はじめまして、わたしは・・・
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「――で、どういうことなのサ?」
怪訝そうな表情をしたサクミからそう問いかけられ、リュートは頭を掻きむしりたくなる衝動に必死の思いで抗っていた。
「だから何度も説明しただろ!」
これで何度目になるのか。
自分が見た『もの』とその中で見つけた『もの』。そこまでの経緯を踏まえ事細かに説明しているつもりだが、一向に理解を得られない。
「えーと、つまり、こういうことですか? たまたま雨の日に夜空を見ていたら、偶然見たこともないような機体が空から落ちてきて、でも機体は何故だか無事で、その中にはこんな小さな女の子が一人だけで乗っていた、と――」
朝早く街への買出しから帰ってきたジルの言葉にリュートが頷く。概ね間違ってはいないはずだ。ジルとサクミが顔を見合わせ、そして同時に口を開く。
『何言ってんのお前?』
「だーかーらー!」
自分でも良く分からないことを言っているとは思う。しかし全て事実なのだ。リュート自身にだってよく理解出来ていないのだから仕方がない。
「こんな女の子がそんなもんを操縦していたとは思えねえけどなア」
リュートのベッドの上では、謎の機体に乗っていた少女が穏やかな寝息を立てていた。
気を失ったまま目を一向に目を覚まさないない少女を、いつ爆発するか分からない墜落機の中に置いていくわけにもいかず、仕方なくリュートは家まで運んだのだ。
幸い目立った外傷は無く表情も穏やかであったため、とりあえずそのまま寝かせておくことにして、朝ジルが帰ってきたタイミングを見計らって義姉二人に事情を説明した。
結局、理解は得られなかったが。
「にしても綺麗な子ですねえ」
ジルが興味深げに少女の顔を覗き込む。確かにジルの言う通りだった。
均整の取れた顔立ちにすっと通った鼻筋、瞼を下ろしている状態でさえ形の良さが分かる瞳。美しい金髪は窓から差し込む朝日を受けて絶えず煌き、頬を薄いピンクに染めている表情は、限りなく精巧に作られた人形のようにも見える。
しかしこの少女は紛れもなく生きている。穏やかに上下動を繰り返す胸元と愛らしい寝息がそれを明確に証明している。
サクミとジルの二人がかつて目にしたことのない美貌の少女に興味津々になっている中、リュートだけはどこか怪訝そうな表情を浮かべていた。
少女に見覚えがある。
少女の顔、華奢な身体、眩いばかりの金色の髪――その少女の容姿はリュートの記憶にある人物と一致する。まるで自分の記憶の中からそのまま抜け出してきたかのような姿。
(エレナ……なのか?)
ベッドに横たわる少女は、幼馴染の少女と瓜二つだった。
自分が故郷に残してきた少女。
故郷の風景が記憶から薄れようとも、その少女のことを忘れたことは無い。少女と交わした約束のことも。
目の前の少女を今すぐ起こし、「君はエレナなのか」と問いただしたい衝動に駆られる。
しかし同時に、残っている理性がその夢想を否定する。冷静で現実的な自分がそんなことはありえないのだと訴えている。
(――あれから何年経っている?)
すっかりと成長した自分の身体を見下ろす。手足は年相応に伸び、たくましい筋肉を纏っている。右腕は義手になり、左肩の火傷跡も今ではすっかりと身体に馴染んでいる。
永い、時間が経っていた。
しかし、目の前の少女はリュートが最後に見た幼いエレナの姿そのままだった。もしエレナ本人であるならば、当然リュートと同い年になっていなくてはおかしい。
(ひょっとして……エレナの血縁とか?)
しかし、エレナから兄弟従妹がいるなんて話は聞いたことが無いし、見たことも無い。
(も、もしかして、エレナの子供なんじゃ!?)
