回想
リュートが故郷を離れたのは十歳の誕生日を迎える直前だった。
いや、離れた、と表現するのは正しくないのかもしれない。少なくともその言葉から受ける印象は事実とはだいぶかけ離れている。
よりストレートに表すのであれば―― リュートは捨てられた。
比喩などではなく、その言葉の通りに、実の父親にリュートはゴミとして捨てられた。
その日、リュートは気を失うまで殴られ続けた後、月に一度、村に訪れる廃棄物の回収列車――そこに積み込む予定の「生ゴミ用コンテナ」の中に放り込まれた。
それこそ食べ残しをゴミ箱に捨てるのとなんら変わらない気安さで、リュートの身体は生ゴミが山と積まれた中へと投げ捨てられた。
リュートが意識を取り戻した時には、既に列車は故郷の村を出発した後で。
一切の光りが差さない空間に閉じ込められ、自分の置かれた状を理解出来ないままに脱出を試みたが、ロックのかかったコンテナの蓋は内側からは開かず、上蓋との僅かな間に指を差し込んで力を込めた瞬間、爪が剥がれた。
吐き気を催すほどの酷い臭気とコンテナの底面から絶えず伝わってくる振動。
やがて、リュートは自らが置かれた状況を理解した。
自分が捨てられたことを、理解した。
殴られ続けた全身が酷く痛かった。特に右腕は裂傷が酷く、左手で触れると生温い液体に塗れていた。夥しいほどの血だと悟り、何よりも右腕の感覚がほとんど無くなっているに恐怖した。
それでも、最も痛かったのは……こころだった。
物心ついたころから虐待を受けて来た。父親から愛情を受けた記憶なんて幼少期にほんの数回あったかどうか。リュートは幼心にその状況を受け入れ、全てを諦めてもいた。
父親はリュートのことを忌み子と蔑み、リュートも父親という肩書でしか相手を見ていなかった。しかしこうやって捨てられてみると、自分の中にあった大切な何かが崩れ去ったような気がした。
無自覚に頬を伝う涙。哀しい、では足りない。苦しい、では相応しくない。
もし表現出来る言葉があるのだとすれば、
それは『絶望』だけだった。
それでも不思議と腹は減る。喉は乾く。
幸いにも食料と呼べるものは周囲に大量に存在した。正確には食料だったもの、だが。
リュートは自らが足蹴にしているものに手を伸ばし口へ運んだ。身体を動かすのはもはや生存本能だけで。大半が既に腐っており何度も嘔吐したが、中にはまだ食べられるものも残っていた。
リュートはただ食べ続け、吐き続けた。
そして3日後。列車は止まった。
コンテナは開封されないままに運び出され、誰にも気づかれることもなく廃棄された。ブチ撒かれた中身と一緒にリュートの身体は久方ぶりの太陽の光りの下へと投げ出された。
だが嘔吐を繰り返していたリュートの身体は酷い脱水症状を起こしており、既に衰弱しきっていた。朦朧とする意識の中リュートは死を覚悟し、霞む視界で見上げた空の下、もうそれでもいいか、とも思った。
だが、そうはならなかった。
リュートが次に目にしたのは病室の天井。見知らぬ初老の男性がベッドの横に座っていた。
担当の医師から、たまたま廃材回収に来ていたその男が自分を助け出し、ここで治療を受けさせたのだと教えられた。
一応礼を述べようとして気が付いた。自分の、右ひじから下が無くなっていた。
右腕はひどく傷ついた状態で不衛生な環境にいたため、悪性の細菌に感染してしまったのだと説明された。大部分が既に壊死しており切断する他なかったのだと。
親に捨てられ、身体の一部を失った。リュートはこころを閉ざした。
その後、空戦機の整備工場を営んでいるという初老の男性に引き取られ退院した。新しい住処となった整備工場には、リュートと同じような境遇の子供達がたくさんいた。
「今日からお前たちの兄弟になるリュートだ。仲良くしろよ」
少年少女達から向けられる奇異の視線の中、紹介されたリュートはただ俯くだけだった。
「なにこいつ? 女の子みたい顔してんナ?」
「変なやつー、年下だから弟ですね」
ホームと呼ばれるその整備工場には職人達が百人以上いて、その全員が家族なのだと教えられた。職人は荒っぽい人間が多かったが、基本的には皆子供には優しく、リュートはその中でこころの傷を少しずつ癒していった。
やがてリュートが他の子どもたちと一緒に走り回れる頃になると、リュートは職人達に混じって整備士の真似事をするようになった。
少しでも受けた恩を返したかった。無くした右腕は義手によって補い、必死に空戦機の整備方法について勉強した。
戦争による利点がもしあるとするならば、それは技術の発展を促すことだろう。
医療技術を飛躍的に進歩させた人類は、見た目には生身と変わらない義手を作り出していた。定期的なメンテナンスこそ必要ではあったが、生活する分には不便さを感じなくなった。
リュートはここでの生活を気に入っていた。意地悪な姉達に辟易することはあるけれど、暖かく迎えてくれる家族が出来たというだけでリュートには十分過ぎるほどだった。
なによりも嬉しかったのは、命の恩人である初老の男性――尊敬を込めて「父親」と呼べる相手が出来たことだ。実際にそう口にすると「親方って呼べ」と怒られるのだが、そんなやりとりすら心地良かった。
しかし、そんな中にあっても、ずっと気がかりなことがあった。
離れ離れになった幼馴染の女の子――エレナのことだ。
心配しているだろうか。泣いていないだろうか。
そして、あの夕焼け空の下で交わした約束―――
左手の小指には、その時に交わった相手の感触がまだ残っている気がした。
ある日、リュートは親方に「空戦機の乗り方を教えて欲しい」とお願いした。事情を説明すると親方はすぐに了承してくれ、「良い整備士は良いパイロットでもあるからな。いつかは教えるつもりだった」と豪快に笑った。
これでエレナを迎えに行ける。リュートの胸は高鳴った。
親から捨てられたあの絶望の日から数年。すっかり癒えた身体で操縦桿を握り締め、希望に満ちた眼差しで紺碧の空を見上げた。
だが、またしてもリュートの希望は踏みにじられる。
数分後、空戦機の操縦席でリュートは涙を流していた。
駆け寄った親方に助け出され、機外へと這い出し、リュートは再び空を見上げた。
あまりにも高すぎる空が恨めしかった。その先に居るのかも分からない神様が憎くてたまらなかった。
――僕はもう空を飛べない。
慟哭と共にリュートははっきりと悟った。




