~醒の五~
「オリヴィア様ぁあああ!!」
アルの悲痛な叫びが木霊する。
迫りくる無数の触手に対して、私……ではなく、体の主導権を得たトモエが手にした剣を合わせた。
そして剣先を、指揮者が持つタクトの様に振るう。
「揮毫の陣」
ヒビの入った折れかけた剣。その切っ先に触れただけで、触手は体に触れる事無く逸れて行く。
それは、傘の表面をつたう雨粒の様にも見えた。
巨大な矛となった触手が、轟音を立てながら次々と通過して行く。
やがて全ての触手が通過すると、トモエは剣先で真円を描く。すると幾人もの命を奪った触手が、いとも簡単に切断された。
地面に落ちた触手が、粘液を撒き散らしながら不気味に蠢く。
「わりぃけど、触手プレイは趣味じゃないんだよ」
トモエは、にやけ顔でそう言った。
「何と……」
呆気に取られるナミルに背を向け、トモエはアルに歩み寄る。
「良かったら、そっちの剣と交換して貰える? アルフィルクのが一番オリヴィアの剣に近いだろう」
トモエが、そう言って折れた剣を差し出した。
「アナタは……いえ、アナタが……」
アルが戸惑いながらトモエを凝視する。
アルにトモエの存在を打ち明けてはいたが、こうして本人と話すのは初めてだ。戸惑うのも無理はない。
「主人の頼みじゃないときけないか?」
「……いえ、オリヴィア様がアナタを信頼されていらっしゃるのなら」
アルが自らの剣を差し出す。
トモエは受け取った剣を眺め、満足そうに頷いた。
「ありがとよ、取り合えずお前は自分を回復しておけ。その後は倒れている者の応急処置を頼む。まだ半数以上は生きてる筈だ」
「……畏まりました」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
アルの後ろから震えた声が聞こえる。アルに守られていた、アナベル姉様だ。
「今のは何? 何が起こったの? アナタは本当にオリヴィアなの?」
恐らく、トモエが無数の触手を全て捌いた事を言っているのだろう。
「じゃ、頼んだぜアルフィルク」
トモエは姉様の声を無視して立ち去ろうとする。
「ちょっと! 無視してんじゃないわよ! 説明しなさい!」
姉様が罵声を浴びせた瞬間、トモエが振り向きざまに姉様の眼前に剣を振り下ろした。
「ひぃい!?」
「お姉様、わりぃ~けどチョット大人しくしてて貰える? ます? アナタにウロチョロされると、ひっじょーに迷惑なんで」
トモエが青筋立てた笑顔で凄む。
アナベル姉様は何度も頷きながら、その場にへたり込んでしまった。
あぁ……この後、どうやって誤魔化したら良いだろう……。
「オリヴィア姫!」
私が頭を悩ませていると、グリシア王子が私達の元へ駆け寄って来た。
「あの……コレは……」
「グリシア……王子は、これから来る増援に指示してお姉様と怪我人の搬送を頼……お願いします。あっちのニョロニョロはアタシが斬っときますんで、人払いをして手出し無用に願います」
相手が王子様という事で、一応トモエも気を使ってくれているようだ。ちょっとおかしな言葉遣いになっているけれど……。
「わ、分かりました……」
グリシア王子が頷く。納得したというよりも、トモエの気迫に圧倒された様にも見えた。
トモエは「どうも」と手を振ると、ナミルへと向かっていく。
ナミルは触手を仕舞い、興味深そうにトモエを眺めていた。
「行儀よく待ってなくても良かったんだぜ?」
「背後から狙うような無粋な真似はしませんよ、それに約束も果たしていませんしね」
「約束?」
「先程の攻撃をしのげたら、正解を教えると言ったでしょう」
「あぁそっか、興味がないから忘れてた」
「酷いですね……教える気が無くなります……」
ナミルが拗ねた様に口を尖らせる。
正確には、興味が無いと言うより興味が無くなったのだろう。
しかし、一連の事件を解明する必要はある。
(トモエ! ちゃんと聞きだして下さい!)
