工房と義姉と日常と
「おせえゾ! デザート没収だからナ!」
それなりに急いできたはずのリュートを出迎えたのは、予想と違わぬ無情なひとことだった。
リュートが駆けつけたのは訓練ルームのあった母屋から50メートルほど離れた場所にある平屋建ての建物。『工房』なんて呼んでいるものの、実際は朽ちて放置されたままになっていた廃工場を再利用しているだけの施設だ。
ペンキの剥げ落ちた外観と、そこから連想される期待を裏切らないボロボロの内装。
約300坪もある広い屋内に存在するものといえば、僅かな作業機材と窓際に作られた休憩用のスペースぐらいで、残りの大部分には砂と埃と廃墟特有の寂寥感がただ無意味に積もっている。
照明設備も大半が死んだままであり、薄暗い屋内を照らすのは申し訳程度の照明と、窓から差し込む陽光だけ。
その僅かな照明光をスポットライトのように浴びながら、長身の女性が腕を組んだ姿勢のままリュートの顔を睨みつけていた。
ボリュームのある黒髪ポニーテールと切れ長の瞳が印象的で、健康的に焼けた肌からはどこかエキゾチックな雰囲気が感じられる。
一見しただけで分かる見事なプロポーションを油染みのついたツナギで覆い隠し、大きく開かれた胸元からは色褪せた赤いインナーシャツと豊かなバストが刻む深い谷間を覗かせていた。
リュートは女性の元まで歩み寄ると、片手を上げ無理やりな笑みを浮かべる。
「えっと……お待たせ」
「なにがお待たせだア!? このウスノロマがあっ!」
相手のあまりの剣幕にリュートは思わず身を縮こませる。
「い、いや、だからさ、訓練中だったんだって。毎日の訓練は欠かすなって言ってたのは姉貴……サクミだろ?」
「だれが仕事を放ってまで練習シロなんて言った!? 暇さえありゃすぐに訓練室に籠りやがっテ! お前は引きこもりのゲームジャンキーか! この無駄飯食らいガっ!」
サクミと呼ばれた女性からの容赦無い言葉にリュートはじっと耐える。ここで下手に反論しようものなら藪蛇になることはこれまでの経験から嫌という程思い知らされている。
早くもこの場から逃げ出したくなりながらも、リュートはサクミの背後に見慣れぬ空戦機が駐機していることに気が付いた。
噛みつかんばかりのサクミから距離を取るようにしながら、リュートはゆっくりとその空戦機に近づいていく。機体に触れようと手を伸ばした瞬間、完全に想定外の方向から――つまり、自分の股下から――声がした。
「義姉二人に仕事を押し付けて、自分は優雅にゲームですかあ? ずいぶんと呑気じゃねえですか。さすが末弟君は要領が良いですねえ」
「げ、ジルもいたのかよ……」
声のした方へと視線を下ろすと、寝板の上に仰向けになった女性が機体の下からゴロゴロと這い出して来るところだった。
寝ぐせ混じりな短い赤毛とやたらと大きい眼鏡。自らを義姉と呼ぶ割にその体躯はずいぶんと小柄で、身長はリュートの半分ぐらいしかない。
いつも身に纏っている薄汚れた白衣の裾を地に擦らせ、リュートの両足の間に顔を突っ込みながら、いつも眠たそうに見える瞳で恨めし気にリュートを見上げている。
「げ、とはまたずいぶんな言い草じゃねえですか。ワタシもねえ、末弟君を遊ばせるためにあのFTSを作ったんじゃねえんですけどお?」
「いや! だから俺だって遊んでたわけじゃ――!」
『ああん?』
「ない……んです……けど……」
姉二人が投げかけてくる凶悪な視線に射抜かれ、その声は尻すぼみになっていく。
これ以上の弁明は時間の無駄だと悟り、結局、僅かに開いた口元から零れたのは「すいませんでした」と言う謝罪の言葉。
感情の全く籠っていない謝罪でも、姉二人はとりあえず納得したようで、ぶつくさと文句を口にしながらもそれぞれの仕事へと戻っていく。その場にポツンと残されたリュートは、本日何度目かの溜息を吐き出しながらガックリと肩を落とした。
リュート、サクミ、ジルの三人は姉弟だ。
実際に血は繋がっていないし人種はおろか、出自すらもバラバラであったが、三人の中では『そういうこと』になっている。
三人はこの廃工場で空戦機専門の整備屋を営んでいた。
空戦機と名のつくものであれば、民間の中古機から軍に配備されている最新鋭機まで幅広く取り扱う。その内容も故障個所の修理やDANSの調整という一般的なものから、兵装の換装、エンジン改修までと実に様々だ。
口外こそ出来ないものの、支払われる金額如何では空機条例を無視した違法改造をもやってのける。
事務室に飾られた『金に勝る法規などない』という語録が、この整備屋のスタンスを何よりも雄弁に物語っていた。
リュートは駐機している機体を隅々まで検分すると、思わず感嘆の声を漏らした。
「これ……『エキドナ』の初期型か? 珍しいなあ」
あまり見かけることのない機体を前にしてリュートの声は自然と弾んでしまう。
