~過の四~
長い長い一日が終り、その翌朝。アタシは朝食と湯浴みを終えたオリヴィアを、部屋の外に連れ出す事にした。
一応、敷地内なら自由にしても良いと言われていたからな。
今日は昨夜に比べ幾分シンプルなドレス。流石に昨日のドレスでは派手過ぎるようだ。そりゃそうか。
(さて、どこへ行こうかな……)
外に連れ出したとはいえ、特に目的地が有った訳ではない。どうしようかと考えていると……。
「トモエ、私行きたい所があるのですが……」
オリヴィアにそう言われた。オリヴィアの鼓動が僅かに速くなっている事で、何となく行先が分かった。
アタシが了解すると、オリヴィアはやはりと言うか何と言うか、少しだけ離れた客室へと向かった。
アナベルの部屋だ。
部屋の前には、武装したエルバドスの兵士が二人。オリヴィアの事は知っているようで、兵士がコチラを見付けると敬礼をしてきた。
「おはようございます、アルフィルクを呼んで頂けますか?」
オリヴィアがそう言うと、兵士の一人が「少々お待ちください」と部屋へと入って行く。
暫くして、兵士と一緒に執事服姿のアルフィルクが現れた。
「おはようございます、オリヴィア様」
頭を下げるアルフィルク。珍しく、若干疲れている様にも見える。
「おはようございます、アナベルお姉様のご様子は?」
「アナベル様は、今は誰にも会いたくないと……」
「そうですか、わかりました……」
予想していた事では有った。相手がオリヴィアなら尚更だろう。
「アル、アナベルお姉様が落ち着くまで、今暫くお願いします」
「はい、承知致しました……」
「ありがとう、アルも体に気を付けて下さい」
オリヴィアがその場を離れようとすると……。
「オ、オリヴィア様!」
アルフィルクが呼び止める。
「はい、どうしました?」
「オリヴィア様も……お気を付けください……」
アルフィルクが声を抑えて言った。兵士の事を気にしたのだろう、それだけでアルフィルクがエルバドス側に疑念を抱いている事がわかった。
「はい、大丈夫ですよ」
オリヴィアは笑顔でそう言うと、踵を返してアナベルの客室を後にした。
はぁ、これも他意はないんだろうなぁ……。
そのまま暫く廊下に沿って歩いて行くと、城の中庭から何やら野太い声が聞こえてきた。
「何でしょう?」
オリヴィアが屋外に視線を向けると、剣を持った上半身裸の男が二人、中庭の中央で激しく打ち合っていた。
声の主は、中央の二人を取り囲む同じく半裸の男達。どうやら、稽古をしている兵士に対し、周囲の同僚がヤジを飛ばしている様だ。
オリヴィアが微かに顔をしかめているのが分かる。普段、自分の城で稽古している風景とは、余りに違い過ぎるからだろう。
一言で言えば野蛮。城の敷地中という、本来気品に満ち溢れていなければならない空間とは思えない光景だ。
しかし、そんなオリヴィアとは違い、アタシの方は好奇心をくすぐられてしまった。
(オリヴィア、もうチョット近くで見てみようぜ)
「えぇ……」
明らかな嫌悪感。そして顔の表面温度が上昇する感覚。
(乳首が出てる位で恥ずかしがってどうする。オリヴィアも少しは男になれとかねぇと、結婚した後大変だぞ)
「ち……とか言わないで! それに、まだ結婚するとは言ってません!」
アタシは抵抗するオリヴィアをなだめすかし、何とか中庭へと連れ出した。
男達の輪から少し離れ、オリヴィアは改めて打ち合う男二人を眺める。
男達の剣は荒々しく、決まった型など無いかのようにあらゆる体勢から剣を振り回していた。しかし決して雑とは言えず、その風切り音が必殺の威力を物語っている。
初めは直視できなかったオリヴィアだが、自然と男達の剣に見入っていた。自分が振ってきた、そして見てきた剣との大きな違いに、何かを感じたのかも知れない。
うんうん、良い事だ。他者の剣に刺激を受ける事も大切だからな。
