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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第四章 『The promised sky, You ride with me.』
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もうひとりのわたし

 アイオンの案内で内部へ侵入し、そのまま通路を抜けて操縦室へと進む。


 突き当たった扉にはロックさえも掛かっておらず、意外なほどあっさりと開いた。その先に広がるのはリュートにとっては二度目となるイシュムの操縦室だ。


 以前と同様、中央に鎮座するパイロットシートへと、ゆっくりと歩みを進める。


 そして、シートを通り過ぎたところで振り返り、その名を呼んだ。


「待たせたな……エレナ」


 出会った時と同じように、シートの上でエレナは横たわっていた。


 柔らかそうなクッションにその身を沈めたまま、じっとリュートを見返している。


 前回と違うのは、パイロットシート全体を透明なドームが覆っていることだった。


 プラスチックにも似た不思議な光沢を放つ硝子面が、まるでエレナが抱く「拒絶」をそのまま物質化したかのように、リュートとの間に透明な壁となって立ち塞がっている。


 ドームの周囲からは蛇腹模様をした細い電子チューブが無数に生え出していた。それは見るからに硬質な金属製であるのに、しなやかな柔軟性をも備え、操縦室内の各部とドームとを繋いでいる。


 エレナの身体から発生した淡い光がチューブを伝って機体へと流れ込んでいく。その光こそが生命力なのだと気づく。


 エレナの命が少しずつ流れ出ていく様をリュートは悲痛な面持ちで凝視した。


「……なんで邪魔するの?」


 そう訪ねてくる少女の瞳はどこか虚ろで、湛える光は弱弱しい。


 顔色は蒼白で、頬はやつれたようにこけ、あの明るく愛らしかったエレナの面影はすっかりと消え去ってしまっていた。


 首から下には無数の黒い斑点が浮き出ていて、こうして言葉を交わしている間にも、痣はゆっくりとその数を増していっているように見える。


「エレナさん、もうやめてください。そんな状態で力を使い続けたら――」


「アンタには聞いてない!」


 絶叫でアイオンを黙らせると、エレナは答えを待つかのようにじっとリュートを見つめる。

 リュートはまっすぐに視線を返しながら、答えた。


「助けにきたんだよ」


「助けに? 意味わかんない。そいつが何をしたのかもう知ってるんでしょ?」


「ああ。知ってる」


 厳密に言えばアイオン個人がしたことではない。しかし、エレナからすれば研究施設に携わっていた人間全てが同罪であり憎悪の対象なのだ。そしてアイオン当人も、それを強く自覚している。


「本当に申し訳ないことをしました。謝って済むことではないと分かっていますが――」


 アイオンはエレナへまっすぐに向き合うと、深く深く頭を垂れた。エレナは一切の感情を映さない瞳でつまらなさそうにその様子を一瞥する。


「そんなこと今更言われても……なんにもならないよ」


 少女の口から漏れた呆れ混じりの吐息。ドームの内側で消えたはずのその息遣いが、リュートにはハッキリと聞こえたような気がした。


「私はね……ううん、()()()()()()()()はね、もう死んでいるの。謝って貰っても彼女は生き返らない。もう今更なにを言っても遅いんだよ」


「もう一人のわたし?」


「そうだよ。……()()()()()()、なのかな」


 エレナの言っていることが理解出来ず、リュートは眉を顰める。


「……私が目覚めた時ね、最初は自分がなんでこんなところに居るのか分からなかった。昨日は美味しい夕ご飯を食べて、パパとママと一緒にベッドで寝たはずなの。――なのに、起きたら狭くて冷たい部屋にひとりぼっちだった」


 エレナは瞳を固く閉じ、眉間に深い皺を刻んだ。辛く悲しいだけの過去なんてなぞりたくは無いのだろう、その表情は苦しみと悲哀に満ちている。


「でもね、すぐそばにあった日記を読んで、全部理解した。信じられないような事ばかり書いてあったけど、それが本当のことなんだってすぐに分かった。私の中に居るもう一人のわたしがね、嘘なんかじゃないって泣いてるの。泣きながら、痛い、苦しい、寂しいってずっとずっと叫んでるの」


