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約束の空に君を乗せて  作者: 御堂寺 祐司
第四章 『The promised sky, You ride with me.』
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アルスヴィース、飛翔


 アルスヴィースが夜空を一直線に翔け抜けていく。


 イシュムの巨体へ機首を突き立てんとするかのように、まっすぐに。


『なんなのよお!』


 エレナの絶叫が夜空に響き渡ると、4門の砲塔がそれぞれ意志を持っているかのようなバラバラの動きでアルスヴィースへと照準を定め、次の瞬間、四条の光線が空を焼いた。


 先程までの散発的な射撃とは違い、吐き続ける光線を使っての薙ぎ払い。

 夜空を一閃する光をアルスヴィースが躱す。迫り来る光の合間を縫うように、加速と旋回、制動を繰り返しながら、空を縦横無尽に飛翔する。


『来ないでえええええ!』


 二度目の絶叫と共に現れたのは夥しい数の銃口だった。イシュムの前面いっぱいに出現した機関砲。

 前面だけのハリネズミのようになりながら、その全てが一斉に火箭を引く。


 横殴りの雨のように降り注ぐ曳光弾。無数の光に照らし出され夜空が一瞬昼間のように明るくなる。それでもアルスヴィースは旋回を続け、曳光のわずかな間隙を縫うように飛翔する。


『乗ってるのリュートなんでしょ! なんで私の邪魔をするのよ!』


 イシュム側面の装甲がシャッターのように開き、その下から無数の空対空ミサイルがせり出してくる。次の瞬間、一切の躊躇さえもなく、それら全てが空へと吐き出された。


 赤外線誘導の弾頭は白煙を吐き出しながら、空を翔けるアルスヴィースへと追い縋る。


 前方から襲い来るミサイルを20mm機関砲で的確に撃ち落とし、後方から迫るそれすらも躱そうとする。


 その神懸かり的な機動に対し、業をにやしたエレナは全てのミサイルに無慈悲な指示を下した。次の瞬間、起爆信号を受けたAAMがその場で大爆発を起こした。


 夜空に連続して咲き誇る爆炎の花。全方位から迫り来る熱波と爆風に煽られながら、アルスヴィースは空をきりきりと舞う。抵抗すれば一瞬で粉みじんになるほどの衝撃を逆らうことなく可能な限り受け流してみせる。


 リュートはいまやDANSによって全空の全てを掌握。


 それはまるで、月華の下で舞う輪舞のようでもあった。




 頭上を翔けていくアルスヴィースをサクミとジルが見上げている。


 機体が翻る度に月光を反射して夜空を美しく彩る。

 漆黒の夜空にまたたくその輝きに目を細めながら、空を見上げ続ける。


「へへっ、やれば出来るじゃねえカ」


 どこか嬉しそうに、そして少しだけ寂しそうに、サクミが微笑んだ。


「これでもう、童貞って馬鹿にできなくなりますねえ」


「そうだナ」


 応急処置を受けた脇腹を力の入らない手で押さえながら、サクミは笑みを深める。


「空に出ちまえばアイツは無敵ダ」


 誇らし気な姉の横顔に苦笑しながら、ジルは抱えていた機械を地面に並べていった。


「まあ、それでも機体の性能差がありますしね。やっぱりサポートは必要でしょう」


 ジルがたった今工房から運び出してきたもの。

 それは一見して、小さなプロペラを4つ備えた飛行模型のように見えた。

 前も後ろも無い全対称のデザインに、電波を受信するための大きなアンテナ。


 ジルお手製の無人空戦機――ドローン。その数、四機。


「さあ、末弟君が気を吐いているんだから、私も姉らしいところを見せますかね」


 ワキワキを鳴らしていた指を、ジルはキーボードへとまっすぐに下ろした。




 攻撃が当たらないことに焦っているのか、余裕を失った声でエレナは叫び続ける。


『私にはもう時間がないんだからああああ!』


 絶叫が夜空を彩り、激情を形にするかのように攻撃は激しさを増していく。


 最早狙いをつけているのかどうかも定かではない。ただがむしゃらに、空の闇を曳光の軌跡で塗りかえようとでもするかのように、全方位へと銃弾をばら撒き続ける。


 しかし、そんな理性を失った攻撃がアルスヴィースの銀翼を捉えるはずも無かった。


 コクピット内で手足を忙しなく動かしながら、リュートは背後へと問う。


「時間が無い? どういうことだ?」


 内部通信用のスピーカーを通してアイオンが答える。


「恐らく、身体の限界が近づいているんです」


「なんだよそれは! 説明しろ!」


 アイオンはすぐには答えなかった。どう説明するのかを迷うのではなく、説明するべきなのかを迷っているかのように。しかしそれでもアイオンは頷き、やがてゆっくりと口を開いた。