「え~……メンドクサイなぁ」
本気でめんどうくさそう。トモエはもう、ナミルを斬る事しか頭になさそうだ。
「えっと、確か魔王の元配下? で良いんだっけ? オルキデアを恨んでたのか?」
「過去に仕事を依頼されただけで、正確には配下ではありません。だから私自身、オルキデアに恨みなどは有りませんよ」
「なら、なぜオリヴィ……アタシにちょっかいを掛けた?」
「我の行動原理は楽しめるどうか、それだけです。オルキデアに恨みはありませんが、その力には非常に興味を引かれていましたから」
ナミルが再び歪んだ笑顔を見せる。
「ひょっとして、魔王からの依頼ってのは17年前の戦争の事か?」
「依頼されたのは諜報活動ですがね。ついでに人間達を引っ掻き回せ、手段は問わない、そう頼まれていたので」
「それで、その時の王様を操って戦争まで起こしたのか……」
「えぇ、追撃があると面倒だと言われましたから。邪心を持つ方は少し弄れば思い通りに動いてくれますから、我も非常に楽しませて頂きましたよ」
「良い趣味してんな……っで、結局お前は何なの? 人間じゃないんだろ?」
「人間ではございません、言える事はそれだけです」
「何だよ、正体を教えてくれるんじゃなかったのか?」
「言っても仕方のない事なので……強いて言えば、魔族でも魔物でもございません」
「トンチに付き合う気はねぇよ」
「つれない方だ……」
ナミルは、大袈裟に肩をすくめて見せる。
「それよりも、我はアナタの正体の方がよほど気になるのですが……」
流石に何度も会話をすると、私ではないとバレてしまう様だ。当然と言えば当然の話。
「アナタは何者ですか?」
「オリヴィアだよ、それ以外誰に見える?」
「そう見えないから聞いているのですが……」
私はナミルの言葉に焦りながら、同時にドコかホッとした。トモエの存在が公になると困るが、今のトモエが『王女オリヴィア』と認識されるのも困る……。
トモエは暫く考え込む様に虚空を見つめた後、急にニヤリと口角を上げた。
「教えてやろうか?」
トモエはナミルだけに聞こえるよう、声を潜める
「アタシにタイマンで勝てたら、アタシの正体を教えてやるよ」
ナミルがトモエと同じように口角を上げた。
「アナタ……良いですね、仲良くなれそうだ」
「冗談だろ?」
トモエとナミルが、ニヤケたまま見つめ合う。そしてナミルの両腕が、それぞれ巨大な戦斧に変化していった。
それは王城すらも両断出来そうなほど巨大で、もはや人間が扱える武器の範疇を逸脱する物だった。
「我が負けたら、アナタは何を望みますか?」
「アタシがお前に望む事? そうだな……」
トモエが剣の切っ先をナミルに向ける。
「奇麗サッパリ、跡形もなく消えてくれ」
瞬間、ナミルが歪んだ笑顔のまま飛び込んで来た。
同時に振り下ろされる巨大な戦斧。しかし先程の触手と同様、戦斧はトモエを避けるかのように逸れ、地面に叩きつけられる。大地が激しく揺れた。
「力か数の二択か? 捻りがねぇな」
トモエが溜息交じりに剣を振り上げると、戦斧となったナミルの両腕が切断され激しい血飛沫が舞う。
更に首元を狙って突きを繰り出すが、ナミルが大きく飛び退き、トモエの突きをかわした。
「コレは失礼しました、それならば……」
ナミルの両腕が瞬く間に再生され、右手をトモエに向ける。
「コレなら如何でしょう!」
ナミルの右手からバチバチと火花が発せられた瞬間、凄まじい轟音と共に、一筋の雷光が放たれた。
トモエが雷光を紙一重でかわす。目標を失った雷は、城のエントランスに着弾。大爆発を起こした。
「これ以上、お城を壊すなよ」
爆風を背に受けたトモエが、一瞬で間合いを詰め、ナミルに斬りかかる。
ナミルは突き出した右手を切断されながら、高々と跳躍した。更に背中から蝙蝠の様な翼を生やし、私達の頭上で停止する。
「いやはや、まさか雷光を視認してからかわすとは……こんな方は初めてですよ」
ナミルは微笑みながら右腕を再生させた。
「タイマンとのお話だったので手加減しましたが、もう避難も済んでいるようなので大丈夫でしょう」
ナミルは翼をはためかせ、更に上空へと舞い上がる。やがて、ナミルは五階建てのエルバドス城よりも上空へ辿り着いた。
「次は全力です……」
ナミルの右腕から、いや全身から火花が弾ける。
「さあ、まだまだ楽しませてもらい……」
「撃てぇ!!!」
ナミルの声を遮る怒号。気が付くと、空中のナミルが多数の炎弾に囲まれていた。
炎弾は次々とナミルに着弾し、爆発が連鎖を起こす。
「ちっ! 余計な事をしやがって」
爆音と閃光に顔をしかめながら、トモエが愚痴る。
中庭を囲む城の窓やエントランスに、騎士やローブ姿の魔導士の姿が見えた。彼等の持つ剣や杖の先から、次々に炎弾が発射されている。
ナミルを中心に絶え間なく続く爆発が、まるで太陽の様に中庭を照らしていた。
「撃ち方やめぇ!」
爆発が三桁を超えたであろう頃、一人の騎士が号令をかけると、爆発がピタリと止まった。
頭上からパラパラと燃えカスの様な物が落ちてくる。
「やった……」
何所からか安堵の声が漏れる。しかしトモエは警戒を解いていなかった。
やがて爆煙が風に吹かれ、夜空が晴れて行く……。
「やっぱりな」
夜空に浮かぶシルエットを眺め、トモエが呟いた。
(トモエ、嬉しそうですね……)
「そりゃそうだ、アイツを斬るのはアタシだからな」
トモエの視線の先には、夜空で羽ばたくナミルが居た。
無事と言う訳ではない、遠目から見ても部位が欠損している事は分かる。そして、その欠損部が見る間に再生していく事も。
「煩わしい……煩わしい……」
ナミルの表情に、明らかな怒りの色が浮かんでいた。
「煩わしい……我の楽しみを……」
その全身が、一瞬で雷光に包まれた。空気が震える。離れた位置に居る私達にまで、ビリビリと痺れる様な感触が伝わってきた。
先程とは規模が違う。恐らく、かわせるかどうかなんてレベルの威力じゃない。周囲の者達も、その脅威を感じ取ったようだ。ある者は退避し、ある者は盾を構えて防御の構えをとる。
「オリヴィア様!」
散乱する瓦礫を飛び越え、アルがトモエの下に駆け寄ってきた。怪我人の搬送が終わったのだろうか。
「アルフィルク、お前も隠れておけ」
「お断りします!」
思わぬ返答に、トモエが一瞬だけ動きを止める。私が知る限り、アルがハッキリと何かを拒否をした事は無い。
「なら、そこでしっかりと見ておけ」
説得は無駄と考えたか、トモエはアルに背中を向け、上空のナミルを見上げた。
上空では全身を雷に変えたナミルが両手を振り上げ、眼下に標準を合わせている。
「煩わしい! 我の邪魔をするなぁ!」
ナミルが掲げた両腕を振り下ろした瞬間、激しい雷光が迸り、私達の視界が全て光に包まれた。




