聖女追放!………とは直接関係なかった子爵様
楽しんで頂けると幸いです。
◇で視点が変更されます。
「は?聖女様が追放されたぁ!?」
農地以外何もない寂れた領地。……人は少ないものの若干特殊な立地のせいで仕事は多く、今日も今日とて事務作業に励んでいたいつもの一日。
別に愛おしくもないが無くなってしまったら残念かもな〜〜くらいの愛着はある日常は、王都から送られてきたたった一通の連絡によって終わりを告げた。
ごちゃごちゃと長ったらしい宮中言語で飾り立てられてはいるが、要約してしまえば書いてある事は非常にシンプル。
『此度の貴族裁判にて長年にわたり聖女、かつ第二王子アルフレッドの婚約者であった元公爵令嬢マリアンヌは聖女を騙る者であったと判決が下された。この判決に伴い、マリアンヌは身分剥奪、財産没収の上、国外への追放とする。国内の領主は今後同名の領内への侵入を認めてはならない。以上』
「いや馬鹿なのか王宮貴族ども!?」
まずマリアンヌ様が偽聖女だってのが信じられん。聖女を選ぶのは代々受け継がれてる聖冠だぞ?王国誕生より古くから伝えられる意思持つ神器が間違いなんて起こすわけ無いだろう。
まして何かの間違いで聖冠が間違っていたり聖女選抜の儀式に不正があった、なんて事もあり得ない。
聖女として10年近く勤めて、国を覆う結界に何の問題も無かったんだ。これで聖女じゃ無かったら誰が聖女なんだって話だ。
因みに次の聖女は………誰だこの人?
は?元平民の男爵令嬢?第二王子の新たな婚約者?
馬鹿かな?やっぱり馬鹿なのかな?
これどう見ても色ボケ王子が婚約者追い出しただけだよね!?
王族の印鑑ついてるって事は王家は追認したのかよ!?親バカにも程があるだろあの愚王!!
ちょっと待て、冷静に考えよう。
まず、この男爵令嬢とやらが本物かどうか。……考えるまでもなく偽聖女だな。聖女は老年や怪我などの事情で後継者が現れるまで、常に一人と決まっている。つまり、王家は本物の聖女を追放して偽聖女を神輿に担いだわけだ。考えるだけで頭が痛くなるが、これは確定事項だろう。
次に、この手紙が彼女の追放から何日経ってから出されたのか。流石にこんな重要な連絡が後回しにされる事はあるまい。ここから王都までの距離を考えると………確実に一週間は経ってるな。既に隣国に渡ってるのは確実か。
隣国の王家や貴族がこんな醜聞知らないほど無能だったり………するわけ無いな。うちみたいな辺境の貧乏領主とは生まれも育ちも生きてる世界も違うんだし。
マリアンヌ様は慈愛の人として有名な聖女だったし、まず間違いなく隣国で保護されているだろう。彼女の身を危険に晒す事がいかに愚かかくらい、脳みそがついてるなら理解出来る筈だ。
流石に保護という名目で監禁されてるか、それとも敬われて変わらず生活しているか、なんて所までは分からないが………少なくとも、彼女の身の安全は保障されてると考えるべきか。
………そこに関しては一安心だな。
もし聖女様に何かあったら間違いなく天罰が下る。いや、天罰が下るのは既に確定してるんだが、死んでたりしたら天罰の度合いが間違いなくヤバくなるからな。『国がなくなる』が『国民が鏖殺される』にならなくて良かった。
とは言え、
とは言え………だ。
「…………詰んでやがる」
この国が滅ぶのは諦めよう。近いうちに王国を覆う結界が無くなって魔族どもが侵攻してくるのは明らかだし、愛し子を傷つけられた神がどんな罰を下すかなんて考えたくもない。
問題はどうやって領民を生かすか、だ。
腐っても貴族に生まれたんだ。己の失策なら首を吊るだけだが、王都の馬鹿どものせいで無関係な領民が殺されるなんて認められるか!
