~判の四~
エルバドス兵に案内され、薄暗い通路を進む。
通路の奥には、地下から地上へと向かう登り階段があった。
兵士の案内に従い、古びた石段を登って行く。
出口付近では燦燦と輝く太陽に出迎えられ、オリヴィアは顔をしかめていた。
日差しの眩しさに慣れた頃、オリヴィアはコロシアムの舞台へと辿り着く。
階段を上り切った先には、兜のない全身鎧を着たザヴァルが待ち構えていた。
ザヴァルの背後には貴賓席があり、王様と王妃、王子のグリシアは勿論、アナベルの姿も見えた。そう言えば、ナミルの本性が明らかになった所で、アナベルの監禁や監視も解かれたって話だったな。
皆が神妙な面持ちで舞台を眺める中、グリシアのみが不機嫌そうに顔をしかめている。まだ納得がいっていないようだ。
客席はガラガラ。警備の人間と、最前列に陣取ったアルフィルクが居るだけ。アルフィルクは、オリヴィアが控室を出る前に言った言葉を守ろうとしているのか、始まる前から身を乗り出している。
「只今より、ザヴァル・ア・エルバドスとオリヴィア・アレク・ズワートによる十王の裁を執り行う。両者、己の全霊を剣に込め、十王の裁きをその身に受けよ」
特に声を張り上げた訳でもないのに、王様の声は良く通っていた。万の兵を率いて前線に立つ指導者として、重要な素質なのだろう。
オリヴィアは一度大きく深呼吸をしてから、舞台の中央へと歩き出す。
それを見て、ザヴァルも中央へと進む。
二人は互いの剣が僅かに届かない距離で立ち止まり、同時に剣を鞘から抜いた。
「すまんな姫、俺の我が侭に突き合わせる事になった」
ザヴァルの表情は、昨日と同じように何処か悲壮感を感じさせた。本心で、オリヴィアに悪いと思っているのだろう。
しかしオリヴィアは、首を横に振ると表情を引き締め直す。
「私自身が望んだ事でもありますので……」
そしてオリヴィアは剣を中段に構え、その切っ先をザヴァルに向ける。
「ならばこそ、死力を持ってお相手させて頂きます」
オリヴィアの覚悟を受け、ザヴァルも小さく頭を下げた。
「感謝する」
ザヴァルが大剣を構えた瞬間、銅鑼の様な音が鳴り響く。決闘開始の合図だ。
張り詰める空気に、オリヴィアは集中力を最大限まで引き上げる。
しかし、両者は銅鑼の残響が消えてなお、その場から動かずに睨み合っていた。
オリヴィアには、まだ不安があるのだろうか。一方で、ザヴァルからはオリヴィア以上の迷いを感じる。
心の整理が出来ていないかも知れない。剣聖を名乗る自分が一撃で倒された事、そして信頼していた男に裏切られた事を。
長々と睨み合っていると、ザヴァルを突然剣を下ろし、空を仰ぎ見た。そして……。
「うぉぉおおおおおお!!!」
獣の様に絶叫する。何かを発散する為じゃない、負の感情を抑え込む為だろう。
視線を戻したザヴァルの顔は、痛みをこらえるかの様に強張っていた。
「参る!」
再び大剣を構えたザヴァルが飛び出した。
スピード感は無いが、この巨体で迫ってくるとプレッシャーは半端じゃない。
振り下ろされた大剣に対し、オリヴィアはヒラリと身をかわす。
目標を失った大剣が、地面に叩きつけられた。刀剣とは思えない打撃音と共に、地割れの様な亀裂が走る。
やっぱり、とんでもないバカ力だ。
今の一撃を受けなかったのは正解だろう、正面で受ければ間違いなく剣が折れていた。オリヴィアは落ち着いている様だ。
「ぬぅうん!」
地面から大剣を引き抜いたザヴァルが、再びオリヴィアに向かって突撃をする。
「うぉりゃあああ!」
ザヴァルはオリヴィアの身長を優に超える大剣を、その剛力により軽々と振り回す。
形らしい形は無く、ただ力任せに振り回している様にも見えるザヴァルの剣。オリヴィアは、後退しながら襲い掛かる大剣をかわしていた。
オリヴィア自身、ザヴァルのプレッシャーに押されているのか、反応は決して良くは無い。普段のザヴァルであれば、既に捉えられていてもおかしくないだろう。
ただザヴァルの大振りと雑さに助けられている、そんな感じだ。
馬力で攻めるザヴァルに、身の軽さで対応するオリヴィア。見る者にとっては、予想通りの展開だろう。
アタシもそう思っていた。ただ同じ様な攻防が続いて行く内に、徐々にある不安が募って行く。
オリヴィアは、決闘が始まってから一度も剣を振っていないのだ。
守勢に回るだろう事は予想出来たが、オリヴィアは相手の剣を受ける所か、自分からは一度も攻めていない。
ザヴァルに隙が無い訳じゃない。大振りの直後など、攻めるチャンスは有るはずだ。
しかしオリヴィアは攻め込もうとしない。何故だ?
