~判の六~
「ナミル! 生きていたのかぁ!」
吠えるザヴァルに対し、ナミルは嫌らしい笑みを浮かべた。
「それはコチラのセリフですよ、本当に生命力だけは怪物レベルですね」
「貴様! 降りてこい! 今度こそ叩き斬ってくれるわ!」
「あまり騒がないでください、先日も言ったように殿下には興味ございませんので」
「何だとぉお!」
いきり立つザヴァルを余所に、ナミルはオリヴィアだけを見ていた。
「残念、あの方はご不在の様ですね」
……見てたのはアタシかよ。
「まぁ結構、今日は野暮用で立ち寄っただけ。お楽しみは後日に致しましょう」
「何の用かは知らんが、このまま逃げられると思っているのか?」
グリシアの怒気に呼応するかの様に、何時の間にか重装備で固めた兵士達がナミルを取り囲んでいた。
「おや? 我に気付かれずに包囲するとは。なかなか見事な手際ですね」
「当然だ、今日の警備は我が国でも屈指の実力者を集めたのだからな」
グリシアが指示するまでもなく、更にコロシアムの兵達がナミルの居る客席に集まって行く。
その中には、ザヴァルと稽古をしていた兵士の姿も確認出来た。
数十人もの兵達が陣形を組み、ナミルに向かって一斉に刃を向ける。
「なるほどなるほど、確かに統率された良い動きです。流石……」
ナミルの顔が、一際歪んだ。
「流石、我が育て上げた兵達です」
ヤバい! 良く分からんがヤバい気がする!
だが、この距離では何も出来ない。オリヴィアの体力も完全には回復していない。
アタシがまごついていると、ナミルは右手の指をパチンと鳴らす。
するとナミルを囲んでいた兵達が、突如唸り声を上げ始めた。
「ごぉおおおぁあああ!!」
そして手にした剣を振り下ろす。
ナミルにではなく、隣り合う者同士で。
「あははは! グリシア殿下! アナタも浅慮ですね! 長年騎士団長を務めた我が、部下に何の細工もしていないと思いましたか?」
同じ国章を胸にした者達が、無表情で殺し合う。時に怒号や咆哮、悲鳴を上げながら。
「止めろぉおおお!」
折れた大剣を手に、ザヴァルが駆け出した。しかし、間髪入れずにナミルの腕から電光が走る。
「ぐぉおおお!」
放たれた電光がザヴァルに直撃し、その場でガクリと膝をつく。
「ザヴァル!」
「何度も言わせないでください、殿下の出番はありません」
「お、おのれぇ……」
全身を黒焦げにしながら、ザヴァルは這って近付こうとする。きっとナミルの下にではなく、命の危機に瀕した部下の下に。
「だ、だめ……」
(おい! オリヴィア!)
オリヴィアもまた、客席に向かって走り出そうとした。
(落ち着け! 折れた剣でお前に何が出来る!)
「でも、でも……」
分かってる。この状況でオリヴィアが動かない訳がない。しかし無理だ、ザヴァルとの決闘以上に無謀だ。
せめてアタシが戦えれば良いが、それはこの場で一定数の死者が出る事を意味する。それじゃあ遅すぎる。
くそっ! どうすりゃ良いんだ!
「やっぱり……私が行きます!」
(待て!)
