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スモールワールド  作者: 竹取裕基
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スモールワールド 第四章

第四章




 それから、一週間が経った。

 ……カメラが爆発して正が小人化してから、奇妙な生活が始まった。

 夜間は、蚊やゴキブリの襲来を恐れた正が、理沙の虫かごの中に入って、そこに小さな布きれを布団代わりにして、寝室のテーブルの上で寝ることにしたのだ。

 とは言っても、牢屋の中に閉じ込められたようで、決して気持ちのいいものではない。布きれを覆っていても、布団ではないのでみすぼらしい感じがした。

 朝は、午前七時に起きる。良子も、仕事に出かけていた時には、午前六時には起床していたものだが、会社に辞意を表明して以来、出社する必要もないので、自然と起きてくるのが遅くなった。

 良子は、会社と電話でやりとりした結果、七月二十五日付けで退職、自己都合の退職扱いとなった。退職金は、来月の月末に支払われる予定だという。

 理沙には、正が小人化したことは、親友にも先生にも絶対に言ってはいけないと固く釘をさしたが、まだ子供であるから、どこかでついつい言ってしまうかも知れないと正も良子も心配した。幸い、まだ夏休みだ。しっかりと言い聞かせようと正は思った。

 良子の退職金は、思ったより少なかった。わずかに、一五〇万円ぐらいである。長年勤めてきたのに、と不満を漏らしたが、こればかりはどうしようもなかった。

 一五〇万円ほどの退職金と、手取りで三十五万円の給与が支払われたら、良子の収入は途絶える。

 正も、リストラは目前に迫っていた。

 小人化した日に、早川に課題の提出を待ってやると言われたのでその通りにしていたら、その翌日には態度が急変して、まだ提出していないのか、と電話をかけて責めてきた。「部長が待ってやると言ったではないですか」と返したが、早川は、そんな事を言った覚えはない、事情は事情ではあるが、やはり課題は早急に提出すべきで、それもできないのならば、即座に辞表を書くべきだ、と退職を迫ってきたのである。

 ――むちゃくちゃではないか。

 そう思ったのだが、早川の権幕は凄かった。その上、リモートワークであったとしても、自主的に会社に顔を出してコミュニケーションを図ろうとする意欲もないのかと責め立ててきたのである。リモートワークで出社したらリモートワークそのものの意味がないではないかと思ったし、そのように伝えたのだが、早川は全く聞く耳を持たなかった。

 あまりにも無茶苦茶な早川の言動に頭にきた正は、思わず、スマホの通話終了ボタンを足で蹴って電話を切ってしまった。それ以来、会社からは連絡は一切ない。

 ――もう、リストラは間違いなく迫っている。

 俺は、おしまいだ……。

 頭をかかえて、リビングのテーブルの上に置かれた小さな人形用のミニュチュアの椅子……それは、理沙の大切にしていた人形に座らせていたものだったが……の上に座って、頭をかかえる日々が続いた。

 良子も、理沙の前では「心配しないで。大丈夫だから」と頭を撫でたが、理沙が登校して夫婦二人きりになると、さすがに暗い顔を隠せなくなった。

 憂鬱な空気が流れて、自然と会話も少なくなった。

 小人化してよくなった事といえば、食べる量が激減し、ほんのわずかですむようになったことぐらいだった。

 たとえば、ご飯が食べたければ、米粒二つも食えば、お茶碗二杯分のご飯を食った感じがするし、好物のドーナツも、大きさにして米粒四つ分ぐらいの量を食べれば、以前、ドーナツを四個食べた時の満腹感が得られた。

 だが、ご飯と言っても、一粒の米粒が手のひらサイズに感じられる。それを直接、かじって食べるようなもので、決しておいしいとは思えないし、ドーナツにしても、自分よりも大きな巨大ドーナツに無理やり噛り付く感じがして、あまりおいしい感じはしなかった。

 小人化した原因が、あのカメラにある、と思ったので、良子に頼んでカメラのふたを開けてもらい、中を調べてみたが、これと言って変わったこともなかった。

 もしかしたら、もう一度、自分でシャッターを切れば、元に戻れるのではないかと思ったので、良子に頼んで巻き上げレバーをまいてもらい、その上に乗ってシャッターを切ろうとしたが、小人化した正の力ではシャッターボタンを満身の力を込めても動かすことができなかった。上から飛び降りてみても、無駄であった。シャッターが切れないのは、小人化して体重も軽くなっていたためだろう。良子もカメラを恐ろしがり、自分まで小人化するといけないから、と言ってシャッターボタンに触れないし、理沙も恐ろしがって触れないため、カメラは食器棚の上に巻き上げレバーがまかれたまま、そっと放置されていた。

