。
全身から汗が吹き出し、心臓が跳ね上がった。
「おいおい、そんな怖い顔をするな。ただ挨拶をしただけじゃないか」
振り返ると、下馬したアルが鬼の形相で腰の剣に手を添えていた。
「オリヴィア様から、離れて頂けますか?」
「……嫌だと言ったら?」
アルは表情を変えぬまま、剣の柄を握る。
「アル!」
「はっはっは! 分かっているのか? この場で剣を抜いたら、貴様ただでは済まんぞ?」
当然だ、和平の為の交渉に訪れていると言うのに、相手国の王子相手に剣を抜けばアルの死罪は免れない。
「私はオリヴィア様に害成す者を、命懸けで排除する責務があるのです」
アルが僅かに腰を落とす。
ダメだ、このままじゃ……。
「アル! 下がって! 私は大丈夫だから!」
私の声が届いていないのか、アルはザヴァル王子だけを睨み続けている。
二人の睨み合いが続く中、ふと、私の手が締め付けから解放された。
「くっくっく……なかなかぶっ飛んだ男だな、面白い。貴様の様に気骨のあるヤツは嫌いじゃない」
それまで威圧感が嘘の様に、ザヴァル王子は表情を崩して笑いだした。
「いやはや交渉の場などに興味は無いが、やはり来て良かった!」
腰に手を当てて高笑いするザヴァル王子。私とアルは、意味が分からず呆然とするだけだった。
「いやいや、すまんな。強そうなヤツを見ると、ついつい試したくなってしまってなぁ。これも剣聖の性と言うべきか」
そんな性、お母さんは持ってなかったと思うけれど、それは言わない方が良いのだろう……きっと。
「まぁまぁ折角だ、先程も言ったが滞在中に是非手合わせを……」
「そういう話は後にして頂けますか? 殿下」
何時の間にか、ザヴァル王子の背後にナミルさんが立っていた。
ナミルさんは笑顔なのだが、明らかに頬が引きつっている。
「言ったでしょう? 邪魔はしないでくださいと」
「ナ、ナミル……いやいや……これは決して邪魔をしようとは……」
「言い訳は結構です、さっさと戻って下さい」
「ちょ! ちょっと待てナミル! もう少し話を……」
「ダメです」
ナミルさんは、ザヴァル王子の首根っこを掴むと、私達に会釈をしながら王子を引きずって行った。
私とアルは茫然と二人のやり取りを眺め、立ち尽くす。
(何だアイツら?)
トモエも珍しく戸惑っている。
「さ、さぁ……何なんでしょう……」
当然、私に分かる訳がない。
その後、ナミルさんの「参りましょう」の一言で我に返った私とアルは、慌てて馬に乗り、集団の後を追う。
手綱を握る手が僅かに痛んだ。ザヴァル王子に握られた右手だ。
彼にしたら、軽く力を込めた程度なのだろう。
その気になれば、私の手など簡単に握り潰せるに違いない。
力の差は歴然だ。
その力で背中の大剣を振り回したら、どれ程の威力が生まれるのだろうか。
(ふ~ん……ほ~ん……)
トモエが何やら唸っている。きっと、剣士としてのザヴァル王子を値踏みしているのだろう。
訊ねてみたい気もしたが、止めておいた。
何となく、自ら危険地帯に飛び込むような危うさを感じたから。