 少女は、頭がおかしくなりそうだった、と吐き捨てる。


「助けてって何度も呼んだ。誰かお願い助けてって。でも誰も助けてくれないの。毎日実験室のベッドに身体を縛られて、なんで大人にならないんだって怒鳴られて、ずっと泣いてた。それでも……リュー君のことを想えばなんとか耐えられる気がした。きっといつか迎えに来てくれると信じるだけで、それだけで少し元気になれた」


 淡々と紡がれた言葉。開かれた瞳が歪に歪んだ。


「――だけど、あの人たちはそれを奪おうとした。ある日突然、何の説明もなく変な機械に押し込められて頭の中をぐちゃぐちゃにされた。私にはすぐに分かった。この人たちは私から大切な思いものを奪おうとしてるんだって」


 細められた瞳は今にも泣き出しそうに見えるのに、それでも口元だけは何故か笑っている。自身の感情がもはやコントロール出来ていない。


 まるで二人の人間がひとつの表情を分け合っているかのようだ。


「もうパパとママの顔も、故郷の村の名前も思い出せないの! 全部奪われちゃったの! でも、それでもリュー君のことだけは、絶対に手放したくなかった! それを奪われたら私は私じゃなくなる。それは、もう一度殺されるのと同じことなのっ! だから――」


「――だから、研究所の皆を殺したんですね」


 アイオンの言葉に、エレナは笑みだけを深め、答えた。


「……そうだよ? その時はね、もう必死で何がどうなったか分からなかったの。だけど気が付いた時には辺りは火の海になってて……目の前で人がたくさん死んでた」


 その時、エレナの瞳にすっと昏い感情が浮かぶのをリュートは見逃さなかった。


 リュートはその感情がせめて悔恨であって欲しいと願った。人を殺めたことを僅かでも後悔していて欲しいと。


 ―――しかし、違った。


 エレナの瞳に宿った影は愉悦に歪み、くくくく、という笑い声が少女の口から漏れた。


「――その時、分かったの。ああ、()()()()()()()()()()()。もう一人のわたしが囁くの。初めからこうしていれば、すぐにリュー君を探しにいけたんだって!」


 一度零れ落ちた狂気は、もう止まらない。


「あの人たちは私を殺そうとしたんだよ? 二回も。だったら私が同じことをして何がいけないの? あの人達は良くて私はいけないの? そんなのおかしいよねえ!?」


「エレナさん……」


「わたしはリュー君に会いたいだけなの。もう時間が無いの。でもね、その前にその人を消してお片付けを終わらせなきゃ、探しに行けないの! もう一人のわたしがね、それを許してくれないの!」


