突貫!!!
ジルの手がキーボードの上を休むことなく動き続ける。
まるでピアニストが鍵盤を叩くかのような優雅で軽やかな指の動き。しかしそれとは対照的にジルが浮かべる表情には一切の余裕が感じられない。
「くうっ」
こめかみから流れた汗が、頬を伝い、顎の下で雫となって落ちる。
ジルは理解していた。
自分の働き如何でエレナを救えるかどうかが決まることを。
普段は理性で抑え込んでいる弱気や焦りといった感情が、じわじわと小さな心に這い寄って来る。気力を振り絞るジルを嘲笑うかのように、キーボードを走る指が汗で滑った。
「しまっ――!」
刹那の間を挟んで、ディスプレイ上に映されているドローンのステータス画面が赤く染まった。一秒にも満たない一瞬のタイプミスが、ひとつの好機を奪い去っていく。
画面に表示されている三機が既にブラックアウト。残るは一機。
「……さすがにキツイですね」
サクミは辛そうな次女の横顔を見つめる。「落ち着け!」そう声をかけてやりたいが、集中を邪魔することは出来ない。何よりも誇れる自慢の妹。その力を信じ見つめ続ける。
「まだ、まだです――」
唇を引き結び、焦燥感に飲み込まれそうになりながら、必死に指を動かし続ける。
「もう少し――」
つりそうになる指の痛みを歯を喰いしばって堪え、そこからさらにタイプスピードを上げていく。
打鍵音が限界を超えて激しさを増していき、
そして。
眼鏡の奥の瞳が眩い虹彩を放った。
「ここです!!!」
ジルの指がキーボードを叩き、ターン、と澄んだ音色を奏でた――
イシュムに最接近したドローンからアンカーが射出される。
鋭い先端部を備えたアンカーは狙い違わずイシュムの電子端子へと突き刺さり、次の瞬間、接続部からジルお手製のコンピュータウイルスが流し込まれた。
人間が知覚出来る幾億分の一という刹那を用いて、ウイルスはメインシステムへと辿り着き、イシュムの制御系統を蝕み始めた。
『な、なんなの――?』
エレナが上げた戸惑いの声と共に、イシュムが沈黙する。
『さあ、リュート! いまです!』
聞こえて来たジルの言葉に、リュートは握り締めていた操縦桿を更に強く握り締めた。
出会ってからずっと「末弟君」としか呼ばれなかった。
そのジルが、リュート、と呼んだ。
はじめて姉に認められた気がして、リュートは無意識に笑みを刻む。
スロットルバーを一切の躊躇のないまま強く引き倒す。
一瞬で機速が跳ね上がり、その代償として膨大なGが身体を襲う。
シートに身体が沈み込むほどの重圧の中、必死に歯を喰いしばり、前方へと目を凝らす。
『こ、こんなの! どっかいっちゃええええええええ――!』
その時、エレナの絶叫に応えるようにイシュムの巨体が震えた。機体を取り巻く光がその明度を増し、夜空に浮かぶ真実の月をすら掻き消さんと光り輝く。
『な――っ、ウイルスが強制停止して――!? そんなの、滅茶苦茶ですよ!』
驚愕に彩られたジルの声。
次の瞬間、イシュムの砲門が再び攻撃を開始した。
『リュート! 駄目です! 戻って!』
だがリュートは止まらない。姉が作り出してくれた一瞬の隙。そのおかげでここまで接近することが出来た。このチャンスを無駄にしたくない。いや、出来るはずが無かった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
スロットルを一気に限界まで引き倒す。
アルスヴィースは白く長い噴射炎を吐き出しながら、一本の光り輝く矢と化してイシュムへ突貫していく。
銃撃を躱し切れずに機体に無数の弾痕が刻まれる。銀翼の先がはじけ飛ぶ。
そして、甲高い破砕音が聞こえたと思った瞬間、激しい衝撃がリュートの身体を襲った。
キャノピーの特殊ガラスが砕け散り、操縦席内へと降り注ぐ。
撒き散らされた破片がリュートの頬を裂き、頭皮を破り、頭から流れる血が鼻の横を通って口元まで垂れ下がる。それを舐めとり、リュートはまっすぐ前を見つめ続けた。
「あそこです! 頭頂部につけてください!」
アイオンからの指示を受け、イシュムに近接する直前で急上昇をかける。
イシュムの頂点部分には小型機程度であれば発着可能な離発着スペースが形成されている。恐らく専用の小型ドローン等が使用するために作られたものだろう。しかし、開発途中で奪取されたイシュムにはその機能は未だ備わっていない。
その発着用のスペースへと強引に機体を滑り込ませる。
エアブレーキを開き、リバーススラストを最大開放させ、相対速度を合わせる。
アルスヴィースはおよそ着陸とは呼べない乱暴さでイシュムへと激突した。
夥しいほどの火花をまき散らしながら滑走面を滑り続け、このままでは反対側から落下する――そう思われた矢先、
「こなくそおおおおおおお!」
機体を強引に旋回させ、転倒させ、胴体部との摩擦面を増やすことでなんとかブレーキをかける。
落下するギリギリでの着陸成功。
リュートは息を吐き出した。
縛帯を外し、そのまま呼吸を落ち着かせ、自身の有様を見下ろす。
飛び散った硝子の破片で飛行ジャケットのあちこちが切り裂かれ、その下からは血が滲んでいる。無数に存在する小さな痛みを一旦意識の外へ追いやり、身体を反転させるようにして後席を覗き込む。
「立てるか?」
後席に座るアイオンも似たような有様だった。全身を切り裂かれており、特に頭部からの出血がひどく、顔の半分が赤く染まっている。
「大丈夫です」
少しも大丈夫そうじゃない顔で、そう答えて笑った。
「行きましょう。エレナさんが待っています」
伸ばされた手を握り、強く引き起こしながら、リュートは頷いた。