リュートは空が好きだ。しかしそれ以上に空戦機そのものが大好きだ。
戦うために研ぎ澄まされた性能美には製作者達の創意工夫が練り込まれていて、それらを真の当たりにする度に称賛の念を抱かずにはいられない。
手を触れ機体を愛でていると、操縦席を担当しているサクミが「無駄口叩いてないで手を動かせ」と睨みつけてくるので、仕方なくリュートは仕事へと取り掛かることにする。仕事が終わったらせめて写真を撮らせてもらおう、と密かに決意しながら。
「ほう、この機体の良さが分かるのかね?」
背後から聞こえた声に振り向くと、高価そうな飛行スーツを着込んだ中年の紳士が満足そうな笑みを浮かべ立っていた。
背が低く丸々と太った体形はまるで上からプレス機で押しつぶされたよう。油でテカテカと光っている額にハンカチを当てながら、リュートの前へと歩みって来る。
見知らぬ男の出現に一瞬眉を顰めるが、すぐに相手がこの機体の持ち主だということに思い至る。つまり客だ。リュートは失礼が無いようにとりあえず頭を下げた。
「君にこのエキドナの価値が分かるとはね。こんなド田舎のオンボロ工場の従業員でも、最低限の知識と審美眼ぐらいは持ち合わせているらしいな」
――いきなりなんだこいつ? 自然と目が半眼になる。
「この美しい機体はね、私がオークションで高い金を払ってようやく手に入れたものなんだよ。突然のエンジントラブルで仕方なくここに運び込みはしたが……、くれぐれも傷なんぞつけないでくれたまえよ」
なるほどな、と内心でぼやく。サクミが珍しく熱心に仕事に取り組んでいると思ったらそういうことか。長女好みの金払いの良さそうな客だ。
「それにこのエキドナはかの有名なブリジール大戦を生き残った数少ない機体でもあるんだよ。さすがに外装部分は全て取り換えてあるが、中身は当時のままの形で残されていてね。見たまえ、古き英霊たちの魂が今も宿っているようじゃないか――」
「はあ……」
「それでも現存機と同等の性能を発揮するのだから、当時の技術力の高さには脱帽するしかないねえ。理解していない輩も多いが、なんでも新しいものにすれば良いというものじゃあない。その点、この機体にはかつての職人達の魂とも呼ぶべき技が残っていて――」
半分ぐらいを聞き流しながら、この自慢話風自慢はいつまで続くんだろうと考える。早く仕事に取り掛からないとサクミから向けられる無言の圧力で圧死してしまいそうだ。
「あのー、そろそろ作業に取り掛かってもいいっすか?」
「まあまあ、後学のためにも聞いておきたまえ。この機体の素晴らしいところは――」
怒鳴りつけたくなるのをなんとか堪え、リュートは今更ながらに気付く。
姉貴達が自分を急かして呼び出した理由――こいつの相手を俺に押し付けるためか。確かにこれでは仕事が捗る、捗らない以前の問題だ。
「それでだね。初期型のエキドナは当時としては画期的なエンジンを採用していてね。これはふたつの動力を組み合わせた――」
「ふたつの動力を組み合わせた連結式エンジンなんですよね。ちなみに組み合わせたのは当時主流だった星型レシプロエンジンと循環式流水エンジンのふたつで、前者の出力は120馬力、後者の出力は80馬力でした」
「……へ?」
「エキドナという名称がつけられたのも、神話上のエキドナが人間と蛇の身体を併せ持っていたからです。二つの生命が組み合わさっていることに由来したわけです。けれど連結式は整備の手間が大きく故障も多かった。不死とされるエキドナの名を冠した機体がエンジントラブルですぐに飛べなくなるってんですから。これはもう盛大な皮肉ですよね」
「…………」
「ついでに言わせてもらうと初期型のエキドナの最高速度はマッハ0.6です。これは公式記録として残っている正確な値です。ですから、超音速すら叩き出す現存機と張り合えるわけがない。きっとこの機体、中身も全部換装されてますよ。古き英霊たちの魂が宿っていなくて残念でしたね」
あんぐりと口を開けた中年太りの紳士へと、リュートは冷めた視線を投げかける。
「――まだなにか?」
「い、いや。知っているなら良いんだ。ほ、ほら、油を売っていないで早く仕事に取り掛かりたまえっ」
油が売れそうなほど額をテカらせているのはあんただろ、と内心で毒づき、リュートは作業へと取り掛かる。機体下で顔を合わせたジルが、くくくく、と声を殺して笑った。
「あーあ、大切なお客様に対してやり過ぎですよお。まあ、ちょっと気が晴れたから特別に許してやるですけど」
何が大切なお客様だ、そんなこと微塵も思っていないくせに。
「で、俺は何をすれいい?」
「動力部周りはほぼ片付いてるので、まずはエルロンとフラップの稼働チェックですね」
「オーケー」
軽い返事だけを残してそのまま主翼の下へと移動する。油圧での稼働部分に激しい摩耗や損傷が無いかを念入りに確認しながら、ふとあることを思い出す。
