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スモールワールド  作者: 竹取裕基
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スモールワールド 第七章

第七章



 正は、ふと目が覚めた。

 あれ……俺、死んだよな。確か、小人になって、食器棚の上でトラが落としてきたカメラにつぶされて……。

 そう思って、周囲を見渡した。

 自分の家の、リビングにいるらしい。

 壁時計が、午前十時二十分を示していた。

 テーブルの上には、双眼鏡が置かれ、吸殻が入っている灰皿やコーヒーカップ、食べかけのドーナツがティッシュの上に置いてあった。

 ――あれ、ものすごくリアルだったけれど……夢だったのか?

 本当に夢だったのか?

 にわかには信じられないが、ここにこうしてソファーに座ったまま寝ていること、小人化していないことを考えると、たぶん夢だったのだろう。

 とりあえず、今日は何日だ? 夢では確か、七月二十三日だったのだが……。

 机の上にあるスマホの画面を見ると、七月十三日午前十時二十二分を示している。

 ……やっぱり、夢だったんだ。

 そう思うと、少しホッとした。

 ――あれが夢だという事は、今日は令和三年七月十三日火曜日に間違いない。俺はリモートワークで、自宅で仕事をしている……事になっているはずだ。

 正は、スマホの着信履歴をチェックしてみた。

 どこからも電話はかかってきていなかった。

 スマホのLINEもチェックしてみた。

 理沙からのメールが届いていた。

「パパ、ちゃんと仕事している?」

 と書かれていた。

 正は、フッと苦笑すると、

「ちゃんとしているよ。理沙も学校で頑張るんだよ」

 と、返信した。

 返信しながら、これはどこかで見た光景だという事に気が付いた。

 ……確か、「夢」の中でも、まったく同じことをしたような気がする……。

 LINEのトークを見ると、良子からも来ていた。

「お鍋の中に、昼のご飯が入っているから温めて食べてね」

 と書かれている。

 キッチンのコンロの上の鍋を覗くと、昨夜食べたカレーの残りがあった。

 昼ごはんはこれを食べろという事だろう。

「ありがとう」

 と、返信しておいた。

 テレビをつけてみた。

 朝のワイドショーは終わって、ゴールデンタイムの番組の再放送をやっていた。

 ……芸人が北関東の小さなお店に訪れては、飲んだり食べたりする番組である。以前、見た事があるので、見ても仕方がないのだが、ついつい見てしまった。

 一応、パソコンから社内の自分のメールボックスをチェックしたが、メールは一通もなかった。

 とりあえず、やる事がない。

 時刻はまだ十時半ぐらいだ。昼食までまだ時間がある。

 ふと、テーブルの上に置いてある双眼鏡をまた見た。

 

 正は、双眼鏡をソファーの上へ乱暴に置いた。

 柔らかなソファーの上で、二度、双眼鏡が跳ねると静かになった。


 ……確か、「夢」の中でも、同じことをしたような気がする……。

 いや、俺、夢の中でやった事と寸分違わない事をいま、やっているのではないか……?

 全く、同じことを……。

 壁時計の針は、まだ午前十時三十分を少し回ったところであった。

 確か、夢の中では、これからカレーを温めて食べて、そこにトラが寄ってきて……カレーをやったが、食わなかったので代わりにドーナツをやったら食べた。それから、物入れから、あのカメラを取り出して、巻き上げレバーを巻いて、シャッターを切ったら……爆発して俺は小人化した……という夢だったはずだ。

 夢の中では、ゴキブリに追われたり蚊に襲われたり、最終的には良子に捨てられて散々な目にあったのだが……。

 まさか、これは未来に起こることを、前もって夢で見たのではあるまい?

 そう思うと、正は急に恐怖に襲われた。

 ――もしそうだとしたら、あんな未来だけはごめんだ!

 ――また、俺は良子の事を今まで全面的に信頼していたが、俺は良子のどこを知っていると言えるのだろうか? 良子の表面的な優しさだけしか、本当は知らないのではないだろうか? 良子の内面や本当の心の中を、いったいどれほど知っていると言えるのだろうか?

 優しくて温厚な良子……その裏面には、自分の利益にならないものを冷徹に切り捨てる残酷な一面がないともいえないのに……。

 ……とりあえず、良子はいい女かも知れないが、全面的に信頼するのはやはり危険だ。今までの俺は、良子を信じ切っていたが……人というものは、やはり心変わりすることもあるではないか……。

 そう思ったが、突然、空腹を感じた。

 カレーでも温めて食べよう。

 夢の中のように、本当にトラが寄ってくるのだろうか?

 時計を見た。

 十時三十五分だ。

 キッチンに立ち、カレーを温める。

 そのカレーを、ジャーに入れてあった白飯の上に盛り付けて食べた。

 おいしいと思った。

「ニャー」

 夢で見たとおりに、トラが寄ってきた。

 ――本当に寄ってきた。まるであの夢のように。

 足元に感じる、その生きた毛皮のような感触を楽しんだ。

 ――夢では、確か、カレーは食べなかったよな。

 ――カレーはやらずに、いきなり、ドーナツをやってみたらどうなる?

