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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第四章 『The promised sky, You ride with me.』
31/33

ようやく会えた


 瞬間、空中に留まっていたチューブが激しくしなりながら、リュートの胸もとめがけて突き出された。


 次の瞬間に訪れるであろう死を覚悟し、リュートは瞳を閉じる。


「駄目ですっ!」


閉じた視界の中で、耳に届いたのは肉を裂くような湿った音。


しかし、覚悟していたはずの痛みも、衝撃も、一向に訪れる気配が無い。


リュートはそっと瞳を開け……そして息を飲んだ。


開かれた視界の中、リュートの眼前でチューブの先端部が停止していた。

 先端から赤い液体がポタポタと雫を垂らしている。

 それはアイオンの背中を突き破って、生えていた。


  ごぼっ――、という濁った声とともに、夥しいほどの血がアイオンの口から零れる。


「アイオン!」


 リュートが叫ぶと同時に、身体を貫いていたチューブが引き抜かれ、アイオンは力無くその場に倒れこんだ。身体の内側から溢れ出してくる液体で周囲をドス黒い真紅に染めながら、それでもアイオンは、その眼差しを少女へと向けた。


「駄目、ですよ……」


 透明なドーム越しに自らが刺し貫いた相手を眺めるのは、感情のそぎ落とされた無表情。


「リュー君まで手にかけてしまったら、本当に貴方は救われなくなる……」


 言葉を切った瞬間、先程に倍する量の血がゴボゴボという不快な音と共に溢れた。


「……エレナさん、私はね……貴方に救われていたんです。貴方は、あんな場所でも気丈に笑顔を浮かべようとしていた。

 ……そんな貴方の笑顔を見る度に……僕は自身が犯している行為が、僅かでも許されたような……気がしていたんです」


「…………」


「そんなのは、僕の勝手な思い込みでしか、ない……でも……それでも。……それでも僕は、あなたの笑顔に……救われていたんです……」


「………あ………」


 能面のようだったエレナの顔が僅かに強張った。


「お願いです……もう一度、リュートさんの顔を、しっかりと見てください……そうすれば……貴方は……―――」


 言葉は最後まで紡がれることなく、吐血に混じったまま冷たい床面へぽとりと落ちた。


 そして、それが―――アイオンが口にした最後の言葉となった。


 動かなくなった男の身体から血だまりがゆっくりと広がっていく。

 静まり返った室内。息遣いだけが漏れる静寂の中、やがて響いたのは少女の笑い声。


「……は、ははっ……」


 渇いた笑いは様々な感情を内包するように膨らんでいき、やがて室内を満たしていく。


「――はははははは! やったあ! やったよお! これで、みんな片づけたよ! ねえ、わたし! ちゃんと見てる!? アハハハハハハ―――」


 見開いた瞳で天井を仰ぎ、高らかに笑い声をあげる。


「エレナ、お前……」


 チューブに拘束されたまま、リュートは少女の笑顔を見つめ続けた。少女を見つめ、途切れることのない笑声へと耳を傾け、

 そして、堪え切れずに―――リュートは言った。


「……本当はこんなことしたくないんだろ?」


 笑い声が、ピタリと止んだ。

 エレナは苛烈な色彩の瞳をぐるりとリュートへと向ける。


「そんなことあるわけない! 私はこのために――」


「じゃあ、なんで泣いてるんだよ!」


「――っ!」


 見開かれたエレナの瞳。磨かれた翡翠のような双眸からは止めどなく涙が溢れていた。

 言われて初めて気づいたかのように自身の頬を撫で、指先を濡らす液体を驚愕の眼差しで見つめる。その指先が震え、瞳がさらに大きく見開かれると、また涙が溢れた。


 瞬間、リュートは確信する。少女の本心が本当はどこにあるのかを。


 そして聞く。目の前の少女が言葉に出来ずにいる、祈るような本当の願いを。




 リュート…………助けて。




 エレナの揺れる瞳が、その縋るような眼差しが、リュートの視線と絡まり合った。

 歯を鳴るほどに喰いしばり、リュートは叫ぶ。


「――待ってろ! すぐにそこから連れ出してやる!」


 拘束された状態のまま足を限界まで踏み込んで、必死に身体を前に押し出した。

 チューブを身体に巻き付かせたまま、じり、じり、と僅かに歩を進める。


「いや……」


 近づいてくるリュートから逃げようとするかのようにエレナはかぶりを振った。


「いやあああああああああああああああああああああああああああ!」


 締め付けが強まり、限界まで力を込めた足がギシリという鈍い音を立てて止まる。


 あと少し。あと少しなのに。

 伸ばした手の先、その指先が僅かに届かない。

 巻きついたチューブがリュートの身体を押し戻す。あと少しが、どうしても届かない。


 せめてこの少しの距離を埋める棒状のものが手元にあれば。いや、棒状じゃなくてもいい。エレナを閉じ込めているあのドームに届くだけの何かさえあれば―――


 必死に伸ばし続ける手の先で、エレナは今も涙を流している。


 見たかったのは、そんな顔じゃない。

 幼かった自分が見たいと願ったもの。そして、守りたかったもの。



 ―――あれは、そのための約束だったはずなんだ。



 リュートは決意を固め、口を強く引き結んだ。


 (親方……ごめんよ)


 リュートは伸ばしていた左手を引き寄せると――――右腕を、掴んだ。


 不可解な行動に、エレナの瞳が怪訝そうに曇る。


「う、お、お、お、お、おおおおおおおおおおおおおお――――!」


 喉を震わしながら全力を込め、

 右手を強く、

 これ以上ないほどに強く―――引く。

 そのまま、引きちぎろうとする。


 リュートの義手は脳の信号を伝達するために神経と繋がっていて、特定の手順を踏まえなくては外せないようになっている。無理やり外そうとすれば、繋がっている神経も皮膚もボロボロになってしまう。


