雪女さんは、平ちゃんの枕元
京の祇園。
劇場内の段の上では、一人の芸妓が舞踏を披露して客をもてなしていた。
しかし場を乱す下衆な輩は毎度の事であり、それがあの天下に轟く新撰組の隊士であるならば、気分を害さぬよう、寸分たりとも顔色を変えてはならない。
「おい姉ちゃん!! そんなとこで踊ってねぇでお酌してくれやぁ!!」
「そうだそうだぁ!! 白粉なんか取って俺達の世話をしてくれよぉ!!」
周りの客の視線など気にもしない、お上より〝新撰組〟という名を頂く頃には、千人が集まる大所帯の一大組織まで成り上がり、その一員という事実に酔う不逞隊士がこの例だ。巷ではデカくなるばかりで、闊歩出来るようになったのは池田屋事件が大きい。
そんな栄光に縋って、タダ酒を要求するような奴が現れる。
近隣住民も陰では、かつての組織名〝壬生浪士組〟から取って、壬生の狼など、鴨を殺す鬼、などなど人を集めては悪口合戦だ。
まぁ評判なんて、この時代では無価値だがな。
「おい……何してんの?」
「あぁん? 何だてめっ……藤堂さん!!!?」
「落ち着いて見れないでしょうよ~~! 皆さんも~ねぇ??」
俺の一声で、周りは強気になれる。
萌葱色の着物に灰色の袴を履いている、だが決め手はやはり、この浅葱色の羽織でしょ。
ちょっとからかう程度で諫めて上げると、隊士は藩の郷士のように大人しく言う事を聞いてくれる。
初めまして、俺の名前は藤堂平助。
新撰組で八番隊隊長をやらせて貰ってます。そこそこ強いです。
あぁでも沖田さんや斎藤さんには敵わないかな。
「あの、隊長?」
「お前達はもう行け」
「はっ…… はい!」
どぶろくを片手に、隊士を諫める俺は実は、仕事終わりの一杯を嗜んでいる途中だった。
強面集団だからこそ、身を震わす隊士も堂々としていたのだが、余計な一言って奴は要らないよな。
それは俺とすれ違って、外に出て行く最中。
「チッ……! 日和見の蝙蝠小僧が……」
「どうせ伊藤派だろうに……
試衛館生え抜きの一人とチラつかせて、局長の首を狙ってんだろうなぁ」
「裏切りもんが肩に風切って、堂々としてんじゃねぇってんだよ」
「近藤勇の時代も終わるかぁ?
山南総長に続いて、伊藤甲子太郎にまで見限られちゃぁ、局長の器も知れるってもんよぉ」
「…………おい」
ほんの一振りで終わる。
抜いた刀で不意打ちとはいえ、隊士達の死に様に見せる仏の顔は、見るも笑止の呆気に取られていた。
何故斬ったのか。その理由は追々知る事になるから言わない。
自分で言うのも恥を晒すようなもんだし、取り敢えずそういう時代だって呑み込んで貰えれば良し。
あと知っていて欲しいのは、実は俺も結構周りから怖れられたりしてるので、煮え湯を飲まされたことで、気分を害してしまったら謝っておく。
仕事終わりに気持ち良くなる予定だったのに、汚い隊士の血で、女よりもお風呂が優先されてしまった。
ピチャピチャと、内臓を晒した隊士の死体の横を気兼ねなく、祇園の大通りに出た俺に、路地の隙間から透き通る白い右腕が、俺を誘うかのように手招いていた。
薄暗い闇夜の裏の通りにて、自分を呼び込んだのは。
「先程は、助けに入って頂きありがとうございます」
「アンタは……舞台で踊っていた……」
「名を、中西君尾と申します」
「そうか……礼は聞いたから帰ってもいいよな?」
「おや? もしかして妻子を、お持ちの方でしたか?」
「あぁ。家で最愛の湯船が俺を待っているのさ」
