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スモールワールド  作者: 竹取裕基
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スモールワールド 第五章

第五章


 ……それから、四日後の令和三年七月二十三日午前の事である。

 突然、会社から解雇通知と、離職票が送られてきた。

 郵便配達人に気が付いた良子が、郵便受けに入れられていた封筒を発見したのだ。

「辞令 幾島正殿 令和三年七月二十日付けにて 職を解く」

 と書いてある辞令と、離職票が送られてきた。

 離職票の退職理由には、「自己都合」と書かれていた。

 実質、解雇であるのに、自己都合扱いになっていたのであった。

 そのほか、早川からの事務的な内容の手紙が同封されており、七月分の給与は八月二十五日(東産業の給与は、二十日締めの翌月二十五日払いであった)に支払うと書かれていた。なお、最後の給与では、来年三月までの住民税が天引きされると書かれていたので、見たところ、かなりの額が引かれてしまって、最後の給与は、あまり期待できなかった。

 しかも腹立たしいことに、三十六日も残っているはずの有給休暇が、勝手に破棄されて七月二十日付の退職にさせられているのだ。

 良子も、近所のスーパーに品出しのパートに採用されたが、時給九二〇円ほどで四時間しか雇ってもらえなかった。

 そのため、ほかの仕事も掛け持ちすることにしたのだが、これがなかなか見つからない。

 始終、不機嫌な様子が目についてきた。

 最近、理沙にもきつく当たる事もあるし、正に対してもピリピリした空気を匂わせる。

 近寄りがたい雰囲気がしていた。

「もう! 理沙! ちゃんとお皿片付けてよ!」

 理沙が、朝食を食べてそのままにして自分の部屋に行こうとしたときに、良子の声がキッチンに響き渡った。

 理沙は慌てて、食べた後のお皿をシンクに置いてから、「ごめんなさい」と謝ったが、良子は返事もしなかった。

 理沙は、逃げるように自分の部屋に引き上げていった。

 ――良子は温厚な性格だと思っていたのだが……。

 今までの良子は、たまに怒ることもあったが、基本的に優しい温厚な性格であった。それが、こんな風にイライラするところを見せるとは……仕事を辞めざるを得なくなった事が、イライラの原因になっているようであった。

 その良子が、キッチンで皿を洗ってから、テーブルの上のお皿の淵で、トーストのかけらを、頬張(ほおば)っていた正を冷たい目で見降ろした。

「……私、決めたわ」

「何を?」

「……もう別れましょう」

「……」

 正は、思わず絶句した。

 ――突然、何を言い出すんだ!

「い、いったい、何を言っているんだ」

 慌てて正は、言い返した。

 その正の上に、良子は顔を近づけて、冷たい視線を投げかけた。

「……私、家のローンも……それにあなたも……本当は嫌だったの」

「え? どうして?」

「……あなたのすべてが、最近、嫌になっていたの。いつも身勝手だし、頼りないし。いざというとき、あなたは本当に頼りにならないわ。だから会社も首になってしまうのよ。……こんな小人になってしまうし……もう本当に愛想が尽きたわ」

 ――自分もリストラされたくせに!

 手のひらを返したような良子の態度に驚いた正も、だんだんと怒りが湧いてきた。

「どういう意味だ? 俺だってこの家を守るために一生懸命に働いてきたんだぞ?」

 空になった皿の上で、正は顔を上げて、良子の目を見据えて怒りを帯びながら言った。

「……小人になってしまったら、もう誰も雇ってくれないわね」

 冷たい口調で、良子が返した。

「お前は、俺が小人になって仕事ができないから、そして仕事を首になったから、俺と別れようと言うのか?」

 怒りを込めて、正は叫んだ。

「そうよ。悪い?」

 冷酷な言葉が正を刺した。

 ――なんという女だ!

 ――俺が、仕事ができなくなったら、途端に愛想を尽かしたのか!

 正は、こんなに長い間一緒に暮らしてきたのに、良子の残酷な一面に気付かなかった己の愚かさを呪った。

 この女は、結局金だけなのか!

 こんな女が、理沙の母親とは!

 なんということだ!

 怒りに全身を震わせながら、正は叫んだ。

「お前は、最低の女だな。金だけが目当てだったのか?」

「だって、生活するにはお金が必要じゃない。理沙を育てるのも、これから私と理沙がやっていくのもお金がいるのよ。あなたがちゃんと働ける状態ならまた別だけれど、こんな小人になってしまったら、本当にもうおしまいよ。どこの会社も使ってくれないわ。どうやってこれから生きていくの? ただお金を食い尽くしていくだけ。私の収入だってあてにならない。この家も、いずれ売るしかないわね。それに、理沙の将来の事を考えると、父親が小人だなんて、考えられないわ。私、もう決めたの。実家の両親の家に帰るって。実家に帰って、仕事を探しながら、理沙を育てるわ。あなたは、どこかで、ひとりで生きるのね。その小人の体を生かして、何かテレビにでも出たらいいんじゃない? それとも、どこかの病院か研究所で保護されて生きたらいいわ」


 正の怒りが爆発した。

 思い切り、食べかけのトースト……それは本当に米粒ぐらいのサイズしかなかったが……を、良子の顔に向かって投げつけた。

 しかし、小人化して筋力もなくなっていた正の手から離れたそのパンくずのようなものは、むなしく宙を二十センチほど飛んで落ちた。

 もちろん、良子の顔にすら届かなかった。

 そんな正の様子を一瞥すると、良子はどこかへ行ってしまった。

 ……良子はそんな女だったのか! 俺はそれにまったく気がつかなかったなんて!

 今更ながら、気が付いた自分の愚かさを呪いながら、正はテーブルの上から、椅子にジャンプして降りて、さらに床に下りた。

 ――トラの相手でもしてこよう。

 どうせ、トラもあの女が連れて行くに違いないから。俺は、理沙やトラともお別れか……。そして、苦労して守ってきたこの家とも……。俺は、これで家族と、この家も失いそしてトラも失うのだ……。俺に残るものは、何もない……。

 そう思いながら、床を歩いていたら、ちょうどトラが廊下からリビングに入ってきた。

「ニャー」

 優しくトラは鳴くと、腹を見せて転がった。

 思わず正は、トラのもとに駆け寄って、ふわふわのトラに抱き着いた。

 突然、涙がとめどなく流れた。自分の無力さが悔しく、また良子の本質を見抜けなかった自分の愚かさも悔しかった。そして、こんな不運が自分の身に降りかかった事を呪った。

 正は、号泣した。

 泣いた。

 泣いた。

 ひたすらに、涙を流し続け、叫び続けた。

 正はトラに抱き着いて、叫びながら涙を流し続けた。

 そんな正の涙を、トラは尻尾を上げたりしながら、そっと受け止めていた。

 


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