なんて馬鹿げた発想まで浮かんできて慌てて打ち消す。それこそ年齢が合わない。
だとしたらやはり他人の空似というやつなのだろうか。世の中にはそっくりな人間が三人はいるらしいし、この少女もそういった類のものなのかもしれない。
一人あれこれと思考に耽っていると、サクミがリュートの肩をぽんと叩いてきた。
「まあ、なんとなく事情は分かったヨ。……良く分かんねえケド」
「どっちだよ」
「まあ、少なくとも安心はしたかナ」
「安心? どういう意味だよ?」
「いやあ、てっきりリュートが女の子を騙して連れ込んだのかと思ってヨ」
「あ、ワタシもですよう。末弟君が童貞をこじらせすぎて、とうとう人の道を踏み外しやがったのかと思いましたあ」
「お前らが俺のことを普段どういう風に見ているのかよーく分かったよ」
半眼で睨みつけると、姉二人はわざとらしく顔を逸らした。
そしてシルはそのまま愛用のラップトップ型コンピューターを開くと、例の機体について調べ始めた。背後から画面を覗き込むようにしてサクミが問いかける。
「どうダ?」
「うーん、末弟君の言っていた特徴を持つ機体は私のデータベースにも無いですねえ。こんな小さな女の子が操縦していたとは思えないし、他に搭乗者がいないのなら自動操縦の類だったんでしょうか。でも都会ならともかく、こんなまともな管制も敷かれていないようなド田舎で自動操縦? そんなこと可能でしょうかね?」
ジルが首を捻る。
空戦機の自動操縦は技術として確立はされているが、そのためには外部からのアシストが必要不可欠だ。
レーダー波で互いの位置を把握し合い目的地まで誘導するため、必然的に自動操縦が行えるのは専用のレーダー波が届く範囲内に限られる。
リュート達が生活しているような辺境にそんな設備が存在するはずもない。
「墜落したってことは、どっかがイカれてたんだろ? それが原因で自動操縦のコースを外れてここまで流れてきたんじゃナイカ?」
「こんな奥地にまでですかあ? 可能性としては無くは無いですけど、それでもなあ……」
納得し難いものを感じ、ジルは腕を組んで唸ってしまう。情報収集に長けた次女の有様を見て、サクミは「このまま考えても埒があかねえナ」と溜息を吐いた。
「ま、とにかくその機体はまだ墜落現場にあるわけだロ? この子の素性も分かるかもしんないし、ちょっと見てくるワ。空戦機マニアのリュートが見たことの無い機体ってのも気になるしナ」
「あ、ワタシも行きます。末弟君の話が本当ならそうとう巨体みたいですから、回収用のハンガーを持っていきましょう」
二人がこれからの手順をあれこれ話し合っているのを眺めていると、不意にリュートは大事なことを失念していることに気が付いた。
「あ、そういえば――」
部屋の隅に置かれた小さな布袋、それを取って戻ってくる。
「なんだヨ? この汚い袋は?」
「この子の傍に落ちてたんだよ」
それはピンク色の巾着袋だった。
子供が好みそうな可愛らしいウサギの刺繍が施してある。少女を連れ出そうとする時、すぐ近くに落ちているのを見つけ、何かの手掛かりになるかもとそのまま拾ってきたのだ。
義姉二人に説明するのに夢中で今迄その存在を忘れていた。
リュートが袋を開けると、中には小さな手帳がひとつ入っていた。
古びた表紙はひどく痛んでいて、所々染みのような汚れが点々とつき、一見して汚らしい。
「これは……日記帳か?」
リュートがその日記帳を取り出し、開こうとした時だった。
「――見ないでっ!!」
突如響いた声と同時に、布団が跳ね上がった。
驚くリュート達の前で小さな影が踊り、リュートの手から日記帳を奪い去る。
その影は日記帳を抱く様にしてベッドの端に座り込むと、眉間に皺を寄せて三人を睨みつけてきた。
リュートは自らの頭をひとかきし、ぼやくように溜息を吐いた。
「……起きてたのかよ」
「人の日記を覗くのは……ダメなんだから!」
あどけなさの残る可憐な声色が、室内に凛と響いた。
ベッドに座っているのは、たった今まで寝ていたはずの少女。
リュート達から日記の存在を守るかのように背を向け、透き通るような翡翠色の瞳を威嚇するかのように細める。
