~醒の二~
ガルヴァ王との面会を終えた日。
私は日中、封筒を確認する為と部屋にこもっていたが、夜になると城内の中庭へ向かっていた。
理由は幾つかあるが、ここ数日まともに剣を握っていなかった事が大きい。
稽古中は辛いと感じるのに、剣を握らない時間が長くなる程、どんどん下手になって行くような気がした。
(ん~……まぁ良いんじゃねぇかな)
少し悩んでいたが、トモエも賛同してくれた。
私はブラウスとスカートに着替えて中庭へ赴く。
稽古に向いた衣装ではないが、ドレスで稽古する訳にも行かず、かと言って一応王女である私が、他国の城内を稽古着姿で出歩くのも躊躇われる。
護衛中と同じ装備なら良いかも知れないけれど、それも若干物々しい。色々と考えあぐねた結果、今の姿に落ち着いた。
夜の中庭に辿り着くと、周囲に人工的な灯りは無かった。しかし満月と無数の星々に照らされ、稽古をするに充分な明るさはある。
しんと静まり返る中庭。昼間には昨日と同様、半裸の男達が稽古に励んでいた事を思い出した。
聞くところによると彼等は全員が平民で、特に孤児が多いらしい。
ザヴァル王子はあえてそんな人達を集めて、直属の部隊として抱えているそうだ。
(そう言や子供も見掛けたな、脳筋王子らしい話だ)
そんなトモエの感想に、私も同意した。
ザヴァル王子の真意はわからないけれど、お母さんの事が関係しているかも知れない。そう思うと、母の背中がまた少し遠ざかった気もする。
でも私は諦めない。トモエが教えてくれた自分の剣が、お母さんに届くまでは。
私は芝生のめくれ上がった地面に立ち、剣を構えた。
中庭は住居スペースから離れている事も有り、夜になると人気は無く、夜風に揺れる草木の音と虫の鳴き声以外は何も聞こえない。
集中するには持って来いの場所。私にとって色々な意味で都合が良かった。
まずは剣を正面に構え、何時も通りに振り下ろす。
すると耳馴染みのない風切り音と共に、過去に覚えがない程の鋭い一刀が振り下ろされた。
「あ……」
(お?)
私とトモエが同時に声を上げる。
(今の良かったんじゃないか?)
「で、ですよね!」
急激にテンションが上がる。その一刀は、今まで何千何万と素振りをしても得られなかった感触だ。
全身の筋肉と関節が滑らかに流動し、全ての力が剣に集約された様な感覚。
私は再び剣を振るう。何かを掴めた気がする。ひょっとしたら、私の剣につながる何かが。
しかし、意気揚々と振り下ろした剣は先程とは全く違う。何時も素振りをしている時と同じ感触だった。
「あ、あれ?」
おかしい、最初と全く同じ様にしてる筈なのに。
私はその後、何度も剣を振ったが、結局最初の感覚を取り戻す事は出来なかった。
「どうして……最初は確かに……」
(まぐれだったみたいだな)
トモエの一言に、ガックリと肩を落とす。まぐれだったんだ……。
(そんなに落ち込むな、まぐれでもさっきの一振りが出せたなら充分に成長してる)
「そ、そうでしょうか……」
(出会った頃のオリヴィアなら、何億回振っても出来ねぇよ)
……これは、褒められたんだろうか?
なら良いか、と納得してしまう私も、随分とお気楽になって来たなと思う。
その後、アレやコレやと繰り返し剣を振るも、結局一度目の感触は取り戻せない。
そんなふうに余計な事を考えていたせいか、私は声を掛けられるまで彼女の存在に気が付かなかった。
「こんな時にまで稽古なんて、熱心な事ね」
驚いて振り返ると、ドレス姿のアナベル姉様が仁王立ちで私を睨みつけていた。
「アナベル……お姉様……」
私が言葉を詰まらせたのは、アナベル姉様が居たからではない。姉様が一人で居たからだ。
「お姉様……グリシア王子から、常に護衛と行動する様にと指示が有ったはずでは……」
「何が護衛よ、ただの監視じゃない! なぜアナタが自由に出歩いて、私が見張られてなきゃならないよの!」
アナベル姉様が一瞬でヒートアップする。
姉様は湯浴みの時間に、浴場に入れないアルやエルバドスの兵士を撒いてきたらしい。
唖然とした。まさかグリシア王子との取り決めすら、反故にするとは思わなかった。
(不味いな……)
トモエの警戒心が増す。私は思わず周囲を見渡した。
「ちょっと! 私を無視するんじゃないわよ!」
何時もなら姉様の怒声に怯えている所なのだろう。確かに鼓動は高鳴っているが、その原因は別にある……。
「私に……何か御用でしょうか……」
「用がなければ、愚妹の顔なんて見たくないわよ」
アナベル姉様は、言葉通り不愉快そうな顔をしながら私に歩み寄る。
「コレは団の代表である私からの命令。オリヴィア、アナタは私の護衛に戻りなさい。これから先、アナタに王女としての権限は無い。勝手な行動は厳禁。良いわね?」
「……はい」
「それともう一つ、アルフィルクを私に頂戴」
「……え?」
「彼程の実力者を、アナタの下で腐らせても勿体ないでしょう。私の黄麟騎士団なら更なる活躍の場を与えられる」
晩餐会前、アナベル姉様とアルとの会話が思い出される。
「私はね、才能溢れる人間が好きなの。お母様やヴィクトリアお姉様、そしてアルフィルクの様な人間がね。そして私なら、彼の才能を十全に活かす事が出来る」
アナベル姉様は、アルを私に合わせる前から勧誘するつもりだったのかもしれない。
当時は彼が聖騎士だった為、教会との摩擦を恐れて断念した。けれど今は違う。私の従者を勧誘する事自体は、何も問題は無い。
「それにアナタ最近、彼と一緒に稽古をしてないそうじゃない。それなら他のメイドでも充分でしょう?」
「それは……」
(オリヴィア!)