別に愛おしいわけでも無いが、領主である以上この領地にいる全ての人間は私の財産だし、何があっても守るべき存在だ。こんな下らない理由で死なせたら代々の先祖に申し訳が立たん。
『領土にいる全ての人間の命を背負う、それが最低限……私達が生まれつき背負う責任だ。貴族なんぞに生まれた自分を恨め』………でしたかね、父上。
「ビアンカを呼べ!!子供たちもだ!」
腹を決めて、家族を呼び出す。何はともあれ、まずはそこからだ。
家令に家族全員を集めるよう言った後、それほど時を待たずに家族全員が執務室にやって来た。
因みに我が家は6人家族。長女は既に嫁に出ているから、家に残っているのは家の管理を任せている妻と、次期領主として仕事を一部割り振っている長男。それとまだ十歳の双子の姉妹。……二人は来年から王都の学院に入学する予定だったのだがなぁ………。
今日は全員家にいる予定だったからか、早めに集まってくれて助かった。
「何かあったのですか、あなた」
初めて入ったと物珍しそうに部屋の中を見ている姉妹を嗜めながら妻が聞いてくる。
こうして一家を執務室に呼び集めるのは初めてだからか、何かあったのかと心配そうにしている。
「………聖女様が国外に追放された」
「………はい!?」
「はぁ!?」
「「?」」
良かった。幼い娘たちはともかく、妻も息子も事の重大性を理解してくれたらしい。王都の奴らが自信満々に『聖女を追放した』なんて言ってきたから、もしや自分の常識が間違ってるのかと逆に不安になっていたんだ。
未だ混乱している二人に、王都から来た手紙を渡す。こんな馬鹿らしい話を説明するより実際に読んでもらった方が早いだろう。
「………父上、どうするのですか?」
読んでいた手紙から目を挙げて長男が私に尋ねる。動揺は少ないな………随分と大人になったものだ。
「この国は滅びる。これはまず間違いない。……三百年張り続けられた結界が無くなり、魔族が侵攻してきて国が大混乱に陥るまで後…………三週間と言った所だろうか。最も魔族領に近い領地の一つであるこの地に奴らが現れるのは、それより少し前だろうな。魔物の出現率もすぐに急上昇する筈だ」
「……そうでしょうね。私もそう思います」
「その上で言う。これは子爵家当主としての決定だ。今この時より子爵家の次期当主を我が嫡男のガラルドと定め、同時に隣国での留学を命じる。これは当主としての能力不足を補う為のものであり、我が領では得ることの出来ぬ知見を集めさせる事を目的とするものである」
次期当主にする事はずっと決めていたが、まだ子爵家当主として宣言するつもりは無かった。………当主が次期当主を宣言するのは、自身が当主として役割を果たせなくなった時なのだから。
「なっ………父上!!」
「加えて命じる。我が妻ビアンカには嫡男ガラルドの国外留学に伴い、その監視役と現地での橋渡し役を申しつける。まだ幼い子供たちも連れて行く事。………子供3人を連れて不慣れな国外での活動となると、今まで以上の使用人が必要であろう。領内から広く使用人を募集し、可能な限り多く連れてゆく事。………隣国に到着後の使用人の雇用、解雇はビアンカの権限で行うように」
本来、次期当主が国外に出るのはあまり良い事ではない。亡命の準備や他国への内通などを疑われ、心象を悪くしてしまうからだ。その為に付けられるのが監視役………なのだが、これは血縁者に任せるものではない。監視する側と監視される側が血縁者だと、そもそもの監視の意味が無いからだ。
だがこれは不文律でしか無い。妻が付いていっても法を犯してはいない。
他国へ行く妻に幼い子供たちがついて行くのも当たり前の事だし、その使用人として何故かとんでもない数の領民がついて行ったとしても責められる謂れは無い。まして多過ぎたからと国を越えたのちに解雇され、そのまま移住したとしても法的にはギリギリセーフだ。
「何を言っているのですか!あなた!!」
「重ねて言う。これは子爵家現当主としての命令である。ガラルド、ビアンカの両人の出発は一週間後とする。以上だ」
沈むと分かっている船に宝石を残す理由など無い。領民も家族も、このままでは死んでしまうのだ。法的に限りなく黒に近いグレーな事をしたとしても、指示をした私が死んでしまえば罪には問えない。我ながら素晴らしい解決案だと思う。
「―――生きろ。当主である私さえ残っていれば、面目は立つ。こんな下らない事でお前たちまで死ぬ必要はない」
例え滅ぶと知ったとしても、領主だけは残らなくてはならない。王国において最低限人として扱われるためには、王国に認められた領地に属していなくてはならないからだ。理由なく領主が領土を離れた時、領主は全ての権限を失い領主と看做されなくなってしまう。