アタシは言葉でしかオリヴィアを止められない。ダメだ、このままじゃ……。
その時、片腕を引っ張られ、オリヴィアが踏み出した足を止めて振り返る。
「離してください……アル……」
「オリヴィア様、堪えて下さい」
「でも……でも、このままじゃ……」
腕を振り解こうとするオリヴィアに対し、アルフィルクは自分の腕を絡ませてそれを阻止する。
「お言葉ですが、オリヴィア様の力では……」
「わかってます……でも、このままでは……また多くの人が死んでしまします……」
「私に命じて下さい」
アルフィルクが腕を離し、片膝をついた。
「私はオリヴィア様の従者です。オリヴィア様の望む事をご命令ください」
「アル……」
「今度こそ、オリヴィア様の期待を裏切る事は致しません」
口惜しさと、不甲斐なさと……様々な感情が湧き上がっているのだろう。オリヴィアの全身が震えていた。
「彼等を……助けて下さい……」
「御意に」
「アルも……生きて帰って来てください……」
「必ず」
折れた剣を受け取ったアルフィルクが優しく微笑む。
「では、行って参ります」
真顔に戻ったアルフィルクが、ナミルに向かって駆け出した。
「おっと、アナタも我のキャストには必要ないんですよ」
アルフィルクに気付いたナミルの右腕から、再び雷光が放たれる。
音速を超える一撃。しかしアルフィルクは事も無げに雷光をかわすと、速度を落とす事なく突き進む。
「ほう……」
続いてナミルの両手が多数の触手に変わり、それぞれが鋭い矛としてアルフィルクに向かって放たれた。
あの夜、アルフィルクが処理していた触手は最大で10本程。今はどう見ても、その数倍はある。
普通に考えれば対処する事は不可能だ。しかし不思議と、不安も心配もなかった。なぜかアルフィルクなら大丈夫だと思えた。
後ろ姿から、彼の変化を感じ取っていたからかもしれない。
そして、その勘は間違っていなかった事を知る。
触手と激突する瞬間、アルフィルクは折れた剣を突き出した。
(……うそぉん)
呆れるしかなかった。アルフィルクは襲い掛かる無数の触手を、折れた剣先で軌道を変え、全て受け流していたのだ。
折れた剣で、しかも走りながらとか……コッチに来てからならまだしも、生前のアタシじゃ無理かも知れない。
「凄い……」
それまで不安気だったオリヴィアも、アルフィルクの剣技に目を奪われていた。
全ての触手を捌き切ると、アルフィルクは触手の上に飛び乗り更にスピードを上げる。
「コレはコレは」
ナミルが不気味な笑みを浮かべる。あれは、アタシとやり合ってた時と同じ顔だ。
「良いですね! アナタも楽しませてくれそうだ!」
「他人の評価など必要ありませんし、アナタを楽しませるつもりもございません」
アルフィルクがナミルを射程圏に捉えると、ブレードを肩に乗せて高々と跳躍した。
(オイオイオイ……どこまで盗むつもりだよ)
確かに良く見ておけとは言ったよ? でも簡単に再現されると凹むよ……特にそれ、一応ウチの奥義なんだけど……。
「はぁあ!」
アルフィルクが袈裟懸けに振り下ろした剣は、ナミルが防御に回した触手を全て斬り落とした。
「おっと!」
ナミルは後ろに飛び退き、本体へのダメージを回避する。
「我に構っていて良いんですか? 我を殺しても、彼等は止まりませんよ」
ニヤニヤと客席を見渡すナミル。周囲では、未だエルバドスの兵達が殺気に満ちた殺し合いを続けている。
「さっさと止めに行った方が良いのでは?」
「言われるまでもありませんよ」
アルフィルクは慌てる事無く、懐から何かを取り出した。何だろう……ロッド? いやワンドって武器か。短い杖っぽいヤツだ。
「ジ・アンヴィ・スイチョウ・トゥロゥ……」
アルフィルクがワンドを掲げ、聞きなれない言語を紡ぐ。するとワンドの先端が輝き、温かい光がコロシアムを包んだ。
やがて狂瀾の如く荒れ狂っていたエルバドスの兵達が、糸の切れた人形の様にバタバタと倒れて行く。
「アナベル様の件があって即、対応策としてグリシア殿下よりコチラを賜りました」
ナミルの前でワンドをクルクルと回すアルフィルク。その仕草が、挑発しているかのように見えた。
「アル……怒ってる?」
オリヴィアも同じように感じたらしい。
「オリヴィア様の為に、アナタには消えて頂きます。今度こそ完全に」
「そんな折れた剣一本で戦うつもりですか?」
見下す様に嘲笑うナミル。