飛び散った血の羽織を見せびらかす俺に、その女はクスりと袖に顔を隠しつつも、その端正な顔立ちから魅せる笑みを、露わにする。
「っ……」
「どうかされましたか?」
生唾を飲む音を聞かれたか、否か。
されど己の言動を、一つたりとも今は、目の前の女に開示したくはない。
心が動揺、いや躍動している自分に、その赤みが滲む灰色の瞳は迫ってくる。
「これで失礼する」
今にもすがってきそうな彼女の手を振り解いて、俺はその場を離れて洛内へ。
逃げている訳ではないが、後ろを気にしながら息を切らす俺は、伏見の一番街の脇道に入って初めて足を止めた。
「なんだ……あの女……」
実際は逃げていた。
新撰組の隊長ともなれば、下手に祇園の売り物と相手をする訳にも行くまい。
現状、敵対している勤王党の浪士共の画策かもと、頭の片隅では理解していなければ、すぐに襲撃に遭って命を落としてしまう。
だけど、あの女は違った。
テカりのある艶髪、常人とは思えぬか細い腕、白粉の相対を表しているかのような、真っ赤な口紅。
そうだ白粉だ。あれに違和感があった。
芸妓と間近に接した時、とても化粧をしているようには見えなかった。
「……ハァ」
何を思い浮かべているのだろうか。
この激動の時代で、浮ついた話や、ましてや余計な事など考えている暇は無い。
ここだけの話だが、俺が斬り捨てた隊士の言い分は、強ち間違いではない。
俺はこの国の今を憂いていた。幕府と朝廷、どちらがとか、考えている時間も惜しいと思っている。
自分の寝床である宿泊先の母屋に辿り着いた。名は【山形屋】。
近所の【寺田屋】に比べれば、大して目立たない長屋の裏に構えた陰気の建物だ。
隊長が身を潜めるには打ってつけ。見栄を張るにも、物を選ばなければならん。
「あら、お帰りなさい平ちゃん」
「ただ~いま……お布施さん、お風呂沸いてる?」
「へぇ! 泊まっている方は、なにも平ちゃん以外にも居ますからねぇ」
ここ山形屋の女将、お布施さん。
ボロい館に似つかわしくない、育ちの良い家柄を彷彿させるような老女だ。
五十を越えても跡が残る美貌は、まるで妖怪の如し。
「誰が妖怪ですって?」
「うわっ……」
さらに心も読む。
「あまりからかってくれると、貴方様の晩食を忘れさせて貰いますからね」
「い……嫌だなぁ女将!! ちゃんと金を払ってるんだから頼みますよぉ!!」
俺が逆らえないのは、この人くらいだろうか。
おっと今の一言は忘れてくれ。他言されれば、あなたを斬らねばなるまい。
怖い印象から、少し恥ずかしい印象も持たせてしまったので、ここいらで少し挽回を計っている。
傍白も悪くない気分だ。死人に口なしとはよく言うも、退屈なんでな。
日が顔を出す頃には、決まって屯所に顔を出す。
試衛館時代から代稽古を任されているので、朝は隊士達に剣術、砲術、文学と教えることは様々。
それを遠くから見ていた、腕組みをしている男に話しかけられる。副長の土方さんだ。
「朝から精が出るなぁ、藤堂君」
「おはようございます土方さん! ……組織強化の為、たまには俺も下のもんに良いとこ見せますよ!」
「昨日、隊士が三人、祇園で斬り捨てられていた。目撃証言によると、お前の名前が出て来たんだが?」
「えぇ! 俺が斬りましたよ?」
「世間では、〝内輪揉め〟だとか不安を煽っているが、どういうつもりだ?」
「勘弁して下さいよぉ土方さん。好き勝手やって、新撰組の評判に傷が付くと思ったから粛清したんです。それは局中法度の士道ニ背キ間敷事に違反した行動だったのでね。