その時、控室でのオリヴィアの言葉が蘇った。
ひょっとして……剣を振らないんじゃなくて、振れないのか?
(オ……)
思わず声を上げそうになるが、何とかこらえる。助言もダメだって言われてたんだよなぁ。
助言も出来ない、念動力で護る事も出来ない。歯痒い……でも、手出しは出来ない。コレはオリヴィアが、アタシの弟子が決めた事だ。アタシは見守らなきゃ行けないんだ。
例え、どんな結果になったとしても……。
ハラハラしながら決闘を見守っていると、二人の攻防に変化が現れる。
「はぁああああ!」
「……っ!?」
ザヴァルの剣に対し、オリヴィアの反応が遅れてきた。
大剣の切っ先が、鎧や髪の毛に触れる。その度に、オリヴィアの動悸が激しくなっていた。
まだスタミナが切れる程、動いてはいない筈だ。過度のストレスで体力を消耗したのだろうか……。
迫るザヴァルの大剣、それをかわすオリヴィア。その距離が、少しずつ近付いている様に思える。
このままでは、いずれ当たる。ザヴァルの大剣が直撃したら、殺意がなくとも死に繋がる。
アタシは本当に見守る事しか出来ないのか? 念動力で護る事が出来ない、アドバイスも出来ない、そんなアタシに何が出来るんだ?
アタシに……アタシに出来る事は……。
(オリヴィア!)
何か考えが有った訳じゃ無い。ここ数日の出来事がフラッシュバックし、自然とその言葉を発していた。
(アタシが憑いてるぞ!)
「……はい!」
その時、オリヴィアが初めて前に踏み込んだ。
「やっと斬り合う気になったか!」
振り下ろされるザヴァルの大剣。迫る刃に、オリヴィアは前進しながら自分の剣を振り上げる。
アタシは初めて戦闘中に目を閉じたいと思った。振り上げた剣と共に叩き斬られる、オリヴィアの姿を想像してしまったから。
だが、アタシの意志で目を閉じる事は出来ない。オリヴィアの感じている恐怖が、その視界から伝わる。コイツは、何時もこんな思いで戦っていたのか?
ならば、アタシが逃げる訳に行かない。見届けるんだ、弟子の覚悟を。
「ふぅ……」
凶刃を眼の前にして、オリヴィアは敢えて息を吐き、脱力した。
そしてザヴァルの大剣がオリヴィアの剣と衝突する。折れる……そう感じた瞬間、オリヴィアは全身を捻りながら手にした剣を払った。
するとザヴァルの大剣が目前で軌道を変え、オリヴィア髪をかすめながら振り抜かれた。
(良しっ!!)