「この剣は主の願いが込められた物、私にとっては神剣以上に価値がある。それに……」
ナミルからは死角になって見えていなかっただろう。でも、アタシ達には見えていた。アルフィルクの体を影にして、ナミルに近付いていた巨体を。
「私達の剣は一本ではございません」
「っ!?」
折れた大剣を掲げたザヴァルが、アルフィルクを飛び越えてナミルに襲い掛かった。
「ナミル! エルバドスを謀った罪を償って貰おう!」
振り下ろされる大剣。ナミルはそれを軽々と受け止める。あの夜と同じように。
「しつこい方ですね!」
しかし、今はあの時とは違う。
アルフィルクが、がら空きになったナミルの胴部を素早く薙ぐ。
ナミルの意識がアルフィルクに向けられた。
「ごぉおおおおおお!」
その僅かな隙を見逃さず、ザヴァルが気合と共に渾身の力を込める。
大剣を受け止めたナミルの腕が斬り落とされ、更に肩口から真っすぐに胴部を斬り裂いた。
「これは予想外……」
ナミルの背中から蝙蝠の翼が現れ、上空へ飛び上がる。腕と胴部の傷は瞬時に回復されてしまった。
「たった数日で強くなられましたな、ザヴァル殿下」
「やかましい! とっとと降りてこい!」
「お断りします」
騒ぎ立てるザヴァルに、ナミルは余裕な態度を崩さない。
「最後に顔を出しに来て正解でした、キャストは多い程良い。実に楽しみだ……」
ナミルは笑みをこぼし、上空からアタシ達を見渡していた。
「もう少し遊びたい所ですが、先ほど言ったように本日は野暮用を済ませに来ただけなので」
ナミルは右手に火の玉が生み出し、その手を対面の貴賓席に向ける。
「後片付けはしておきませんとね」
火の玉が急速に巨大化を始め、あっと言う間に貴賓席を丸々覆う程のサイズになった。
「陛下を護れ!」
退避が間に合わないと判断したか、貴賓席の近衛兵達が素早く王様や王妃の盾になろうと前面に立つ。勿論、アナベルの側近達も。
しかし、盾で防げる規模じゃない。それは誰の眼にも明らかだった。
「「やめろぉ!」」
グリシアとザヴァルが同時に叫んだ瞬間、アルフィルクがナミルに向かって炎の矢を放つ。しかしその一撃は、軽々とナミルの左腕に防がれた。
「残念、威力が足りませんでしたね」
「くっ!」
無慈悲に放たれる、ナミルの火球。
オリヴィアとグリシアが、貴賓席に向かい同時に駆け出した。だが間に合わない。
念動力で飛べば間に合うかもしれないが、間に合った所で浮遊中は念動力を他の事に使えない。オリヴィア自身には防ぐ術がない。
退避も防ぐ事も出来ない。
無理だ……諦めと言うよりは、合理的にそう判断してしまった。しかしオリヴィアは違った。
「お姉様!!」
諦めないオリヴィアの姿に、アタシの中で燻ぶっていた何かが弾けた。今までに何度か感じた、あの感覚……。
(トモエ!?)
「任せろ!」
瞬時に互いの状況を把握。理由を考える暇もなく、アタシは全力の念動力で飛び、躊躇なく火球の前に躍り出た。
「オリヴィア!?」
アナベルの驚嘆の声を背に、アタシは右手を掲げる。
「八剣流・一身ノ太刀……翅鳥烈斬」
迫る火球に、アタシは右手を真下に振り下ろした。風切り音が遅れて聞こえる。
巨大な火球が、アタシの眼前で縦に裂けた。対の半球になった火球は貴賓席を避け、左右の客席に着弾。二つの大爆発を起こす。
激しい爆音と悲鳴が乱れ飛ぶ中、右手に鋭い痛みが走った。
「あっちぃ~!」
右手の指先が焦げている。流石に素手は無茶だったか。
だが何とか凌いだ。アタシは指先をふーふーしながらナミルを睨みつける。
「残念だったなぁ、元騎士団長殿」
あえて余裕ぶった顔で煽ってみるが、ナミルは嬉しそうに微笑むだけだった。
「やっとメインキャストのご登場ですか」
「勝手に配役決めてんじゃねぇよ、テメェの舞台に上がりたいなんて言った覚えはねぇ」
(ト、トモエ……あの……もう少し口調を……)
……あ。
そう言や、真後ろに王様達がいるんだっけ……。
「……おほん。ご勝手にお決めにならないで頂けます? 私はアナタの演劇にお付き合いする気はございませんのよ」
(…………トモエ)
あーあーわかってるよ。アタシにお姫様らしさなんて物はございませんよ。
「ふむ、アナタに演技力を期待しない方が良さそうですね」
「……大きなお世話だ、です」
何でアタシが、人外にバカにされなきゃならんのか。
「まあ、アナタはキャストとして有能ですから、心配はしてませんけどね」