……まさか隊同士の個人的な争いの方で問い詰められてます?」
「いや……真相が判れば、それでいい。ご苦労だったな」
「じゃあ俺は、黒星の付いた浪士の潜伏場所に行ってきますんで!」
土方さんは、幕府こそがと至上主義を掲げる新撰組の副長。故に、話が堅いし長い。
俺は違うのかって、それは伊藤さんと会った時にでも話しますよ。
「もう一つ良いかね藤堂君」
「何でしょうか?」
「隊士を斬った本当の理由は何かね? 君ほどの学のある者なら、諫めて終わると私は思うが?」
やっぱ副長には、敵わないなぁ。
「……近藤さんを、俺らの大将を馬鹿にしたからですよ」
「……そうか。態々、呼び止めてすまなかったな」
洛外波止場、某所。
入り組んでいて、曲がり角が多いこの場所は、敵が死角を作る絶好の逃げ場。
前々から不逞浪士の溜まり場として利用されている、ゴロツキの吹き溜まりみたいな所だ。
「御用改めである! 新撰組だ!!」
ちなみにこのセリフは、近藤さんや土方さんが言って初めて迫力があるので、悪しからず。
小柄な美青年の俺にとっては、少々荷が重いが建前上、仕方が無いことである。
「かっこいいじゃないかぁ、平ちゃん!」
「……沖田さん!」
土方さんが援軍を送ってくれたのであろう。
一番隊隊長を務める沖田総司。ここに来る前に子供達と戯れていたのを目撃したが、知らせを受けるなり、駆け付けて来てくれた。
共に戦ってひしひしと伝わってくるが、彼は本当に天才剣士なのだ。
俺もそこそこ剣術では、常人を圧倒して上洛したのだが、上には上がいる。
それこそ抜きん出た才覚の集まりである新撰組では、俺の腕など曇るだろうな。
田舎者の集まりだった道場で、嫌と言う程に天才を拝み、釜の飯を食ってきたのだが、京に出ても、この人達を超えられる侍がいないのもまた、妬み、色濃く植え付けられる悩みの一つだ。
壁は常に、幼少の頃より。されど何処までも、遠くまで立ち聳える人生かな。
「まぁたイッパシに、覚えたお前の剣筋が、過去のモノとなってやがる……ゲホッ、ゲホッ」
「まだまだ超える壁は長いですけどね……」
「じゃぁ俺達一番隊は引き上げるから、お前はあの娘を送ってやれよ」
それは浪人達の隠れ家の隣の空き地にて、肩をすくめて怯えていた女性。
しかし見ず知らずの者を保護するのに、気怠さを覚えていた俺だったが、その者が顔を上げた途端、全身に鳥肌が立つほどの身震いを受けた。
「貴方様は、確か……」
「お前は祇園にいた……」
覚えている。忘れられる筈も無いあの怪しい芸妓が、目の前にいたのだ。
「ここで何をしている?」
「……良かった。また会えた。
ここでは下衆な輩に捕らえられて、玩具にされてました」
「なんでまた……それにお前は、そう簡単にあそこから抜け出せないだろ?」
「……」
女は黙ってしまった。
祇園には戻りたくない。帰る場所は無いなど、元の所には帰りたくない口実で一点張り。
根比べに折れてしまった俺は、取り敢えず山形屋に連れて帰る事に。
「わぁ、ここが藤堂様のお屋敷」
「いや旅館です。少し前から居座らせて貰ってるんです」
「へぇ……藤堂様は座敷わらしですか?」
カチン。
小柄の身を弄って生きていた平隊士は、難癖という大義の下で半殺しにはしたが、
此度の相手はオナゴ。故に口喧嘩が玄関前の帳場にて、勃発したのである。
「あらあら、賑やかな事で何より。お帰りなさい平ちゃん」
「聞いて下さいよ女将さん!! あたしゃぁ許せねぇよ!!