トモエの声で、私は周囲への警戒を解いてしまっていた事に気が付いた。
「っ!?」
それは、アナベル姉様を挟んだ先に立っていた。
人型をしているが、全身がユラユラと揺れる黒い煙に覆われている。人型ではあるが人かどうか確信が持てない、まるで影法師の様な存在。
影法師の両手には、異常に長い10本の指が蠢いている。
(最悪のタイミングだな)
私が手紙の存在を公にし、証拠となり得る封筒を預かると公言した事で、相手側からアクションが起こる事を期待していた。
その為に可能な限り一人で行動していた。外で素振りを始めたのも、あわよくば敵を誘き出せるかもしれないと考えたからだ。
しかし、トモエの言う様にタイミングは最悪だ。
誰かと接触している時に狙われる可能性は考えたが、まさか姉様が一人で接触してくるなど想定していない。
「オリヴィア、アナタ何所を見て……」
私の視線を追い、姉様も影法師に気が付いた。
「何……アレ?」
影法師がユックリと両手を掲げる。長剣の様に長く、そして鋭利な10本の指を立てながら。
(こうなったらしゃーない。一人で捌けない分はアタシが防ぐ、やるぞオリヴィア)
「……はい!」
「何!? 何!? 一体何なの!?」
私は情況が呑み込めない姉様の前に出て、剣を構える。影法師の纏う闇が、僅かに揺れた。
(来るぞ!)
トモエが叫んだ瞬間、影法師は眼前まで迫っていた。
速い! 10本の凶刃が私を包囲しながら襲い掛かる。
「きゃぁああああ!」
「くっ!」
(くそっ! こりゃ何ちゅー武器だよ!)
姉様の悲鳴を背に、私は何とか2本の刃を弾く。残りはトモエが念動力で弾いてくれた。
「はあぁっ!!」
がら空きになった影法師の頭部に剣を振り下ろす。しかし、私の剣は十字に構えた敵の刃に軽々と受け止められた。
再び襲い掛かる10本の刃を、私とトモエが二人掛かり何とか防ぐ。
そこから足を止めての激しい打ち合いが始まった。
私と影法師の間に飛び散る火花、そして鳴り響く激しい金属音。縦横無尽に迫る刃に対し、私自身は2・3本の刃を防ぐだけで精一杯、残りは全てトモエが防いでくれている。
しかし、トモエの念動力は無限ではない。このまま打ち合いを続けていれば、いずれ防ぎきれなくなる。
(せめて足を使えれば!)
それが無理な事はトモエも分かっている。背後のアナベル姉様に動く気配がないからだ。
「ひっ……」
微かな悲鳴が聞こえる。後ろを見る余裕は無いが、恐怖で座り込んでいるに違いない。殆ど戦場に出る事のないアナベル姉様なら、それも致し方ないだろう。
時折、アナベル姉様を狙うような攻撃もあり、それが姉様の恐怖を更に煽っている。
トモエは苛立っているが、私は姉様の恐怖が分かる。本当なら、私だって逃げだしたい位だ。
でも、私にはトモエが居る。そして……。
「つぅっ!」
受け損ねた刃が私の右腕をかすめ、鋭い痛みが走る。
影法師は私の隙を見逃さない。黒い10本の刃が私を取り囲み、同時に襲い掛かって来た。
受けきれない。瞬時にそう悟った。それでも、私に焦りは無かった。
視界の端に映った、見慣れた人影に気が付いたから……。
「おぉおおおおお!」
舞い降りた人影が、私に迫る刃の半数を叩き斬った。
更に剣を真横に薙ぐと、影法師は後ろに飛びのいて追撃をかわす。
「アル!」
駆け付けたアルが、影法師の前に立ち塞がった。
「無礼者! オリヴィア様から離れろ!」