 あまりの激痛に頭の中が灼けつきそうだった。意識が白濁の中で途切れそうになる。

 それでも、左手に込める力を弱めることはなかった。


 やがて――――


 ――ビキリ。


 ビチビチという何かが裂けるような音をたてながら、義手がリュートの身体から引き剥がされていく。

 エレナの瞳が驚愕と恐怖に染まっていく。

 結合部を血に塗れさせた義手の右腕は、だらりと手首を下げた無残な姿で、今は左手の中にある。


 それを思い切り振りかぶり、


「エレナああああああああああああああああああああああああああ!」


 投げた。


 義手はドームの正面へと激突し、次の瞬間、硝子面が甲高い音をたてて砕け散った。


「きゃああああ!」


 ばらばらに破砕したドームの破片がキラキラと宙を舞う。


 エレナの集中が途切れ、チューブの締め付けが緩む。その瞬間を見逃さず拘束からするりと抜け出すと、リュートは残り僅かの距離を一気に跳躍した。


 砕け散ったドームの断面は鋸の歯のように鋭く尖っていて、その中へと強引に身体を押し込もうとすると、服が破れ、皮膚が裂けた。

 それでも流れ出る血など少しも厭わずにリュートは左手を前へと伸ばし続けた。

 エレナへ。幼馴染の少女へ向けて。全力で手を伸ばして。

 その身体を抱えるように抱きしめた。


「エレナ!」


「い、いや! 離して!」


「もうやめるんだ!」


「私はリュー君に会いに行くの! お願い、もう時間が無いの!」


 顔面を涙でぐしゃぐしゃにしながらエレナはリュートの腕の中から逃れようとする。


「エレナ! 見ろ!」


 ビクリと震えたエレナへの眼前へ、見せつけるように左肩を寄せた。


 肩周りの衣服はビリビリに裂けており、その下からは血に塗れた肌が露出している。


「――――え?」


 少女の口から漏れた吐息混じりの呟き。困惑した様子で目の前を凝視する。


 エレナの視線の先。リュートの左肩。

 そこにあるのは――呪いの刻印。


 自分が実の親にさえ捨てられた忌み子であったという証。リュートはその傷跡を見る度に、自らの生が昏い過去に捕われていることを実感せずにはいられなかった。


 しかし、それだけだろうか。


 この傷を、火傷跡を、一緒に見た少女がいた。


 燃えるような色の空の下で、泣きながらこの傷を撫でてくれた優しい女の子がいた。


「その傷――」


 左肩に刻まれた火傷跡。そこから視線を逸らせないままに、



「……本当に……リュー君、なの?」



 エレナの声が震えていた。


「遅れてごめん」


 リュートは笑った。



「――ようやく会えたな」



 翡翠の瞳が震え、大きく揺らめき―――次の瞬間、涙が、溢れた。


「――う、うわあああああああああああああああああああああああああああ!」


 慟哭とともにエレナの腕がリュートの背へと回される。


「ずっと……ずっと、会い、たかった! 会いたかったよおおおおおおおお!」


