~判の五~
荒れ狂う大剣に、オリヴィアの小柄な体が何度も吹き飛ばされる。
決闘が続く内に、明らかに大勢がザヴァルに傾きだした。
疲労と両腕の痺れにより、オリヴィアは斬撃を捌ききれなくなってきている。
一気呵成に攻めるザヴァル。
「うぉりゃぁあああ!」
劣勢なのは疲労だけが原因じゃない、ザヴァルの剣にキレが戻ってきた事も大きい。
ニヤケ顔で振り回される大剣は、轟音を立てながらオリヴィアに襲い掛かる。最早その剣筋に迷いは感じられなかった。何か吹っ切れたんだろう。
押され始めたオリヴィアだが、これが本来の実力差とも言える。ここまで互角だったのが不思議なくらいだ。
大剣の切っ先が皮膚をかすめ、受けた衝撃で全身が痺れる。血と汗にまみれたオリヴィアは、今にも崩れ落ちそうな状態だった。
ザヴァルが言ったように、オリヴィアが相手のスタミナ切れを狙っているだけなら勝ち目はない。
だがオリヴィアは決して勝負を諦めてはいない。
オリヴィアの狙いは分かっている。それが極めて困難だと言う事も。
(オリヴィア……)
「ごめんなさい……トモエ……もうチョット……ですから」
もうチョットか。
アタシのマネかよ……ったく。
(わかった、頑張れ!)
「はい!」
そして数合の打ち合いの後、ザヴァルが大剣を上段に振り上げた。反射的に、オリヴィアは大きく前に踏み込む。
相手の剣を受け流す為ではなく、迎撃する為に。
斬鉄。
決して不可能じゃない。だが当然、極めて高難度な技術だ。数年剣を振った程度で出来る事じゃない。生前のアタシでも、よっぽどの好条件が揃わなければ不可能だった。
少なくとも、オリヴィアの今の実力では絶対に無理だと言える。
ただ一つ、オリヴィアには通常の剣士にはない経験が有る。それはアタシが彼女の体で実践している事。オリヴィアの体が、その感覚を知っている事だ。
オリヴィアはブレードを肩に乗せた。
そこまで真似るか。確かに良く見ていろとは言ったが……生意気な弟子だ。
「リュウソウオボロギリ……」
肩に乗せた剣を、袈裟懸けに振り下ろす。
その動きは、アタシがナミルに繰り出した一撃と寸分の狂いも無かった。
勿論それだけで同じ結果が出る訳じゃない。
アルフィルクの剣が、オリヴィアの剣と同様斬る事に特化していた事。数え切れない打ち合いで、ザヴァルの剣が熱を持っていた事。同じ位置に打ち続け、ザヴァルの肩に僅かながらダメージを与えていた事。結果的にカウンターになった事……不確定な要素も重なり、奇跡は起きた。
鈍い打撃音と、甲高い金属音が同時に響き、両者が剣を振り切る。
(……お見事)
頭上に舞い上がった刃が回転しながら落下し、二人の足元に突き刺さった。折れた大剣のブレードだ。
「なんと……」
ザヴァルは手にした剣と、足元のブレードを交互に見やる。暫く呆然としていたが、やがて堪え切れなくなったかの様に笑い出した。
「はぁーーーっはっはっはっ!!」
コロシアム中に響く程の大笑い。
ザヴァルは笑いながら、そのままの体勢で仰向けに倒れ込んだ。
「親父ぃ! 俺はもう戦えん! 俺の負けだ!」
ザヴァルが叫ぶと、決着を告げる銅鑼が鳴らされる。
銅鑼の響きを肌でビリビリと感じると、気が抜けたのかオリヴィアはその場にへたり込んでしまった。
「オリヴィア様!」
客席から乗り込んできたアルフィルクが、魔法でオリヴィアを治療する。傷口が、みるみるうちに塞がって行った。
「姫! ご無事ですか!」
何時の間にか、貴賓席からグリシアも下りてきていた。
「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません……」
弱々しく微笑むオリヴィアに、グリシアも胸を撫でおろす。
傍目にはオリヴィアの方が敗者に見えるし、心配されるのも仕方がない。ザヴァルなんて、ほぼ無傷なんだから。
「全く……こんな十王の裁、前代未聞ですよ」
「まあまあ、良いではないか兄者よ。俺は存分に楽しんだ」
「お前を楽しませる為のモノではない!」
ギャーギャーと騒がしい兄弟喧嘩が始まる。それを見て何となく、終わったんだな……そう感じて、アタシもやっと緊張が解けてきた。
(お疲れさん。で、どうだった? お袋さんに顔向けできそうか?)
「お母さんがどう思うかは、正直わかりません……でも、私自身の剣として悔いはありません」
(ん、なら結構)
こればっかりはオリヴィア次第だからな、また悩むようなら話し合ってみよう。それよりも……。
(しかし斬鉄とか……無茶するよなぁ〜ったく)
「ごめんなさい……でも、出来る様な気がしたんです……上手く行って良かった……」
(相打ちだけどな)
「え?」
タイミング良く、オリヴィアの剣の切っ先が地面にコツンと当たる。その瞬間、乾いた音と共にブレードが真ん中で折れた。
(一歩間違えば真っ二つだったな)
折れた剣を眺めていたオリヴィア。やがて全身の肌が粟立ち、汗が冷たい物に変わった。
(オリヴィアの決断した事だからケチは付けたかないが、勇猛と無謀で言ったら今回は間違いなく無謀だからな?)