チビちゃんなんて、ツケで食ってる居酒屋の店主に呼ばれてはいるが~
言うに事欠いて座敷童ですよ? あたしゃぁ許せねぇよ!!」
「まぁ可愛い看板娘を、連れて帰ってきたこと~~! お名前は何て言うんだい?」
ガン無視。
女将のお布施は芸妓の着ていた、純白の着物に付く泥を払い、
お風呂へと連れて行けば、お節介なんのそのという、
湯船に浸かるまでの一連の流れは、俺の速斬りより俊敏だった。
壁の高い位置にある、柵の隙間から見える月明かりに照らされた星空を眺めては、
何か訳ありだろうと感じさせる、物思いに更けている彼女を、汲み取れない俺は裸体を拝んでいる。
お布施にバレてシバかれる俺の悲鳴など、気にする様子も無い芸妓は、
短い入浴で済ませ、脱衣所で体を拭いていた。
お布施の自室にて、ようやく取調べが叶う。
「名は、君尾だったっけ?」
「いいえ……私は雪女です」
「そうか……で、どうして祇園から抜けて来たんだ?」
仕事柄、理解に苦しむ相手の言い草には、聞く耳を右から左に流していた。
同時刻にお布施は、風呂の入れ替えを行っていた。
まだ温かい筈の湯船に手を付けて見ると、それはまるで氷水の様に冷たくなっていたとか。
「足抜けしました……脱走です」
「借金とか無かったのか? むさい男共が連れ戻しに来るだろう?」
「私を知っている者は凍らせて来たので、暫くは大丈夫かと」
度々耳にする不可解な言語が、夜遅くというのもあって俺を惑わせた。
虚言は慎むよう、少し圧もかけてみたが進展は無く、戻ってきたお布施の一言で取調べは中断。
「部屋は満室だから、中西さんは平ちゃんのとこで寝させてね」
「えっ?」
「なぁにぃ? まさかこの廃れた宿屋には、空き部屋が腐る程あるとでも、思うてたん?」
「思ってない思ってない!」
自分の部屋に中西をもてなした。
事前に用意されている鏡台の前で、髪をとかしている女は俺を見る度に会釈する。
慣れていないのはこっちの方だと言うのに、変に気を遣わされていい迷惑だ。
四畳半一間の狭い個室に二人という、何とも落ち着かない。
「申し訳ありません……」
「今更だろ。たった一人でも増えりゃぁ、自分の部屋じゃぁねぇみてぇだ」
さっさと布団に入って寝てしまおう。
朝になれば出て行くさと、今は浮かれてる場合ではない。
女を抱くのは、祇園で十分。色恋に惚けていては、隊に示しが付かない。
「……失礼いたします」
よくよく考えみれば、おかしな空間に居たのだ。
中西君尾と距離を取るが為に、部屋の角に凭れ、一室の不可思議な点に気付いても良さそうな。
布団は俺の分しか、敷かれていなかったのだ。
つまりは、俺が寝ている掛け布団を両手で持ち上げて、潜り込んで来たのである。
「……どういうつもりだ?」
「一声掛けたつもりでした……」
「お前の布団は無いのか?」
「押し入れを調べましたが、どこにも」
「……ハァ」
うなじを過敏にさせる、冷たい吐息。
密接した状態でも我慢しようと、目を閉じては無心になり、されど、異常な冷気を感じてしまっては、振り向かざるを得ない。
寝返りを打っては改めて、その絶世の色白肌を拝顔する。
見紛うことなき、一度見れば忘れられない。
そんな容姿端麗の言葉が頭を過ぎる、精悍なご尊顔をなされていた。
こんな近くで寝息を立てられては、その真っ赤な唇を圧したくなる。
どんなに顔を近づけても、女は起きる気配を見せず、いっそのこと、一線を越えてしまおうかとも、思えてしまう程に美しい。
この時代の女性は、常に髪を油で固めている。
だからこそ、この垂れ流れている一本一本の毛先が揺れる長髪を、触って愛おしく想うのは、今夜が最後だろうと思った。
「雪女か……俺も、死が近いかな?」
頭を撫でるだけで、己の欲を自制し、夜明けを待つ。
朝に目が覚めて帳場前に降りると、旅館に新顔が現れた。
鬢付け油など、無くても艶のある下げ髪にリボン。青と白の矢絣の着物を着ている女中。
昨夜を共にした中西だった。
「今日からこちらで、働かせて貰える事になりました。……似合いますか?」
「稀有な髪型だが、俺好みかもな」
パタパタと一回転して見せる中西。
振袖が俺の顔面に直撃しても気にしない素振りに、女将のお布施からさっそくお説教。
「平ちゃんの手前、鮮しく美しい自分を魅せたがるのも結構。
だけど、嫁入り前の礼節を忘れたらぁ、あきまへんで?