領主のいない土地の出身者など、国外に出る前に奴隷にでもされるのがオチだ。国外に行けても、職にありつくのも難しくなってしまうだろう。
きっとこれが、私がこの地に生まれた理由なのだ。
「父上!私も嫡男として残ります!戦士として戦う事だって「ならん!」………何故ですか!?」
「実務を少し齧っただけで実戦経験も浅いお前に何が出来る!それに嫡男であるお前が死ねば、我が子爵家自体が消滅する。王国の成立から三百年に渡って続いてきた我が一族を滅ぼしては祖先に申し訳が立たん」
「ですが!このままでは父上が!!」
心配してくれるのはありがたいがな……ガラルドよ、お前は大切な事を見落としている。
「覚えておけ、ガラルド。これが貴族というものだ。それにお前が隣国へ行かなくては、領民たちは逃げる事すら叶わんのだぞ?使用人という大義名分が無くては領民を国外へ出す事など出来んのだからな」
領民数人が国外へ行くくらいであれば私の許可だけで問題ないが、領内の可能な限り全ての領民を避難させるとなると大義名分が無くては他の貴族たちや王族が横槍を入れて来かねない。正直、大義名分があってもギリギリだ。……領民が300人ほどと比較的少なく、存在自体あまり知られていない辺境であるから大丈夫だと思うが。
流石に自分のせいで領民が死ぬと言われては何も言い返せないのか、嫡男が悔しそうに俯く。………そんな顔をしないでくれ。人には役割があるというだけの事なんだ。
「あなた……それなら私も残ります。娘たちはガラルドについて行かせれば良いでしょう?私はこの地に住まうエルフ族の娘です。あなたが残るのであれば、私にも残る義務がある筈です……。実戦経験だってあなたよりあるわ」
「だからこそ、君にはついて行って貰わなければならない。幼い娘達から、母親まで奪うわけには行かないだろう?それにまだ若いガラルドだけではどうしても軽んじられてしまう。………さようならだ、ビアンカ。私のようなつまらない男と結婚してくれて、本当にありがとう」
君が私より強いなんて事は知ってるよ。だがそれでも、妻を死なせたがる夫が何処にいる?森のエルフ達との関係強化の為に政略結婚させられた身で、君は私のような男に尽くしてくれた。本当に感謝しているんだ。
あぁほら、泣かないでくれ……。娘達まで泣き出してしまうよ。
「話は終わったよ。四人を連れ出して休ませてやってくれ。それと応接間以外にある資産を集めて、持っていける物以外は現金化してくれ。私はこれから領内の者たちへの声掛けに向かう。残念だが、お前達を見送る事は出来ない。………後の事は任せる。どうか幸せにな」
覚悟を揺るがせない為、あえて家族の顔を見ずに家令にそう言いつけて館を出た。領内の者たちへの避難勧告をしなければならないからだ。騎士達に伝えさせるだけでは事の深刻さまでは伝わるまい。
エルフの爺様へお伺いも立てないとな……。彼らが森を離れる事は無いだろうが、せめて魔族達に手を出さないよう伝えておくべきだろう。
正直、どれほどの民が亡命に賛同してくれるかは分からない。かなり少ないかも知れないとすら思っている。だが、出来るだけ多くの者に逃げるよう説得したいものだ。
生まれた土地を捨て、隣国へ赴けなどと無茶を言っている自覚はある。この土地に残りたいと言うのであればそれも仕方ないだろう。死ぬより苦しい生活になるかもしれない隣国での生活を強制することは出来ない。
だがせめて、可能性だけは示してやりたいのだ。例え自己満足かもしれないとしても……。
「私はこれからエルフ族と面会をしてくる、随伴の必要は無い。お前達は領民について行きなさい」
「承知しました……。ご武運を、領主様」
家族に別れを告げてから五日。村村を回って説得を続けてきた。一部の年寄り達は残ると言って聞かないが、思ったより多くの領民が移住を決意してくれた。
隣国で私と同じようにエルフ族の自治領を抱えている辺境伯にも「後は任せた」と伝えた。あの領地は常に魔物の襲撃に晒されていて人手不足だと言っていたし、彼は義理堅く信頼できる男だ。彼の度量につけ込むようで申し訳ないが、親友の最後の願いだと言えば否とは言わないだろう。
彼とは二十数年前、新婚だった妻と連れ添って挨拶に伺った時以来の仲だ。
エルフ族と長年付き合ってきた先輩として、スタンピードで父君を亡くし爵位を継いだばかりだった彼の相談にも乗ったし、一緒に魔物狩りに出たこともある。―――あの時は朝方まで二人で酒を飲んだせいで妻に怒られたのだったな……懐かしいものだ。
あれからもう十年以上経つのか……赤子だったガラルドが気づけば青年になっているわけだ。
私は若い頃、彼の父君から薫陶を受けたが………もしや今度はガラルドが彼の薫陶を受ける事になるのだろうか?