「……もう探しに行く必要はないんだよ」


 リュートがポツリと零した言葉に、エレナの激情が一瞬途切れた。言葉の意味が理解出来ないかのように、眉間に皺を刻んだままリュートの顔をじっと見つめる。


「……なんで?」



「俺が、リュー君、なんだよ。エレナ……」



 エレナの顔から一切の感情が消え失せた。


「は? なに、言ってるの? ……嘘、だよ……リュー君はそんなに大きくないもん」


「あれから何年経ってると思うんだよ? 親に捨てられて故郷を離れて以来、サクミ達とずっと一緒に生きてきたんだ」


 リュートの告げる言葉をエレナは静かに聞いていた。


 憑き物が落ちたかのような無表情からは、少女が何を想っているのかは推し量れない。

色を失った唇が小さく震えた。


「……本当なの?」


「ああ本当だ。俺は、お前に嘘はつかないよ」


 その瞬間、エレナの瞳が僅かに震えた。 


「…………じゃあ、なんで?」


「え?」


「なんで、会いに来てくれなかったの?」


 自失した表情の中、一筋の涙が頬を流れた。


「ずっとずっと寂しくて泣いてたんだよ? いつかあの約束を守ってくれるって信じて、ずっと待ってたんだよ? それなのにリュートは皆と楽しく暮らしてたの?」


「違う! そうじゃない! ずっと会いに行きたかった! でも、行けなかった!」


 リュートの弁明を聞いてなお、エレナは嫌々とかぶりを振った。


「……やっぱり嘘だよ。リュー君は絶対約束を守ってくれるもの」


「嘘じゃない!」


「嘘、うそうそうそ! 嘘に決まってるもん! そうやって私を騙そうとしてるんだ!」


「エレナ!」


 僅かに上半身を起こしたエレナの髪がドームの中でふわりと舞い上がった。

 その身を包む光が徐々に激しさを増していき、きつく細められた瞳が鋭い閃光を放つ。


「もういい! リュー君は私が探しにいくんだから! この子の力があれば私にはリュー君がいる場所がなんとなく分かるんだから! 邪魔するやつはみんな消えちゃえ!」


 エレナの叫びに呼応するかのように、操縦室の各所へ繋がれていたチューブが生き物のように激しくのたうち回った。たわみ、歪み、しなりながら、そのうちに強引に接続部を引きちぎり、歪に尖った断面をリュート達へと向けてくる。


「っ――! このわからずや!」


 リュートがあげた叫び声に反応するかのように、チューブの束が一斉に二人へと襲い掛かった。


 拘束しようと伸びてくるチューブを横に飛びのいて躱す。しかしいくら躱してもチューブは追い縋るように伸びてきて、リュートとアイオンは次第に追い詰められていく。


「エレナさん、もうやめてください! こんなに力を使ったらあなたの身体は!」


「うるさい! アンタなんかの言うことが信じられるもんか! 私はアンタにも助けてって言った! それなのにアンタは見捨てた!」


「やっぱり覚えていたんですね。でも違います! 僕は実験を止めるように言ったんです!」


「信じられない! みんな嘘ばっかり! もう嫌! もう嫌なの!」


 大小様々のチューブが絡まり合いながら迫ってくる。それらを躱しながら必死にエレナへと手を伸ばすも、立ち塞がるようなチューブの群に邪魔をされ、その手は空しく空を切るばかりだ。


「くそっ! こんなのどうすりゃ――」


「この機体の全てを動かしているのはエレナさんの生命力です! エレナさんをあの場所から連れ出せれば、このイシュムの機能は止まるはずです!」


「でも! これじゃ近づけねえ!」


 絶えず迫り来る無数のチューブを避け、躱し、時には叩き落しながら、なんとかエレナへと近づこうと試みる。だが、一向に距離は縮まらない。


 やがてリュート達は逃げ場を失い、追い詰められる。そして、床面をゆっくりと這い進んで来た一本のチューブが、ついにリュートの足を捉えた。


「しまっ――」


 リュートが体勢を崩した瞬間を見逃さず、チューブの群れが一斉に襲いかかってきた。瞬く間に両足と腰回りを拘束され、その場に立ったまま繋ぎ止められる。


 振りほどこうにも締め付けてくる力は凄まじく、肺の中の空気が押し出され意識までが薄れていく。


 エレナの眼前で一本のチューブゆっくりと持ち上がった。

 鋭く尖った先端がリュートへと向けられ、その狙いをピタリと胸元へと定める。


「エレナさん駄目です! その人はリュー君なんですよ! 貴方が会いたがっていたリュー君なんです!」


「信じられないって言ったでしょう! じゃあ証拠を見せてよ!」


「……しょう、こ?」


 苦し気に呻くリュートに、エレナが勝ち誇ったような笑みを向ける。


「そうよ! 口ではなんとでも言えるもん! 証拠をみせてよ!」


 自分と幼馴染を繋げるもの。二人だけが知っている何か。


 しかし、咄嗟に証拠と言われても何を示せば良いのか。


 二人で過ごした日々の思い出は幸せに満ちてはいるが同時にありふれてもいて、証拠として相応しいかは自信が持てない。

 真っ先に浮かんだ「あの約束」も、既にエレナ自身の口からリュートへと伝えられてしまっているため証拠とはなり得ない。


 ―――何も、思いつかない。 


「……ほらね」


 少女は少しだけ寂しそうに微笑むと、


「さようなら」


 感情の消えた声で、告げた。


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