一方で、アタシは半裸で大騒ぎする男達を堪能していた。
それにしても、何だか随分と年齢層がバラバラだな……オリヴィアより年下っぽい子供も、明らかにザヴァルよりも年上の中年っぽい男もいる。
まぁ、色んな年代の半裸を楽しめるのだから、アタシ的に文句は無いんだけど。
そんな邪まな事を考えていると、突然男達が野太い歓声を上げ出した。
「おうおう! 張り切っているな!」
現れたのは、男達同様に半裸姿のザヴァル。何時もの大剣を抱えながら、楽し気に登場した。
男達は暑苦しい声で挨拶をし、ザヴァルを出迎える。
「ふむふむ、皆体は温まっているようだな!」
「「「はっ!」」」
「よしよし! では何時も通りだ! 死ぬ覚悟の出来たヤツから掛かってこい!」
ザヴァルが剣を構えると、一人の男がザヴァルの前で最敬礼をして同じように剣を構える。
「うぉおおおおお!」
男が雄叫びと共にザヴァルに斬りかかると、ザヴァルは男の剣を正面から受ける。そして鍔迫り合いの状態から剣を薙ぎ払い、男を軽々と吹き飛ばした。
吹き飛ばされた男は地面に叩き付けられ、痛みのせいか苦悶の表情でのた打ち回る。
「次ぃ!」
ザヴァルが叫ぶと、別の男が前に出て来た。そして、またザヴァルへと斬りかかり、正面からぶつかり合う。
そしてまた吹き飛ばされる。
そんな事が何度も何度も繰り返されていった。
(立ち切り稽古かよ)
「立ち……なんですか?」
(実戦形式での稽古さ。一人に対して複数人が交代で掛かり、休みなく1対1を続けていくっていう、アタシでもちょっと躊躇する特別な稽古だ)
この場合、本来なら一人で相対しているザヴァルを追い込む為の訓練なのだが、なにしろザヴァルと他の男達のレベルが違い過ぎる。
男達も決して弱くない筈なのだが、皆ザヴァルの一撃で吹き飛ばされ、撃沈していた。
ザヴァルの剣は、型もへったくれも無い。ただ力任せに振り抜くだけ。しかし、その威力は誰が見ても飛びぬけており、「一撃で相手を壊す」それだけを追及した戦場の剣である事が見て取れた。
(聞く限り、お袋さんの剣とは似ても似つかなそうだが、アレも剣聖で良いのか?)
「ど、どうなんでしょう……」
(お袋さん以前に剣聖って居る?)
「さあ……私は知りませんけれど……」
この世界では、お袋さんが元祖だって事か。オリヴィアが知らないだけかもしれないけど。
(それ、勝手に名乗って良い物なのか?)
「普通、称号や二つ名等は周囲が呼び始める物ですが、自分から名乗ってはいけないルールも無いので……嘗ては、自ら大賢者を名乗った人も居たらしいですし。その名を背負う覚悟が有れば……」
なるほど、剣聖やら大賢者を名乗れば周囲の眼も厳しくなる。それに応える覚悟があれば、自分で好きに名乗ってもOKって事か。
「それに、強い剣士なのは確かだと思いますし……」
それは同意。尤も、剣聖より狂戦士とかの方が似合いそうだけど。
(そうだな、タイプは違っても強い事に変わりはない。見取り稽古だと思って、しっかり見とけよ)
「はい」
もう半裸な事も気にならないのか、オリヴィアはザヴァルの動きをジッと見詰めていた。
ホント真面目だねぇ。真面目な教え子と言うのは、指導する側も色々と考えさせられる。少なくとも剣に関しては、いい加減な事を言えないからなぁ……。いや、言うつもりもないんだけど。
今までは自分の事だけを考えていれば良かったから、教える側になって知る事も多い。う~ん……人間死ぬまで勉強というが、アタシの場合は死んだ後でも勉強だ。
コレが机に向かっての勉強なら、アタシはとっくに成仏する道を選んだだろう。
そんなモン、地獄の方が100倍ましだ! っと、アタシが有るかどうかも分からない地獄を想像していると、背後に何かの気配を感じた。
その気配に、アタシは言い様の無い薄気味悪さを覚える。
