~判の二~
着替えを終えたオリヴィアは、アルフィルクを引き連れて玉座の間へ向かう。オリヴィアは今、剣と鎧に身を包んでいた。
今は王女ではなくアナベルの護衛だから、との事。
(メンドクサイもんだな)
「私は、こちらの方が楽なんですけどね」
王女様ともあろう者が、ドレス姿より武装している方が楽だと言い切るのは、如何な物だろう? まぁ、アタシの責任だろうけど……。
程なくして玉座の間に辿り着くと、扉の前に初老の男性が控えていた。
「お待ちしておりました」
執事らしき初老の男性は、オリヴィアとアルフィルクを中へと招き入れる。
赤絨毯の先には、玉座に座るの王様と二人の王子がいた。そしてもう一人、美しいマダムが王の隣に佇んでいる。
確か王妃様だったはず。名前はフローラだったかな? オリヴィアの母親とは違う、ほんわか美人だ。
非常に品が有り、優しい微笑みを称えている。こういう人をモナリザの様だと表現するのだろうか。
厳つい王様とは全てにおいて正反対と言える存在だ。
執事に玉座の前まで連れられたオリヴィアとアルフィルクは、その場で片膝をつく。
「オリヴィア・アレク・ズワート、仰せにより只今まかりこしました」
「病み上がりに呼び出してすまぬな」
高みから聞こえる王様の声。少し高揚している様にも感じた。
「姫の武勇、現場の者達から聞いておるぞ。ワシも参戦したかったのだが、息子達に反対されてな」
「当然です」
グリシアが溜息交じりにツッコんだ。
「お前は良いだろう、姫の妙技を間近で見られたのだから。ワシなど話に聞くだけで、まるで自慢されている様な気分になる」
頭上で楽し気な父子の会話が交わされる。その間、オリヴィアは頭を下げたままだった。
「……オリヴィア姫、ご気分が優れませんか?」
父子の会話を遮る柔らかな声。オリヴィアが顔を上げると、王妃が変わらず微笑んでいた。
「いえ、充分に休ませて頂きましたので……」
「そうですか、私には何だか姫が苦しんでいる様に見えたもので」
鋭いな。いや、男どもが鈍いのか。
「何かあれば仰って下さい、オリヴィア姫は我が国の危機を救った英雄です」
「……私は英雄等ではございません、多くの命を奪われる切っ掛けを作った罪人です」
オリヴィアの言葉に、和やかだった空気が一変する。
「姫が罪人……ですか」
「私は今回の首謀者を突き止める為、自らを囮にしようと考えました。結果、大切な貴国の民を危険に晒し、尊い命が奪われました。全ては身勝手に動いた私の責任です」
「確かに亡くなった兵達は、我が国にとっても大切な民。しかし、彼等は自らの使命に殉じただけ。姫が責任を負う事ではありませんよ」
王妃の優しい言葉に同調したのは、グリシアだった。
「母上の仰る通りです、姫のお陰でナミルの本性が暴かれ、討伐が出来たのです。我々は勿論、皆が姫に感謝しています」
ナミルの正体を知って、最も傷付いている人間の一人だろうグリシアがオリヴィアを労う。その心遣いに感謝しつつも、オリヴィアの気持ちは揺るがない。
「いいえ、もっと慎重に行動していれば、誰かに相談し連携を取っていれば、被害は抑えられた可能性が有ります。私の浅慮な行動が、此度の結果につながった事は明白です」
アナベルの単独行動など想定外の事態はあったが、結果的に多くの命が奪われた事は確かだ。アタシも気に病む必要はないと思ったのだが、オリヴィアが納得いく選択をすれば良いと伝えていた。
「叶うならば、貴国の法に則り罪を償う機会を頂きたく存じます」
自然と玉座の間が静寂に包まれた。皆が発言を控えたのは、王様の言葉を待っていたのだろう。
「ふむ……確かに、せめて我々に話を通してくれていても良かったな」
王様が思案顔で顎髭を撫でる。
「……貴方?」
そんな王様を笑顔で見詰め、ポツリと呟く王妃。その声に、何処か圧を感じたのは気のせいじゃないと思う。
この世界の王様は、妻の尻に敷かれるルールでも有るのか?