 ただ、その時に気が付いたのだが、小人化する前であったら明らかに落ちたら死ぬか大ケガをする高さ……たとえばビルの三階ぐらいに相当する高さ……と言っても身長がちょうど十センチ(良子に測ってもらった)である現在、その高さは、およそ六十センチに相当する……の高さから誤って落ちたのだが、体重が飛躍的に軽くなっていることと、足から落ちたということもあったのだろう、意外と衝撃が少なく、小人化する前であれば一メートルの高さから飛び降りた時に感じる衝撃しかなかった。

 小人化した時、リビングのテーブルの上から恐々と紐をロープ代わりにして床に下りたものだが、最近は慣れてきて、普通にテーブルの上から飛び降りるようになった。

 しかし、ジャンプ力は小人化した今、せいぜい自分の身長ほど、つまり一〇センチほどしか飛び上れないので、良子に頼んで紐で作った小さな縄梯子をテーブルの隅につけた。

 恐ろしいのは、ゴキブリなどの害虫と、蚊や虻などである。蚊と格闘した時ですら大変だったので、虻などに襲われたら、間違いなく殺されてしまうだろうし、カラズやトンビなどの鳥も、正をネズミか何かと間違えて襲ってくる可能性もあるのでうかつに外出すらできなかった。それどころか、家の中に野良猫一匹侵入したりしたら、生死にかかわるのである。家の中にネズミなどが侵入して襲われるのではないかという恐怖にも苦しめられた。

 だから、夜は虫かごの中で厳重に守られながら寝るしかないし、ひとりで外出もできない。

 一度、良子に頼んで、虫かごの中に入れてもらい、外をそっと眺めたこともあったが、あまりにも無力な自分自身の姿に涙が出てきた。

 良子は、さっそく仕事を探しているが、なかなか見つからない。正の一つ年下である四二歳になっては、いい待遇の正社員の仕事は、見つかりそうになかった。

「スーパーのレジ打ちでもするしかないかな……」

 と、言っているが、近所のスーパーのレジ係や商品補充の仕事の応募のチラシを見てはため息をついている。

 時給も安く、しかも一日六時間ぐらいしか働かせてもらえないし、交通費も出ない。とてもではないが、今までの仕事とはくらべものにならない。

「このままじゃ、あっという間に退職金も食い込んでしまうわ。貯金を切り崩していくしかないし。ローンも、まだ二十八年あるし、毎月の支払いは十二万円もするのよ。このまま私もパートで、あなたも首になってしまったら、この家はおしまいね」

 そう言って、渋い顔をして愚痴ることが増えた。

 そんな良子の姿を見ては、正も絶望感でうなだれる日々が続いた。唯一の救いは、やはりトラであった。トラのふわふわの背中に(もた)れて目を閉じるときや、夜になると自分の虫かごの前に横になって一緒に寝てくれるトラには、安心感を覚えた。

 ――最初はトラに食われると思っていたが……。

 トラさえいれば、何とかなるような気すら、してきた。

 とはいえ、家のローンが消えてなくなるわけではない。幾島家の家計の厳しさは、現実のものであった。

 このままでは、良子の言うとおり、本当に遠からず、このマイホームも手放す事になるであろう。

 ――ああ、小人化して、何もいいことはないではないか……。

 身の危険は増すし、今後の生活も不安だらけだ。それに、郷里の両親などに知られたらショックだろうし、もし自分の知人などに知られてそれが世間に漏れたら、いったいどうなるのだろうかとさらに心配になった。

 ――世間に漏れたら、俺はきっとどこかの研究所に連れて行かれて、解剖されるのではないだろうか?

 まさか。そんな事を誰かが本当にするだろうか、とも思ったが、たとえば噂を聞きつけた北朝鮮の諜報機関などが、拉致して研究所に連れて行かれて解剖される……といった事は、現実にあるのではないかと思えてきた。

 それに、そんな事がなかったとしても、ネットやテレビに面白おかしく取り上げられて、大勢の人の注目を浴びる。マスコミに追い回されたり、ネット上の見知らぬ人々に追い回されて大変な目に合うのは間違いない。

 ――ひっそりと、暮らすに限る……。

 しかし、様々な課題もある。

 たとえば、運転免許の更新などはどうするのだ? 幾らコロナ禍とは言え、リモートで更新できるわけではない。警察署や運転免許センターに出向く必要は出てくる。その時に小人だったら……大騒ぎになる。

 しかし、よくよく考えたら、すでに小人化しているのであるから、車の運転は最初から無理だ。そう考えたら、運転免許証はあきらめるほかなさそうだ。

 免許証はあきらめるにしても、小人化して働けないのは困る。今の東産業もこのままでは確実に首だ。そうなると、今後一切、収入はなくなる。

 何かブログでも書いて、そこから収入を得られるようにしようかとも思ったが、この小人化した体ではキーボードを打つことすらままならない。まだ家のローンも二十八年、そして理沙がこれから中学、高校、大学と進学していくと、さらに教育費もかさんでくる。

 それに、将来、理沙に生涯の伴侶ができた時に、理沙が小人のような正を父親として紹介することができるだろうか?

 正は、つくづく自分の運命を呪った。



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