「そういえばさ、クリアしたぞ」
「?」
主語のない言葉では上手く伝わらなかったのか、ジルが怪訝そうな表情を返してきた。
「だから、FTSのエクストラモード。さっきなんとかクリアした」
リュートがそう口にした途端、ジルがその眼を大きく見開いた。
それを見て思う。いつも眠たげなジルがこんな表情をするのはいつ以来だろうか。
ひょっとしたら初期型のエキドナを見かける頻度よりも少ないかもしれない。
「マ、マジで!?」
「ああ、マジだ」
信じられないといった表情のままジルは口元をわなわなと震わせた。
「ああああのモードの対戦相手は、実在したエースパイロット達の操縦技術を良いとこ取りして作り上げた仮想パイロットですよ! 計算上では歴代最強となるはずのほとんどチートみたいなキャラです! それを倒しやがったんですか!?」
「ああ、だからやたらと手ごわかったのか。倒すまでに三日もかかったぞ」
「三日? 史上最強のパイロットをたった三日で? ……はあ、まったく計算外ですよお。なんだか製作者のワタシが負けたような気がして悔しいんですけどお?」
義姉の双眸が恨めしそうに歪む。相当悔しかったのか、考え込むように俯くとさっそく「じゃあ、次は火力をああして」「旋回性能をこうやって」などとぶつぶつ呟き始める。
「……もうちょっと戦術的な柔軟性を持たせて……あ、もういっそのこと超長距離高速空対空ミサイルとか戦略級兵器を持たせちゃえば……」
「やめろ。射程外から一瞬で屠られるなんて、どんなクソゲーだよ」
冷静なツッコミにすら歯をむき出して威嚇してくる。その反応に呆れながらも、姉二人からいつも虐げられている身としては仕返しが出来た気がしてなんだか気分が良い。
ふと背中越しに感じる視線。振り向くと、サクミが機体の影から顔を下向きにつき出した格好でリュートを見ていた。上下逆になっている瞳が細められ、なんだか不服そうに口を尖らせている。
「な、なんだよ?」
「――有罪。一週間デザート抜きナ」
「なんでだよ!」
唐突に全く身に覚えの無い判決を言い渡され、たまらずに声を上げる。
「横暴だ! なんの権利と根拠があってそんなことを!」
「うるせえ! 私がデザート抜きって言ったらデザート抜きダ。生意気だ、生意気!」
「は、はあ? 生意気って、いったい何が……?」
話を理解出来ない様子のリュートを見て、ジルが補足する。
「あー、サク姉はエクストラモードに何度も挑戦したけど、いまだ未クリアなんですよお」
「完全に逆恨みじゃねえか!」
サクミはふんと鼻を鳴らすとそのまま明後日の方を向いてしまう。
そんな長女の反応に苦笑しながらも、ジルは称賛半分、呆れ半分と言った口調で言う。
「しっかし、本当に操縦技術だけは大したものですねえ」
サクミも顔を背けたまま不承不承といった様子で頷く。
「ああ、操縦技術だけはナ」
「ええ、操縦技術だけは」
「なんだよ二人して。それしか取り柄が無いみたいに言うなよな」
否定して欲しくて口にした台詞に、二人仲良く返事は無い。――こ、このやろう。
「でも、まあ……いくら空戦機の操縦が上手くてもなア……」
唐突にサクミの表情が一変し、にやにやとした嫌らしい笑みを向けてきた。
「そうですねえ。本当に勿体ないですねえ」
姉に倣うようにジルまでもがにんまりと口角を上げる。
「な、なんだよ?」
向けられる視線の中から不穏な気配を感じ取り、リュートは思わず身構える。
『操縦だけ上手くても――』
二人の声が綺麗に重なった。
『童貞、じゃあなぁ!』
「なあっ――!?」
姉二人の口から出た単語に思わず絶句してしまう。
「本当に宝の持ち腐れっていうか、なんというカ」
「いくらテクだけ上手くなったって、所詮経験の無い童貞ですからねえ」
「いや、むしろ童貞のくせにテクだけは一流ってちょっと引くんだケド。痛々しいっていうか、どんだけ必死になってソロ練習してんだよっていうカ」
「うはwwww たしかにwwwww」
目の前でやりとりされる暴言の数々に、たまらず歯を剥きだして反応してしまう。
「し、仕方ねえだろ! 俺だって好きで童貞のままでいるわけじゃ――」
「あーん? じゃあなんで童貞卒業しないのかなあ? お姉さんに教えてみろヨ? ほらほら、言ってミ?」
「こ、この――!」
怒鳴ってやろうと息を吸い込んだ瞬間、視界の端に中年紳士の姿が入り込んだ。少し離れたところからリュート達の様子を伺っているのだが、どこか態度がよそよそしい。三人の会話が聞こえているのだろう、不自然に視線の逸らし、どこか居心地悪そうに額の汗を何度も拭っていた。
リュートは自分の顔が急速に紅潮していくのを感じた。
――ち、ちがうぞ! アンタは誤解をしている! この二人が言っているのはそう意味じゃなくて! いや、そういう意味でも童貞ではあるんだけど! けどそうじゃなくて!