「わ、分かっている。何所で誰が聞いている分からぬ状況、単独で行動した方が成果も出しやすかろう。結果論だが、相手がナミルだったのだ。姫の考えは正しかった言うべきだ」
「それは、そうかも知れませんが……」
食い下がるオリヴィアに、王妃が微笑みかける。
「姫の贖罪の意志、私はとても尊いと思います。しかし、此度の件では皆が命を懸けて職務を全うしたのです。嘆くよりも、自責の念に囚われるよりも、称えてあげてください。立派だったと。戦場を共にした仲間として」
「姫が罪に問われると言うのなら、ヤツに謀られ続けた我々は死罪でも足りません」
王妃とグリシアが、オリヴィアを宥める様に語り掛ける。一方、王様は再び思案気に髭を弄る。
「まぁ、どうしても罪を償いたいと言うのなら、グリシアに嫁ぐ事で償うと言う手も……」
「……貴方?」
「じょ、冗談だ! 冗談!」
「趣味の悪い冗談はお止めください」
「すまぬ……」
「私としてもオリヴィア姫の様な方が嫁いで下さるのは大歓迎ですが、無理強いはなりません」
王妃がオリヴィアに微笑みかける。やっぱ強ぇな……。
王様に王妃、更にグリシアにまで説得され、流石にオリヴィアもそれ以上は何も言えなくなってしまった。
何となくそのまま終わりそうな雰囲気が漂い始めた頃、珍しく大人しかったザヴァルが、起伏の無い声でポツリと呟く。
「良いではないか、姫自身が罪を償いたいと言うのだ」
「どういう意味だ、ザヴァル」
グリシアに攻める様な視線を向けられても、ザヴァルは表情を変えない。穏やかだった空気が、瞬く間に張り詰める。
「このまま何事もなく終わっても、姫自身が納得出来なければ意味が無かろう。違うか?」
「罪なき者に刑を課す事は出来ぬ。例え姫が望んでも、刑罰は自己の都合で振りかざす物ではないのだ」
王様の言葉に、何故かオリヴィアの心臓が跳ねる。
(どうした?)
「いえ……大丈夫です……」
大丈夫ではなさそうだが、再びザヴァルが語り始めた事で、それ以上の事は聞けなかった。
「わざわざ玉座の前に呼び出したのだ、親父は姫に褒賞を与えるつもりだったのだろう? ならば、姫の願いをかなえる事で褒賞とすれば良い」
ザヴァルは良い意味で脳筋だ。その思惑が全て言動に現れる。しかし、今のザヴァルは無表情で何を考えているか分からない。それは、王様も同じだった様だ。
「ザヴァルよ、何が言いたい?」
「今の法で裁けぬのなら、我が国の古びた伝統に則り神の審判に委ねるだけだ」
「……十王の裁か」
オリヴィアにとっても聞き慣れぬ言葉だったらしい。表情を読み取られたのか、王妃が説明をしてくれた。
十王の裁。十王とは、地獄で罪人を捌く神様の事。
罪人と執行人が神の前で決闘を行い、その結果を持って償いとする悪趣味な法。法と言うよりは、儀式に近い物だとか。
勝とうが負けようが、無傷だろうが死亡しようが、決闘が終わればそれで神の裁きは終わり。前科すら付かないらしい。
ルール上、強ければ凶悪犯でも実質無罪で釈放される可能性もある。まさに「勝てば官軍」「力が正義」、ある意味エルバドスらしい無茶苦茶な裁き方だ。
しかし多くの場合、執行官は罪人よりも強者が選別される。死刑宣告同然なのだとか。
決着はどちらかが戦闘不能になるまで続き、真剣勝負故に手を抜いた場合は処罰される。通常の裁判で言う所の、侮辱罪の様な扱いになるらしい。
「錆び付いていようがいまいが関係無い、今でもこの国の法律書に乗っているのであれば、執行しても問題なかろう。当然、執行役は俺がやらせてもらう」
ザヴァルが王妃の説明を遮る様に持論を展開する。
「お前は姫と真剣勝負をしたいだけだろうが!」
「ああ、そうだ。俺はオリヴィア姫と真剣で戦いたい。俺を一撃で沈めた男、ナミルを討ち取った姫と」
グリシアの叱責にも、ザヴァルは一切動じない。
睨み合う兄弟。兄弟喧嘩染みた言い合いは何度か見たが、今回は空気が違う。特にザヴァルの表情は、今まで見た事が無いくらい真剣で、何処か追い詰められている様にも見えた。