それに人の目もある。他のお客様に、従業員が一人の客によがってるなんて噂が広がれば、
ここ山形屋は、忽ち遊郭へとお色直しやわ」
「も……申し訳ありません!」
平謝りの中西に、可愛い一面を見出した俺は、そのまま外に出掛けようとしていたが。
「あっ藤堂様!」
着崩れを直す、と同時に接近する美顔。
「じ……自分で直すから余計な事はせんでいい!」
「あっ……すみません。私はまた余計なことを……」
朝っぱらから頭を下げてばかりの女に、
顔を紅くしている自分の心境を、悟られずに済むのは不幸中の幸い。
「じゃぁ行ってくる!」
「「 行ってらっしゃいませ!! 」」
半ば勢いよく飛び出した俺の顔に当たる胸板。
背が高く、副長に負けず劣らずの厳つい顔をした男は、新撰組の参謀。
「伊藤さん!?」
「よぉ~……朝から乳繰り合って、見せつけてくれるじゃねぇかぁ?」
「ちょっとした面倒事ですよ。伊藤さんも今から屯所に?」
「お前の女か??」
「違います。からかわないで下さいよ!」
おちゃらける俺に、伊藤さんも妬み混じりの笑みで返して来たが、さりげなく耳打ちする。
「ここじゃぁ人の目も入る。場所を変えるぞ」
連れてこられたのは、とある寺院の陰気な場所。
そこには隊長であり、伊藤さんの弟の鈴木三樹三郎が。
他にも篠原や服部、斎藤一と、顔馴染みが招集されていた。
「集まってもらったのは他でもない。御陵守護の件だ。
近藤局長直々に、隊離脱の許可が下りた。近くにでも長円寺に屯所を構え直す」
御陵衛士とは。御陵、つまりは帝と帝の墓を守る為に結成された組織。
御陵警護に一任された伊藤さんは、あくまでそのお役目を守りつつ、
されどもう一つ、薩摩と長州の動向を探る仕事を任されていた。
「よく局長や副長が、お認めなさいましたね」
「お上の命令だからなぁ。それに表向きは薩長の監視だ。
快くまでとは行かねぇが、向いている方向が一致しての近藤さんの判断だ」
「尊皇攘夷論者とは悟られていないんですね。
……して、これからどうなさるおつもりで?」
伊藤さんの動向は、数少ないこのメンツで共有される。
北辰一刀流にて、門下生の時代から面識のある俺にとっては、伊藤さんの信頼がひしひし伝わる。
故に、局長らが完全に納得した上での脱退を、許した訳ではない。
それは彼の額から流れ出る、汗を塞き止められていないのが証拠。
「それより伊藤さん。風の噂で聞いたのですが、朝廷の有力者に建白書を送ったとか。
その内容は一和同心や、公家を政権に加える等々、日本人の協力性を説いた内容だとか」
口を開いたのは、斎藤さんだ。
彼は元三番隊隊長であって、こちらに来てくれたのは願ってもないのだが、
隊長の中でも素性を知られていない、新撰組と名を改めた時からの付き合いだ。
「耳に入れるのが早いじゃねぇか斎藤。その通りだが、何か気になったか?」
「いえ……なんでも……」
「そうか…… ともあれ皆に集まって頂いたのは、他でもねぇ。
実は朝廷側の官人共の疑念が拭えなくてな。新撰組局長、近藤の暗殺を決行する」
「「「「「 え……!!? 」」」」」
絶句した。
隣の者同士が顔を見合わせ、俺も堪らず聞き返す。
「局長を殺すんですか?」
「どのみち佐幕の犬は長生き出来ねぇ。この大きな動きで歴史を変えてやるんだ」
後から聞いた話。我々新撰組出身は信用されていなかったらしい。
密会は解散して、各々散り散りになるが、俺は近くの木の根元を見つめていた斎藤さんに話しかける。
「さっきの話、どう思われました??」
「っ……!!?」
まるで鬼にでも遭遇したかのような。
斎藤さんは俺の顔を見やるなり、目を見開いて驚いている。
「どう……されました?」
「……どうもしない。俺達は伊藤先生に付いていくだけだ」
元々寡黙であったが、すぐに落ち着きを取り戻す素振りには違和感を感じた。