「エレナさんは…………一度、死んだんです」


 その言葉の衝撃に、危うく操縦をミスりそうになる。


「っ! ―――じゃ、じゃあ、あの機体に乗っているのは誰なんだよ!?」


「あれもエレナさんです」


「はあ!? 現にエレナは生きているじゃねえか! 俺の幼馴染を勝手に殺すな!」


「いいえ……死んで良かったんですよ……いっそ、その方が良かった」


「て、てめえ!」


「自身の死を悟った時、エレナさんは幸せそうでした。やっとこの苦しみから解放される、そう笑っていました。……でも、そうはならなかったんです」


 アイオンは感情を押し殺すように、淡々と言葉を紡ぐ。


「彼女を失うことは研究の頓挫を意味します。それを容認出来ない研究員達はひとつの賭けに出ました。彼女の痣を見たでしょう? あれはMM細胞の劣化の兆候です」


 MM細胞。Man-Made-cell――

 リュートの義手にも使われている人工の細胞。


 その言葉を聞いた瞬間、リュートはアイオンが言わんとしていることを朧げにだが悟ってしまった。

 トラウマを乗り越えたはずの手足がまた僅かに震え出す。 


「そんな、じゃあ……、あんたがエレナに打った注射は『リジェリン』なのか?」


 リュートの口からリジェリンと言う単語が出たことに、アイオンは少なくない驚きを示した。


「そうです。でも、なんでそれを?」


 リュートは一瞬だけ操縦桿を左手に持ち替え、右手を見せつけるように上げて見せた。その仕草だけでアイオンは察したらしく「そうですか」と小さく呟いた。


「では、もうお分かりでしょう? 今の彼女の身体は、その腕と同じ―――人工的に作られたものなんです」


 告げられた事実にリュートは力無くかぶりを振った。


 自分の腕と同じ――そうアイオンは言った。

 だが、同じでなどあるわけがない。それはもう欠けた身体を補う行為とは次元が違うものだ。


 身体の全て。美しい外見も、その内側で息づく臓腑さえも。言ってしまえば生命そのものを一から作りあげる。そんなことが果たして本当に可能なのか。


 話はもはや、リュートの理解の及ばないところで紡がれていく。


「研究者達は採取した彼女のDNAを使って新しい身体を作り出しました。そして、培養液の中で強制的に成長させた彼女に―――本人の脳を移植したんです」


 あまりにもふざけた言葉だった。言葉の残酷さだけで吐き気を催しそうになるほどに。


「そして、移植は()()()()()()()()()()


 アイオンは言った。声に絶望を色濃く乗せたまま、



 死ですら、彼女を解放してはくれなかったんです――と。



 再び研究室で目を覚ました時、エレナは何を想ったのか。


 やっと逃れられると思った現実がこれから先も果てしなく続いていくと知った時の絶望。それがどれほどのものなのか、リュートには推し量ることすら出来ない。


「賭けは成功したように見えました。それでも、ひとつだけ誤算があったんです。脳を移植した後、彼女の身体はそのまま成長を続けるはずでした。でも、そうはならなかった」


 ――エレナの身体は十歳の状態のまま成長を止めてしまった。


 原因は不明。何故そこで成長が止まったのか誰も理解出来なかった。


 世話係に過ぎないアイオンにその原因が分かるはずもないが、彼には、彼女自身が自らの成長を拒んでいるように見えた、と語る。


 故郷の村で過ごしていた頃の状態。まるでそれ以降の呪われた人生を拒絶するかのように、エレナの時間は十歳で止まってしまった。


 そして体に追従するかのように、記憶の再生すらも十歳の段階で止まってしまう。目を覚ました少女は自身が置かれている状況を理解出来ずに暴れ続ける毎日だった。

 このままでは研究に支障が出ると考えた研究者達は、エレナの成長を阻害していると考えられる要因を排除しようとした。


「――僕はその計画にどうしても納得が出来ず、反対しました。結果、研究所を追い出されたんです」


「その……計画ってのは?」



「――彼女の中から、故郷に関する記憶を消去することです」



 ぎり――っ、喰いしばった歯茎から軋むような音が漏れた。


 死すらも奪い。

 そして今度は幸福な想い出すらも奪おうとする。


 自分がこれまで生きてきた証を奪われる。それはある意味で死よりも辛いことだろう。

 僅かに開いたリュートの口から荒い呼気が漏れ出る。心がかき乱されて、意味のある言葉を紡ぐことが出来ない。そんな心理状態の中でアルスヴィースを操縦出来ていることが自分でも不思議だった。