「…………はい」
オリヴィアがガックリと項垂れる。アタシ自身も、何か脱力感の様なモノを感じていた。
正直、最後の打ち合いは九分九厘負けると思った。オリヴィアに恨まれても、護るつもりだった。その後、どんな手を使ってでもオリヴィアの中から消えるつもりだった。
その意味で、一番命拾いしたのはアタシかも知れない。
脱力したまま、何となく目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩を眺めていると、突然ザヴァルが上半身を起こしてオリヴィアを見た。
「姫、一つだけ聞きたい」
「は、はい。何なりと……」
「姫は今日、全力だったか? 疑う訳では無いが、皆に聞いていた姿と少し違う様に思えたのでな」
聞いていた姿とは、恐らくアタシ主導で戦っていた時の事だろう。確かにあの時とは違う。しかし、今日のオリヴィアは全力どころか、100%以上の力を出し切った。
それは、直接戦ったザヴァルが一番良く分かっているだろう。
「確かに……その時の私とは違ったかもしれません……」
オリヴィアがバカ正直に応える。適当にごまかしときゃ良い物を……。
「しかし、今日の私は全力でした……」
「誓えるかな?」
「十王と……母の名に誓って……」
暫く見つめ合う両者。やがてザヴァルが再び大声で笑いだした。
「すまんすまん、意地悪な事を聞いてしまったな。姫が全力だった事は、俺が一番分かっている。ただ姫が空を飛ぶと聞いて、少しだけ楽しみにしていたのでな」
「あぁ……アレは……その……」
慌てだすオリヴィア。そう言えば、この世界に空を飛ぶ魔法とかは無かったんだな。
「良い良い、無理に聞く気は無い。己の奥義を軽々しく口に出来ない事は承知している」
「当然だ、あれ程の神技。そう簡単には出来ぬ理由があるのだろう」
ザヴァルとグリシアが勝手に納得してくれた。ん~今後は軽々しく飛ばない方が良さそうだなぁ。
とりあえず、これ以上突っ込まれる事は無さそうだ。ホッとしていると、ザヴァルが笑顔のまま眉をひそめた。
「しかし、こうなった以上、俺は剣聖を返上せねばならぬな……」
ザヴァルの弱気な発言に、グリシアが怪訝な表情を見せる。
「珍しく殊勝な事を言うな」
「剣士に敗れた以上、最強の証である剣聖の名を背負う事は出来ぬ。剣聖の称号は、オリヴィア姫に……」
「ザヴァル王子は、その名に相応しい方だと思います」
オリヴィアがザヴァルの言葉を遮る。
「剣聖とは剣技だけではない、心と技が揃ってこそ……私はそう思います」
「いやいや、それこそ俺には縁遠い話だ。俺など剣を振り回すしか脳が無い男だぞ?」
「ザヴァル王子が孤児に稽古をつけ、直属の部隊に引き上げていると聞きました……」
オリヴィアが優しく、そしてどこか悲し気に微笑む。
「母は最期、見知らぬ孤児を護る為に命を落としました……王子は、その事をご存じだったのではないのですか?」
アタシは、お袋さんの最後は聞いた事が無かった。聞いても意味の無い事だったし、聞こうとも思わなかった。
なるほど、ザヴァルが孤児を配下に置いているってのは、そう言う事だったのか。
「ザヴァル王子は、少し前まで部屋に閉じこもっていた私よりも、よほど母の志を継いで下さっていると感じました」
「あ~……それは~……」
気付けば、ザヴァルが顔を真っ赤にして唸っている。そんな弟を見下ろし、グリシアが盛大な溜息を突いた。
「今更何を慌てる必要がある? 皆知っている事だろう」
「な、なんだと!」
ザヴァルがグリシアに詰め寄る。どうやら、知らぬはザヴァルばかりなり……だったって事らしい。
コロシアムと言う殺伐とした場所に、穏やかな空気が広がる。ザヴァル以外は、皆笑顔だった。
「ザヴァル王子は私などよりも余程、母の名を継ぐにふさわしい方かと」
「いやいやいやいや、それはならん。ケジメと言うものがある! 俺とて軽々しく母君の後に剣聖を名乗った訳では無いのだ!」
オリヴィアの説得にも聞く耳もたない。つーか、アタシにとっては酷くどうでも良い話だ。
(もう好きにさせれば良いんじゃね?)
「そ、そうですね……」
今回はアタシも疲れた、正直さっさと帰って休みたい。そんな事を考えていると、貴賓席から苛立ちを含んだ怒号が聞こえてきた。
「何時まで遊んどるんだ! 十王の裁はまだ終わっとらんぞ!」
貴賓席を見上げると、ガルヴァ王が仁王立ちしているのが見えた。
(アレ? まだ終わりじゃないのか?)
「あ、確か勝負が付いた後に王から判決……決着の言を承るとか」
一応裁判だから、形式的な事柄も必要なのかねぇ。メンドクサイな……。
「オリヴィア姫。お疲れでしょうが、もう少しお付き合いください」
「は、はい、勿論です」
オリヴィアがグリシアの差し出した手を取る。ま、何にせよコレで一件落着か。
「……何だ、もう決着がついてしまったんですか?」
それは、嘲笑しているかのような声だった。
コロシアム全体に響き渡る声に、緩んでいた空気が再び張り詰める。この場に居る大半の人間は、声の主を知っていたからだ。
「もう少し早く来るべきでしたね」
(オリヴィア! 後ろだ!)
オリヴィアが素早く後ろを振り返る。
それは貴賓席の対面。客席の中央にヤツは居た。
「ナミル!」
白い礼服を着たナミルが、アタシ達を見下ろしていた。