 机の上にあった菓子袋から、ドーナツを取り出して、トラの目の前に置いた。

 夢と同じく、トラはむしゃむしゃと食べてしまった。

 思わず、苦笑する。

 だが、ふと我に返った。

 こんなことをやっている場合ではないという事を。

 夢で見たとおりに、カメラのシャッターを切ったら、本当に小人になってしまうかも知れないと思ったのだ。

 その証拠に、あのリアルな夢から覚めた後、起きた出来事が夢と同じだからである。

 ――たかが夢じゃないか。ばかばかしい。

 冷静になると、そう思うのだが、あの夢がただの夢とはどうしても思えなかった。

 ――やっぱり、不気味だ。あのカメラは捨てよう。

 ちょうど、壁時計が十一時を指している。

 夢と同じだ。

 もし、シャッターを切れば、きっとそれは爆発して俺は小人化してしまうだろう。

 その前に、あのカメラを捨ててやる。

 物入れの中から、紙袋を取り出した。

 その袋の中から、カメラを取り出した。

 あの呪わしいカメラを。

 古ぼけた手巻きの、ライカに似たカメラは、そこにあった。

 ――これが、それか。

 正の心臓の鼓動が激しく打ち始めた。

 ――このカメラのせいで……少なくとも夢の中ではひどい目にあった。

 捨てるぞ。

 紙袋に入れて、それを持って玄関を出た。

 外は、晴れていた。

 今日は、何のごみの日だっただろうか、正直、思い出せない。

 ごみごみとした住宅地の中、百メートルほど先に、ゴミ捨て場はあった。

 ゴミ置き場にあった、看板を見た。

 火曜:粗大ごみ収集。

 と、書かれている。

 ――よかった。これを捨てよう。

 そう思って、紙袋から取り出したカメラを、そっとゴミ置き場に置いた。

 ほかには、どこか調子の悪いらしい小型ラジオや、昔のラジカセ、古いテレビまで捨ててあった。

 とにかく、カメラを捨てたら、ホッとした。

 ――これで、運命は変わった。

 正はそう思いながら、空を見上げた。

 青空の中、白銀に輝く太陽が、さんさんと照りつけており、街は忙しく活動していた。

 正は、数歩してから、ふとゴミ置き場を振り返った。

 なんとなく、あのカメラが追いかけてくるような嫌な予感がしたからだった。

 しかし、それはちゃんとゴミ置き場にあった。

 ――だよな。そんなはずはないさ。俺としたことが心配性だな。

 フッと苦笑して、自宅に向かった。

 



自宅に帰ると、トラが玄関で寝そべっていた。

 ――あのカメラは、もう捨てたのだ。大丈夫、さ。

 そう思った。

 ホラー映画でもないし、捨てたのにまだ、物入れにあったりしたら卒倒するが、そんなことはないだろう。

 心配になって、リビングの物入れをそっと見てみた。

 双眼鏡は、ちゃんとあったが、あのカメラは、もちろんなかった。

 ――よかった。大丈夫だ。

 ふと、時計を見た。

 午前十一時十分だ。

 夢で見た、カメラが爆発した時間は午前十一時三分だったから、すでに七分が経過した。

 何も起きていない。

 やはり、カメラを捨てたのが正解だったか……。

 リビングのソファーに腰を下ろして、テレビをつけた。

 ふと、足元を何かが横切るのが見えた。

 視線を落とすと、ゴキブリが三匹、すばしっこい動きでどこかへ走って去って行った。

 ――ああ、あれが夢で見たゴキブリか。確かトラが一匹退治したんだった。

 肝心のトラが、退治してくれるかと思っていたが、部屋の片隅でまた寝ていた。

 ――しょうもない奴だな。ゴキブリぐらい退治しろよ。

 そう思ったが、放っておいた。

 ――そういえば、夢では早川にメールに返信しなかったと責められていた。

 急に心配になり、パソコンをチェックしたが、何一つメールは来ていなかった。

 スマホも、固定電話も、何も着信履歴はなかった。

 ――大丈夫だな。

 そう思うと、急に眠気に襲われて、正はソファーの上で横になると、眠りに落ちてしまった。

 ふと、目が覚める。

 慌てて、時計を見ると、午後三時になっていた。

 ――まずい! 早川が激怒しているかも知れない……夢ではそうだった!

 そう思って、パソコンをチェックする。

 何一つ、メールは来ていない。

 スマホも、固定電話も、着信はなかった。

 ――やれやれ。

 そう思って、ホッとした時の事である。

 スマホが、急に鳴り出した。

 東産業からだ。

「はい。幾島です」

「あ、幾島君かね。私は、白洲だ」

 ――白洲? あ、社長じゃないか!

 オフィスの片隅にある、ほかの社員よりも少しだけ大きな事務机でパソコンに向かっている冴えない風貌の白髪頭の社長の姿が脳裏に浮かんだ。

「あ、社長! お疲れ様です!」

「……実はね、幾島君。大切な話があるんだ。今すぐ、社に来られるか」

「はい! もちろんです」

「待っているよ。今からだと、何時ぐらいになる?」

「たぶん、五時ぐらいには到着できるかと……」

「わかった。じゃあ、今すぐ向かってくれ」

「わかりました」

「悪いな。大切な話だから、とにかく来てくれ。待っているぞ」

 そう言って、白洲は電話を切った。

 正は、慌ててスーツに着替えると、家を出た。

 腕時計の針は、午後三時七分を指していた。急げば、三時十九分の急行に乗れるかもしれない……。

 そう思い、駅まで走った。

 改札をくぐり、階段を上って、ホームに来た時には、三時十九分の急行が止まっていた。

 正は、ドアが閉まりかけたその瞬間に、車内へ滑り込んだ。

 ドアに近いところで、立った。

 車窓から見える風景が、飛ぶように過ぎ去ってゆく。

 ――とりあえず、五時までには着きそうだ。

 新宿から中央線に乗り換えて東京駅に行き、京葉線に乗り換えて、新木場で降りる……いつもの通いなれた道であった。

 だが、こんな時間から、出社するのは、初めてである。

 それも、社長から直接、電話があり呼びつけられたのだ。

 心の中の不安は、覆い隠せなかった。

 





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