「すぐに僕は研究所を追い出されてしまい、その後の詳細は分かりません」


 そう言ってアイオンが一旦言葉を区切ると、リュートはようやく言葉を吐き出した。


「ふざけるな……」


 許せなかった。どこまで人の尊厳を踏みにじれば気が済むと言うのか。


「ふざけるなあああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」


 あの心優しい少女がどうしてそこまで残酷な仕打ちを受けなくてはいけないのか。


 身体が熱い。怒りで脳髄が焼けていくようだった。全身を巡る血液が全て沸騰したかに思えた。


 リュートにはもう分からなくなっていた。エレナが今行おうとしていることの何がいけないのか。それはもう正当な復讐と呼べるのではないのか。

 いや、いっそのこと、


「そいつら、全員ぶっ殺してやる!」


 リュートの激情に対して、アイオンの返答はどこまでも冷たく機械的だった。


「無駄ですよ」


「なにがだ!」


「研究所はもう残っていません。一夜にして跡形も無く消え去りました」


「…………は?」 


「彼女が――いえ、彼女の乗るイシュムが研究所を消し去ったんです。施設の人間はもう誰も生き残っていません。……僕以外は、ね」


 リュートは今度こそ告げる言葉を失った。エレナが漏らした呟き。

 「もう遅いよ」の意味。それが今になってようやく分かった。

 その言葉の通り、既に手遅れだったのだ。

 エレナはもう数えきれない程の人数をその手にかけてしまっていた。


 呆然とするリュートの耳に、アイオンの言葉だけが淡々と響いていく――


「記憶を消されそうになって、彼女の精神は暴走したんです」


「それは一種の生存本能だったんでしょう。死すらを受け入れたはずの彼女でも、記憶を奪われることには耐えられなかった」


「その時すでに、研究者達の想定以上に、彼女は自らの生命エネルギーを操れるようになっていた。彼女はその力でシステムの管理者権限をも奪いとり、イシュムを強制的に機動させ、その火力を持って全てを灰にしたんです」


 そして最後に、物語を閉じるかのようにポツリと付け加える。


「研究所を焼き払った後、彼女はイシュムと共に姿を消しました。私はその行方をずっと探していたんです」


 リュートはもう何も答えなかった。アルスヴィースを絶えず操りながら、冷えた炎を宿した瞳を歪め、イシュムをじっと見据える。


「あんたの目的は?」


「全て、あの機体が元凶なんです。あんなものを作ろうとしたから、罪も無い子供達が苦しむはめになった。多くの人が死んだ。僕の、同僚たちも……」


 同僚という言葉を吐き出した瞬間だけ、その声に熱がこもったことをリュートは聞き逃さなかった。

 エレナが手をかけた人間の中に特別に親しい相手でもいたのかもしれない。


「……復讐なら手助けは出来ない」


「違います。全て彼らの自業自得なんです。僕はただ、あの呪われた機体をこの世から消せればいい。そして出来れば……彼女も助けてあげたいんです」


 その言葉に偽りがないことを感じ取り、リュートは頷いた。


 少しだけ冷えて来た頭で、イシュムの中に居る少女のことを想い浮かべる。


 ――今この瞬間も、エレナは苦しんでいる。その命を削り続けている。

 ――だから、とにかく彼女を助け出す。

 ――あとのことは、あとになって考えればいい。


 イシュムの攻撃は、変わらずアルスヴィースを捉えはしない。しかし、分厚く張られた弾幕を前にしてリュートもイシュムへと近寄ることが出来ずにいた。


(残弾が尽きるまで待つか? いや、そんな悠長なことしている時間は無い。エレナの身体はどんどん弱っていってるんだ)


 エレナの上げ続けている叫び声も、先刻に比べると幾分弱弱しく感じられる。


 リュートは焦った。一か八か特攻を仕掛けるか――、


 そう覚悟を決めた時だった。


『私が押さえます』


 突如、外部通信用スピーカーから聞こえて来た声にリュートは目を見開いた。


「ジル!?」


『私が、あの機体の制御を一瞬だけ奪います。その隙にとりついてください』


「制御を奪うって、どうやって?」


『ふふん、姉の力をなめんじゃねえですよ』


 いつのまにかアルスヴィースの周囲には四機のドローンが浮いていた。ドローン達は迫り来る曳光弾の雨を器用に避けながら、イシュムを取り囲むように展開していく。


『いいですか? 恐らく動きを止められるのは僅かな時間だけです』


「ああ、少しでもあれば大丈夫だ。任せろ!」


『ほほう、ずいぶんと言うようになったじゃねえですか。これはもうひとつの童貞を卒業する日も遠くないかもしれねえですね』


「そ、そんなことを言ってる場合じゃねえだろ!」


『たしかにたしかにw』


 含むような笑い声だけを残して、次の瞬間、ジルは雰囲気を一変させた。


『じゃあ、行きますよ!』


 ドローンが包囲網を狭めるように旋回しながらイシュムへと近づいて行く。


『な、なによ! こんなのおおおおお!』


 降り続ける機関砲の雨が横殴りの激しい驟雨へと変わった。断続的に繰り返されるうねるような銃弾の嵐の中を、曳光の弾道を予測するような動きで、ふわふわと躱しながら進んでいく。


 だが、近づくにつれて攻撃の密度は当然のように増していき、やがて一機が被弾して炎を吹き上げた。

 そしてまた一機、プロペラを粉々に粉砕されて昏い地表へと墜ちていく。


 それでも残る二機は、確実に距離を縮めていった――


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