……因果なものだ。
遠き地の友を思いながら森を歩く。……そろそろ迎えが来る頃だろうか?と思った矢先、音もなく数人のエルフ達が木陰から姿を現した。
「どうしたのだ、人の子よ。一人で来たのか?戦士でもあるお前を軽く見るわけでは無いが、この森を一人で歩くのは不用心だぞ?」
顔見知りのエルフが心配そうに尋ねる。どうやら私が一人で森に入った事を察して、わざわざ迎えに来てくれたらしい。
「どうしても話しておかなくてはならない事があってな……。―――爺様と話をさせてくれんか?」
いつになく真剣な私の様子に感じるものがあったのだろうか、じっと私の胸元を見て顔見知りのエルフ族が尋ねる。いつも胸元に下げていた彼らとの友好の契りの証は今は無い。館を出る前に餞別としてガラルドに預けた後だ。
「―――我らとの契りの証はどうしたのだ。死ぬ時まで決して離すなと…………いや、まさかそういう事なのか?」
「ああ。そういう事だ。別れの挨拶をしに参った」
悲しげにエルフ達の顔が歪む。彼らは仲間を何より大切にする者たちだ。それは契りを結んだ異種族に対しても変わらないらしい。……少し申し訳ないな。
「―――承知した。長老の元へ案内しよう。詳しい話はそこで聞かせてくれ」
「頼む」
「して、別れの挨拶とはどういう事だろうか?人の子よ。お前はまだ死ぬ歳でもあるまいに……」
案内されたエルフの里。その中央で待っていたエルフの爺様が私に尋ねる。
「王族が、聖女様を追放した。じきに魔族たちが攻めてくるだろう。領民たちは出来るだけ国外に逃すが、残った者も多くいる。彼らのためにも、私は立ち向かわねばならない」
私の言葉に驚いた様子であった長老は、ひどく悲しげに事実を告げる。
「………死ぬ事になるぞ?」
「だからこそ、別れの挨拶をしに参ったのだ。………どうかエルフは手を出されるな。この森に篭っていれば被害も及ぶまい」
神の裁きはあくまで人間に対してのもの。エルフ族にまで火が飛ぶ事はおそらく無いだろう。魔族もこの森だけは避けるはずだ。強壮たる森のエルフに態々戦いを挑む理由など無い。
「………契りの証を持たぬお前の言葉を聞く理由はない。我らは我らの掟に従う。―――さらばだ。気高く、大切であった………私の子よ」
爺様には何度も世話になった。領主として今日まで何とかやって来れたのはこの人のお陰だ。―――いかんな……これから死にに行くのだというのに、頬が緩んでしまう。私は彼の子供であれたのだなぁ………。
「………貴方の子であれた事を誇りに思う。親不孝を許されよ、爺様」
エルフ達の元で一晩泊めさせてもらい、翌日には行きと同じようにエルフの案内に従って森を出た。
死にに行く戦士への手向けだと、随分と豪華な宴会を開いて下さった。皆どこか悲しげではあったが、死ぬなと引き止める者は無かった。
彼らにも分かっているのだ。死ぬべき時に、人は死ぬという事を。
心残りはもう無い。
後はただ、魔族の襲来を待つだけだ。
◇
私はマリアンヌ。
マリアンヌ・ラセスムント。元公爵令嬢にして聖女………だった。
ついでに馬鹿王子の婚約者だったけど、そちらは男爵令嬢に浮気した王子が婚約破棄してくれたから既に無くなった話だ。
ついでに国外追放も言い渡されたので、今は隣国で気ままに暮らしている。
あの王国にいた頃と違って皆んな聖女である私の事を大事にしてくれるし、此方に来てから婚約を申し込まれた第二王子様とも良い関係を結べている。
聖女を失ったあの国は結界が無くなった上に神様から天罰を受けて、今は魔族に支配される荒廃した廃墟に変わったらしい。
第二王子様から聞かせてくれた話だと、私を追い出した王子や聖女を馬鹿にしていた貴族達も含めて皆んな処刑されたらしい。今は魔族の将軍が旧王国領を統治しているそうだ。
聖女としてあるまじき事だけど、その話を聞いた時は少し胸がすくような感情を覚えた。
何しろ、毎日のように食事も睡眠もまともに出来ずに祈り続けて、合間合間に馬鹿王子の仕事をこなす………そんないっそ死にたいとすら思ってしまうような辛いだけの毎日だったから。
