~醒の六・終~
視界全てが純白に染まり、肌がビリビリと痺れる。
不意に浮遊感を覚えると同時に、トモエが手にした剣を振り上げた。
「ぐぁあああああ!」
絶叫が響き、顔に生暖かい物が降りかかった。
急速に光が収まって行き、視界が回復していく。
「ぐ……まさか……」
回復した視界には、満天の星空を背に、胴部を斜めに斬り裂かれたナミルが居た。私達の……目の前に。
「悪いな。勝手に手を出したのはアイツらだが、見殺しにも出来ないんでね」
トモエは言葉で謝罪するも、その表情からは悪びれた様子は感じられない。
いや、今はそんな事は問題ではなく……。
(トモエ……私達……浮いてません……)
「ああ、そうだな」
(そうだな、じゃなくて! 何で浮いてるんですか!?)
「前に言ったろ、人一人くらいなら私の念動力で動かせるようになったって」
考えれば理解は出来る。トモエの念動力は人間一人を支えられる程の力がある、そして自身の体に作用させる事も出来る。そう考えれば、おかしな話ではないのだけれど……。
(信じられない……)
私が知る限り空を飛ぶ魔法や技術は無い。今のナミルの様に、身体的に空を飛べる人種は存在するけれど……。
(何時の間に……)
「オリヴィアが寝てる間に練習してた、出来る様になったのは最近だけど。今夜使うつもりじゃなかったんだけどなぁ~」
その時、私はスカートの中が妙に涼しい事に気が付いた。
トモエがチラリと眼下を見下ろす。そこには、私を見上げるアルやエルバドス兵達の姿。そして、今の私はスカートで……。
(ト、トモエェ!)
「緊急事態だ、パンチラくらい我慢しろ」
(我慢できません! せめて足を閉じてください!)
「もぉ~……だからスパッツでも履いとけって言ったんだ」
(空を飛ぶなんて聞いてません!)
トモエが渋々足を閉じる。スカートの中にフリルが有るので、足さえ広げなければ簡単に見える事は無いだろうけれど……。
「まっ、こっから先はパンチラ何て気にならなくなるさ。なぁ……騎士団長殿」
トモエがナミルに視線を移す。ナミルは白い礼服姿に戻っていたが、トモエが斬った胴部の傷は完全に塞がっていない。
「息切れか? 何なら続きは後日にしてやっても良いぞ、タイマンの邪魔したのはコッチだしな」
「問題ございません、それに折角アナタが舞台を整えて下さったのに……」
「……何の話かな?」
「アナタが私に近寄れば、周りも余計な手出しは出来ない。逆に言えば、私も遠距離では戦えない。だから、こうなる訳です……」
ナミルが自らの胸部に右手を突き入れた。グチャグチャと不快な音をたてながら体内を弄り、ユックリと引き抜く。その手には、剣の柄が握られていた。
右手を完全に引く抜くと、激しい出血と共に刀身の波立った長剣が現れる。
「舞台のキャストは、ディレクターの意志をくまねばなりませんからね」
「アタシと剣で争うつもりか?」
「それが狙いなんでしょう?」
両者が見つめ合い、ニヤリと笑った。
それから暫くの間、私は何が起こっているか、正確に理解する事は出来なかった。
分かる事は、トモエとナミルが高速で斬り合っているだろうと言う事だけだ。
無数の触手に襲われた時も、辛うじて動きは把握出来ていた。しかし今は、たった二本の剣による打ち合いに理解が追い付かない。
絶え間なく続く金属音、周囲を照らす無数の火花、狂喜に満ちたナミルの表情。
そんな風景だけが延々と続く。
どれほど続いたかは分からない。私には永遠にも思えた。二人の剣に、見惚れていたからだろう。
トモエだけではない、多くの命を奪った仇敵の剣に、視認すら出来ない剣筋に、私は目を奪われていた。
ナミルは人間ではないらしいが、軍事国家エルバドスの騎士団長を務めた男。当然それに見合った……いや、それ以上の剣術レベルを持っている。
互いに譲らぬ、息もつかせぬ剣劇。永遠に続くかと思われた打ち合いも、やはりと言うべきか当然と言うべきか、少しずつ拮抗が崩れてきた。
トモエの剣が、ナミルを捉え始めたのだ。
火花と共に血飛沫が弾け、ナミルの体が赤く染まって行く。
それでもナミルは歪んだ笑顔を崩さなかった。それ所か、更に顔を歪めて長剣を振り回している。
「はははははぁ! 素晴らしいぃ! アナタはディレクターとしてもキャストとしても最高ですよ!」
「そりゃどーも!」
トモエの剣がナミルの体を刻んでいく。このまま押し切れる、勝てる。私はそう確信していた、しかし……。
「……ちっ」
頬に、チクリとした痛みを感じた。
「さあ、まだまだ盛り上がって行きますよぉ!」
頬だけではない、体の所々にチクチクと微かな痛みが走る。
ナミルの剣が僅かに触れている。トモエが……押されている?
いや、明らかにナミルの方が傷は深い。ナミルの体は、常人なら生きているのが不思議な程に切り刻まれている。
ナミルが、己の身を顧みずに斬り込んできているのだ。まさしく、肉を切らせて骨を断ちに来ている。
(ト、トモエ!)
「あ~ワリィな、念動力を防御に回す余裕が無いんだ。傷は後でアルフィルクに治して貰ってくれ……もうチョットだから……」
(……もうチョット?)