俺の素直な気持ちは、〝誰が死のうが自分が生きてればそれでいい〟。
落胤の出の俺にとって、人への関心が幼少より欠落していたのだ。
煮え切らない理由はやはり、今まで大将として持ち上げてきたのが要因だろう。
近藤さんよりも伊藤さんとの付き合いは長い。だけど試衛館時代も嘘じゃ無い。
「異論は認めない。だからこその、山南さんの一件だ」
モヤモヤを晴らす手段として、殺すしか無いという決断に定まるのは、人を忘れ、法度に忠実になったかつての道場仲間への介錯。
剣を収めて国が一つになり、諸外国を相手に一和同心に立ち向かなくてはならない。
だから俺は、御陵衛士になった。伊藤さんに付いて来たんだ。
酒も入れずに、頭は酩酊状態。
そんなとち狂った俺が旅館に帰ると、屈託の無い笑顔で中西が出迎えてくれる。
「お帰りなさい藤堂様。……如何なされました?」
「……何でもねぇよ」
そのまま部屋に吸い込まれる俺をどう思ったのか、
少し遅れて中西は、一升瓶を抱えて襖を開けて入って来た。
「失礼します」
「何の用だ? 悪いが今は人と話す気分じゃない」
「だからこそのお座敷遊びです」
「……」
「少々ですが、揚屋に匿われていた時に囓っていました。
ささ! この漆器で一勝負しましょう。どちらが先に潰れるか大一番です!」
片手に持たされる椀に、トクトクトクと注がれる瓶の口は鳴り止まず。
ふちまで溢れ、透明で芳醇な香りが俺を誘う。
躊躇いなく一気に飲むと、次はその椀を中西が受け取った。
そうやって交互に飲み合って競うのだが、恥ずかしいことに俺は酒が弱い。
「ヒック……!」
「アラアラ……」
本来ならば、こちらが介抱しなくてはならない流れだったのだが、侍の印象からか、強いとばかりと思っていたのか、額を手の平で良い音を鳴らす中西。
「あちゃ~~!」
押し入れからお布団を取り出して、耳障りにならない程度に抑えて敷き、俺を寝かせて上げた。
すると二重する布団の隙間から伸びる手が中西の白い手を掴み、強引に引き込む。
「藤堂様……」
「……」
ここからはお察しの通りであり、中西の着物を脱がしてその白い膚身に浮く、紅の乳頭に吸い付いていた。
困惑している彼女の顔を見まいと唇を奪い、拱いている片手はゆっくりと下の方へ。
くびれた胴をなぞって脚線美を往復して最後には、股の柔襞を人差し指でほぐしていた。
「ッッッ……!! ちょ……とうどうさま……!!」
ここは古い旅館。誰かに気付かれまいと、中西は手で口を覆って我慢していた。
しかし夜の壬生の狼の方は、声を発しなければ受け入れられていると、馬鹿な考えに至るもの。
元々お座敷遊びなどと、つまりはそういう事だろうと思わせる誘いをしたそちらが悪い。
正当に正当を重ねていれば、自ずと中西の上に覆い被さる自分がいた。
「ハァハァ……ンン…………」
止められない。
そこそこの容姿を持つ彼女が、身を震わせて顔を赤らめさせ、あろうことか欲しがる様にこちらを見つめて来られては、打ち止めこそが真に失礼というもの。
「…………」
酔っているからこそではあるが、思い返せば性交の途中で意識ははっきりしていた。
袴を脱ぎ捨て、汚いモノを一度確認することもなく、俺はそれを使って女を玩ぶ。
始める時に何も言えなかったのは、愛情とかそういう感情は一切相手に抱いていなかったからだ。
ただ今は欲に忠実に、ただ忠実に腰を振るう。
「アァァ……アッ……アァッ!!」
喘ぐ声も心地良い、仕事の疲れが吹き飛ぶ。
その馬鹿正直な俺の行動に指示する、泥酔した脳みそが満たされた瞬間は、声を押し殺していた汗だくの中西が、絶頂した際に荒げた少し大きめの声が居間に響いた時だ。
勿論近くの部屋に泊まっている人には聞こえないであろうが、とにかく耳に残る。