「何度も言わせん、ないで頂けます? アナタの劇に参加する気は無いですよ」
「前回は我がアナタの舞台に上がったんです、次はご出演頂いても良いでしょう。尤も、本番はもっと先ですがね」
「つまり、今は逃げるって事ですか?」
「野暮用は終わりましたから」
「キャァアアア!」
背後から聞こえる、女性の悲鳴。
振り返ると、狼狽するアナベルの足元に倒れる、鎧姿の男が見えた。あれは確か副団長のベルグ? 何でアイツが……。
「余所見はいけませんね」
耳元で声が聞こえる。ナミルが一瞬で肉薄してきた事がわかった。
やっぱり油断出来ないな、でも……。
「こんなに隙だらけでは、次の舞台まで生き残れるか心配になります」
「そりゃ、テメェの事だろ」
振り向きざまに右手を振り上げると、ナミルの胸が斬り裂かれ、鮮血が飛び散る。アタシの手には、一本の剣が握られていた。
「次が有るか知らねぇけどな」
「これは失敬」
ナミルがチラリと地上を見る。そこには、アタシに剣を投げて渡したグリシアの姿があった。
「我はアナタ以外を過小評価し過ぎていたかも知れません、キャストの練り直しが必要ですね」
「言ってろ」
追撃を狙うが、ナミルは翼をはためかせてアタシから距離を取る。空中での機動力は、敵の方が一枚上手か。
「ナミル!!」
背後から響く、耳をつんざく咆哮。王様が、威風堂々とした立ち姿でナミルを見詰めていた。
「貴様には裁きの場も必要なかろう。姫の手を煩わせる事も無い、ワシが直々に処してくれる!」
「それは光栄ですな、ガルヴァ陛下。出来れば……の話ですが」
王様が近衛兵を押し退け前に出る。その手にはザヴァルの大剣よりも更に大きな、斬馬刀を思わせる巨大剣が握られていた。
「ワシの力を忘れたか!」
王様が巨大剣を掲げ、力強く振り抜いた。
その瞬間、烈風が轟音を伴って吹き抜ける。
キーンと耳鳴りがしたかと思ったら、ナミルの片腕が吹き飛んでいた。
「何だ? 今のは」
まさか、斬撃を飛ばしたのか? アタシにとってはファンタジー世界だし、出来るかもとは思っていたが……。
つーか、これだけ強かったらアタシが護る必要なかったんじゃない?
「思い出したか、ワシの剣を!」
王様が、どうだと言わんばかりに吼える。しかしナミルは表情を変えず、瞬時に腕を再生させた。
「陛下の事は忘れてなどいませんよ、その力も……御身を蝕む病の事も……」
まるで興味が無いと言わんばかりに、ナミルの声には全く起伏が無かった。
「一度剣を振っただけで、最早立っているので精一杯。王と言うお立場も大変ですね、そんなお体でも威厳を保たねばならないのですから」
王様の体は震えていた。ナミルのセリフで、それが病による物だと悟る。
「ふん、貴様を殺すのに何の支障も無い」
「そうですか、ならば次にお会いするまで精々養生下さい。生きていれば、お相手する機会も有るかも知れません」
「次などない、この場で決着を付ける」
「陛下の都合にお付き合いする気はございません。慌てずとも、遠からずお会いする事になるでしょう」
そこでナミルの表情が再び歪む。
「今度は趣味ではなく、お仕事ですから……」
(……え?)
ナミルの仕事。その言葉に、アタシ達だけじゃなく多くの人が同じ事を思いついただろう。過去にナミルが犯したした罪。その事件に繋がっていた者。
そう、魔王と言う存在に。
「それでは、我はお暇させて頂きます」
「逃がすか!」
アタシは、恭しく礼をするナミルに飛び掛かった。同時にコロシアムが光のドームに包まれる。後で聞いた所、結界だったらしい。
しかし、そのどちらもナミルの逃走を阻む事は出来なかった。
アタシの剣がナミルに届く瞬間、ヤツの全身が激しく発光した。
「しまった!」
視界を奪われ、咄嗟に防御の体勢を取る。
「さようなら、オリヴィア姫。そして名も知らぬ剣士よ。お二人が主演の物語、どうぞお楽しみに」
そして数秒の後……回復した視界に、ナミルの姿は無かった。
王様やグリシアが兵達に指示を出しているが、きっと見付かる事は無いだろう。ナミルの恐ろしさは、単純な強さとか技とかじゃない。アイツが本気で逃げるつもりなら、どんな包囲網も抜けだし、逃げ切るだろう。
そんな確信めいた思いがあった。
「何だか、色々と覚悟しとかなきゃいけないかもな」
(……そうですね)
アタシは、アイツの獲物を狙う蛇の様な目を思い出し、用意された脚本を避ける術はない……そう思い始めていた。