私がトモエの言葉に疑問を抱いた瞬間、今まで視認出来ない程の速度で繰り出されていたたトモエの剣が、目の前でピタリと止まった。
剣はナミルの胸部に突き刺さった状態で止まっていたのだ。トモエが剣を引き抜こうとするが、剣はナミルの体に組み込まれているかのように微動だにしない。
「捕まえましたよ……」
ナミルの胸部から触手が飛び出し、私達の右腕と剣の柄を縛り付けた。トモエがどれだけ力を加えても、触手が外れる気配は無い。
「さあ、次はどうしますか?」
ナミルが手にした長剣を振り上げる。
トモエは焦る素振りも見せず、ナミルを凝視している。その様子を眺めながら、ナミルは嬉しそうに微笑んだ。
「ここまで楽しめるとは思いませんでした、アナタに……いえ、剣聖オルキデアの血に目を付けた事は間違いではなかった」
「ヴィクトリアもアナベルも……オリヴィアを苦しめる為に、お前が楽しむ為に、あんな回りくどい事をしたのか?」
「ふふ……アナタも楽しかったでしょう?」
笑顔すら見せていたトモエの目尻が、瞬時に吊り上がる。トモエの静かな怒りが、私の緊張感を増幅させた。
「オリヴィア……しっかり見ておけ」
(は、はい……)
トモエに言われ、私は全神経を視界に集中する。この明らかな死地においても集中が出来ていたのは、トモエが負けるなど微塵も考えていなかったからだろう。
いや、死地だからこそ集中出来たのかも知れない。
「叶う事なら、もっと楽しませてください!」
それまで全く見えなかったナミルの剣。その剣が振り下ろされる瞬間を、私は見た。
頭上から真っすぐに振り下ろされた鋼の刃。
トモエは空いた左手を掲げる。
鋼の刃と掲げた指先が交差したその時、ナミルの剣は、トモエの手に導かれるように軌道を変え、左へと逸れた。
「な……」
(え……)
ナミルは振り下ろした剣を見詰め、暫し茫然としていた。私自身も、視認出来なかった剣劇よりも、今、目に見えた現実の方が信じられなかった。
真剣を……手で払った?
「一身ノ太刀……ウチの奥義は、剣と己の体を一体化する事。剣を体の一部として操るだけじゃない。極めれば、剣で出来る事は自分の体でも出来る様になる」
トモエが事も無げに言い切った……が、スグにペロっと舌を出した。
「……ってのがジジイの教えだけど、アタシも初めて出来たよ。こいつ等のお陰かな」
トモエが左手で拳を握り、自分の胸を叩く。私達の中に居る、魂達の事を言っているのだろう。
あくまでもトモエの推測だが、怨嗟の念を持つ魂達が、霊魂である彼女に力を与えているのだと言う。その力により、トモエは体の主導権を手にし、私の体でありながら人並み以上の身体能力を得ているのだと。
「どうだい、騎士団長殿」
トモエの声に、茫然としたナミルが歪んだ笑顔に戻る。
「ふっふっふっふ……ははははっはははっ! 最高です! アナタ最高ですよ!」
歓喜の声と共に繰り出されるナミルの剣。トモエは、あらゆる角度から襲い掛かる斬撃や突きを次々と素手で捌く。
その手には、掠り傷一つなかった。
「素晴らしい! ならば!」
ナミルの胴部から新たな触手が生み出され、私達の体を囲む。左手も封じるつもりだ。
しかし、トモエは慌てる事無く左手を振り上げた。
すると私達を拘束しようと締め込まれた触手が、粘液を吹き出しながら切断された。
「言ったろ、極めれば素手でも剣と同じ事が出来るって」
トモエが右手を引きナミルの体を引き寄せると、すかさず左手の手刀を振り下ろす。
「ぐぅ!」
右手を縛っていた触手と同時に、ナミルの胸部が斬り裂かれた。トモエは、解放されたアルの剣を引き抜く。
「まぁ、とーぜん切れ味は剣を使った方が何百倍も良いんだが」
「は……ははははぁあああああ!」
最早、笑声か怒声かも分からない絶叫を上げ、ナミルが襲い掛かってきた。
トモエは剣を両手で掴み、ブレードを肩に乗せると、大きく息を吐く。
「八剣流・一身ノ太刀……竜爪朧斬り」
ナミルの剣が眼前に迫る中、トモエは焦る素振りも無く、袈裟懸けに剣を振り下ろした。
その時の感覚に、私はデジャヴを感じた。それは、今夜初めて素振りをした時と同じ感覚だったからだ。
全身の筋肉や関節が僅かな無駄も無く連動し、全ての力がブレードの一点に集約する感覚。
トモエが繰り出した一刀は、目前まで迫ったナミルの剣を軽々と斬り落とし、相手の肩口から逆の脇腹までを斬り裂いた。
「がっ……は……」
トモエが剣を振り、ブレードに着いた血を落とす。
一瞬の静寂の後、激しい鮮血と共にナミルの体が二つに分かれて行った。
「……楽しめたか?」
「存分……に……」
ナミルが血反吐を吐きながら、消え入りそうな声で呟く。程なくして背中の翼が動きを止めると、満足そうな顔で落下していった。
地面に叩きつけられるまで、いや叩きつけられてなお、彼が笑顔を絶やす事はなかった。