「おま……お待ち下さい……」
事を終える頃には互いに、抱き合いながら震えていた。
自分が感じ得たのは、すっきりしたという白濁の証と、彼女から与えられる生暖かい液体の感触。
何よりも支配力に満ちていた。
時刻は日を跨いで、今日は十二月十三日。
昼に起きた時は既に彼女の姿は無く、一階を覗けばせっせと働いていた。
「おはようございます。お寝坊さんですね藤堂様」
「あっ……あぁ……」
酒に任せた昨晩で、記憶が飛んだかと思っていたのに鮮明だった。
よくもまぁ冷静に、何事も無かったかのように話しかけるのは配慮なのか、苦虫を噛み潰したような、やるせない俺の表情も汲み取ってくれ。
今日は仕事が無いので、日がな一日を過ごしていた。
ーー風雲の時代に尽忠報国を掲げる新撰組への説得を、立場が同じだった俺達が成し遂げないのか。
黒船の来航から始まり、本物の恐怖を目前にして、この国の正しい舵の取り方は。
伊藤先生が近藤局長を暗殺するのは、極力避けたい。有能な人間は海外への脅威になる。
この間だって、近江屋にいた坂本さんや中岡さんを逃がせなかった。
考えれば考えるほど問題は内側に雪崩込む。
御陵衛士になってから、何もかもが上手く行かない。中途半端なんだ。
立場や根付く階級。永年、人の正直な部分を押し殺して来た反動が、この期に及んで枷となっている。
伊藤先生は勿論、俺もこのままが良いとは思わない。
こうしている間にも、ほんの一握りの人間だけで外国を相手している状況だ。
だがいつまで経っても、何も動かない。
階段の端で呆けている俺は、中西の体を見つめる。昨日とは違ういつもの姿。
彼女を見ているとついつい思い出しては、今までの考え事が瞬時に吹き飛ぶ。
ーー……疲れていたんだな、俺。
隊士を殺しに来るのは、何も屈強な男ばかりではない。女にしたってそうだ。
旦那が殺されれば、京に潜伏して、復讐の機会を窺う。
中西にしたって、雪女だか何だか知らんが得体が知れない。
昨日の夜の俺の行いは、間違いだった。
「藤堂さん!!」
暖簾から引き戸を開いて入って来たのは、同じ御陵衛士仲間の服部武雄だ。
「何があった?」
「伊藤さんが……殺された……」
「っ…………」
部屋に立てていた刀を手に取り、旅館に一言も入れずに外へ駆けていく。
台所からその光景を見ていた中西は、ただ淋しそうに見ていた。
「他の奴等には?!!」
「伝えた!! ……だが伊藤さんを殺したのは新撰組。ひ弱な奴は来ねぇだろうよ」
「新撰組が、伊藤さんを?!!」
「近藤局長が会食に誘ったんだ……それで……」
「脇目も振らずに参加したのかよ……あの伊藤さんが……」
ーー先生の考えは読めなかったが、おそらくは……
家屋に挟まれた小道を抜け、京主要の通りの一つである油小路に出た。
そこには罠とも思える伊藤さんの亡骸が放置されている事に、怒りと憎悪に心が侵される。
「伊藤さん!!」
集まった仲間は六人。
そんな少人数が遺体を囲めば、新撰組の隊士達にその周りを囲まれる。
離れた場所で待っていたのは、近藤局長と土方歳三。
仲間は次々と斬り捨てられ、殺されるか逃げるかの選択のみを迫られる。
「ハァ……ハァ……」
気が付けば自分だけが取り残される。
そんな、疲弊している格好の餌食な俺の前に現れたのは、沖田総司だった。
「平ちゃん……俺が、粛清してやる」
「ハァ……そうやって使命を優先して…… 大事なもん全部、捨てるんですか沖田さん?!」
「件の山南敬助を言ってるのか……?」
鞘を手放し、その刀身を俺の前に突き立てる神速の業は、自分の刃に当てる時間を待ってくれない。
額から鼻にかけての一閃。後ろに引かなければ、そこで命は絶たれていたのだが。
「……ふざけるなよ沖田!! 手加減したのか!!?」
「フゥ……無駄口を叩くな平助!! 今は殺し合いだ!!」