アタシは心の中でガッツポーズをした。
アタシの形とは違うが良い捌きだ。ちゃんと衝撃を逃がしているし、バランスも崩れていない。
逆にザヴァルは自分の剣が意図しない動きをした事と、元々大振りだった事で大きな隙が生まれた。
「はあっ!」
オリヴィアが、ザヴァルの右肩に剣を振り下ろす。
刃が金属鎧にぶつかり、重い金属音が鳴り響いた。
コロシアムが、しんと静まり返る。打ったオリヴィアも、打たれたザヴァルも、そのままの体勢で固まっていた。
一般的な試合なら、これで一本。勝負が付いたと言っても良い。だがコレは決闘であり、死合だ。
「こんなモノで俺が殺せるかぁ!」
ザヴァルが怒号と共に大剣を逆袈裟に斬り上げる。
オリヴィアは剣を合わせ大剣を逸らせようとするが、両腕に激しい衝撃が襲い掛かった。
衝撃を逃がしきれなかった。反射的に後方へ飛び退き、ザヴァルと距離を取った。
「忘れたか! どちらかが戦闘不能となるまで決着はつかんぞ!」
ザヴァルが憤怒の表情で襲い掛かる。
再び始まる大剣の乱舞。だが、今度のオリヴィアは避けるだけじゃない。全てではないが、ザヴァルの大剣を受け流し、隙を見てザヴァルの右肩に打ち込んでいる。
まともに受け流せているのは半分くらいだろう。剣にダメージは無いが、両腕が痺れてきた。
長期戦は不利かもしれない。だがオリヴィアは何度もザヴァルの大剣を捌き、何度もダメージの無い鎧の上から剣を叩きつける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が上がって来た。それでもオリヴィアはザヴァルの鎧を叩く。助言も出来ないアタシは、もう応援するしかなかった。
(がんばれ……見てるぞ……)
もう何度目だろうか、オリヴィアの剣がザヴァルの右肩に叩き込まれる。その剣を、ザヴァルが素手で掴んだ。
「何時まで無駄な事を続けるつもりだ!」
オリヴィアは剣を引き抜こうとするがビクともしない。ブレードを握ったザヴァルの拳から、血が滴り落ちて行く。
「俺を舐めるな!」
ザヴァルはオリヴィアの剣を握ったまま、大剣を真横に薙ぎ払う。
オリヴィアは剣を手放し、大きく飛び退いた。
「手心は重罪! そう伝えてあるはずだ!」
ザヴァルの怒りは分かる。オリヴィアには、何度も勝負を終わらせるチャンスはあった。傍から見れば、わざと決着を付けずにいる様に思えるだろう。
でも違う。オリヴィアは必至に戦っている。
「手心を加えているつもりはありません……」
「ならば俺の首でも頭でも斬れば良いだろう! 俺に生き恥を晒させるつもりか!」
ザヴァルが怒りに任せて吠えた。全身が、わなわなと震えている。
「俺は命を懸けて戦っている! 殺す気で! 殺される気で戦っている! 姫は違うと言うのか!」
「私も命懸けで戦っています……でも、殺す気はありません……斬りたくはありません」
「相手の命を奪う覚悟も無く、斬る覚悟も無く、何が命懸けか!」
オリヴィアが柔らかな笑みをたたえる。その笑顔が、アタシに向けられている様な気がした。
「母なら……彼女なら、きっと命を奪う事なく王子を戦闘不能にする事も可能でしょう。でも、今の私にその技術はございません……」
「……何の話だ?」
「戦闘不能は、死ぬ事だけではないはずです……王子が動けない状態であれば、充分に戦闘不能と言えるのではないでしょうか……」
「まさか俺が疲れ果てるまで、同じ事を続けるつもりか!」
無茶苦茶な話ではある。オリヴィアの言っている事は、相手によっては侮辱と捉えられても仕方がない。
オリヴィアも、それは充分理解しているだろう。それでも彼女の覚悟は変わらない。
「私は、この我が侭に命を掛けます……それが、私にとって死力を尽くすと言う事です」
「その為に、こうして自らの武器を失っているのだぞ。それでも、我が侭を通すと言うのか」
「……はい」
ザヴァルが鬼の形相で睨み付けてきた。
「悔いは無いのだな」
「全て覚悟の上です」
「……わかった」
ふとザヴァルの表情が緩む。そして、その手にしたオリヴィアの剣を、こちらに向かって放り投げた。
「わわわっ!」
オリヴィアが慌てて飛んできた剣を掴む。
「覚悟の決まっていなかったのは俺か……」
その表情に、決闘開始前の悲壮感は微塵も感じられなかった。
「ならば俺も俺の剣を貫こう! しのげるモノならしのいでみろ!」