そんなある日、この国で国防を担っている辺境伯の在住する地で王国から逃げ出して来た地方貴族が逗留していると聞いた。どうやら結界が完全に壊れる前に難民を連れて王国から脱出していたらしい。
既に滅んでしまった同郷の人間がこの国に居ると知った私は、会わない方がいいと渋い顔をする守護騎士や婚約者を説得し、軽い気持ちで辺境伯の元へと向かったのだった。
…………今にして思えば、何でこんな事をしたのか分からない。軽い気持ちで私がした事の残酷さを、私が難民達を訪問するという事の意味を、当時の私は考えても居なかったのだから。
「何をしにいらっしゃったのですか?」
穏やかな声と表情で、凍えるような目を向けながら辺境伯様はそう言った。
難民達の代表だという青年もまた、恐ろしいほどに空疎な目でただ静かに私を見据えていた。
この国に来てから初めて見せつけられた隔意。
普段は私を庇ってくれる侍女や騎士達もまた最初から分かっていたかのように、それを咎める事はない。
敵意はない。私を憎んでいるわけでもない事はよく分かる。歓待はとても丁寧だったし、聖女としての仕事に対してのお礼の言葉にも含むものは何も無かった。
ただ、決して私に心を開こうとしないだけ。
初日に出迎えをして下さって以降、一度も顔を見せる事のない辺境伯やその部下達からは、顔を絶対に合わせたくないという意思を容易に読み取る事が出来た。
第二王子殿下が付けてくれた侍女達や騎士たちも、それを分かっていたかのように出来るだけ私が辺境伯様達と会わないようにしている。
難民達に会いに行った際は全員が臨戦態勢でピリピリしていて、遠巻きに囲む難民達と話す事すら許されなかった。
何故?と、私は尋ねた。
何故こんなにも彼らは私に隔意があるのかと。
侍女達は悲しそうに首を振る。
騎士達も何を答えはしなかった。
結局、辺境伯領にいた日数はほんの数日。あまりにも慌ただしく旅行は終わった。
私に口を開いたのは、出迎えと見送りにだけ顔を見せた辺境伯だけ。向けられた目線は、どれも冷たいものばかり。
元々の目的だった、同郷の者達と語り合うことなど許されなかった。
初対面の彼らが、何故私にこんなにも隔意を示すのか……。
その答えを、私は帰城してから知ることになる。
「残念だけど、自分たちの国を滅ぼした人を愛せる者など居ないんだ」
城に帰って来た私を出迎えた殿下は、私に旅の様子を聞いてからそう言った。
ポカンとする私に、殿下はさらに言い募る。
「君は国外追放の命令を受けて国を出た。君が居なくなれば結界が無くなると当然知った上で、だ。勿論、それに関して君に悪いところなど無い。君はただ馬鹿な王子が出した国外追放の命令に従っただけだし、彼の国での君の扱いは目を覆いたくなる程に酷かった。君に責められる謂れなんて無いんだ。………けどね、君が居なくなった事で、彼らが大切な人や帰るべき家を失ったのも事実なんだよ」
「でもそれは!!」
「そうだね、王子がそう命じたからだ。何度も言うが、君が悪いわけじゃ無いんだ。彼らは何も言わなかったろう?君を責めてはいけないと、彼らも分かっているんだよ。………でもそんな理屈で片付く程、人間は単純な生き物じゃ無い。―――辺境伯は、最大の友にして兄貴分でもあった、とある子爵を失ったそうだ。何年も共に支え合い、時に笑い合い、誰よりも尊敬していた親友をね。君が会った避難民達は、その子爵が自分の命と引き換えに逃した者達だ。……辺境伯の隣にいたと言う青年は、恐らくその子爵の息子だろうね、辺境伯に息子はいないから。………何度でも言う、君は悪く無いんだ。でもね、彼らが君に隔意を抱いてしまうのは仕方ない事だと思わないかい?」
「それは………」
とても申し訳なさそうな顔でそう言う殿下に、私は何も言えなかった。
仕方ない事だなと、私もそう思ってしまったからだ。親友を、故郷を、無くなると知って失わせた女を愛する事のできる者などいない。
第三者であれば、それは間違っていると言う事だって出来るだろう。私は悪くない、悪いのは愚かな王族だと、そう責め立てる事だってするだろう。