「俺もだ」


 残された左手でエレナの小さな身体を包み込む。


 エレナの身体を覆っていた光がゆっくりと薄れ、空気に溶けるように消えていく。

 エレナはまるで本当の子供のように喉を震わせながら、涙を流し続けた。

 リュートはひとことも発することなく、ただ黙ってその声を聞いていた。


 失った時間を取り戻そうとするかのように、二人は互いの温もり中にその身を埋める。


 ずっと求めていた。必ずいつか、そんな言葉を交わし、だけど見失ってしまった。

 渇望し、手を伸ばし続けてきた先にあるはずだった温もり。永い間求めていたそれが、今は確かな感触としてそこにある。

 お互いの体温、想い、想い出、それら全てを内包した温もり。

 千の言葉を交わすよりも明確に、万の想いを乗せて沁み入っていく。


 薄れゆく光は二人を祝福するかのように淡く瞬き、やがて涙とともに光が完全に消え去ると、エレナは顔を上げ、リュートの顔を覗き込んだ。


「――えへ、なんだか泣き疲れちゃった」


 エレナがはにかんだように笑った瞬間、イシュムが大きく揺れた。


「……ごめん、なさい……もうこの子を飛ばす力も、残ってないみたい……」


 困ったような泣き笑いを浮かべ、辛そうな呼吸を繰り返す。


 少女の身体を黒い斑点が蝕んていた。リュートがここに来た時よりも確実にその数を増やし、徐々に広がっていく斑点は幼さの残る頬にまでその魔手を伸ばし始めていた。


「……せっかく、会えたのにね」


「馬鹿! まだこれからだろ!」


 エレナがもう自力では動けなくなっていることを悟り、リュートは左手一本で少女を支えながら歩き出す。


 振動を続ける機体は徐々に浮力を失いつつあった。イシュムはエレナの命だけを糧として飛んでいる。その供給が止まってしまえば、その先に待っている運命は決まっている。あとは昏い地の底へと墜ちていくのみ。


 リュートは傷ついた身体で必死に少女を抱えながら、愛機の待つ甲板を目指す。


 身体を支えられながら操縦室を出る瞬間、エレナはそっと振り返った。


 視線の先にあるのはかつての世話係の男。色彩を失った唇が微かに動いた。


「――――なさい」


 その言葉は激しい振動音に掻き消され、リュートの耳までは届かない。


「エレナ?」


「……ううん、なんでもない」


 そして二人は、操縦室から通路へと続く扉を通り抜けた。


 二人でこの扉をくぐるのは二度目だ。一度目、エレナはリュートの腕の中で気を失っていて、記憶には残っていない。しかし今は違う。


 互いに寄り添い、相手の温もりをその身に感じながら、共に進むことが出来る。


 それだけで。


 ―――それだけで、もう、わたしは。


 少女の頬の上を、温かな涙が音も無く流れていった。


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