王様が睨み合う兄弟を眺めながら、指先で玉座の肘掛をコツコツと叩く。
幾ら本人が望んでいようとも、今は護衛という立場だとしても、オリヴィアは王女だ。そう簡単に罪人とする訳にはいかないだろう。
長い長い沈黙の後、王妃が執事らしき人から紙切れを受け取った。王妃は紙切れを確認し、王様に向かってコクリと頷く。
「十王の裁は真剣勝負、手心は許されぬ。どちらか……あるいは双方が命を落とした事例もある。それでも構わぬかな? オリヴィア姫」
王様の言葉に、オリヴィアは今まで以上に深々と頭を下げる。
「無論です」
「良かろう。エルバドスの王ガルヴァの名において、ザヴァル・ア・エルバドスとオリヴィア・アレク・ズワートによる十王の裁を執り行う。ただし姫は容疑者として取り扱う。また、逃亡の恐れなしとして待遇は変えぬ」
「陛下! いや父上! 本気ですか!」
「落ち着けグリシア。実は先日、此度の件でアナベル姫に対し公式に謝罪を行ったのだが……」
「それは存じています。晩餐会での一件が、ナミルによるものと判明した為ですね」
「そうだ。しかしアナベル姫から、謝罪は不要だと言われたのだ。その代わり、功労者であるオリヴィア姫から何かしらの要望が有れば、可能な限り受け入れて欲しい……そう言われたのだ」
「アナベルお姉様が……」
アナベルか……普通に考えたら、オリヴィアへ褒美をやってくれって意味に取れるけど……アナベルの事だ、何か企んでるようにも思える。
「この事を見越していたのかは分からんがな。アナベル姫はアハトの代表、こちらに非がある以上、その頼みは無下にできん」
グリシアは最後まで納得いかない様子だったが、王様の話を聞いて、それ以上食い下がる事はしなかった。
その後、詳細なルール等を説明された後、オリヴィアはアルフィルクと共に玉座の間を後にした。
最後に見たザヴァルは、その強張らせた表情の中に少しだけ悲壮感を感じさせた。アイツなりに、あの一件で思う所があるのだろうか。
「アル、少し寄り道をさせて下さい」
王様との面会を終えたオリヴィアは直接客室には戻らず、その足で中庭へと向かった。
中庭は既に片付けられていた様で、事件の夜に散乱していた瓦礫は全て撤去されていた。
まだ調査中だった筈だが、この世界には現場保存の概念は無いらしい。まぁ、科学捜査も存在しない様だし、コレが当たり前なのかな。犯人も分かってるし。
科学捜査と言えば、ナミルの仕込んだ手紙の件。アタシは封筒から指紋を採取する方法なんて知らない。
それこそブラフだったんだけど、ナミルにとってはどうでも良い話で、アイツ自身が言った様に、正体を晒す切っ掛けに過ぎなかったのだろう。
間が良かったのか悪かったのか……ひょっとしたらオリヴィアがこの国に来ると決まった時点で、ナミルの行動は確定していたのかも知れない。
一方で、オリヴィアにとってもナミルの都合はどうでも良い話。アタシ達の行動で、結果的に人が死んだ事に変わりはない。
ナミルの思惑がどうあれ、罪の意識が消える訳ではないのだ。
オリヴィアは中庭の中央で両膝をつくと、瞳を閉じて両手を組んだ。
アタシもオリヴィアに倣って黙祷を捧げる。
中庭は見た目片付いているが、仄かに血の匂いが漂っていた。きっと探せば血痕も見付かるだろう。
あの時の光景を思い出したのか、オリヴィアの体が微かに震えていた。
どれ程の間、オリヴィアは祈りを捧げていただろう。頬に感じた冷たさで、ようやく眼を開けた。
(オリヴィア)
「オリヴィア様」
アタシとアルフィルクが同時に声を掛ける。オリヴィアが顔を上げると、ポツポツと雨が振り始めていた。
(明日は大事な日だ、風邪ひく前に戻ろうぜ)
「……はい」
オリヴィアは屋内に戻る直前、中庭に向かって深々と頭を下げ、客室へと戻った。
本降りになった雨音が、ネガティブな想いを加速させる。
その日は早めに床へ就いたオリヴィアだが、結局一睡も出来ずに朝を迎える事になった。