(オリヴィア、後ろだ)
「えっ?」
オリヴィアがアタシの声に反応し、後ろを振り返った。
そこには、エルバドスの騎士団長ナミルが居た。こちらは半裸ではなく、普通の稽古着らしき恰好をしている。
「おはようございます、オリヴィア殿下」
「お、おはようございます……」
ニッコリと笑うナミル。キツネ目なので、普段とあまり変わらない様にも見える。背後に人が居るとは思わなかったのだろう、オリヴィアは少々驚いていた。
(気配を消して女の背後に立つのは、良い趣味とは言えねぇな)
「け、気配を消して近付くのは……如何な物でしょうか……ナミルさん……」
オリヴィアがアタシの代弁をすると、ナミルは笑顔のまま頭を下げる。
「失礼いたしました、王子達の稽古を真剣に見学されている様に見受けられましたので、お邪魔をしては失礼かと」
物は言いようだな。
「しかし姫殿下、宜しいのですか? このような場所に居ると、何時ザヴァル殿下にお誘いを受けるか分かりませんよ?」
「お受けするつもりはありませんので……」
ザヴァルは、兄のグリシアがオリヴィアにプロポーズした事は知っている。そのオリヴィア相手に、無理を通そうとはしないだろう。一応、誘われはするだろうけど……。
「さようですか、現状ではザヴァル殿下を止める理由がなくなってしまったので心配しましたが、大丈夫そうですね」
心配してたねぇ……細目のせいか、どうも本音が読めないヤツだな。
「姫殿下、どうかザヴァル殿下を悪く思わないで上げて下さい。あの方は暴走気味ですが、幼少の頃から一本気で根は真面目な方なのです」
「は、はい、悪い方ではない事は存じてます……」
「ありがとうございます」
ナミルが未だ疲れを見せずに暴れまわるザヴァルを眺め、細い目を更に細くする。
「あの……ナミルさんは、ザヴァル王子を昔からご存じなのですか?」
「はい、グリシア殿下が生まれる前から、王家に仕えておりますので」
なるほど、あのザヴァルがナミルに頭が上がらない理由が何となく分かった。
しかし、グリシアが何歳か知らないけど、ザヴァルがヴィクトリアの許嫁だった事を考えれば二十歳前後。その王子が生まれる前から仕えてたとなると……。
(見た目に寄らず、結構歳行ってんな)
「……失礼ですよ」
オリヴィアに囁きツッコミをされる。
(オリヴィアだって、そう思ったくせに)
「そ、それは……」
オリヴィアが言い淀む。図星だったようだ。
「そ、それでしたらナミルさんも連合軍との戦に参加されて居たのでしょうか?」
誤魔化したな。
「はい、その頃はまだ部隊長でしたが」
「では、ナミルさんも母の事をご存じですか?」
「ええ、勿論……」
そう答えたナミルの口角が上がる。それは笑っていると言うよりも、歪んでいる様に見えた。
「この国の……いえ世界の歴史と、我々の進むべき道を変えてくれた方ですから……」
低く、そして重く、無理矢理感情を抑え込んでいるかの様な声だった。
オリヴィアの背筋に冷たい物が走る。
「ナミル……さん……」
オリヴィアが声を掛けると、ナミルの表情が元の笑顔に戻る。
「それでは失礼いたします、自分も稽古に参加しろとの殿下の言いつけなので」
ナミルはペコリと頭を下げ、男達の輪に向かって行く。
オリヴィアは返事も出来ずに、黙ってナミルを見送った。
「私……失礼な事を言ってしまったのでしょうか……」
(何で?)
「グリシア王子とザヴァル王子は母を尊敬していると仰って下さいましたが、エルバドスの国民全てが同じ考えとは限りませんよね……」
(そりゃまぁ、そうかもな)
戦争の与える傷は一つじゃない。感じ方もそれぞれだ。国のトップの考えが、国民の総意と言う訳でもないだろう。
オリヴィアは遠ざかるナミルの背中に向かって頭を下げると、静かにその場を後にした。