天然理心流を構え直す沖田。しかし俺の構えは北辰一刀流。
それが沖田さんに、新撰組に向けた俺の正直な答えだった。
型を捨て、実践を優先する彼の剣筋は、いなし、受け止める自分の剣の隙を見切り、袈裟斬りで身体に追撃を入れた。
加減されても、それでも勝てない。それが沖田総司という男だったのに。
一瞬の隙を曝け出してしまったのは、相手に弱さが生まれているのだと知ったからだ。
永年、剣を交えていると悲しい事が起きる。
強かった人が老いて衰弱して来るのだ。だからといって、今の沖田さんは。
有り得ない。信じたくない。
「お別れだ……平ちゃん……」
俺は、刀身が手より放たれて、地面に背中を着けて倒れていた。
最後はやはりと言うべきか、沖田さんの得意とする無明三段突きをくらったのだろう。
初めに顔面を斬られて、視界がボヤけていたのが敗因という負け惜しみは言いたくない。
「終わったか……引き上げだお前らぁ!!」
一部始終を見届けた近藤や土方は、まだ息のある俺に声も掛けずに行こうとしている。
血反吐を吐きながらも、引き留めて聞かなければならない事がある。
「伊藤さんと…… 何を話したんですか? 伊藤さんは最期……何か言ってましたか?」
近藤は振り向くと、軽く口角を上げて笑っていた。
されど、目は至っていつも通り真っ直ぐ輝いていて、伊藤さんと同じく、遠くを見ている眼差しだった。
「〝奸賊ばら〟……だとよ?」
「っ……なんだよ……ふざけんな……」
気が遠くなる一瞬、全てを理解した俺は、伊藤先生に付いていって良かったと思えた。
「伊藤さんは!! あんたらに歩み寄ったんじゃないか!! 一人で!!
なのに…… そこまで曇ってんのかてめぇらぁぁ!!!!」
「……一問一答で解決できねぇんだよ。この狂った時代じゃぁな」
死にゆく俺の遺体に、近藤は手を振って別れを告げた。
口もきけない自身の体を最後まで看取っていたのは、沖田と永倉新八。
白い吐息を漏らす二人の姿が、この事件の終わりを告げていた。
「雪が降ってきおったで……その身体に堪えるんちゃうか沖田?」
「おそらく、俺の最後の強敵の死に様だ……見届けさせてくれ……ゲホッ!ゲホッ!」
「お前ほどの剣才が……労咳とはな……」
所謂、肺結核。
沖田さんはけして、手を抜いていた訳ではなかった。
だがそんな身体で俺と真剣勝負を交えた理由は、どうやら仏になろうとしている俺からはもう、何も言えまい。
二人が姿を消して、雪が積もろうかという勢いの最中、
大きな籠を背負った一人の女性が、遺体の前に立つ。
その女は自分の体を籠に優しく詰めて、そのまま何処かへ。
少し会話したのを覚えている。
「……ここは、何だ?」
〝 あまりにも帰りが遅いので、心配しましたよ 〟
「そうか……この温かい声は……中西か」
〝 温かいなんて言われたのは……何百年振りでしょうか 〟
「……雪女、だったか?」
〝 はい。私は、いつの時代でも雪女と呼ばれます 〟
「……好きになってしまった。
家柄の良い女でも無ければ、そこら辺の町娘でもない、人間ですらないお前に」
〝 それがあってこその、昨日の夜の出来事ですもんね。気にしてませんよ 〟
「こんな時代じゃなければ、自分に正直にいられたのだろうか?
好きな女に、ちゃんと好きと言えたのだろうか?」
〝 およしになって下さい…… 溶けてしまいます 〟
「……ありがとう。返事を貰えて嬉しい」
自分の肌に染みる粉雪が、布団の様に覆い被さっていた。
刹那の恋に燃えていた自分は、雪女の慈愛に、籠の中で溶けるように崩れていく。
聞いてた話とは真逆の展開だが、緩んだ顔で死んでいく俺を運んでいる、白く美しい彼女の目からは、雪女にあってはならない、大粒の雪をも溶かす涙が、流れていたそうな。
ご愛読ありがとうございました