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~判の三~

 翌日、オリヴィアとアルフィルクは雨上がりの中、町の中心部へと向かっていた。


 目的地は石造りの巨大建造物、コロシアム。


 護衛中と同様、白銀の胸当てとマントを纏ったオリヴィアは、コロシアムの門をくぐり、更に石造りの通路を進み客席へと向かった。


 コロシアムの造りは、私の世界に存在する物に近い。


 すり鉢状の客席に屋根は無く、メインスタンドにはまるで祭壇の様に豪華な貴賓席が設けられている。


 中央には土肌がむき出しにされた舞台、地下へと続く階段、舞台を取り囲む石壁には赤黒い染みが目立つ。


 永らく本来の目的では使われず、現在は兵士の訓練や観光名所として利用される事が大半らしい。


 しかし、嘗てこの場所で多くの人間が傷付き、命を落としているであろう事は分かる。


 だって、明らかにお仲間っぽいヤツ(霊魂)が溢れているんだから。


 アタシにちょっかいを掛けているのか、何だかムズムズする。オリヴィアと入れ替わる状態ではないが、正直気持ち悪い。


 アタシに憑いても、コイツ等の恨み辛みを晴らす事は出来ない。だって仇が居ないんだから。何で絡んでくるんだろうか?


(お仲間だらけだな。他国の文化を否定する気は無いが、殺し合いを見世物にする感覚は良く分からん)


「同感です……」


(さっきから、色んな霊に絡まれて鬱陶しいよ)


「まさか、入り変わったりはしませんよね?」


(大丈夫……たぶん。コイツ等の仇がザヴァルって事は無さそうだし)


「今日は、私自身の力で戦いたいので……」


(分かってるよ)


「それと、試合が始まったら念動力も助言も無しでお願いします」


(ん、りょーかい)


 見守るだけか……少し残念ではあるが仕方ない。それが、オリヴィアの覚悟なのだろう。


 オリヴィアは暫く舞台を眺めた後、地下の控室へと向かった。


 控室と言っても簡素な椅子とテーブルが置いてあるだけ。一応、王女であるオリヴィアが利用するからか、掃除は行き届いている様子だ。


 しかし窓一つない閉鎖された空間。湿度が高い為か何だかカビ臭く、決して居心地が良いとは言えない。


 出入り口の鉄格子が控室の用途を垣間見せ、不気味さを増幅させている。


 そんな独特の雰囲気に気圧されてか、オリヴィアは部屋の中央で立ち尽くしていた。


 徐々に鼓動が高鳴って行き、自然と深呼吸を繰り返す。何時もの事だが、この緊張感は嫌いじゃない。


 オリヴィアは嫌なんだろうけど。


(オリヴィア、取り合えず座っとけ)


「そ、そうですね……」


 オリヴィアは椅子に座っても、深呼吸を続ける。


 その時、ふと場違いにフルーティーな香りが漂ってきた。


「失礼致します」


 アルフィルクが、テーブルにティーカップを置く。カップには湯気を立てた紅茶が注がれていた。


 何時の間に……ってか、何所で用意したんだよ。


「ありがとう」


 オリヴィアがカップを手にする際、アルフィルクの足元にバッグが見えた。


 やたらデカいバッグだなぁとは思っていたが、まさかティーセットまで入ってたのか?