そんな支離滅裂な言葉が喉元まで出掛かったが、何とか飲み込む。そんなことを必死に言い訳したって姉二人が面白がって笑い転げるだけだ。
サクミとジルが口にしている『童貞』とは、いわゆる男女の営みにおけるものとは違う。
空戦機の世界では実際に空を飛んだことの無い新米パイロットのことを『童貞』と呼ぶ。
新人は飛行経験の無い童貞のまま知識と技術を身に着け、空へ飛び立った時に晴れて童貞卒業となるわけだ。
まだ空戦機パイロットが男ばかりだったころに流行ったスラングの名残であり、女性のパイロットが当たり前に存在するようになった現代には相応しくない呼称だが、しかし今なお根強く残っている蔑称でもあった。
「いいかげんにしろよな!」
「ああーん、童貞が怒ったあ! 童貞のくせに(顔を)真っ赤に充血させてエ、ガチガチにイキリ立ってるウ!」
「あのモードを最短クリアとはね。まったく童貞のくせに早漏なんて最悪ですよ!」
「なに言ってんだてめえら!」
年頃の乙女の口から出る下品な言葉の数々に、中年紳士もさっきまでの偉そうな態度はどこへやら、顔を赤らめもじもじと俯いている。
いくらリュートが言い返そうとも、サクミとジルはそれを逆手にとって面白がるだけだ。
二対一。多勢に無勢。リュートは悔しさに歯をぎりぎりと鳴らしながらも、おとなしく引き下がった。勝利を確信したサクミが満足気に目元を緩める。
「まあまあ、そう怒るなって。ちょっとだけ気が済んだから、デザート無しは三日で勘弁してやるヨ」
「へえへえ、そりゃどうも」
ケラケラと笑いながら、サクミの顔が引っ込んでいった。
まったくいつもこうだ。リュートは心の中でぼやく。
身を寄せていたホームから半ば強引に連れ出されてから、こんな風に義姉達にからかわれる毎日。整備士としての腕前では二人には敵わない、口喧嘩ではなおのこと敵わない。唯一誇れる操縦技術についても、とある事情により未だ飛行経験を持たない。
どこで道を踏み外したのか。いや、もともと踏み外せるほどまともな道を歩いてきたのか。故郷で過ごした遠い日々は、7年が経過した今もなお、昏く濁っている。
しかし、なんだかんだ言いつつも、リュートはここでの暮らしを気に入ってもいた。
長女でありこの整備工房の長でもあるサクミの姿をじっと見つめる。
機体チェックとシステム調整を同時に行う手際の良さは見事というほかなく、少し罵倒されるぐらいなら我慢してやろうという気にもなる。
「サクミ、可動部のシャフトがだいぶ傷んでるんだけど、どうする?」
「ああん? そんなもん適当に一番高価なやつに変えとけヨ。どうせ相手は道楽で空戦機飛ばしているような成金豚だロ? 貰えるもんは貰っとこうゼ」
その成金豚に聞こえていることに気付いていないのか、もしくは気付いていてなお頓着していないのか、そんなことを平然で言ってのける。言われた当人が顔を真っ赤にしているのを横目で盗み見ながらリュートは苦笑する。
本当にこんなんでも客がつくのだから、腕前だけは超一流なのだ。
腕前だけは。