少女の突然の行動に驚きながらも、サクミは相手と視線を合わせるように身を屈めた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だヨ。なにも怖いことはしないからサ。いつ起きたんダイ?」
「……ついさっき。眼を開けたらそのお兄ちゃんが私の日記を見ようとしてて――」
少女の非難の視線がリュートへと向けられる。
「あ―……ごめんナお嬢ちゃん。この兄ちゃんはナ、デリカシーという概念が致命的に欠けてしまっている可哀そうな生き物なんだヨ」
「おいなんだその憐れみの視線は!」
サクミの言い方が面白かったのか(もしくはリュートの反応か)、少女は少しだけ口元に笑みを浮かべると、日記を握り締めていた腕をゆっくりと下ろした。
「うん。……許す」
「お、なんだヨ? 素直な良い子じゃねえカ」
その言葉に機嫌を良くしたのか、少女ははにかみながら周囲をキョロキョロと見渡した。
「ねえ、ここはどこ?」
自らを取り巻く状況が理解出来ないのだろう。室内とリュート達とを交互に見つめる。
「嬢ちゃんは気を失ってたから、ここまで運んで来たんだヨ」
「へ?」
「えーと……嬢ちゃんが乗っていた機体が森の中に墜落して、その中で倒れていたんだヨ。覚えてないかイ?」
「私が乗ってた? きたい? ついらく?」
まるで初めて聞く言葉であるかのようにたどたどしく繰り返し、少女の瞳が不安げに曇る。
「えっと……良く分かんない」
要領をえない少女の反応に、サクミが「どういうことだよ?」とばかりにリュートを睨む。しかし、対するリュートも首を横に振るしかない。
「うーん、良く分かんないけど……お姉さんたちが助けてくれたってこと?」
形の良い眉を顰めながらもようやく納得したのか、少女はニッコリと笑った。
「ありがとう」
警戒を解いた少女は次々と質問を投げかけてきた。
「お姉さんの名前は?」「なんで私寝てたの?」「ここは誰の家なの?」「工房? お姉さん達のお仕事って?」―――
混乱した様子ながらも少女なりに出来る限りの情報を得ようとしているのか、矢継ぎ早に繰り返される問いかけにサクミとジルが交互に回答しながら、少しずつ状況を説明していく。
「――へ? 空戦機? わたし操縦なんて出来ないよ?」
「じゃあ、あの機体の中で何をしてんだヨ?」
「何をしてたって言われても……なんでそんなのに乗ってたのかも分からないし……うーんと、わたし何をしてたんだろう?」
可愛く首を傾げる少女を見てサクミが大きく溜息を吐いた。
「オイオイ、一体どうなってんだ?」
「墜落時の衝撃で記憶の混乱でも起きたのかもしれねえですね。少し様子を見ますか」
リュートも同意する。
というより少女本人が何も覚えていないと言い張る以上、リュート達にはどうすることも出来ない。
「どこか痛い所とかはないですか?」
「うん、大丈夫だよ」
「それは良かった。念のため、もう少し休んでいてください。私はジル。こっちのお姉さんはサクミ、そんでこの眼つきと態度と性格の悪い輩がリュートです」
「おい待てコラ!」
あまりにもぞんざいな紹介にたまらず声を上げる。
ただでさえ日記を見ようとしたことで印象が悪いのに、これ以上印象を悪化させないで欲しい。
少し不安になって少女の方を盗み見ると、少女がきょとんとした表情でリュートのことを見つめていた。
翡翠色の瞳の中にリュートの怪訝そうな表情が写り込み、そして――
少女は嬉し気に笑った。
「あは、リュー君と同じ名前だね」
リュートは息を飲む。
――今、なんて言った?
すいぶんと長い間耳にすることの無かった響き。それは懐かしく、甘く、切なく。
リュートの脳裏に浮かび上がる失ったはずの日々。耳の奥で蘇る幼馴染の声が、目の前の少女の声とゆっくり重なっていく感覚に、何故か戦慄にも似た想いを抱く。
「サクミお姉さんに、ジルお姉ちゃんに、リュートお兄ちゃんだね。うん、覚えた」
少女は満足げに頷くと、目を細めてにっこりと笑った。
「はじめまして、私は……エレナだよ」