「ふぅ……」


 アタシがどうでも良い事を考えている間、オリヴィアはゆったりと紅茶を楽しんでいた。フルーティーな中に、ミントの爽やかな清涼感が広がる。


 オリヴィアの緊張を察しての事だろう。こういった気遣いは、アタシにゃ無理だな。


「美味しい……」


 しみじみと味わっていたオリヴィアが、ポツリと漏らす。


「この茶葉は、エルバドスの物ですか?」


「はい、フローラ陛下より賜りました。是非、オリヴィア様にと」


「そうですか……改めて、お礼をしなければなりませんね」


 そう言ってカップを置くオリヴィア。


 先程よりは随分と落ち着いたが、それでも全ての緊張感が解放された訳じゃない。


 特に通路から足音等が聞こえる度に、再び鼓動が速まって行く。


 オリヴィアは胸に手を当て、再び乱れそうになる呼吸を整えると、自嘲気味に微笑んだ。


「私はダメですね……何時まで経っても怖がってばかりで……自分で戦うって決めたのに」


 オリヴィアがビビりなのは今に始まった事じゃない。一方で、妙に頑固で驚異的な根性を見せる事もある。


 きっと今回も試合が始まれば大丈夫だろう、アタシは高を括っていた。


「オリヴィア様、戦で恐怖を覚える事は当然です。むしろそれが正常です。誰だって痛い思いなどしたくない、命を危険に晒す事などしたくはないのですから」


 ご尤も。何だか耳が痛いね。


 しかしオリヴィアは、顔を伏せたまま首を横に振る。


「今回の裁きは私が望んだ事……償いの方法に異論も不満もありません……勝敗も、私の身に起る事も全て受け入れます……ただ……」


 オリヴィアが、膝の上に乗せた拳をギュッと握った。


「ただ、私は逃げているだけ……罪を償ったと言う免罪符が欲しいだけ……そう考えると怖いんです……今の私が剣を振ったら、今までの全てを否定してしまう気がするんです」


 昨日、王様が言った言葉が思い出される。


 刑罰は自己の都合で振りかざす物ではない……か。


「お母さんが残してくれた物……トモエやアルが教えてくれた事……それを私の自己満足で汚してしまう気がして……それならば、甘んじて王子の一刀で受けた方が良いんじゃないかとさえ……」


(……オリヴィア)


 思わず語気を強めてしまい、オリヴィアの体がビクリと跳ねる。


(お前に剣を教えたのは、自殺させる為じゃねぇぞ)


「トモエ……」


(何だ? アタシがオリヴィアの事「反省してるフリして只のジコマンじゃん! 只の我が侭じゃん! だっせー!」とでも言うと思ったか?)


「……そう言われても仕方ないかなって」


(今更だろ。アタシから言わせればな、お前は出会った時からずっと我が侭だよ)


「え……そうでした……か」


 言い方が悪かったかな、何かショックを受けてるみたいだ。


(剣の修行したいとか、お袋さんみたいになりたいとかだって、全部我が侭な自己満足だろうが)


「そう……ですね……」


(だが、それがどうした)


「どうした……て」


(良いじゃねぇか、自己満足でも何でも。「人間の行動原理は全て自己満足に起因する」何て言われてる位だ。それ自体は悪いこっちゃねぇ)


「し、しかし……」


(我が侭でも自己満足でも、お前が考え抜いて決めた事ならアタシは口出ししない。ただし死ぬ気で死ぬ位なら死ぬ気で足掻け、その上で死ね)


 アタシ自身、めちゃくちゃな事を言ってるなとは思う。まぁ、我が侭さ加減ならアタシは誰にも負けない自信があるからな。


(悩むくらいなら、取り合えず必死に剣を振ってみろ。それでもし、お袋さんを否定したと感じたなら……死んで詫びたいと思うのなら、アタシもオリヴィアと一緒にこの世から消えてやる)


「ト、トモエが消える事は無いんじゃ……」


(アタシが教えた剣で弟子のお前が傷付くのなら、それは師匠としてのアタシの責任だ。ま、それも自己満足だけどな)


 師としての心構え。アタシが師範代になった時、ウチのジジイに何度も聞かされた。


 弟子とは文字通り血肉を分けた間柄なんだと。最近になって、それが少しだけ分かるようになってきた。


(そもそも何で自分だけで背負い込むんだよ。手紙作戦も罪を償いたいって話も、全部アタシと話し合って決めた事だろ)


「だって、最終的に決断したのは私だから……」


(アタシ自身、オリヴィアが納得する方法でやりたかったんだ、アタシがそう判断したんだ。一人で背負うな。アタシはお前に剣を教えると決めた時、お前と全てを共にする覚悟をしたんだ)


「…………はい」


 気付けば、オリヴィアの瞳から大粒の涙がこぼれていた。


(何だよ、最近泣き虫は治って来たと思ってたのに……)


「ごめんなさい……」


「また、トモエ様……トモエさんに怒られてしまいましたか?」


 アルフィルクが、そっとハンカチを差し出す。


「はい、取り合えず必死に剣を振れ……そして一人で背負うなって……」


 オリヴィアはハンカチを受け取り、目元を拭った。先程までとは声のトーンが明らかに違い、悲壮感は感じられない。


「アルもごめんなさい、もう大丈夫です。戦う覚悟、決まりました」


 そう言ってアルフィルクを見上げるオリヴィアの表情は、確かに決意に満ちていたと思う。


「そうですか……」


 アルフィルクも、何処か安心したように顔を綻ばせた。


 その時、通路から複数人の足音が聞こえてきた。明らかに武装した者達が、コチラに向かって来ている。


(そろそろか)


「……ですね」


 未だ緊張感は拭えないが、戦う準備は出来たかな。


 オリヴィアが立ち上がると、アルフィルクが両手で自らの剣を差し出した。


「お借りします」


 オリヴィアが剣を手にすると同時に、エルバドスの兵が現れる。


「オリヴィア殿下、舞台までお願い致します」


「……はい」


 兵士に促され、控室から退室する寸前、オリヴィアは背後を振り返った。


「トモエ、アル、見ていてください……私の剣を」


(ああ、好きに暴れてみろ)


「はい、一時も目を離しません」


 アルフィルクに見送られ、オリヴィアは錆ついた鉄格子を潜る。


 自己を満たす為の、裁きの場へ向かう為に。

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