けれど当事者達にとってみれば、そんな理屈なんて関係ない。
親友や故郷を失わせた原因の一人が自分たちに会いに来る。「何をしにきた」と、そう言って当たり前だろう。罵声を浴びせられなかったのは、奇跡と言っていいのかもしれない。
憎むのは筋違いだと思っているから、彼らは何も言わなかった。表面上は、暖かく接してみせた。心を伴わせる事が出来ないから、せめて態度だけは友好を示して見せた。
「辺境伯から謝罪を頂いているよ。『今回の訪問、数々のご無礼をいたしました。誠に申し訳ありません。……貴女に会った時、私や民たちが何をしてしまうのかが分からず、出来る限り貴女と会わぬよう指示をしていた結果でございます。この償いは、如何様にもして下さって構いません』だそうだ。……彼なりに気を遣ったのだろう。君に愚かな事をしてしまう者が現れたら、誰にとっても不幸な事だからね。辺境伯はこう言っているが、君は何か償いを望むかい?」
「いえ……何も、何も望みません」
寧ろ、償うべきなのは私ではないだろうか?関わるべきでは無かったのだ、私は。
「では、此方で叱責処分を入れておくよ。何がどうあれ、聖女に無礼を働いたのは事実だからね。………恐ろしくなってしまったかな、この国が」
その通りだ。どんなに大切にしてくれても、心の底で彼らが私をどう思っているのか考えるだに恐ろしい。
きっと蔑んでいるのだろう。
きっと憎んでいるのだろう。
けれど私は、それを受け止めて生きなくてはならない。これから、ずっと。
その責任だけは、私が投げ捨ててはいけないものだ。
「いいえ。私がしてしまった事ですから」
私の言葉を聞いた殿下は痛ましげに私を見つめる。
「そうかい。ならば最後まで君を守るよ。それが、僕の選んだ道だからね」
そう言った殿下に、私はただ微笑んだ。
◇
魔法大学歴史科特任教授 アレクアンドの講義録
五百年ほど前に起きた、とある王子によって引き起こされた王国の消滅と魔族領の拡大について知らない者はいないだろう。
彼の国から追放された聖女と、真摯に彼女を支え続けた王子の伝承は、劇などの創作にも広く残されているからね。
『馬鹿な王子と優しい聖女』なんて絵本にすらなっている。子供の頃に寝物語に聞いたものも多いのではないかな?
では、かの聖女を追い出した国を滅ぼした魔族達について、何か知っている者はいるだろうか?
彼らについて、語られる事は非常に少ない。
それは文献の不足にもよるだろうし、つい百年ほど前まで宥和どころか交渉すらしてこなかった人族と魔族の断絶のせいもあるだろう。
それこそ絵本に出てくる怪物達のように、ただ王国の人々を蹂躙し、殺し尽くしたと昨今までは考えられていたのが……この通説には話を聞いている皆も賛同しかねるのではないだろうか?
記録というのは、簡単に改竄されてしまうものだ。魔族を人殺しと同じ意味で使うような古く幼い妄想を、現代を生きる我々は持ってはいない。今時そんな事を言うのは極端な差別主義者、それこそテロリスト集団である「勇者」の会員くらいのものだ。
魔族達がどのように王国領を侵攻し、人間をどう扱っていたのか、それを示す興味深い史料が近年見つかった。
―――この写真を見てほしい。これは、とあるエルフ達の森の近くに魔族達によって造られた石碑だ。
数百年前のものだから流石に文字は読み取れないのだが、近くの森に住むエルフ達はその文言を記録していた。
文言はこうだ。
『尊敬すべき男。愛すべき敵。森の民達の同胞。ここに眠る』
だ、そうだ。
敵である筈の魔族達から尊敬を受けた男。それも記録によるとその地を治める領主だったらしい。
………一体、どんな人だったのだろうか。これからの研究で、明らかになっていく日が楽しみだよ。
こういう物語もありかなと思って書いてみました。
ただ義務に従って生きただけの人々ですけれど、尊ばれるものではあると思うのです。
※2021/10/21追記
誤字報告、ありがとうございます。助かります。